九、去る人達
お昼ご飯を食べ終わった一同、それぞれが思い思いに時間を潰している。
お母さん達は食事室で会話に花を咲かせていた。
「そろそろ家事しないとまずいわ……」
「そうね」
「仕方ない、帰るかねえ」
さっきからその繰り返し。お母さん達、そろそろ動かないといけないんじゃないだろうか。
一方私達子供組は食事室の隣の居間に移っていた。居間にある対になった四人掛けソファにアーザス君とチャーイちゃんと私、ラインラ君とルール君に分かれて座り、話をしている。
「なあ、アレシア。ちょっとオレに付いて来いよ」
対面に座るラインラ君がニヤニヤしながら話し掛けて来る。
「何処にですか?」
私は眠っているチャーイちゃんの頭を膝に乗せながら、話を聞く。
「外だよ」
そうだな、久々にこの辺りを見て回るのも楽しそうだ。お母さんに一言残してから行くか。
「いいですね。お母さん、ちょっと外行って来ますね」
少し声を張り上げて、食事室にいるお母さんに言葉を伝える。
「え? 外って何処に行くの?」
私はラインラ君に視線を向けるが、ニヤニヤしたまま答えてくれない。
「ラインラ君と一緒なので心配ないですよ」
「でも、今日位家でのんびりしない?」
お母さんの表情は見ていて凄く胸が締め付けられる程必死だった。まだ、私が目に届く範囲にいないと不安なのだろうか。
ラインラ君とお母さんを天秤に架ける。ラインラ君はお空の彼方へ飛んで行った。
「ごめんなさいラインラ君。また今度にしてくれませんか?」
「ちっ、もういい。ルール、行くぞ」
ラインラ君は舌打ちをすると、足を早めて居間から出て行った。
「またね! アレシアさんっ!」
ルール君の別れの挨拶の声に、イヤニヤさんが何事かと居間へ視線を向ける。
「ちょっとラインラとルール、何処行くんだい!?」
イヤニヤさんは慌てて立ち上がり、食事室から居間にせかせかと早歩きで入って来たが、ラインラ君とルール君の方が一足早かった。
「遊ぶ約束があるんだよ、行ってきまーすっ!」
「母ちゃん行って来るっ!」
玄関の扉が閉まる音がして、ラインラ君とルール君は去った。
「全くあの子達は……仕方ない、あたしも帰るよ。チャーイ、来なさい……て寝ているのかい」
「ぐっすりですよ」
「ま、かえって騒がないから楽だよ」
こっちの部屋に来たイヤニヤさんは、チャーイちゃんを見てホッとしていた。
イヤニヤさんは眠っているチャーイちゃんを軽々と持ち上げ、抱っこした。
「イヤニヤさん、帰っちゃうの?」
「そうだね」
「うーん、じゃあ私も帰ろうかしら」
お母さんとデウラテさんも居間にやって来た。イヤニヤさんが玄関に歩き出したので、アーザス君もソファから立ち上がり、皆で後に続く。
「デウラテさん、マリーさん。昼食会楽しかったよ。アレシアちゃん、アーザス君も元気でね。じゃあ、さようならだ」
イヤニヤさんはチャーイちゃんを抱き抱え、玄関の扉をくぐった。私達はその背中に別れの挨拶を送る。
「さようなら」
「うん、またねイヤニヤさん」
「さようなら……ふう、私も帰るわ」
デウラテさんも玄関を抜け、外へと出た。冬の終わりの涼しい風がデウラテさんの三つ編みに結い上げた金髪を揺らす。
「あら、本当に?」
「うん、お洗濯も沢山あるし、お掃除も、まだ。やる事だらけだもん、帰る」
デウラテさんに至極名残惜しそうな表情を浮かべて、別れの挨拶をするお母さん。
「そう。じゃ、またね」
「うん、また明日。ほら、アーザスも来なさい」
「ボクなら一人で帰れるよ?」
デウラテさんの手招きにこう答えるアーザス君。しかし一人で帰れるかは問題じゃなかった。
「宿題、帰ったらすぐ済ませる約束でしょ?」
「……そうだったね、お母さん」
アーザス君は少し俯き、デウラテさんのいる石畳の道路へ足を踏み出す。
「さようなら、マリーさん、アレシアちゃん」
「また会おうね、アレシアちゃん。マリーさんご馳走でした」
「また明日ね」
「さようなら」
私とお母さんも道路へ出て、二人を見送る。デウラテさんとアーザス君が、隣の彼らの家に入るまで手を振ったり声を掛けたりした。彼らが家に戻ったのを確認して、足を自分達の家へ向けたが、お母さんが立ち止まる。
「どうかしましたか、お母さん」
「……鍋、イヤニヤさんもデウラテさんも忘れてっちゃった」
あらら。もう二人共帰ってしまった。
「洗ってから返せばいいんじゃないですかね? その方が喜びますよ、きっと」
「そうね、そうしましょう」
「あ、皿洗いは手伝います」
「何? 突然どうしちゃったの?」
「いいじゃないですか。手伝いたい気分なんです」
「そう? じゃあ一緒にやりましょうか」
お母さんは微笑みながら了承してくれる。喜んでくれたのなら幸いなのだが。
「はい」
私達は我が家に戻った。
「よく出来たわね。偉いわ〜」
皿洗いも終わり、居間のソファに座ってくつろぐ私とお母さん。私はお母さんに抱きしめられ、頬擦りされている。多分褒められているんだろうけど、心がむず痒い。
私が恥ずかしさにむずむずしていると、玄関が激しく叩かれる音がした。
「もしかして、お鍋かしら?」
どんどん、どんどんどん。
「にしては、焦ってるような気がします」
「ちょっと見てくるわ」
「私も行きます」
二人で玄関まで歩いて行き、扉を開ける。
「すみません! 参謀次長殿はご在宅でしょうかっ!?」
扉の前には、黒い詰め襟の軍服に身を包んだ童顔の男がいた。綺麗に七三に分けられた髪に、真ん丸の目が余計彼を幼く見させる。
「ジェイソンならおりますけど……どうかされたんですか?」
男は私を見つめて固まっていた。
「あの、アレシアが何か?」
慌てて姿勢を直立不動にした男は吃りながら弁明する。
「あ、い、いえ! 私はご息女に何か誤解をしていたようです。か、可愛いご息女ですね〜」
私の目線に合わせてしゃがんだ男は取り繕うように私を褒め出した。私は社交辞令として曖昧に微笑んどく。
男は顔を真っ赤にして動きを止めた。おーい、どーしたんだー?
「一体何の騒ぎだ?」
お父さんを先頭に、お祖父さんとディーウァが廊下最奥にあるお父さんの書斎から顔を見せる。
「ジェイソン、軍の方がお見えよ」
お父さんは眉をひそめて男を睨む。
「スタンドゥハル……君は私の娘に用があるのか?」
おとーさーん、魔力、魔力漏れ出てるって。スタンドゥハルさんは威圧感たっぷりの魔力に体をビクリと震わせ、物凄い早さで立ち上がった。
「ち、違います! 決してやましい思いは持っておりません!」
おい、自白してるぞ。私は思わず二、三歩後退する。
「それは、私の娘に何の魅力もないという意味か?」
「そうなの、スタンドゥハルさん?」
不機嫌の度合いを増したお父さんに、目の座った笑顔を浮かべ出すお母さん。
はい? 私の両親はどうしたんだ? 怒りの矛先が間違ってないか? というか、そんなに怒る程の事か?
お父さんは体外に放出した魔力をゆっくりと一点に集中させ、お母さんは何やらぼそぼそと詠唱を始める。
うわ、本気なのか。私は両親を信じてはいるが、万が一を考えてディーウァに目配せしておく。
「そそそそそんな事ないです……大変愛くるしいお子様だと思います」
もはや腰が引けまくっているスタンドゥハルさん。冷や汗をダラダラと流し、顔を青くしながら弁明を続ける。
「本当か?」
お父さんが眼光鋭くスタンドゥハルさんに尋ねる。
「勿論です! 今すぐにでも抱きしめたい位ですよ!」
あーあーあー。もうこの人駄目だな。あんなに不機嫌な両親にこんな事言うなんて。ディーウァ、私スタンドゥハルさんの命を助ける気になれないよ。
「そうか」
「そうよねぇ」
えぇ? 何故今のスタンドゥハルさんの言葉で怒りを納める?
何はともあれ助かったスタンドゥハルさんはホッと息を撫で下ろしている。
だが次の瞬間、スタンドゥハルさんは恐怖に顔を引きつらせた。
「だがもし実行すれば殺す」
「でももしそんな事したら、黒焦げにするわよ?」
お父さんは魔力を集中させた右人差し指でスタンドゥハルさんを指差し、お母さんは既に何らかの魔法の発動を待機させている。この魔力量だと最低でも中級魔法クラス……放たれれば確実に我が家は崩壊するだろう。
「……はい。勿論で御座いますです」
お母さんお父さんの恐喝と呼ぶしかない行動に、スタンドゥハルさんは体を子犬のように震わせながらしきりに首を縦に振っていた。
「……それで、何故自宅に訪ねて来た?」
魔力を掻き消したお父さんが用件を聞くと、スタンドゥハルさんが早口に切り出す。
「今朝から参謀次長殿がおられなくなった為に業務が滞っております! お戻り下さい!」
「あなた、無断で抜け出して来たの?」
お母さんは隣に立つお父さんの顔を窺い見る。罪悪感があるらしく、お父さんは顔を合わせない。
「……あぁ」
お母さんの問いを肯定したお父さん。そのお父さんにお母さんは笑顔でこう言った。
「ふーん。良かった」
「良かった?」
お父さんにとってこの返答は意外な言葉だったのだろう。お父さんを見つめて微笑んでいるお母さんを見つめ返す。
「だって、仕事より家族を優先してくれたのよね」
「そう、なのかもしれないな」
お父さんにしな垂れかかって来るお母さんをお父さんは抱き寄せた。固い表情だったお父さんの口には微かな笑みが浮かび、お母さんの華奢な肢体に腕を回す。そして二人は顔を徐々に近付けて行き……。
「ウォッホン!」
お祖父さんの咳ばらいで辺りに目が行くようになった両親は、そそくさと体を離した。
「スタンドゥハル、身支度をしてくる。先に馬車に戻っててくれ」
無表情になったお父さんは何事もなかったの如く命令を下す。
「り、了解しました! 御者からはいつもの場所に停車させてあるとの事です」
お父さんが首を僅かに縦に振ると、スタンドゥハルさんは逃げるようにして開いたままの扉から出て行った。
「アレシア、もう行かないとならないようだ」
お父さんに抱き上げられた私は、お父さんと額と額を付き合わした。
「行ってらっしゃい、お父さん。無理はしないで下さいね」
年齢にそぐわない発言だったかもしれない。お父さんは微笑した。
「ありがとう、アレシア」
私を抱いたまま、お母さんに近寄るお父さん。
「マリー、そういう訳だからもう行くよ」
「そっか。お仕事頑張ってね」
寂しげな表情を浮かべるお母さんに、お父さんはゆっくりと近付き何食わぬ顔で口付けした。
うぐ、間近で見せ付けやがって。こっちまで恥ずかしいだろ。
「では、行って来る」
驚いて口を押さえているお母さんに、顔を真っ赤にしたディーウァ、ニヤリと笑うお祖父さん、最後に至近距離であんな物を見せられてお父さんの顔を直視出来ない私を置いて、お父さんは仕事に向かったのだった。