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21:第四章 見えない存在-3-



 ティアラとジャックが船に乗り込むと同時に、ゆっくりと船が動き出した。

 驚いて、船尾に走り出す。

 それはティアラも同じだったようで、ジャックについて走ってくる。

 濁流に身を任せた船は固い音をさせて大きく上下する。そのたびに住民たちが叫んでいるが、ジャックもティアラもそちらに気を遣う余裕はない。

「お姉さま!?」

 ティアラが悲痛な叫びを上げる。

 尖塔の上部に、煌く金の光。

 船が動き出すと同時に大地が崩れ始めた。まるで動き出した船を追い駆けるように、大地が崩れ、建物が崩れ、流れ出す。

「ファーラ!」

 ジャックは声を張り上げる。

 船の上から崩れ落ちる城の尖塔を見上げる。尖塔のさらに上、塔の頂点に違和感。

 そこは通常は立つこともできないはずなのに、白い衣装を翻す金の髪の少女がいた。

「ファーラ!!」

 ガタガタと動く船上で見上げて、ジャックは声を再び張り上げた。

「なにをやっている! 下りて来い!!」

「姉さま!! 早く来て!!」

 ティアラも叫ぶ。青い髪をなびかせて、空色の上空で光を浴びるかのように両の手を広げたファーラを見上げる。

 木が石に削れる鈍い音がして、残りの住民全てを乗せた船が急流に押し出され、船体を大きく右に、左に、と揺らめかせながら、進む。

「ファーラ、戻れ!!」

 川の轟音、船の揺れに戸惑う住民たちの声‥‥‥そして、今まで彼らを守り続けてきた島の最後の雄叫び‥‥‥崩れる城、崩れる森、崩れる館、家、神教会、光の大地。

「ファーラ!」

 ただ叫ぶことしかできない。

「ファーラっ!!」

 彼女の名前を。

「ファーーーラッ!!」

 声の限りで呼ぶと、瞳を閉じ祈るようにして船を動かしているファーラがゆっくりと瞳を開けた。金の瞳が微かに細められる。口元には笑み。

 よく見かける、なにか別の感情が付随する笑顔。

 続いて、口が微かに動く。

 ―――生きて。

 まるで空虫の中に溶けてしまうような朧げな笑顔。涙を堪えているかのような、見ているこちらが悲しくなる笑み。そんな笑みを浮かべて彼女は俺たちに望むのだ。生きて、と。

「どうしてっ、一人で戦うんだ、お前は!」

 ジャックは苛立たしさに船尾のへりを拳で殴りつける。

 痛い。

 でも、それ以上の痛みを、彼女はずっとずっと一人で抱え続けていたのだ。

 誰にも言えない、重く苦しい痛みを、神と呼ばれる見えない存在を身に留める少女は、涙を思い出すこともなく笑って抱え続けてきた。

 ぐらりと船体が大きく動いて、激しい振動と、凄まじい音と共に、ぴたりと動きを止めた。

 船が、一人の死者を出すこともなく、対岸についたのだ。

 尖塔の上で、船が無事に対岸に着いたのを見たのだろう。ファーラの周囲の光が消える。

 そして、彼女の体はゆっくりと頭から落下する。

「いやぁぁぁ!!」

 隣のティアラが両耳を手で押さえ、持てる限りの力を出して叫ぶ。

 その、空をも切り裂かんとするような絶叫に振り返ることもなく、ジャックは船尾の縁を蹴った。

 濁った川の流れに躊躇することなく飛び込む。

 まだだ、まだ残っているはずだ。自分の中にあるという『地の大臣ヌーサ』とかいう大げさな名前の感覚は。

(最期の仕事だ、あんたの同僚が入ってる体に俺を導いてくれ!!)

 あまりの水の汚さに、潜って目を開けることなどできない。それ以前に流れに逆らって、小さな少女一人を探し出すことなんてできるはずもない。自分一人の命だって、どうなるかわからないくらいだ。

 でも、ジャックは変な信頼を寄せていた。

(だって、言っただろう、ファーラ! お前は必ず俺たちを元いる世界に帰すと!! だったら俺の命も助かるはずだ)

 ちらりと視界に入る白い布。

 手を伸ばす。

 蛇のようにうねる金の髪。

 ―――届け!!

 思いの丈と共に、手をさらに伸ばす。

 右の中指の先になにかが引っ掛かる。それを瞬間、感じると同時に握り締める。引っ張り込む。

 抱き締める。

 腕の中には、頼ることを知らない、一人の少女。

(あ‥‥‥)

 ジャックは濁流の中から顔を出して口角を上げる。

 自分達二人を取り巻くこの波動。

 光と大地と、水の波動。

 その波動は岸辺に二人をやさしく誘導すると、波の中に戻り、遥か遠い‥‥‥彼らを送り出した根源へと向かって、旅立って行った。

 最後の瞬間、白い‥‥‥光の手のようなものがファーラの頬を撫でていったのは、気のせいじゃないだろう。










 ジャックは水に濡れた少女の体を岸から抱き上げて、川辺の草地に降ろす。

 頬に張り付いた髪の毛をよける。

「へえ、灰色‥‥‥いや、シルバーグレイなんだ」

 ジャックは元に戻った己の金髪も引っ張って苦笑する。

 さて、どうしよう‥‥‥

 だいぶ川下に流された。

 このまま濡れたままでいれば、みんなと合流する前に病気になってしまうかもしれない。だが、着替えなど持っていないし、なにも遮るもののない砂礫されきの大地では火を熾すことも、枝に服を干すこともできない。

「‥‥‥どうして」

 さて、次からどうしようとジャックが考えていると、岸辺に身を横たえていたファーラが自分の顔を両手で覆って声を絞り出した。

「どうして‥‥‥生きて、いるの‥‥‥」

 啜り泣く声が、濁流の音に混じってジャックの耳に届く。

「なんで‥‥‥『光の女神ソレア』は、いないのに」

 ひっくひっくと、しゃっくりをするような泣き声。

「どうして、って‥‥‥その『光の女神ソレア』たちが、ファーラに生きていて欲しかったからみたいだぜ?」

 胡坐をかいて、ジャックは横たわるファーラをやさしく見下ろした。

「俺が川に飛び込んだらまず『地の大臣ヌーサ』が周囲を守ってくれた。君に手を伸ばしたら『青い魔師サイア』が繋げてくれた。そして、君をずっと守っていたのは『光の女神ソレア』だった‥‥‥最後に、まるで母親が子供の頬を撫でるみたいにしてたよ」

 ジャックの言葉に、ファーラは手のひらを外して青年を見上げる。

「母親?」

「ああ。名残惜しげに、慈しむような光がファーラに触れていった」

 ジャックは幼い子供のように自分を見上げてくる少女の頬を、あの光が撫でていったように、やさしく撫でた。

「‥‥‥こんなふうに、さ」

 頬を撫で、そしてその手のひらを頭に回してぽんぽんとやさしさを心がけてやわらかく叩く。

 もちろん、こんな動きはしていない。

 でも、彼女を見ていたら頭を撫でてあげたくなるのだ。

「よくやったよ‥‥‥ファーラは。頑張った。今まで一人でよく戦ってきたな」

 シルバーグレイの髪を梳くようにして撫でる。

「本当によくやった。お疲れ様」

「ジャック‥‥‥」



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