12:第二章 神という名の幻影 精霊という名の紛らかし-4-
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ジャックが豪奢な階段を下りていると、目の前に白髪交じりの凛々しい男性がいた。一瞬だけ、本当にちょっとだけ目を見開いて、そして微笑を浮かべる。
こういう爺さんは喰えない。
勘でわかる。
「階段上からでは失礼なので、少しお待ちいただけますか?」
ジャックも微笑を浮かべて挨拶を始めようとした相手を制する。
ガシャガシャと鎧の音をさせながら階段を下りきる。すると、相手の男性の身長がものすごく高いことがわかる。ブレースタ領の成人男性のだいたいの身長よりも自分は高いはずだが、相手はさらに頭半分は高いだろう。細いせいか余計に高く見える。
「初めまして。『地の大臣』代行者殿でいらっしゃいますね。わたくしはトラガ王国執務官長を務めております、ユージェス・アディ・バートウィッスルと申します」
恭しく頭を下げられる。
礼儀に則った、礼儀の指南書などに載せられそうな完璧な礼だ。
ジャックも微笑を深めて礼を返す。相手と比較してしまえば、たどたどしい印象は否めないが、彼にとっての最上級の礼を持って。
「初めまして。わたくしは、地上にあるシャルダ帝国ブレースタ領の領主の嫡男、ジャクソン・ドゥリー・ブレースタと申します。先に申し上げますが、ブレースタ領はすでに義理の兄が治めておりましょう。わたくしは国を捨てた身。ファーラ姫に見出されてこちらに仲間と共に参りました。よろしくお願い致します」
なるべく短い言葉の中に必要な情報は入れたつもりだが、相手からしたら見知らぬ男。不信を持たれて当たり前だ。ジャックは相手からの質問を待つ。
だが、ユージェスは微笑を零し、「丁寧な挨拶、痛み入ります」と答えただけだった。
二人して無言の時が流れる。
ジャックは瞬きをしてユージェスを見上げる。
「もしかして、わたくしからの質問をお待ちくださっていますか?」
素直に問えば、ユージェスは首肯する。
「貴方さまから見れば、ここは他国。いろいろとご不明なこともおありでしょう。わたくしで答えられることがあれば、なんなりと」
その表情に偽りはなさそうだ。
ジャックは破顔すると「ありがとうございます」と深く礼をする。それに相手は瞳を瞬かせた。そのことにジャックは首を傾げた。
「国が違えば文化も変わるということですね。トラガではこのように拳を握った右手を顔の前に持ってきて、わずかに腰を曲げるだけです。そのように深く頭を下げることはしません」
「へえ、そうなんですか。俺はこちらに来たばかりで、そういう文化の差とか、いろいろ知らないことが多いので、そういう部分は‥‥‥特にマーシア国のことは聞きたいことばかりなのですが、今この場で、立ち話ですることではありませんね‥‥‥そうだ、まずは台所の場所を教えてくれませんか?」
にっと笑えば、ユージェスはまた瞳を瞬かせる。
「お互い、ややこしい儀礼上だけの敬語は抜きにしましょう。考えるのが面倒です」
「『地の大臣』代行者殿‥‥‥」
ぼそりと呟かれた言葉は唖然とした色を映していた。ジャックは正面の扉の前に開かれた地下への階段を見やって肩を竦めた。
「それ、俺を見ていないみたいで、なんだか嫌ですね。出来たら名前で呼んでください。ジャックでかまいません。下にいる俺の仲間は『坊』とか『ジャック』と呼びます。礼儀の必要な場以外では、楽にしてもらった方が俺も助かります」
笑顔を収めたユージェスは怖いほどに真剣な瞳でジャックを見つめてくる。整えられた口髭があるからわかりにくいが、きっと口元もきつく結ばれているのだろう。
しばらくの間、ジャックはユージェスが口を開くのを待つ。
彼の中で、今自分の評価が下されているのだろう。この国が滅びるまで時間がない。だったらさっさと評価を下された方がいいと地を出したのだが‥‥‥
ふっとユージェスの目元が和らぐ。
彼は拳を握り、右手と左手の両方を顔の前で並べて礼をする。先程よりもやや深く。
その様子に瞳を瞬かせていると「これが我が国の最敬礼になります。ジャック殿」とユージェスが先程よりも口調を緩やかにして微笑を浮かべた。
どうやら、合格点はもらえたようだ。
「貴方が『地の大臣』に選ばれた理由がわかるような気がします」
「理由?」
「この国に未練がない。だから、貴方が選ばれたのでしょう‥‥‥どうか、こちらこそよろしくお願いします」
ユージェスの言葉にジャックは『なぜ自分が選ばれたのか』という疑問の答えをもらった気がした。この国に未練がない。だからこそ、ある意味、建設的過ぎる意見が出せる。それが、今現在わかる一番の自分の売りだ。
「そう、仰って頂けると助かります。こちらこそ、あなたのご助言を頼みにしております」
トラガ式で挨拶をする。
するとユージェスは「畏まりました」と短く答え踵を返す。
「台所へご案内します」
「急に男が七人も増えましたが、大丈夫でしょうか? お恥ずかしい話、俺たちはまったく食料を持っていないのです」
ジャックは自分の体を見下ろす。鎧に包まれた埃塗れ血塗れの自分。腰の袋には簡易食のホシェ・ルが二食分。ホシェという穀類を水で炊いた後に乾燥をさせたものだ。食べ方は器に入れて水を差し入れるだけ。ホシェ・イと呼ぶと水を多めにしてやわらかく炊いたものになる。通常、ブレースタ領ではこれが主食だ。
「それでしたらご安心を。食料だけでしたら心配はありません」
「そうですか‥‥‥正直な話、俺たちがマーシアに着いたとしても、扱いは難民が良いところではありませんか?」
「‥‥‥っく。本当に率直過ぎる方ですね」
ユージェスは肩を竦めるようにして笑い、そして目元を緩める。
「ええ。ご推察の通りです。我々の先行きは難しいでしょう」
「でしたら、船の準備が出来るまでの間、残っている方たちに出来る限り食料を用意して欲しい。潰せる動物がいるのであれば塩漬け肉を作りましょう。あまり時間がないので燻製まで作れないのが残念ですね」
「それは言えています」
ユージェスは小さく嘆息をする。
「情けないとお思いになるでしょうが、我が国には現在この地に残っている王族はティアラさまのみ‥‥‥人数が少ないとはいえ主軸が欠いており、上手に纏まっておりません」
「大体の状況は聞きました。国王が脱出した後に、皇太子殿下が船を使ってお逃げになったとのこと」
ジャックの言葉にユージェスは微苦笑を零す。
「逃げただけなら、まだ可愛いものですが‥‥‥皇太子殿下は、先にマーシアに入り、マーシアの代行者になることを狙っているのです」
ジャックは目を見開く。
「マーシアにも代行者がいるのですが?」
あまり喜ばしいとは思えない制度が、他の国にも浸透しているというのは奇妙な気分だ。
「ギルディア大陸‥‥‥グレメンディア大河を渡った大陸のことをそう呼ぶのですが、そこでは各地域ごとに神が宿っており、通常は二柱で治めております。代行者は二人の場合もあれば、荒神和神をお一人で代行する場合もあります」
「では、この国が三柱なのは‥‥‥」
「とても珍しい現象です。ですから、この国は歪んでいるのかもしれませんね」
遠い目をしてユージェスが呟く。
歪み。
まだここに着いて半刻も経っていないジャックには、真偽はわからない。
第一、神とか、女神とかそういう幻想的な話は、自分が代行者として選ばれた今でさえ信じ切れないくらいだ。
「まあ、この国の歪みとかそういうのは置いておいて、ほいほいと他国の王子が乗り込んでいって代行者になれたりするんですか? ちょっとあり得ない気がするんですが」
「なんといいますが‥‥‥皇太子殿下はかなり特徴的な方で、ご自分のお思いになったとおりに事が進むと思い込まれるご性格なのです」
「ああ。大莫迦だって話は聞いていますよ!」
明るく笑って言えば、ユージェスは微かに肩を竦めた。
「否定は致しません。マーシアの代行者が恋に落ち、悲観して自ら命を捨てたのです‥‥‥そのため、現在マーシアでは二柱の代行者がいない状態なのです」




