十四、仕組まれた再会
私の頭を撫でていた女性を睨み付けてお会計台に引っ込ませたモファラスさんは、私には目もくれずに焼き上がったばかりのパンヌを陳列棚に並べ出す。
私の事、覚えていないのだろうか? ん、まあ、私は所詮何十人もいるお客さんの中の一人に過ぎないのだからね。いくら以前優しくして貰っていたとしても、忘れるのも無理はないのだけれど。はあ、さっさとお使いを済ませよう。
「久しいな、お嬢」
と、私の頭脳が諦めムードに入った時、唐突に背中を向けたままの彼から声を掛けられた。
「覚えててくれたんですか……?」
じわじわと溢れ出る喜びを味わいつつ、そっと確認してみる。
私の言葉に反応してかモファラスさんはくるりと振り返ると、
「あたりめえだ、客の顔は全員ここに入ってら」
人差し指で頭をこつこつとやりながら、仏頂面のまま私に言い切ったのだった。
そして私のすぐ目の前にまで近寄り、持っている籠を取り上げる。
「どれ、ロレーヌ家の坊主も渡しな」
「ありがとう、モファラスさん」
「ふん」
籠を両手に持ったモファラスさんは、店の奥に消えていった。それを見たアーザス君がクスクスと笑い出す。どうしたんだろう。
「はは、モファラスさんアレシアちゃんに会って照れてるや」
「へえ……」
モファラスさん、照れてたのか。どんな顔するか見たかったな。あの仏頂面を赤くするのだろうか。
「アレシアちゃん」
モファラスさんの恥じらう顔を想像していると、アーザス君が私の名前を呼ぶ。その声音が若干硬い事に違和感を覚えながらも、私はアーザス君に向かって振り返った。
「はい?」
彼は真剣な表情をしている。どうしたと言うのだろう。
「アレシアちゃんは今まで何をしてたの? どうして今まで戻って来なかったの?」
う……嫌なトコ突いて来るな。
「昨日はさ、アレシアちゃんに会えたのが嬉しくて聞けなかったんだけど……寝る前に気になっちゃってね。よかったら話してくれないかな?」
遠慮がちに話してはいるが、アーザス君は私に力強い目線を向けている。まあ、それでもアーザス君をごまかす事なんか何でもない位簡単な事だ。しかし、アーザス君経由で話が何処まで拡散するか分かったもんじゃないし……よし、細かい話は記憶喪失で曖昧にしつつ、どうにか納得させてしまおう。
私の演技力を見せてやる!
「アーザス君は私が事件に巻き込まれた事は知ってますか?」
ここは渋々と話を切り出すんだ。後々それが生きてくる。あ、ちょっと俯くのもいいかも。
「知ってる。ペロポネア帝国が大統領の子供を拉致しようとして、アレシアちゃんも一緒に掠われちゃったんだよね」
ここ! ここから悲しい顔をする!
「その時の事……あんまり、覚えていないんです。ただ、何か、とっても怖い思いをしたのは覚えてるんですけど……」
声を震わしてみたが、変な感じにならなかっただろうか。
「ご、ごめん! ボクのわがままで嫌な事思い出させちゃったね」
上手くいった! アーザス君は真に受けた!
「構いませんよ。誰でも今までいなくなってた人がいきなり現れたら、何をしてたか気になるでしょうから」
「なら、続きを聞いてもいい?」
アーザス君の知りたがり屋さんめ! ええい、だがここまで来たらやり切るまで!
「いいですよ。それでですね、事件にあってから私はディーウァさんに助けられたんです。ほら、昨日会った人。覚えてますか?」
「うん、茶髪の女の人でしょ?」
「はい。で、昨日無事送り届けて貰った訳です」
「へえ……あれ、でもそうなるとどうして帰って来るのに時間がかかったの? 事件のあったアンコナーは歩いてもさすがに二年はかからないよ」
「実は事件に巻き添えになったせいか、記憶を一部失っちゃったんです。だから……」
何か演技でも、悲しくなってきちゃった。実際、記憶喪失さえなければもっと早く帰れたんだもんね。悔しいなあ、時間を無為に過ごした気分になる。
「……そうか。大変だったんだね」
「そうですねぇ……」
場がしんみりした雰囲気になってしまった。それに合わせて私自身の心境も、しんみりして来る。
「でもさ、帰って来れたからよかったじゃん! そうだ! 今日一緒に遊ぼうよ!」
突然元気よく大きな声を上げるアーザス君。多分、場を盛り上げようとしているんだろう。
その気遣いに思わずクスリと笑ってしまう。転生して二十年以上生きてる私が、こんな小さな少年に気遣かれちゃってるなんてね。しっかりしろ、私。
「いいですね。じゃ、学校終わったら私からアーザス君の家に行きますよ」
「い……いいよ、アレシアちゃんは待ってて。ボクの方から行くから」
「なら、待ちます。楽しみにしてますよ」
私に返事をしようとしたのか、アーザス君が口を開いた時、入口からカランカランと鈴の音が勢いよく鳴り出す。そのせいでお会計台に立っている女性の「いらっしゃいませ」の声がほとんど聞こえない。
「よお、お前らも来てたのか」
入って来たのは髪の毛をつんつんと跳ねさせ、目を半開きにしたラインラ君だ。まだ眠いんだろうね、歩みがのろのろとしている。
「ラインラ君、おはようございます」
「あぁ」
「珍しいね、君がお使いなんて」
アーザス君が露骨に眉をしかめてみせる。この二人の仲大丈夫かな。昔からアーザス君が一方的にラインラ君に反感めいた感情を持ってるんだよね。
「まーな。それよかおっちゃんはいないのか?」
まあ、ラインラ君がまともに相手にしてないからそんな問題にはならないけど。
「おう。ほら、持って来たぞ」
ラインラ君の呼び掛けに、店の奥から出て来るモファラスさん。両手に持っている籠にはほんのり黄色いパンヌが山ほど入っている。
「ありがとうございます」
「モファラスさん、ありがとう」
モファラスさんは私達に籠を渡してくれる。て、あれ? 私の家の分にしてはパンヌの量が多くはないか?
私が疑問に思いモファラスさんの顔を見上げると、目線を反らされてしまった。何なんだ? 余ったから少し分けてくれるのかな。
「あの、モファラスさん……」
そこをアーザス君に肩をチョンと突かれる。今度は何さ。
「何ですかアーザス君」
「アレシアちゃん、親切は素直に受け取った方がした方も喜ぶんじゃない?」
親切? あー、もしかしてモファラスさん、私の帰還を祝福してくれてる訳? ふーん。へー。ふふっ。
「あ、アレシアちゃん?」
アーザス君に怪訝に思われるのも仕方ない。私今、気持ち悪い顔してるもの。顔がどうしてもにやけちゃう。
「ありがとうございますっ、モファラスさんっ!」
「…………………………あぁ」
もう、反応鈍いなあ。でもこれも照れ隠しなんだろう。さーてと、大分時間をくってしまった。お母さんが待ちくたびれてるかもしれない。そろそろ我が家に戻ろうか。
「また明日も来ますね!」
「…………………………あぁ」
私は浮ついた心を持て余しながら、帰宅の途に着いた。
裏口から家に入ると、廊下を真っすぐ進んだ先にある玄関でディーウァが来客と応対しているのが見えた。ディーウァの背中が邪魔になって来客の姿は分からない。しかし来客者は、朝早く何しに来たのだろうか。
「あら、見ない顔ですわね。どなたかしら?」
え、待って、この声……。私はこの声の主を知っている。
「ディーウァと申します。サハリア様」
な、んだと? やはり、彼女なのか!
「サハリア……サハリアお姉ちゃんですか?」
「そ、その声は……アレシアですの?」
来客者がディーウァを押しのけた事で、彼女の姿をはっきりと目の当たりにする。
淡いレモン色の金髪も、長い髪をツインテールに纏めているのも、エメラルドブルーの瞳も、気の強そうな顔立ちも、全部が全部、サハリアお姉ちゃんだ。で、でも、何でここにいるの!?
「あ、あぁ。間違いないわ。アレシア、あなたアレシアね!」
フリルの沢山付いた豪勢なドレスの裾をつまみながらサハリアお姉ちゃんが駆け寄ってきて私の目の前で立ち止まり、勢いよく私に抱き着こうと両腕を広げて迫ってくる。
うわっまずい! モファラスさんから貰ったパンヌが潰れてしまう!
緊急回避!
「さ……避けられ……」
あ、やば。サハリアお姉ちゃんものすごく衝撃を受けてる。でも仕方ないじゃないか! モファラスさんが丹精込めて作ったパンヌが危険にさらされてたんだもの!
「少し待ってて下さいね!」
私は駆け足で食事室に入りパンヌの盛られた籠を食卓に置く。さあ、早くサハリアお姉ちゃんの元へ戻ろう。
「あら、アレシア。あなたパンヌ取って来てくれたの?」
おっと、お母さんに呼び止められた。
「え、あ、はい」
「ありがとうアレシア!」
そしてギューて抱きしめられた。お使い位でこんなに喜んでくれるなら私も嬉しいよ。でも私、ちょっと急ぎの用事があるんだなー。
サハリアお姉ちゃんの精神には私が爆撃を仕掛けて結構な打撃を与えてしまっている。早く取り繕わないといけないのだ。
「お、お母さん」
こんな喜んでくれてるお母さんに口出しするのは気が引けるのだが、やむを得ない。さっさと放して貰わないと。
「え、あ、もしかしてお腹空いたの? 分かったわ、すぐ用意するから」
助かった。今行くからねサハリアお姉ちゃん!
私が食事室から顔を出すと、膝立ちの体勢で「避けられた……避けられた……」と呟くサハリアお姉ちゃんの後ろ姿が。ディーウァも扱いに困っているようで、おたおたしながら遠巻きに眺めているだけだ。
何とかしなきゃ。でも、どうやって? んー、そ、そうだ。私がお姉ちゃんの抱擁を避けたからこんな事になってるんだ。なら、少し恥ずかしいけど……。
私はサハリアお姉ちゃんの背中に抱き着いた。さらに避けた訳じゃない事もアピールしとく。
「会えて嬉しいです、サハリアお姉ちゃん」
こら、ディーウァ。笑うな。余計恥ずかしくなるだろ。
「あ……アレシア! もう放さないわ!」
うわ、サハリアお姉ちゃんがいきなり反転して顔と顔が向き合う体勢になった。それと何故かサハリアお姉ちゃんが駆け出してるんだが、え、ちょ、何処に向かうんだ?
「出して頂戴!」
「畏まりました」
「……は?」
私はあっという間に馬車へ乗せられ、サハリアお姉ちゃんと共に我が家を離れた。