19:第四章 見えない存在-1-
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今代の『地の大臣』が異国の民だという話は五十名ほどの残った住人にあっという間に伝わった。
アルジーという名の老女以外には土地に残ると言い張るものもなく、準備は粛々と進んでいく。
城の前の船を置く場所に石秤を置き、各世帯でこの秤と同等まで船に詰めることにした。
住民たちにはユージェスから、とにかく食料を積み込むことを伝えてもらい、家財に関してはなるべく諦めてもらうように伝えた。
その代わりと言ってはなんだが、城内や富裕層の家に残されていた宝飾品や高価な布などを均等に渡しておく。
売り捌けるかという疑問もあるが、金目のものを河に流すのももったいない。
アルジーが残っていた女性たちに声をかけ、城では塩漬け肉や、野菜の漬け物、瓶詰め、乾物を作っていく。炊いた穀類を乾燥させて幾種類か混ぜて挽いた簡易食。挽いた穀類を酒種で発酵させて固く焼いた餅。穀類はなるべく量を持てるように挽く。消毒にも使える酒と油を壷に小分けし油紙で蓋をする。
他にも糸と針、布を掻き集める。トラガの郷土品と言われている織の反物。これは着るためではなく売るためだ。ただ、売れなければ縫い仕立てるため、裁縫道具は重いものではないので予備も積んでおくつもりだという。
街の男たちには薪を集めてもらう。
他にも果物やしなやかな植物も集めておく。蔦や蔓なども集め、後は織糸綱と貴重品の鋼索も集める。
天幕も必要になるので、とりあえず集めるだけ集めて取捨択一する必要があるだろう。
それと同時に船の修復も続ける。
大穴はまず埋まったが、少しでも補強をしていく。
後は、ファーラの体調が心配だが、こればかりはティアラとジュリアの監視に任せるしかない。
「坊」
地下に降りていくとチャドが苦笑を零していた。
「どうした?」
フェイブ爺の荒げた声が聞こえてきた。
「どうして道具に手をつけたんだ!!」
これだけ声を荒げる爺も珍しい。そう思って先を見ると、そこには小さくなっているファーラがいた。
慌てて駆け寄る。
「爺、どうしたんだ?」
声をかけると、ファーラはさらに俯き、フェイブ爺は呆れた表情で見つめてきた。
彼の手にあるのは、家宝だと自慢していた鉋だ。
「どうしたも、こうしたも‥‥‥」
フェイブは口を濁す。
ファーラを見ると、彼女は身を小さくしたまま黙っている。唇をきつく噛み締めて、後悔に苛まれているようだ。
長い間、黙っていた両者だが、先にフェイブが口を開いた。
「そのお嬢さんがこの鉋を水拭きして下さったんですよ」
呆れた口調で吐き出した。
「‥‥‥そうか」
その言葉で事情はわかった。
「いや、善意だったろうとは思いますよ。随分汚れてましたからね。だが、その悪意のない善意のせいで、わしが長年使い続けた愛用の道具が駄目になった」
言外に含まれているのは、ジャックに対する非難。
「フェイブ爺。俺がしっかりと指導しなかったせいだ。すまない」
ブレースタ領での謝罪の仕方で謝る。
彼女にはもしもを考えろとは伝えてはいたが、現場の人間の道具に手を出すなという、もっとも重要なことを伝え忘れていたのはジャックだ。
「坊の失策ですよ。おかげで勘が狂う」
水拭きされた木材は目を荒くする場合がある。フェイブは戦場にまで、油紙に包んだ愛用の鉋を持っていくくらいだった。職人にとって長年使い続けた道具は手足と一緒。手足を切り捨てることはできないとは彼の言だ。
「本当にすまなかった」
しっかりと謝罪をする。
「あ、あの、ジャックは悪くありません。わたくしがきちんと聞かなかったのですから‥‥‥」
ファーラがおずおずと声をかけてくる。
「下の者が失敗をしたら上の者が謝罪するのは当然のことですよ、お嬢」
フェイブのぴしりとした物言いにファーラは眉根を寄せる。
「それはおかしいですわ。失敗したのはわたくしです。でしたら、責められるのはわたくしであるべきです」
「お嬢が理不尽を感じようと、下がヘマしたら上が怒られる。これがわしらの中では正しい構造なんです」
「そんな‥‥‥」
ファーラが前掛けをぎゅっと握り締める。
「善意だろうが、誠意だろうが、結果が伴わなければそれは失敗であり、悪意に転ずる」
フェイブの言葉にファーラはなにか反論しようとするが、言葉が見つからなかったのか口を開いたまま言葉は発せられなかった。
「フェイブ、あんまりファーラを苛めるな」
「苛めとりゃせんですよ! わしはこのお嬢の真面目さを気に入っとる。だからこそ、言うんですよ」
フェイブの言葉にファーラは開いていた口を閉じた。
「お嬢は、人を頼ることを知らなさ過ぎる」
ファーラは目を見開く。
まるで瞬きを忘れたかのように。
「わかんないことがあれば聞けばいい。お嬢も聞かれたら答えればいい。そんな簡単なことを難しく考え過ぎとりゃせんですか?」
「‥‥‥簡単な、こと、ですか」
語尾が小さくなる。
ジャックは二人の間に入る。
「言い過ぎだ」
短く遮れば、フェイブは肩を竦めてジャックを見上げる。
「過保護はお嬢のためになりませんよ」
「誰にだって段階は必要だろう。ファーラは頼ることを許されなかったんだ。そんな人間に急に頼れと言ったところで方法を知らないんだから、上手にできるわけない」
ジャックの言葉を聞いて、フェイブはファーラを見てそして溜息を吐いた。
「それは、なんというか、大変でしたな‥‥‥この鉋はブレースタ領の未練だったのかも知れません。目に見えぬ存在が未練を捨てろとわしに言っていたのだと、思うことにします」
そう言うとフェイブは鉋を作業机の上に置いて背を向けた。
そして船に戻っていく。
ファーラはそれを見送ると、へなへなとその場に膝を着いた。
愕然とした様子にジャックは心配になって彼女の手を取る。
「ファーラ。大丈夫か?」
とても大丈夫そうには見えないが声をかける。
だが、ファーラは答えない。
瞳を大きく見開いたまま、細かく震えている。
まずい。
「ファーラ!!」
目の前で大きな音を立てて手を叩く。室内にパン!! と大きな音が響き、そしてファーラがはっと顔を上げた。
「‥‥‥ぁ」
「しっかりしろ」
ようやく瞬きを思い出したファーラは両腕で自分の体を抱き締めた。
まるで寒いのを我慢するかのように。
「ファーラ、抱き上げるぞ」
ジャックは了承を得ずにファーラの体を抱き上げた。




