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02:第一章 光の国と呼ばれる地底の国へ-1-


 十九歳の自分にとって、五小隊を率いて中隊長として搦手の陣に組み込まれるのは名誉なことなのか、それとも戦力として当てにされていないのか判断に困る状態だった。

 ジャクソン・ドゥリー・ブレースタ。蜂蜜色の真っ直ぐな髪を短く切り揃え、まだ新しい鎧を身に纏っている。

 格好だけなら一人前の兵士のようだが、造船業が生業なりわいの一族の棟梁とうりょう息子として産まれた自分はまだ技師としては卵から孵ることもできず、部下として率いている職人達に毎日しごかれている存在だ。

 上官としても中途半端。

 職人としてもまだまだ。

 こんな自分が、技も気概も根性もある職人達を率いて戦うことなど、考えたこともなかった。

 ブレースタ領は一方を海に面し、三方を山に囲まれた緑豊かな天然の要塞だった。彼が成長するまで大きな戦争など起きたことがなかったのに、三ケ月前に国家を二分する事件が起きた。

 ブレースタ領も含め、十三の領を支配するシャルダ帝国の皇帝が早世したのだ。

 二十二歳になる双子の皇子のどちらが国を継ぐかでそれぞれの領主たちの思惑は交差して、領内も分裂し、ついには戦が始まった。

 同等の容姿、同等の才覚、同等の野心、そして同等の自尊心。

 政治に明るい兄。

 戦略に長けた弟。

 一触即発の双子を煽ったのは、宮廷内の愚かな老害たち。

 いつまでも権力者という甘い椅子に座ることを望み、豊かな大地を犠牲に、まるで領民たちの命を駒のように考えて戦を起こした。

 ひと度戦争になれば、宮廷に献上する船を造ることと、漁で生き抜いてきた穏やかなブレースタ領の人たちも無理矢理に駆り出される。大切な命を、帝国すべてを巻き込む大掛かりな見たこともない皇子二人の兄弟喧嘩に、捧げることとなったのだ。

「ジャック坊、これからどうするつもりだ?」

 射抜かれた右腕を強い酒で洗い清め、手際よく包帯を巻く壮年の男、デンホルムに聞かれ、青年は痛まない程度に肩を竦めた。

 五小隊を集めた中隊長。ブレースタ領では小隊は五名。内一人が小隊長で、五小隊を中隊長が束ねる。

 だが、ジャックが率いる小隊の中で彼より若い者がいる隊はない。

 一番ひよっ子の自分が『坊』と呼ばれても仕方がないのはわかっていても、眉が寄せられるのはどうしようもない。

「棟梁の首が獲られたのは確かだ」

「そうなったら、一人息子のお前がこの国を治めなければならない」

「親父の首を獲ったのが、姉さんの婿殿でも?」

 ジャックは蜂蜜色の頭を掻き回して、疲れたように呟いた。

 五小隊なら自分をいれて二十六名。だが、今ここには八名しか残っていない。たった八人の領民。一人は偵察のため、離れているので、この場にいるのは自分をいれて七名。

 昔気質むかしかたぎの親父と、宮廷に長くいた義兄あにアダルバートとは随分前から確執があった。積極的に宮廷と縁を結び、ブレースタ領の力を強めようとした義兄。

 物心つく前から優れた義兄と比べられ、溜め息ばかり吐かれていた自分が、今さら新しい領主だと言い出して、戦争で疲弊した領民たちのどれくらいが支持をしてくれるのだろう。

 自分が率いている兵士たちはすべて親父と苦楽を共にした男たちで、義兄の元で上手く立ち回れるような人たちではない。

 彼らにとっては、義兄は恩知らずの裏切り者。

 義兄から見れば、自分の部下たちは昔ばかりを振り返る愚かな男たち。

 ならば、義兄とそりの合わない者たちを束ね、避難させるのが自分の役目なのかもしれない。

「大変だ!!」

 がさりと大きな音を立てて男が飛び出してきた。偵察に行っていたブノワだ。

「今、城が落ちた。ブレースタ城にギュンダー兄皇子の旗が掲げられた!」

「嘘だっ」

 アデルが叫ぶ。

「先程から、馬に乗ったジュリアンナ姫が生き残った兵に投降の呼びかけを行っていらっしゃる」

「姉上が‥‥‥」

 勝ち気な姉は、ずっと自分の夫と父親が決裂しようとする度に押さえてきた。力もなく、幼い自分には姉の苦労は露とも見えず、なんであんな、父親と喧嘩ばかりするような夫を選んだのだろうと‥‥‥日々、不思議に思っていたものだ。

 造船以外は自然の恵みに任せようとしていた親父。

 造船技術を生かして、もっと宮廷との結びつきを強くして国力を上げようとした義兄。

 そんな、強かな雄々しさに惚れた姉。

 誰が悪い訳でもなく、ただ、そう‥‥‥時機が悪かったのだ。

「みんなは嫌だろうが、投降しよう」

 ジャックは見渡して穏やかに言う。

ぼん、それだけは駄目だ」

「戦争が終わった今、名誉の戦死は即ち自殺でしかない。俺はみんなを殺したくない」

「だが‥‥‥!!」

 七名の男が、必死の形相で義兄の元では生きることすら苦痛であることを説く。

 名誉。

 自尊心。

 誇り。

 そんなもの『生きている』という現実の前では無意味なものでしかないのに、そんな形にならないものに縋っている男のなんと多いことなのだろう。ジャックは溜息を飲み込む。

 その時‥‥‥

「ああ、ここでしたのね」

 ただならぬ雰囲気とは正反対の息を切らした少女の呟きが、その場にいた八人の男たちの怒鳴り合いを一瞬で凍らせた。

 金と白、ふわふわとした戦場に不釣り合いの衣装。森の木々で引っ掻いたのだろう、小さな蚯蚓みみずがのたうち回っているかのように、少女の顔や腕を赤くしていた。だが、そんなことすらも突如現れた光の化身のような存在を、遜色させることはなかった。

 鈴のような音。

 まるで、伝説にある神が持つ鈴の音が鳴ったかのような清らかな音が響き、彼女が一歩踏み出した瞬間、その音は高らかに鳴り続ける。

 ゆったりと鳴っていた鈴の音は、次第に嵐の夜に打ち寄せる波のように激しさを増し、清らかだからこそ人間を脳髄から苦しめる。

 鈴の音の激しさが増すと共に、ファーラとジャックの周囲から青白い光が立ち上る。青は空色へ、そして白に、徐々に金色が混じり始め、頭を抱え立っていられない程の鈴の音が鳴り響く頃には、純粋な金だけが周囲を覆っていた。

 清らかで濃く、そして何者の穢れをも弾き飛ばすような、力強い金の波。

 そして、静寂。

「あれ?」

 跪き、頭を抱え込むようにして音と光に堪えていたジャックは、気がつくと周囲が変わっていることに戸惑う。

 今まで見えなかったもの、聞こえなかった音、知ることのなかった木々の声、動物たちの悲しみの歌、そして地に染められた大地の嘆きが言葉としてではなく、言語にできない感情として流れ込んでくるのだ。

「‥‥‥坊」

 いつも自分を怒鳴りつけるフェイブ爺が、顔面を蒼白にして自分を指差す。人間を指差すなど行儀の悪いことをするなといった爺が、と怪訝に思っていると白と金の少女以外の男たちが自分を見て目を零しそうな程に見開いている。

「髪が‥‥‥」

「髪?」

 瞳をゆっくりと瞬かせてジャックは頭に手をやるが、自分を映す鏡や水溜まりがあるわけでもないので、なにがどうなっているかなどわからない。

「やっぱりあなたが『地の大臣ヌーサ』なのですね」

 嬉しそうに白と金の少女が近付いてきて、自分の傍に膝をつき、細い重労働をしたことのないような真っ白な肌と色の手で土と煙と血で汚れた手を取った。

 また、微かに鈴が鳴った。

「え‥‥‥?」

 目にかかる髪の毛の色が違う。

 自分の髪の毛は金髪だったはずだ。

 城を訪れた吟遊詩人に蜂蜜で染めたような甘い金の髪と評せられた髪の毛。そんなふうに言われるのは心底腹立たしかったのだが、いざ髪の毛の色が濃い茶色に変わっていると目を閉じるのも忘れて見開くしかない。

「あ、あの‥‥‥娘さん。いまいち俺たちには状況が掴めないんだが‥‥‥」

 フェイブ爺が場違いな装束の少女に声をかけると、少女は剣のつかに手をかけ周囲を取り囲むようにして居並ぶ男たちを見て微笑した。

 やさしい微笑。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくしは光の国『トラガ』の女神代行者のミリアファーラと申します。ファーラとお呼び下さい」

 たゆたう布を両の手で摘んで、彼女は優雅な仕草でお辞儀をした。まるで、この戦場が王宮の一室だと勘違いしてしまうような高雅な仕草。

「わたくしは、この方を捜し求めて我が国を暫離れて参りました。みなさまがよろしければ、トラガにいらして頂きたいのです」

「‥‥‥はあ」

 いまいち彼女の説明は要領を得ない。

「わたくしの国はもうじき滅亡します」

「は!?」

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