05:第一章 光の国と呼ばれる地底の国へ-4-
いったん城に入り、大階段の裏にある絨緞を退けると木の扉が現れた。
ドレスを着ている姫君たちが開けようとするのを男たちが止め、長い間、開かれたことのないと思わせる扉を押しあげる。
狭い階段を下りていくと、工場のような広い場所があり、中央に大きな木造の船が置かれていた。
城の半地下で造船をして、城の下に流れている川に浮かべて運び出す仕組みになっている。城の前には溜め池もあるから、地下に降ろしにくい荷物は城前で積むこともできるようだ。
ファーラが船を手のひらで指し示す。
「今から、約百五十年程前に建造された『月光の雫』号です」
「出発までに何日かかるんだい?」
フェイブ爺がファーラに聞く。
「力を貯めるまでに、七日程は必要となります。予定としては十日後までには必ず出発しますが、準備が整い次第出発したいのが本音です。ジャックさまがいらっしゃるので、もう少し早く力が貯まるのではないかと思うのですが‥‥‥」
「俺‥‥‥?」
自分がいるだけで?
そんなことは今までなかったことなので、怪訝に思って首を傾げてしまう。
「あなたがここに着いた瞬間から、大地が力を僅かですが取り戻しました。大地に回さなくてもいい力ができましたので‥‥‥」
また微笑。
ファーラはいつも笑みを湛えている。
なんというか、返って不自然だ。
だが、とりあえずそれは横に置いておいてジャックは口元に手を当てる。
「荷物や人を搬入するのに一日はかかるだろうから、作業に使える時間は六日というところか。ギリギリに出発というのは危ないんじゃないのか?」
ジャックの問い掛けに、ファーラは硬い顔で頷いた。
「フェイブ爺。作業期間は最大五日半。六日後の早朝にはすべての作業を完璧に終わらせてくれ。それから、城の前の溜め池に船を出して荷と人を積み込む。そんな感じでいいか、お姫さま方?」
もう一度、確認のために隣を見る。
「はい。よろしくお願いします」
深々と金の頭を下げてファーラが言う。男たちはすぐさまどこを誰が見るかを決めて、散り散りに船に乗り込んだ。
「あなたは行かないの?」
棘々な青い姫がむっすりと聞いてくる。
なんというか、こうあからさまなのはちょっと笑えてくる。
ぽりと頭を掻いて肩を竦めた。
「俺はまだ、ヒヨコにもなっていない卵なんだ。残念ながら‥‥‥」
ジャックの呟きと同時にファーラがティアラに手を差し出した。
「ティアラ。手を貸して」
「‥‥‥」
ファーラの腕に抱きついていた少女が、渋々と手を差し出した。その手を取って、ファーラはジャックにも手を出すように瞳で呼びかける。
小さな二つの手を挟むように両手で持つと、その瞬間に記憶が一気に頭の中に注がれた。
それは凄じい勢いで脳の中を駆け上り、霧散する。
頭の中で巨大な鐘が、最大音量でゴンゴンと鳴り響いているようだ。
正直、辛い。
「―――これで、あなたの中に『地の大臣』の記憶が甦りました。後は思い出したい時にそう思えば‥‥‥記憶を辿り寄せることができるはずです」
ファーラの言葉が終わると同時に、ティアラが硬い声を発する。
「わたし、みんなに『地の大臣』が現れたことを知らせて来るわ」
ティアラは汚いものに触れたかのようにジャックの手を振り払い、振り返りもせずに階段を駆け上がって行ってしまった。
あっという間に消える青い少女。
「俺って、女の子に嫌われるような容姿をしてるのかな‥‥‥?」
冗談めかしてそう言うと、ファーラはがくりとその場に崩れ落ちそうになる。
「‥‥‥っと!!」
慌てて崩れ落ちそうになるファーラの腕を取った。
「姫?」
心配で顔を覗き込むと毅然とした声が返って来た。
「‥‥‥ですから、わたくしは姫ではありません。あなたがそう呼ぶのなら、わたくしもあなたのことをジャック王子と呼びますよ」
声は弱々しいが瞳の力は強い。
「それは遠慮して欲しいな‥‥‥それよりも、さっきの降下で力を使い果たしたのか?」
「いいえ‥‥‥大丈夫です。あなたも船を見に行って下さい」
取った腕を外したいのか動かされるが、身動ぎをしたぐらいにしか感じない。
「ここで、座り込みそうな君を残して?」
疑問をぶつければファーラは唇を噛む。
「‥‥‥ええ。ご迷惑をおかけするわけには、参りませんから」
ファーラはそう言うとゆっくりと姿勢を正し、一歩ふらりと足を出す。
だが、彼女の体はまた崩れそうになる。
「ほら‥‥‥迷惑かけたくないって言うんだったら、抱き上げる許可をくれないかな?」
「は?」
ジャックの提案にファーラは瞳を真ん丸にする。
「寝室まで運ぶから、そこでさっさと横になって体調を戻す。これが一番俺には迷惑じゃないんだけど。ここで、はい、そうですかと引いても、絶っ対に後で無事に部屋に着いたかな? とか、倒れてないかな? って気になるから。君だって、もし同じようなことをされたら、そう思うだろう?」
「そう言われれば‥‥‥そうですね」
ファーラは弱々しげに笑うと、おどおどとジャックに手を差し出した。
「申し訳ありませんが、わたくしの部屋は二階の一番奥にあります。運んで頂けますか?」
「かしこまりました」
ジャックは少しおどけてそう答えると、金と白の少女の体を掬い上げた。
(軽い‥‥‥)
これだけ髪が長く、金と白のドレスで着飾っているのだ‥‥‥それだけ重量が重くなるはずなのに、少女の体は予想以上に軽い。よく見れば、骨までは浮き出ていないが手も痩せている。首筋も骨張っている。
「城に残っているのは、あの青いお姫さんだけ?」
「‥‥‥いいえ。台所頭のジュリアと執務官長のユージェスが‥‥‥」
「執務官長って男だろ? 看病してもらうのに執務官長はまずいよな。じゃあ、部屋に運んだら、その台所頭を呼んで来るから」
「お願いします‥‥‥」
少女はジャックの肩に頭を預けると、小さく息を吐いた。
くたりと今にも気を失ってしまいそうな様子に心配になる。
消耗が激し過ぎる。
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして」
「これくらいはちっとも迷惑じゃないから、安心しろ」
「‥‥‥丁寧な口調で相手をされるより、そういうふうにざっくばらんに話して頂けた方が落ち着きます」
「青いお姫さんはそう思わない人種みたいだから、あの子がいる時はなるべく丁寧に話すぜ」
「ティアラは、悪い子じゃないんですよ‥‥‥」
「うん、わかるよ。君のことが大切でたまらないって感じで可愛い」
ずっとファーラの腕から離れようとしなかった青い髪の少女。
ファーラのために、きっと彼女は棘々とし続けてきたのだろう。あの様子は年季が入っている。
「ええ、あの子はとても可愛いです」
「もちろん、君だって可愛いよ」
まるで取って付けたかのような言い方になってしまったが、ジャックはあまり気にしなかった。
腕の中の少女の呼吸がどんどん荒くなっている‥‥‥そのことに意識を取られてしまっていたために。
階段を足早に上り、二階の一番奥の部屋を目指す。片手で軽い少女の体を支えて扉を開くと、中にいた中年の女性が声を上げた。
「あなたが、ファーラの言っていた台所頭のジュリアさん? 俺は『地の大臣』で、地上から彼女に連れて来られたんだ。悪いんだけど、この子体調が悪いみたいだから着替えさせて寝させてもらえるかな?」
一応、さらりとだけど自分のことを説明してファーラのことを頼む。
「ええ、はい!」
呆然としていたジュリアだが、現状を把握するときびきびと動き出す。
ジュリアがベッドの上掛けを外したところに、ファーラの体を横たえる。




