表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

コンビニのある一角は

作者: 85円切手
掲載日:2026/05/11

 ───新しくホットドリンクのショーケースが置かれるらしい───

 私が出勤のために髪を結いていると、交代で抜ける従業員がある話をしていた。このコンビニに「ホットドリンク用の小型のショーケースが導入される」というものだった。夏シーズンに意気揚々としていたポップ達も見事に片付けられ、9月も中旬を迎えた。服が嵩張(かさば)っていくこの時期は、ホットドリンクの売り上げが格段と伸びるため、頃合といえば頃合なのだろう。「忙しなく」をスローガンにしているかのような駅前のロータリーを横目に、待ちぼうけを食らったような顔をして建っているこの小さなコンビニが生き残るためには、季節モノに手を出していかないといけない。

 噂の保温機は、明日にはこのL字型のレジカウンターの壁際に姿を表すらしい。しかもそれはレジカウンターのボード上でもっとも意味をなしてない壁際のデッドスペースに設置されるのだとか。誂えたように空いている誰も活用しないその空間が突如と埋まるこの感覚は、テトリスで縦長の棒を落として全消しする満足感に等しい。


 午前8時まであと数分。私はシフトの勤怠登録を済ませると、売り場へと出る前に軽くメールをチェックする。今日もまた、遊びの誘いや仕事の連絡が入ってることはなく、いつか入れた飲食店アプリからのお得情報だけが溜まっている。別に誰かからの連絡を期待しているわけではない。今表へ行っても少し早いため、数秒を埋めるために最も意味ありげな行動を選んでるだけだ。ポケットにしまったその小さく優秀な端末の重さで、やや右重心になった制服をさりげなく直し、夜勤従業員と入れ違いで「STAFF ONLY」と書かれたドアを押し開く。土曜の朝は大抵お客さんもそこまで多くなく、多少の作業ならマルチタスクも可能だ。さて、早速デイリー商品の検品でもするか。


 この店の事務所は、レジカウンター内に設けられているため、売り場まではそこを介さないと出られない。カウンター内で黙々と作業している店長に、世間一般の定型文を投げかけ、私は着々と業務に入る。最近のコンビニのデイリー商品はバラエティに富んでおり個数も多く、番重(ばんじゅう)も私の身長ほど積み重なっている。ひと箱下ろしては、専用機器にバーコードを通し個数をチェックし、間違いがなければ棚に並べていく。私はこの時間を"山場"と呼び、最も体力を奪われる時間として扱っている。

 山場を超え、番重をコンビニ脇の回収場所に運び終わると、今度は冷凍食品へと移る。作業工程は先程とあまり変わらず単純ではあるが、冷凍なだけに弊害も出る。少々触れているだけでも、指先が凍結したかのような錯覚に陥るため、定期的にインターバルを要する。私が触ったところだけ霜の取れた商品を見ると、私もまだ体温があるんだと自覚する。私はこの時間を"雪山"と呼んでいる。


 雪山を下りる頃には9時を過ぎており、もう大した業務は残っていない。あとは絶え間なく流れ込む利用客を処理するだけだ。私はカウンターに回り込み、乾いた電子音をかき鳴らしながら接客をする。今日はあと何枚のレジ袋を広げ、何度気持ちの乗っからない感謝の言葉を発するのだろう。ふと視線を店外へ向けると、やけに空が開放的に見えた。世間とこの狭い空間とでは、時の流れ方が違うように思える。


 週末ということもあってか午前11時をまわると客足が減るため、この干潮を合図に私は別の作業に入る。内容は、レジ裏にある事務所から消耗品が詰め込まれたコンテナボックスを持ち出し、レジカウンター上の適当なとこに置いて、そこを拠点とするかのように周りの消耗品を補充して回ること。このラムネ瓶の蓋のような(はなだ)色のボックスをわざわざ事務所から持ち出す理由は、このボックスの置き場所が事務所の奥のラックの下段であり、レジと事務所を往復するのが非常に面倒だからである。とはいえレジカウンターに置く理由はあまりない。初めてこの業務を任された際、なんとなくここに置いたのが今でも癖になっているだけだからだ。強いて言うなら、床に置くと私含め他の従業員の動線を塞ぐことにもなりかねないから、とでも言っておこう。


 11時をまわり、売場にいる人間がレジに立つ私と、チルド商品の品出しをするパートさん、週刊雑誌の立ち読みをしている常連客になったことを見計らい、私はコンテナボックスへと足を運ぶ。事務所には四十肩の店長が腕を可動域いっぱいまで使い、伸びをしていた。デスクには競馬好きの店長が置いた小さな馬のフィギュアが躍動感なく並んでいる。私はそれに目もくれず素通りしラックへ向かう。「膝を曲げないと腰への負担が大きい」という、幼少期に誰かに言われた微かな記憶を毎度の事ながら思い出し、ボックスをおもむろに持ち上げる。そのときの心理状態次第では、重くも軽くもなる絶妙な重量のボックスを連れて、売場へと戻る。ボックスをルーティン通りいつものカウンターの適当なとこに置き、消耗品を補充し始める。退勤まであと2時間だ。


 ボックスの中身が少し減り始めた頃、ふとあることに気づく。このボックスを置いている場所は、例の話によって消えて無くなる誰にも見向きもされないデッドスペースだったのだ。なんて馬鹿げてるんだろう。こんなこと、他のパートさんに言ったら鈍感だと笑われるかもしれない。でもまさか店舗経営の話題と自分のつまらない小さなルーティンがこんな形で繋がっていたなんて思いもよらなかった。しかも明日だ。明日には私が大事にしてきた生活の一部が経営戦略のために無くなるのだ。

 いつも通りに過ごせればそれだけでよかったのに、"私の小さな幸せ"がじわじわと削られていく。そういえばこの感覚をどこかで味わったことがある。

 ───そうだ、あれに似ている───


 中学時代の夏の記憶。当時都心から2時間ほど離れた郊外にある水皎(みなしろ)公園では、毎年夏になると祭りが行われていた。この通称"水皎祭り"は小規模の祭りであったが時期も夏休みだったために、近所の学校の生徒はほとんどが集まっていた。時間帯も昼過ぎから夜まで行われており休みの思い出を作るにはうってつけだった。私も例外でなく毎年当日の午前中には母に浴衣を着付けてもらい、携帯と3つ折りの小さな小銭入れだけを持って公園に向かった。

 水皎祭りでは私なりのルーティンがあった。始めに公園入口で幼なじみの菜月(なつき)と待ち合わせ、昼の暑さに負けぬようにとかき氷をかきこむ。ヨーヨー釣りで取ったヨーヨーをバムバムと弾ませながら空腹を焼きそばで埋め、夏らしく炭酸を流し込みビー玉を瓶から取り出す。そのあと消化を促すために屋台をぐるりと歩き回るのだ。こうやって私らは理由もなく6、7年前から同じ動線を辿っていた。菜月はもしかしたら少し飽きていたのかもしれない。でもこれが私にとっては"小さな幸せ"だった。


 「もう来年はやらないんじゃないかって話だよ、水皎祭り」


 どうせまた空く腹を満たすためにりんご飴の屋台に並んでいたとき、喧騒の中からその言葉は聞こえてきた。出どころの分からない噂だろうが、真偽不明の与太話だろうが関係ない。その可能性が微塵にでも存在していることが私の胸を締め付けるのだ。1年後も何食わぬ顔をしてやってくるこの夏は、もう私の知っている夏ではないのではないか。提灯(ちょうちん)を引っさげた屋台、ソースと油の焼けた匂い、浮き立った声、私だけの小さくて大事な幸せが、来年には消えてなくなっているのではないか。誰ともつるまず悪事も働かずひっそりと暮らすだけのこの生活が、夏を待つだけのこの生活が、ひとつひとつ蝕まれていく。そんな嫌な感覚が身体の重心に植え付けられた。

 そのあと、確かに食べたはずのりんご飴の味はもう覚えていなかった。日も沈み、畳み始めてる屋台もちらほら見かけたころ、私らは今夏を終える準備をした。

 帰り際、空になった瓶を名残惜しそうに握る私とは対照的に菜月がポツリと呟いた。


 補充を終えた私は、鉛のように重くなった足を引きずり、デッドスペースにあるボックスの縁に両手を置き深いため息を1つ吐く。

 誰にも必要とされていない半畳ほどのスペースに、私だけが気付かぬうちに依存していた。あれほどどうでもよかったショーケースの話が突然として身に圧し掛かってくる。考えれば考えるほど増していく孤独感だけが私に寄り添ってきて、何かを内側から崩していく、そんな感じがした。

 いつの間にか売場に出ていた店長に少々驚きながらも、数分前に比べ軽くなったボックスを事務所へと運ぶ。一歩、また一歩と。一度意識してしまうとどうも不自然で不格好になってしまう。いつも通りの外側にいることを自覚して、いつにもなく動揺していることを実感する。あとは両腕いっぱいに抱える縹色の無機質なこの物体をラックに戻すだけ。それを最後に、これまでの"いつも通り"が無くなってしまう。あの時と同じだ。

 誘蛾灯がポツリポツリと並ぶ畦道で、菜月の後ろをついていった祭りの帰り。母が譲ってくれたこの浴衣で、寂しさの淀む歩き方をしていた私は母に失礼だっただろう。あのとき菜月はなんて言ったんだろうか。希望に満ちた台詞だったのか、なんてことない世間話だったのか、それすら覚えていない。冬明け頃に親の転勤で県外に引越してしまった私には、その答えを知ることすらできない。気づけば菜月とも水皎とも疎遠になっていた。私の"小さな幸せ"は少しずつ奪われていくんだろうか。少しずつ少しずつ、ときには私の知らぬうちに奪われていくんだろうか。世間からはじき出され、なんの取り柄もない私には小さな幸せを求めていい権利なんて無いんだろうか。なぜだろう、視界が歪んでいく。目から零れ出しそうなそれは、ギリギリのとこで踏みとどまっているように思える。そこから先には進んでいけないという意思すら感じる。しかし、いつもの癖で瞬きをしてしまった途端に、それは溢れて止まぬものになっていった。

 ───情けない───

 こんなことで号泣しているなんて、なんて情けないんだろう。後にも先にも初めてだと思う。出来事の大きさと感情の揺さぶりの大きさがここまで不釣り合いな人など。思考と感情が乖離(かいり)していることを嫌でも思い知らされるほどに、涙が止まってくれることはなかった。こんな気持ちになるなら初めから幸せなんていらないと思ってしまう弱い心の自分さえも憎い。

 「このまま、これ以上辛い思いをしないうちに、消えてなくなればいいのに」

自分にしか聞こえないほど小さく放ったその声は、彩りのない静かな空間に跳ね返ることもなく消えていった。自分にしか感じ得ない、声による骨伝導の振動のせいか、またひとつ涙が零れた。私はもう過去に縋る一心で、自分のこれまでの全てを映したようなその粒を追うように、目を向けた。すると、空になった縹色のボックスに落ちた一際大きな水滴が、光に反射してまるでビー玉のように輝いていた。途端に止まっていた映写機が回り出し、あの帰り道の光景が鮮明に流れ込んできた。


 最後の水皎祭りの帰り道、夕陽の暖かさがまだ少しだけ漂っていた。意思もなくただ菜月の背中を追う私は、りんご飴の屋台での会話を思い出していた。弾ませることもなく持っているこのヨーヨーも今年で最後かもしれない、この空瓶を眺められるのも今年だけなのかもしれない、そう思っていた私に菜月がポツリと呟いた。

 「もし祭りが終わってもさ、このラムネだけは毎年2人で飲みたいな。」

 考え込んでいた私は、聞きそびれてしまった気がして咄嗟に「えっ」と漏らしてしまった。

 「なんでもない!」

笑って誤魔化す彼女の表情は、どこか照れているように見えた。こんな私とまた一緒にいたいと言ってくれた彼女の言葉が、静かに心に沁みながらも、嬉しさがぱちぱちと炭酸みたいに弾けていた。右手に握りしめたラムネの空瓶が、私を次の夏へと誘ってくれる気がした。


 水皎の地から離れて十数年、私は前に進んでいられてるだろうか。いつか調べた情報によると、当初終わる予定だった水皎祭りは地域復興のためにも、一から検討し直すことにしたらしい。ボックスをラックに戻し、ハンカチで目を拭うと再び売り場へ戻った。外の空気を吸うために、自動ドアを抜けて2~3歩進む。秋風が私の鼻をかすめ、のぼり旗がそよぐ。晴れた休日の駅前は意外に人が少なく、気ままに大きく伸びをした。

 次の夏は、水皎にラムネを買いに行こう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
最初はコンビニ勤務の描写を描いた作品だと思っていましたが、読んでいくうちに主人公の小さな幸せが静かに失われていく悲しみを描いた話なんだと分かり、引き込まれました。 自分も実家に帰ったら自分の部屋が無…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ