箸休め一品目:ジェイソンのその後
ロミリア共和国の首都、ロミリアには七つの緩やかな丘があり、七つの丘毎に建てられる建築物の大まかな傾向があった。丘の内の一つ、パラティアの丘には政府が保有する建築物が多く、ジェイソンが勤めている軍務省もまたパラティアの丘に建てられている。
そのパラティアの丘の道を一台の馬車が走っていた。脊が高く足の細い二頭の馬に引かれる馬車は鉄製の車体を黒く塗られ、前後左右に開けられた窓枠にはガラスが嵌められ中から赤いカーテンが引かれている。クリーム色の石畳みの道は四頭立ての馬車が余裕を持ってすれ違えるだけの広さがあり、左右の端には歩道もある。そして、道の左右には見上げんばかりの高さの鉄柵が延々と続いており、通る者にどうにも閉塞感を与えているようだった。
緩い坂道をしばらく馬車が走ると、軍務省の文字が青銅に描かれた立派な標札が張り付けられている門が見えて来た。
御者が門の前で馬車を止めると、革鎧に身を包んだ兵士二人が門の隣にある煉瓦造りの小さな小屋から出て来て馬車の側面に近付き、扉を叩く。ジェイソンはそれに応じて馬車の扉を開いた。そのジェイソンを小屋に開けられた小さな穴から、ひそかに弓兵が狙う。誤射を避ける為、弦に矢はつがえないが万が一の事を考えての措置だ。
「登庁許可証をお見せ下さい」
兵士は高官であるジェイソンに一瞬気圧されたが、直ぐさま気を取り直し任務を果たそうとする。
ジェイソンは魔法陣の描かれた五センチ四方の紙を取り出し、兵士に渡す。反対側ではスタンドゥハルも別の兵士に同じ紙を渡している。二人の兵士は小走りに小屋へ戻っていった。
小屋の内部は六人が一度に着席出来るテーブルと六脚の椅子があるだけの質素なもので、椅子に二人の男が座り、弓兵は小さく穿たれた穴からジェイソン達を監視している。二つある窓には共に鉄製のシャッターが内側から下ろされ、弓兵の為に開けられたいくつかの穴から差し込む僅かな陽光だけがこの部屋の光源だ。
「お願いします」
兵士二人は紙をローブを羽織った魔法師の前に置く。魔法師は紙を一瞥すると、うなづいた。
魔法師によって本物だと判断された紙を携え、兵士達はジェイソンとスタンドゥハルの元へと戻り紙を返却した。
こうしてようやく門は開かれ、軍務省の玄関前に馬車は止まる事となった。
軍務省は白い漆喰で表面を塗り固められた煉瓦造り六階建ての、立方体の形をした建造物である。玄関前の入口の左右には兵士が一つずつ直立不動で立っていて、馬車から下りるジェイソンとスタンドゥハルに敬礼をした。
軍務省内部に入ったジェイソンとスタンドゥハルの目にまず入るのが、大階段だ。大理石で製作され、十人の大人が手を繋いでも大丈夫な程横幅の広い大階段は、一階から二階ではなく三階に繋がっている。これは軍務省に賊が侵入した場合、簡単に地理を把握させない為の構造……との建前だが、設計ミスというのがもっぱらの噂だ。ともかく、そのテロ対策とやらのせいで軍務省は初めて訪れる人間には迷路のように感じるかもしれない。
ジェイソンはその大階段の横の通路を通り抜け、複雑な通路を何分もかけて歩いた後、ようやく自らの仕事場所に到着する。参謀次長の立場であるジェイソンは現在兵站面での最高責任者だ。中々上等な部屋が割り当てられている。それはエレベーターのない時代、下の階の方が家賃が高かった事と照らし合わしても明らかだ。観音開きの扉を開け、スタンドゥハルと共に三十畳はある参謀次長室に入る。室内には入ってすぐの所に来客用のソファと脚の低いテーブルがあり、それらを通り過ぎるとジェイソンの為に用意された机が部屋の中央付近に設置され、さらに奥に向かうと秘書のスタンドゥハルの机が窓と向き合うように置かれていて、スタンドゥハルの机は左右に書類や書籍の詰まった棚に挟まれている。さらに入り口側から見てジェイソンの机のすぐ左手には木製の扉があり、隣室で業務に邁進している部下達の仕事部屋に繋がっており、右手にある扉を開ければ仮眠室まで用意されている。
最後に、ジェイソンとスタンドゥハルの机やその周辺には、今まで外出していたツケとして大量の書類が散乱していた。机の上には三十センチの厚みはある書類山が築かれ、床には深さ五センチの書類海が床を覆い隠している。
スタンドゥハルはその惨状を見るなり、あぁっと叫んで書類の海に飛び込み、整理をし出す。ジェイソンも内心苦々しく思いながらスタンドゥハルの手伝いに入った。
日が地平線の下へ沈み、空がすっかり暗くなった頃。ジェイソンが天井に吊された魔力灯の明かりを頼りに書類仕事に邁進していると扉を誰かがノックする。
「入れ」
ジェイソンが許可した事で、金髪を七三に撫でつけた切れ目の黒い軍服を着た男が闊歩して入って来た。
「ジェイソン殿、少しよろしいかな?」
男は口元に冷笑を浮かべ、ジェイソンを見る目には軽蔑の色を漂わせている。
「情報部部長……何用です?」
ジェイソンは表情をいかほども変えなかったが、隣に立っていたスタンドゥハルは耳をほのかに赤くして顔を俯かせた。
「今朝方自宅に翔けるようにして戻っていったと聞き及んだのでね。業務に支障をきたさせてまで何故そのような軽挙妄動をしたのか伺いたい」
男の声には優越感が漂っおり、聞く者を一様に不快感を覚えさせる何かがあった。
「私用だ」
「私用? 私用如きで職務を疎かにしたと? いやはや、第三階級出身であるだけの事はありますな」
男は舌なめずりをするようにジェイソンに侮辱を浴びせ掛ける。
「さっ、参謀次長殿はっ! ご息女の安否を確認されていたのでありますっ!」
スタンドゥハルは男の態度に我慢ならなくなり、やむを得ない事情があったとジェイソンを庇う。
「……何? 彼女は死亡したはず……」
スタンドゥハルの言葉に男は切れ目を僅かに見開き、口調を乱す。
「生きていました。現在自宅におります」
男の狼狽を見て内心にんまりしながら、スタンドゥハルはきっぱり言い切った。
「と……とにかく、例えご息女が今に死亡しようがどうでもいい。参謀次長ならば公私を弁えて貰いたいですな」
「ジェレイコス殿! それはあんまりです!」
男はスタンドゥハルの声を無視し、足早に去っていった。
「何なんでしょうかあの態度。第一階級出身なんて肩書は今時たいした価値ないのに!」
「スタンドゥハル。気にしても仕方がない。仕事を続けるんだ」
怒りの収まらないスタンドゥハルはジェイソンに向けて愚痴をこぼすが、簡単にスルーされてしまった。罵られた当の本人にそっぽを向かれては、スタンドゥハルもこの件に関しては黙るしかない。だが、話題をアレシアに切り替えて会話を続けようとする。延々と続く書類仕事から逃避したいのだ。
「はい……あ、そういえばご息女は大統領のご息女と親しかったのでは?」
ジェレイコスの来訪に眉一つ動かさなかったジェイソンが、万年筆を持つ右手が一瞬止めた。
「それがどうした?」
「報告した方が宜しいのではないでしょうか? ご息女も喜ばれると思いますよ」
「……そうだな、後で私から伝えておこう。さ、仕事を続けるぞ」
「はい……」
二人はまた退屈な書類仕事に戻っていった。