16:第三章 たとえば、だからという言葉-3-
なにか別の感情を秘めた笑みではなく、ただ嬉しいだけ、楽しいだけの笑顔を見てみたい。素直な気持ちを言えばこうだ。
まだ出会って二日も経っていないけれど、なんというか直感でこの子の味方をしてあげたいと思う。
あげたいというのは上から見た感じもするが、味方でいようと思える程は、まだよく知らない。
「とりあえず、ちょっと今の意地悪だったけど‥‥‥なにかする時は、もしもをいつも考えてみて欲しいんだ」
「はい」
ファーラはまた素直に頷く。
こういう態度を見ていると、なぜかまた頭を撫でたくなる。
「無知だと自分のことを思うのは、悪いことじゃないって俺は思うんだ。無知であることを知らない。もしくは自分は詳しいと思い込んでいるほうが怖い。悩んだら、聞いてくれ。絶対にそんなことも知らないのかなんて言わないからさ」
なんというか、無意識で自分の声がやさしくなっている気がする。
ジャックは心の中で微苦笑をしながら柱に置かれた袋と箒と塵取りを手にする。
「行こう」
「はい」
ファーラはおとなしく後ろについてくる。
「あと、俺、この掃除が終わったら一緒に街に行くよ」
後ろを振り向かずに言えば、ファーラは足を止める。
気配でそれを感じて、ジャックは振り返る。
これはずっと考えていたこと。
『地の大臣』が現れたということを住民に見せる必要がある。女の子二人で頑張っていたのだ。俺も頑張らなければ男が廃る。
男だ、女だと性差別をすることはあんまり好きではないが、年下の女の子が頑張っているのに。自分が頑張らないのはなんだか嫌だ。
ケチな自尊心だと笑われても仕方ないかもしれないが、力の弱いもの、小さいもの、女の子は俺にとっては護る存在なのだから、自分の姿勢だけは明確にしておきたい。
「ジャックさま‥‥‥」
ファーラが呆然と見上げてくる。
その不思議そうな顔に片目を瞑ってみせる。少しでもおどけて見えればいい。
「それ、その『さま』っていうのもやめようぜ。俺も君のことをファーラって呼ぶんだから、君も俺の事を名前で呼ぶように。これ、命令」
笑顔で告げる。
命令って言ってるけど冗談だよ。そんな思いを込めて笑う。
「命令、ですか?」
「ああ」
笑ったまま肯定する。
するとファーラはゆるりと首を傾げて微笑んだ。まるで雪解けの後に、花がほころぶようなぎこちないけれど暖かい笑顔で。
なぜか、その笑顔を見た瞬間、心の中で『よっしゃあ!!』と叫んでしまう。
「はい。ジャック‥‥‥なんだか照れますね」
はにかむような笑みに微笑を返す。
やっぱり、女の子は笑っている方がいい。
そう思いながら、階下を目指す。
「じゃ、ファーラ。早く下に行こうか」
◇
地下での掃除は、ほとんどたいしたことがない。
職人と呼んでも過言ではない仲間たちは日頃から自分たちでほとんどのことをしてしまう。ジャックが幼い頃から手伝っているが、彼らの中でジャックの立ち位置は現場に出てくる管理者という程度で、あまり労力として当てにはされていない。その代わりに管理に関わることでボロを出せば、容赦がないのだが。
ファーラと二人で、隅に纏められていた木屑を集めて捨てる。
道具を研ぐ。ただし、この作業はファーラにはできないので、彼女にはボロ布を集めてもらって鋏で適当に切ってもらった。後は作業する時に便利な掃除道具類の手入れなどをしてもらう。
なにを指示しても、ファーラは嫌がることなく黙々と作業をする。
しかも手際もいい。
小さな頃から城に召し上げられて、姫と変わらない生活をしていたはずなのに、この生活適応力はなんだろう。
ジャックは自分の姉と比べて首を傾げる。
領主の娘として育てられた姉は、本当に何もできない人だった。
刺繍針よりも重いものを持ったことがない。そう言われても不思議じゃないくらいに浮世離れをした人だった。
だが、ファーラは見た目は金の長い髪、まるで初雪のような白い肌、春に真っ先に咲く花のような薄紅色の唇をしているのに、掃除も鋏捌きもてきぱきとしている。
「ファーラって、自分で生活したことあるのか?」
気になって尋ねれば、ファーラは不思議そうに瞳を瞬かせて頷く。
「はい。『光の女神』代行者は別に王族ではありませんから、侍女なども付きませんし、生活に必要なことは自分で行うのが通常です」
どんな制度だ、代行者。
心の中で額に手を当てる。
だが、顔には笑顔。
「へえ、自分のことを自分でするのはいいことだしね。俺も助かるよ。これから仲間になる子がなんにもできない子じゃ、すっごく困る」
思わず『すっごく』に力が入る。
姉のように高飛車で、なにもできない、しようともしない人では困る。
もちろん、言い換えれば気位が高く、治める人間の風格を身に纏った人とも言える。だが、落とした布飾りぐらい自分で拾え、とか小さな頃から思ったものだ。
命令するのが当たり前。
人が従うのが当たり前。
そういう生活を送っていた人は弱い。
自分で考える力を失っていることもある。
全員が全員、そうだとは思わないけれど自分で立つ力があるからこそ、人は付いてきてくれたりもするのだろうとも思う。
「‥‥‥はい」
ファーラの返事は小さい。
ジャックは、そのことに気が付いていなかった。
◇
掃除を終えて、ファーラが着替えるのを待って街へ向かう。
身に着けてきた鎧は血生臭いし、正直重くて面倒なので、ユージェスに頼んで歩兵が身につける軽装防具にする。帯剣をし、服装もギャリガン皇太子が置いていった服の中から、外にも着れそうな内着を拝借する。
ギャリガンの服は煌びやかだった。
無駄な宝飾が付いている衣装もあった。後でユージェスとジュリアに頼んで金目のものも城から持ち出す必要があるだろう。
ファーラは真っ白な生地に、金の刺繍が施されたゆったりとした衣装だった。
トラガの衣装は故郷と違って女性の体型を露にしない。
「お待たせしました」
ぱたぱたとファーラが駆け寄ってくる。
通常から敬語の彼女に、ざっくばらんな口調でいいよと伝えても、反対に敬語のが楽だと断られてしまった。
「いえいえ」
ジャックは口の中でもごもごと答える。
今、ファーラが自分を見つけた時にぱっと顔を明るくした。そのことにかなり動揺をしてしまったのだ。
自分を見て浮かべられた明るい表情。
たった、それだけのことなのに鼓動が煩いほどだ。
「本当に、街に出られるんですか?」
不安そうにファーラが見上げてくる。
「『地の大臣』が来たところでこの国が救われないってことはみんな知っているんだろう?」
残酷であろう質問をファーラにする。すると彼女は硬い顔になって頷いた。
「事実確認だから、気にしなくていい。だからさ、俺が街に出ることで『もしかしたら』ってのを打ち砕こうと思ってさ」
「打ち砕くんですか?」
ジャックはファーラの質問に答えずにしゃがみ込んだ。
そして地面に手を置く。
目を閉じる。
『地の大臣』が中に入った時から聞こえる声。
トラガは大地が悲鳴を上げてる。
今にも壊れてしまいそうなのを気力で持たせているような、そんな不安定な気配がする。なにがあっても、この土地は形状を留めてはおけないだろう。
そのことを再確認をしてファーラを見上げる。
「やっぱり駄目だ。大地が泣いてる」
「大地が‥‥‥泣いている」
ファーラもしゃがみ込んで大地に手を当てる。
そして瞳を閉じる。
睫毛が長い。
なんとはなしにそれを見たのだが、不思議なことに目が離せない。
睫毛の影が顔に落ちている。
「‥‥‥胸が苦しいような、この‥‥‥感覚のことですか?」
ファーラが顔を上げて呟く。
真正面にある顔にジャックは思わず体勢を崩し、手を地面についてしまう。
「あ、ああ」
「大丈夫ですか? お体に影響があります?」
心配そうに覗き込まれてジャックは笑って誤魔化す。
「だ、大丈夫。単に平衡感覚が崩れただけだから」
「‥‥‥本当ですか?」
疑うようにファーラが覗き込んでくる。
あまり近付かないで欲しい。
「ほ、本当。慣れない服だからさ」
と、適当に誤魔化す。
素直なファーラは、ジャックの適当な誤魔化しを信じて安堵の吐息を零す。
「よかったです。あなたになにかがあったら、お仲間の方に本当に申し訳がありませんから」
ファーラはそう言って、そして申し訳なさそうに微笑んだ。
浮かんでいるのは負の感情が付随している笑顔。
そんな笑顔をさせたかったわけじゃないのに。
ジャックは立ち上がるとファーラの手を引いて立ち上がらせる。そして、そのまま彼女の左手を自分の右腕に絡ませた。
「んじゃ、行きますか」
「はい」
彼女は頬を染めることも戸惑うこともなく、街の方向を見つめて硬い表情を、さらに固まらせた。かちんこちんだ。
ジャックはファーラの左手をぽんと叩く。
「街に着いたら、君はあんまり喋らなくていいから。適当に合わせてもらえると助かる。まだ会ったばかりで信用してくれって言われても困るかもしれないけどさ。ちょっとの間、俺に任せてみて欲しいんだ。了解?」
冗談口調で確認をすれば、ファーラは見上げて微笑んだ。
「はい。信じます」
その、真っ直ぐな返事が胸に染み込んだ。




