22:第四章 見えない存在-4-
ファーラはジャックの言葉に困ったように微笑み、そして視線をグレメンディア河に移す。
光の国と呼ばれた『トラガ国』の姿は形もない。
ただ、対岸が見えるだけ。
その視線を追って、ジャックも対岸を見つめる。
何もない。
国があったことも、その国で彼女たちが懸命に生きていたことも、なにもわからない。
「生きて、いるんですね」
小さく、ファーラが呟く。
「生きて、いるな」
ジャックは胡坐をかいたまま起き上がるファーラを黙って見つめた。
もう、彼女は『金の姫』じゃない『光の女神』代行者でもない。ただの、ミリアファーラという名の少女。
「わたくし、あの塔の上で、思ったんです」
ファーラは視線を大河に向けたまま、まるで独り言のように語り始める。
「意外とティアラとジャックの二人はお似合いなのかもしれない、って。最期には相応しくないほんわかとした気持ちになりました」
ファーラの場違いな発言にジャックは多少げんなりとする。
「ティアラのわがままを、あなたなら上手にとりなしながらうまく付き合うことが出来るだろう。王国に着くまでの間に、二人はきっと仲良くなれるって」
そこまで言うと、視線をジャックに戻す。
「もう、自分の役目は終わったって‥‥‥ティアラはあなたに任せて、民はティアラに任せて、わたくしは静かに亡くなることができると、そう思ったんです」
きっと、ファーラは今まで誰にも語ることのできなかった弱音を吐き出している。
「そう思って、どう感じた?」
穏やかに尋ねる。
責めているように聞こえなければいい。無責任な発言かもしれないが、自分の命を自分で定めるのも悪いことではないと思う。ただ、もったいないと思うだけ。
「感じる?‥‥‥感じたことですか‥‥‥」
ファーラはそう言うと黙りこくる。
「満足感、充足感、安堵」
ぽつりぽつりと答える。
「後は‥‥‥」
そこまで言って、ファーラは言葉を切る。
ジャックの瞳を見つめて、そしてくしゃりと顔を歪めた。
今までずっと溜め込んでいただろう、涙が溢れ出す。啜り泣くのではなく、次から次へと涙がただ溢れ出していた。
「淋し‥‥‥かった」
そっと指を伸ばして、左頬に流れる涙を拭う。
親指に触れる温かな雫。
「わたくしは、なんだったんだろうって‥‥‥淋しかった。『光の女神』代行者じゃないわたくしは、本当にいらない子だったのだと‥‥‥淋しかった」
まるで、迷子の子供が泣き出すように、ファーラは口元を両の手のひらで押さえて嗚咽を零す。そのまま、ジャックはファーラが落ち着くまで、静かに待った。
彼女の頬を撫でながら。
ぽろぽろと零れ落ちる、涙は陽の光に煌いて、彼女の白かった前掛けを濡らす。
拭うこともなく溢れ出る涙。
それを少し落ち着いたファーラが袖で拭った。顔が濁流で汚れた袖で拭われたため、薄茶色に染まる。
「ティアラは王族で、『青い魔師』じゃなくなっても、必要としてくれる人がいる。でも、わたくしは? そう思ったら怖かった。トラガがなくなった後、わたくしは不必要なのだと‥‥‥そう言われるのが怖かった。だから!!」
ファーラはそこまで言うと顔を両手で覆った。
ジャックは行き場を失った右手をファーラの左肩に置く。
「生きるって、戦うことだと俺は思うんだ」
ジャックの言葉にファーラは小首を傾げる。
「戦うって言うけれど、戦士や騎士だけが戦っているわけじゃないって思うんだ」
ファーラは黙ったまま、真っ直ぐな瞳でジャックの言葉の続きを待つ。
「日常の毎日が、その人にとっての戦場なんだと思う。旗を掲げて盾を手にして剣を振るうだけが戦いじゃない」
そこまで言って、ジャックは微笑する。
「俺は、ファーラに頼まれたからここへ来た。それなのに、君がいなくなったら、俺はどうしてここに来たのかわからなくなる」
これは、正直な気持ち。
ジャックはファーラの細い肩に置いた手を離して、彼女の肉の薄い小さな右手を取る。
「なあ、俺の戦友にならないか?」
真っ直ぐに見つめて告げる。
ファーラはジャックの言葉に目を丸くする。
「戦友?」
「そう、一緒に戦おう」
明るく告げる。
「俺は、騎士って一人の女性に命を捧げる戦士だと思っている。なに夢見てるんだとか言うなよ? その女性が恥ずかしくない戦士であること、それが騎士の生き方だと小さな頃に教わった」
ファーラは握られた右手を見つめて、そして顔を上げてジャックの瞳を見返す。
「今だけでも良い、お互いの居場所にならないか」
ジャックはファーラの右手を引き、そして手の甲にくちづける。
「俺は、ファーラの騎士になりたい。だから、ファーラは俺たちの女主人として生きて欲しい」
ファーラからの返事はない。
ジャックは唇を甲から離して見上げる。
すると、彼女は呆然と瞳を見開いたまま、口をぽかんと開けていた。
思わずその表情に、笑みが零れる。ついつい「ぷっ」と吹き出してしまう。
自分が笑われているのがわかっているだろうに、彼女の顔に浮かんでいる感情は混乱だけ。
ジャックは彼女の手を引いて、左頬にもくちづけた。
小さな音をわざとさせて離すと、ファーラはさらに瞳をまん丸にする。今にも顔から目玉が零れ落ちてしまいそうだ。
あまりにも驚いている、その顔を見てジャックはふっと息を吐き出した。
なんだか胸の中が温かくなる。
「はい。契約終了。契約破棄はできませんので悪しからずご了承ください」
そうにっこりと告げて立ち上がる。
振り返ると、そこには荷物を引いた住民たちとジャックの仲間が小さく見えた。中から一人飛び出してくる。
「お姉さま!!」
顔をくしゃくしゃにして泣き腫らしたティアラが駆け出してくる。
「とりあえず、俺とティアラは君のことを必要としてるみたいだぜ?」
そう言って、ファーラを見下ろせば、彼女は両手を口に当てて、眉根を寄せて‥‥‥そして今度は嬉しい涙をぽろぽろと零した。




