プロローグ
杉の木が数メートル間隔に生える針葉樹の森。第二次世界大戦時に大量伐採され、はげ山になった山々を再生させるべくして大量植樹された針葉樹は、植生域や森の保水効果などなどあらゆる問題を無視し強行した結果、花粉症や水不足、漁獲高の減少といった新たな問題を発生させている。
自分は真夜中の二時というのにも関わらずその針葉樹の森の中にいて、黒い大きな犬と十メートル程の距離を挟んで向き合っていた。犬は体長二メートル、体高一メートルはある巨犬な犬で、鋭い牙を上顎から剥き出しにしている所から狼といった風貌だが、分類した何処かの誰かさんには犬に見えたらしい。一方自分はというと、詰め襟の黒い学生服にオリーブ色のメッセンジャーバッグを襷掛けし、拳銃を犬に向けている。どちらも日本の夜の森林にいてはならない存在だろう。
だが月明かりはそんな事にはお構いなしに木々の隙間から自分と黒い大きな犬一匹をぼんやりと照らしてくる。
その微かな光源の下、黒い犬は口から長い牙を覗かせグルルルと時折唸りながら首をこちらに向けて自分を睨んできており、今にも飛び掛かられそうな具合だ。
ただ、この黒い犬は自分にとって見慣れた敵で、今まで何十匹も倒して来ている。恐れる事などない、油断さえしなければ容易に仕留められる存在だ。
自分は両手で保持した黒いセミオートマチック拳銃を冷静に犬に向ける。犬はその大きな体躯を無防備にもさらけ出しおり、非常に狙い易い。銃の照準を腹部に定め、引き金を引いた。
乾いた銃声が静寂だった森に三度響くと、黒い犬は形状を維持出来ずに霞の如く消滅していった。
今日は、森で野宿だな。犬を倒した場所からすぐ傍にある、真っ直ぐに伸びた大きな杉の木を背もたれに、自分はしばしの休息を取る。
「やはり、背中が痛いな……」
数日前、日本政府が運営する警戒監視網によってあの黒い犬、正確に述べればその魔力が探知された。探知された魔力は魔力量に基づく等級が付与され、民間人に被害が出る前に討伐すべく宮内庁に所属する自分が派遣されることとなった。
自分は田口家固有の能力、【物質創造】を使用しSIGSAUR社のP228という拳銃を創造及び利用して討伐を成功、今に至る。
何だかこの言い草だと自分はあたかも何でも創造出来るようにも聞こえるが、世の中そこまで都合がいいものではないのでここに断っておく。
田口家の固有能力【物質創造】は条件を満たさないと使えない。また、家族でも一人たりとも同じ条件の人間はいない。例えば曾祖父は見た事がある物ならば同時に四つまで【物質創造】出来るという反則的な能力だが、祖父は触れた物に限定され、父は金属のみ、自分に至ると拳銃一丁しか創造出来ないのだ。こう述べていると世代を経る毎に弱体化しているように思えるかもしれないが、我が兄は地球上のあらゆる物質と接触すると対消滅という現象を起こして物質をエネルギーに変換、つまり消してしまえる反物質という危険物を創造出来るし、我が姉は武器と彼女自身が見做した物ならあらゆる物を創造可能。我が妹ともなると小型擬似天体が【物質創造】出来るというもはや創造ではなく想像の部類に入るような能力を保有している。
つまり自分だけが家庭内部で圧倒的弱者の立場にある訳で、昔は戦術次第でどうにかなった妹との模擬戦も今では小型天体――小さなブラックホールや太陽が飛んで来るのだ――による弾幕を回避するので精一杯だ。
「はあ」
才能の分配率が家族間で余りにも不公平な現実に、また自らの弱さに落胆しながら目を瞑っていると、不意に睡魔が訪れ、次第に意識が薄れていった。
太陽が地平線下にある、紺青色の空。携帯電話のアラームで五時ジャストに目を覚ました自分は、立ち上がって伸びをする。杉の木に寄り掛かっての寝心地は大変悪く、背中からゴキバキと嫌な音が聞こえた。やはり寝袋程度は持って来るべきだったかと後悔する。 討伐依頼が届いたのが昨日の午後六時。それから学生服を着替えもせずに慌ててオリーブ色のメッセンジャーバッグを引っ提げこっちに来てしまったからな。寝たはずなんだが、寧ろ疲労した気がする。まあ、今日は幸い祝日だ。帰ったらゆっくり寝よう。
自分はバッグから五百ミリリットルペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲んで寝起きの不快感を振り払い、電車で朝帰りをすべく帰路に着いた。
電車を何度も何度も乗り換えをし、我が家のある国ヶ原市に到着したのは日も高く昇っているであろう午前十時だ。あいにく梅雨シーズンが到来したせいか曇り空だが、自分は晴れより曇り空の方が個人的に好きなので問題はない。ただし、湿度が高くなってジメジメしてくると晴れた方がいいと思う程度の好みだが。
新幹線が通過する程度の規模はある国ヶ原駅を抜けると、典型的だが商店街が広がっている。郊外に出来たショッピングモールに客足を奪われ、若干寂れている商店街。これも今の日本では典型的なのだろう。開く事のないシャッター群を通過し半時間程歩くと、我が家である五階建ての小さなみすぼらしいマンションが隣の最近建築されたファミリー向け高層マンションに圧倒されている姿が見て取れた。
エレベータすらない我がマンションに不満を抱きながら少し錆が見え隠れする階段を五階まで登り、部屋のドアの鍵を開けて中に入る。中の構成は洋室二つにリビング、キッチン、トイレ、お風呂付き。まあ、悪くない広さだ。
玄関から大して長くもない廊下を通ってキッチンと一体化しているリビングへ足を運び、黄色い四人掛けソファにダイブする。あぁ、疲れた。このまま寝てしまおうか……ん? そういえば同居人はもう起きたのだろうか? 重い体を起こして廊下へ逆戻り。右手にある木製のドアから聞こえる健やかな寝息を聞くに、まだ同居人は寝ているらしい。
同居人の名前は速水光。同じ退魔師である。しかし自分とは違い、光は退魔師でも名前が知られる程有名な存在だ。
特別なゆかりのある(らしい)日本刀を使い熟し、その圧倒的な剣技、力、速度で敵を易々と倒していく姿は畏怖すら覚える。それは自分以外も感じているようで、他国の退魔師に“サムライ”と聞けばこいつの名前が返ってくる程。無論、日本でも(表では)一、二を争う力を持つ。
しかもイケメンで優しいと来たもんだ。危ない目に会った女の子を退魔師の圧倒的な力(いいのか?)で何度も助けフラグを立てまくっている。ただ、光自身は自分が危ない仕事に就いてるからと彼女を作ることを拒んでいるのだが、その曖昧な態度が、ハーレム拡大の原因になっているのだ。光に惚れた女の子が可哀相でならない、いっそ光をイスラム教徒にしてしまおうかね。
しかしそんな彼も朝は苦手なのだ。いつも自分が起こし、朝食まで作る。まあ、嫌ではないのだが何故あれだけ完璧なこいつが朝だけは苦手なのだろうな。フラグ作りに役立つのか?
あれ、何故光の部屋の前にわざわざ立っているのだろう? あぁ、そうか。光は今日学校に用事があるんだったな。
「はあ」
思わず天井を見上げ溜め息をつく。何というか、無意識に光を起こしに体が動いてしまう事に軽く絶望したのだ。
「光、朝だ。起きてくれ」
絶望感をひた隠し、ドアを叩いて起床を促す。
「ん…あと少し」
「もう十時過ぎてるぞ。確か今日は生徒会の集まりがあるとか言ってなかったか?」
「えぇ!? 集まりは九時からなのに! 何で起こしてくれなかったの!?」
「え……だって、昨日は依頼だったんだ。仕方ないじゃないか」
遅刻だ! と喚きながら光は自室から飛び出し学校へ向かう準備を始める。そうなんだよな、光は生徒会の役員で、まだ一年生というのに会長になるという噂まである。つまり、勉強も抜群に出来る文武両道な奴なのだ。
自分達が通う国ヶ原第一高校は、自分みたいに少し力のある人ばかりが通っている。よって、世界トップクラスの実力がある光が会長に選ばれようとしているのはまあ順当ではあるんだがな。
「ほら、朝食は抜かすな」
朝は食べないと駄目だ。髪を所々はねさせたまま玄関へ駆けていく光へ、準備でどたばたしていた間に焼いておいたトーストを投げ渡す。
「サンキュー、行ってきます!」
「ああ。気をつけてな」
バタンと乱暴に扉を閉じて光は行ってしまった。慌ただしい奴。
ふう、光の帰りは遅いし暑いし、お昼は適当に素麺でもすするかね。
ピピピピピピ。襷掛けにしたメッセンジャーバッグに突っ込んだ携帯電話が鳴り出す。この単調な電子音は仕事の依頼だ。バッグから携帯電話を取り出し、応答する。
「近くに黒魔法の使い手が出た。身柄を捕らえろ。場所は双子山、報酬は五百、生死は問わず」
「了解」
電話の相手は政府の役人。退魔師関連の仕事をする公務員は出世出来ない代わりに、高い給料を貰っている。対して退魔師の仕事は強制、固定給。ボーナス有り。公務員が羨ましいよ。 また、退魔師は異能者が犯罪を犯した時裁く役目もある。あまり気は進まないが仕方がない。嫌な話ではあるが、こういうノルマ外の仕事は別途に給料が支払われる。自分で稼がなくてはならない以上、あまり仕事にあれこれと文句を付ける訳にもいかないのだ。
学校では光の活躍で目立たないが、実戦で使える退魔師は学校には少ない。実は自分は学校ではまあまあ強い方だったりする。だからこそ、生死は問わず(デッド・オア・アライブ)の案件が回って来るのだが。
戦いの準備を始めようと装備を整えるべくリビングから横開きの戸を開けて、自室に入る。邪悪な力を纏めて黒魔法と日本の省庁は呼ぶので何がいるかはわからないのだ。相手がわからないのは、大変困るね。創造で使う銃と同じ規格の銀の弾丸が入ったマガジンや色々な効果がある札を追加で持って行く事にしよう。
また、遅くまでかかりそうな仕事だ。光には外食や出前でも食べて貰うか。
準備を完了した自分は休む暇なく自宅を後にした。
双子山は国ヶ原市郊外にあり、標高五十メートル前後の山が二つ並んでいる事からその名前が付いたらしい。
木々は以前は林業が行われていたお陰で手入れされていたそうだが、今は外国からの輸入品に負け荒れ放題だ。
もうじき日が暮れる。お昼から索敵し続けている自分は創造した銃を構えた左腕を学生服の内に隠し、疲労した体に鞭打ち歩みを進める。
おっと……見つけた。双子山の山頂付近、木に寄生する何とかという虫が繁殖した際に纏めて木々が伐採され、今では雑草の生い茂る地点。そこに黒いローブを着て、雑草を刈り払い何やら魔法陣を書いているあからさまに怪しい御仁がいる。ただ、自分と魔力の格が違う。勝てる訳がない。違うというか、もはやあの黒ローブと自分の魔力を比べたら自分の魔力は小数点以下だ。
まずいな、自分では殺される。
バッグから携帯電話を取り出し光に電話する。
「伊吹、どうしたんだ? 今日の夕食なら素麺がいいな」
「馬鹿、違う。双子山にやばい魔法使いがいて敵いそうにない。来てくれないか」
「わかった、十分で着く」
光は一流だ。仕事だと理解した途端、声が鋭くなった。こういう面もあるので、ハーレムなんてふざけた物を構築していても男子からの評判は……まあ、呪詛を送られたりとかは時々しかない。
自分が思索から抜け出し、再び黒ローブへ目を向けると奴はこっちを見詰めていた。おっと、まずい。
「……モウジュンビ、デキタカ?」
ちっ、気付かれたか。
勝ち目はない。銃を乱射し山を一気に駆け降りていく。
「ハハハ、ニガサナイヨ!」
スピードまで相手が上か、最悪だな……。みるみると距離が縮まっていく。このままじゃ殺される。何とか時間を稼がなくては。会話を試みる。
「おとなしく捕まれ! そうすれば死なないですむぞ!」
「キミガワタシヲコロス? ハハハハハハ! オモシロイジョウダンダ!」
返事は火球か! 無礼な奴め!
三十ばかり放たれた、橙色の炎の塊。サッカーボール程の火球の内、自分に当たる危険のあるものだけを七つばかり銃で撃ち落とす。
「アマイネ! ウチオトスヒツヨウナイヨ!」
何ぃ!? いつの間に移動したんだ!? 後ろから、黒魔法使いが火球を放ってきやがる。素早い奴め……。
火球が自分に直撃しているのを、木の上から眺める。
「甘いのはお前だよ」
倒されたのは、自分の身代わりを作り出す幻想の札で出来た偽物。銃を発砲した際に閃光の札を使って銃のマズルフラッシュと誤認させながら黒ローブの視界を奪い、その隙に幻想の札で身代わりを作成し木の上へ退避したのだ。そして身代わりを攻撃し仕留めたと勘違いさせて警戒心が薄れた所を上から銃で蜂の巣にする予定である。
ん? 何かおかしい……。
「ワタシガミヤブレナイトオモイマシタカ?」
「がっ……!?」
奴は…………あえてこっちに乗って来たのか……。一瞬の内に移動し真後ろから放たれた火球が体を焼く。一発だけではない、高さ十メートルの高さから落ちていく自分に複数発は当たっただろう。意識が途切れなかったのは幸いだ。
地面に落下と同時に痛みを堪え四肢を踏ん張って横に跳び、木を火球の射線上に挟む。
「オソイヨ!」
「くそっ!」
何て速さだ。もう目の前にいるなんて。だが近付き過ぎだ! 拳銃を五メートル以内の至近距離から乱射する。これだけ近ければ狙いを付ける必要もない。
「ハハハハハ! ソンナナマリダマ、アタリッコナイヨ!」
こいつ人間か!? 弾丸十三発を全て左右にステップを踏むだけで回避しやがった。
「フフ、モウ、オワリダヨ。オロカナオロカナ、タイマシサン」 黒ローブは右手を真上に掲げ、火球を二十発以上を空に浮かせて愉快げな声をあげる。すっかり日の暮れた双子山を、大量の火球が明るく照らす。
「凄いなあんた。あらゆる面で実力が突出している。自分はとても敵わない」
「ハハハ。ホメテモムダダヨ。キミハココデシヌンダ」
「いや、ほめてる訳じゃない。ただ少しあんたの注意をこちらに引き付けておきたくてね」
「!?」
瞬間、黒魔法使いの左腕が切り落とされ、空に舞った。
「アアアア!! オノレェェェ!」
黒魔法使いの悲鳴が辺りに響き渡る。
「助かったよ、光」
自分の前には血が一滴たりとも付いていない日本刀を右手に持って立つ、速水光の姿があった。
黒ローブが滞空させていた火球が制御を失って地に墜ち速水光の真後ろで爆発したのは、自分が正に死んでしまうピンチに瀕した時に都合よく現れた事といい狙ってやっているのかと勘繰りたくなるがまあ助かったからいいや。
「友達なら当然だろ伊吹。援護は任せた!」
そして光は援護しろと意味不明な台詞を残して視界から消え、次には黒魔法使いの間合いに入る。一撃。黒ローブはどさりと倒れる。お前に援護なぞいらないじゃないか。
「あ、もう終わったんだ?」
「会長、もう終わりです。光の独壇場ですよ」
目の前には茶髪をストレートに背中の半ばまで伸ばした男が現れた。彼は桐生優。現在の生徒会長であり、退魔師界では“パーフェクト”と呼ばれる。日本で光と一番を競う実力だ。
“パーフェクト”の名前はあらゆる魔法を使い熟すことから呼ばれている。つまり、遠距離最強。近距離型の光と組むと恐ろしいまでに強い。ただ強さには羨望を覚えるが、“サムライ”だの“パーフェクト”だの恥ずかしい名前は勘弁したい。ついでに彼はとびきり美しい女顔な事でも有名で、背中の半ばまで伸ばしている艶やかな茶髪と相俟って誰も彼もが初見では美少女と勘違いしてしまう。そのくせ女と間違われると怒り出すのだから理不尽だ。髪を切ればいいだろうに。
まあ、それはそれとして。あの“パーフェクト”がいれば自分の援護は要らないな。思えば、これが油断だったのだろう。
「ク、オ……オマエタチモミチヅレダ!」
黒魔法使いの魔力が十数メートル離れた場所にあるさっきの魔法陣へ流れ、発動。黒い光を放ち出した。
「会長! この魔法陣の効果は何ですか!?」
「わからない! だけど空間に作用するみたいだ!」
身の危険を感じ咄嗟に防御の札を使う。魔法陣と自分の間を阻むように、うっすらと青い半透明な壁が生まれた。これで自分は何とかなるが、あの二人は大丈夫だろうか?
二人に目を向けるが、杞憂だったようだ。光は会長の展開した防御の札よりも遥かに強固な【魔法障壁】で守られている。
「しまっ……」
二人に目を向けていたその時、何かに急激に引き寄せられる感覚に襲われる。 魔法陣に吸い込まれ…………!
「……夢、か」
自分に何かを向かって叫ぶ二人の姿を最後に、私は目を覚ました。