30:第七章 宣戦布告-1-
◇
ジャックは馬上で自分を心の中で罵倒していた。
(莫迦か、俺は!!!)
一応、彼女のためだと思ってはいる。
だが、あの場面ですることではないだろう。とも、思う。
不意打ちですることではない。
嫌な予感がした。あの場で自分とファーラの関係を元『光の女神』と元『地の大臣』のままにしていたら、きっと引き剥がされて会話すらできなくされていただろう。
その場で思い浮かぶ一番親密な関係が夫婦であり、恋人同士だった。
呆然としながらも合わせてくれたファーラが、回してくれた細い腕。
朱に染まった頬。
可愛かったけど。
(莫迦か、俺は!!!)
再び思う。
その時、馬が小さく嘶いた。
まるで、しっかり手綱を握っていろ若造が! というような嘶きに思わず我に返る。
「ありがと」
ジャックは名も知らぬ馬の首筋を叩いて礼を言う。
やったことは元には戻せない。
くちづけをする以前のように彼女を見れない。
否、見て欲しくない。
戦友とか居場所とか、そんな言葉で括り切ることはできない。
彼女を女主人としてだけ扱うことなどできない。
一緒に戦いたい。
ただいまと言ったらお帰りと言って欲しい。
自分の全霊全身を掛けて守りたい。
大事にしたい。
(こういう気持ちって、端的に表すなら好意だ。ファーラが好きなんだ、俺)
その結論が出て、ジャックは口角を上げる。
きっと、彼女は俺のことをそんなふうには見ていない。
わかっているが、急ぐ気はない。
ひょんなことからだが、外堀は既に埋まっている。
彼女の前にある選択肢は多くはない。
無理矢理選ばすこともできるだろうが、そんなことはしたくないし、するつもりもない。
(まずは謝って、それから仕切り直しだ)
先行きはまるで見えないが、ジャックはそう結論付けるとやや遅れていた馬速を上げた。
◇
夜遅くに街に着く。
一泊目の宿で湯浴みをし、衣装を着替えたファーラとティアラは仲の良い貴族の姉妹に見えた。ジュリアとアルジーの二人も着替えていて、古参の女官のような威風堂々振りだ。
ジャックは、周囲の者にファーラの未来の夫と認識されたためか部屋にもすんなりと通してもらえた。
ただの部下という立場では、引き離されて会うこともままならなかっただろう。
「悪いけど、ファーラと二人にしてもらえるかな?」
ファーラをがっちりと守ろうとしている三人に断りを入れる。
いくら、後々のためとはいえ彼女の唇を強引に奪ったことに謝罪もしたいし、きちんと説明もしておきたい。そして想いを告げたい。
三人は顔を見合わせると「お姉さまを泣かしたら承知しないから!!」と代表してティアラが脅してくる。その言葉に真摯に頷けば、肩を竦めて彼女たちは隣室に移動してくれた。
三人が移動するのをファーラは静かに見つめている。
ジャックと残されるのを嫌がる素振りはない。
そのことに安堵する。
彼女たちの部屋は、寝室が二つ、居間が一つという造りの客室だ。
急遽借りたのだろう。王族が止まるにしては質素だ。だが、トラガ国は既にない。
豪奢過ぎず、質素過ぎずというこの範囲が妥当なところなのだろう。
その木目調で質素とはいえ落ち着く居間の長椅子に座り、立ったままのファーラに隣に座るように促す。
「怖いんです」
座ると同時にファーラは俯いて言う。
きちんと揃えた両の手のひらはきつく握られていて白くなっている。
そして、小刻みに震えていた。
「皇太子のあの瞳で見つめられると、体が震えて動かなくなって、気持ちが悪くなるんです」
ファーラが一所懸命に感情を説明しようとしてくれる。
震える体。
揺れる声。
泣きそうな瞳。
忌々しい過去のことを思い出して、辛いのだろう。
――― 相当嫌われているな、あの莫迦皇太子。
だが、俺の本来の目的はそこじゃない。
「あのさ、俺とのことは? 嫌じゃなかったか?」
隣で俯いていたファーラは、顔を上げるとふるふると力なく首を左右に振る。
「‥‥‥」
そのことに面白くない気分になり、黙り込む。
自分とのくちづけよりも、ギャリガンとのやり取りのが不快なのか。あんな男のことが彼女の脳裏に焼きついて離れないなど、なんだか腹立たしい。
嫌な記憶とはいえ、それが今の彼女を占めている。
‥‥‥悔しい。
「じゃあ、上塗りしてやる」
「え?」
「あの莫迦皇太子がやったことを、俺が上塗りする」
断言すると共に、薄紅色の彼女の唇をやさしく塞ぐ。
やわらかい。
軽く触れただけで離れると、目の前のファーラは瞳を丸めていた。その様子が可愛くて、思わず頬にもくちづける。
呆然としているファーラの袷を割って、手のひらを素肌に滑らせる。
トラガ国の衣装は懐を割りやす過ぎる。後でジュリアさんかアルジーさんに頼んで、ファーラの衣装には結び紐を増やしてもらおう。
滑り込ませた衣装の中もやわらかい。
すべらかで円やかなしっとりとした肌。右の手のひらにすっぽりと収まる乳房に興奮を覚える。
「え‥‥‥? あの?」
戸惑いの言葉が彼女の口から零れる。
動きを止めて瞳を真っ直ぐに見つめる。
ふっと微笑んで「嫌か?」と 問い掛ければ、彼女は顔を真っ赤にさせるが拒絶の気配はない。そのことに嬉しくなる。
「ファーラ」
耳元で名前を呼んで、顔を上げた彼女の唇を再び覆う。やわらかな唇を食みながら親指で突起を撫で、やさしく揉みしだく。
開かれた唇を割って舌を差し込むと、さすがに体が強張った。それを感じて、引き寄せていた体を離して手のひらも服の中から抜く。肌蹴た袷を直して頬を撫でる。
まだ、ファーラは呆然としたまま瞳を見開いたままだ。
「謝らないからな」
「え?」
「それに、上塗りするなんて言い訳だ。俺‥‥‥君のことが好きみたいだ」
大きく開かれた瞳を瞬かせて、ファーラは見上げてくる。
言葉の意味を理解していないようだ。
これはまずい。
「好きだよ、ファーラ」
みたいだなんていい加減な言い方じゃ駄目だ。
そう思って再度、耳元に唇を寄せて囁く。
「君が好きだ。だから、今のは、俺にとっては役得」
冗談めかせて言えば、ファーラはぽかんと口を開いたまま見つめてくる。
「もう、俺の顔しか浮かばないだろう?」
確認をするように問えば、ファーラは意を決したかのように硬い表情のまま自分の袷を開いた。




