14:第三章 たとえば、だからという言葉-1-
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それからは、まるで時が駆け足をしているかのように進んでしまう。
途中で聞いた話だが、ユージェスとジュリアは自らの意思で残ったのだという。ギャリガンに着いて行くという選択肢以前の問題で、自分に追従をしようとしなかった二人は、彼から疎まれていたという。そのため、皇太子とその側近たちが逃亡を図ろうとしているのに気が付いてはいたが、敢えて阻止をするのはやめていたのだという。船は二隻あるから、逃亡されても後一隻あれば大丈夫だろうと、甘く思っていたのが悔やまれるとユージェスがぽつりともらした。
いくらなんでも、残りの民のために一隻は残すはずだという思い込みがあったのだと‥‥‥だが、このことでユージェスを責める事は難しいだろう。下手に逃亡を阻止しようとしても多勢に無勢。返って怪我人や死者が出たかもしれない。
二人とも、皇太子を快く思っていないという以前に、ファーラとティアラの二人がとても気がかりなのだと雰囲気でわかる。
彼女たちの様子、体調をとても気遣っている。
こんなふうに大事に思ってくれる人がいるというのは、なんだか嬉しくなる。
二人は率先してファーラとティアラの気苦労が減るように動いてくれる。
ユージェスが船に積み込む荷物について、ジュリアが食糧問題を担当して十七世帯に伝達を行っている。きっと、積む時になって『自分だけはいいだろう』と特別扱いを望む者は出てくるので、当日の複数での確認も必要になるはずだ。
特別扱いというのは、意外と難しい。
子供だから。
老人だから。
体が不自由だから。
貴族だから。
商人だから。
女性だから。
妊婦だから。
だからを使う言葉はたくさんある。全部を一律で扱うわけにはいかないし、中途半端な、しかも均一性のない扱いを行えば当然不満は出る。
それを考えると頭が痛いが、まだ数が少ないのが救いだろう。
翌日のお昼時。陽が中天に差し掛かった頃。
陽、といっても本当はお天道様ではないのだが‥‥‥ジャックは空を見上げて首を傾げる。どう見ても陽に見える。虫の反射だとかには見えない。
不思議だ。
「ジャックさま」
名前を呼ばれて振り返れば、そこには昨日とは随分と服装の違うファーラがいた。
汚れてもいい服装。髪は束ねる。爪は短く切る。化粧はしない。
そして、しっかりと食事をして睡眠を取る。
昨日、ジュリアと夕食を届けに行った際に突きつけた条件がこれ。
爪や髪型はなにか言われるかと思ったが、ファーラは神妙に頷いただけで、真面目な顔で一所懸命にほとんど液体の夕食を飲み込んでいた。
その、必死に夕食を食べていた彼女は、今は昨日よりも多少は血色良く感じる。
「ファーラ姫、ちょっとこっち来て」
ちょいちょい、と手招きをする。右手で指をそろえて掻き込むようにする仕種なのだが、ファーラは小首を傾げる。
仕種の違いは、どうにも困る。
「トラガでは人を手招きする時にはどうするんだ?」
尋ねれば、ファーラは手首を立てて火を扇ぐようなような仕種をした。
「こう、します」
「へえ。本当に‥‥‥言葉はほとんど同じなのに仕種が違うって言うのは面白いな」
もしかして、トラガの人と喋れるのは『地の大臣』の力ではないかと思っていた。だが、昨夜、与えられた客間で眠る前に検索を続けていたら、言語はトラガ国もシャルダ帝国もほぼ変わらないということがわかった。違うのは多少の語尾と仕種。そして食文化。
故郷のミュシという、ミュという穀物を発酵させた調味料がないのだがかなり辛い。
ミュシに似た植物があるそうだから、また落ち着いたらフェイブ爺などに聞いて一度作ってみたいと思っている。
――― どうやら俺は、そうとう意地汚いらしい。
「わたくしも、あなたと喋ることができるのはありがたく思っております」
確かに言葉を訳すのに力を使うのは好ましくないだろう。
言葉を訳すことができるのかはよくわからないが、ファーラの言い回しからすればできるに違いない。
「俺も助かるよ。もしかしたら、ギルディア大陸の人がひょっとしたことで地上に出て、シャルダ帝国を作ったのかもしれないな」
「そうかもしれませんね。それで、わたくしのするお手伝いとは?」
早速本題ですか、姫。
そう思ったが、ファーラの顔は真剣だ。
「じゃあ、まずは準備運動をしようか」
「え?」
ファーラが瞳を見開いて口をぽかんと開く。
早速、掃除に入るなら別に地下で待ち合わせをすればいい。
だが、この手伝いはファーラの気持ちを落ち着かせるためと、彼女の体力増強の意味合いもある。
「地下で主にやるのは木屑の除去とその木屑を分類すること。木屑と言っても、場所によっては結構重い。だから、準備運動もしないで、日頃剣とか握ったことのない女性がするのは辛いと思うし、筋とか痛められても困る。だから、準備運動」
ファーラの正面で真似をするように言うと、彼女は腕を真上に上げたり、横に伸ばしたりという動作を一所懸命に真似してくる。本当に真面目だ。
思わず変な仕種を冗談で入れてみようかと思ってしまう。が、こんなに真剣な女性をからかうのは騎士として劣るので、頭の中で想像するだけにする。
運動の後は、荒いハシェと呼ばれる植物で編んだ目の細かい袋と、箒と塵取りを渡す。
「じっさまたちはもちろん周囲も見てるし、可能な限りは気を遣ってもくれる。だが、船の‥‥‥特に修復っていうのは難しい作業だ。ぶつかったり、引っ張ったりされたら、ファーラ姫くらいの娘さんだと吹っ飛ばされちまう」
「‥‥‥吹っ飛ばされる?」
「そ。ぽーんって飛ばされる。だから、俺たち補い役はささっと掃除してさーーっと粉払ってぱぱっとその場所から離れる必要があるから」
身振り手振りで擬音を説明すると、ファーラが「ぷっ」と吹き出して微笑を零す。
やっぱり笑っている方がいい。




