31 訪問
軽やかな呼び鈴の音が響き渡った。
居間のソファーでソワソワしていた父は弾かれたように立ち上がり、玄関に向かって駆け出していく。
台所でそれを眺めていた兄は、やれやれとため息をついた。
程なくして父が1人の中年女性と、背の高い青年を連れて戻ってきた。
「いらっしゃ……」
振り返った兄は、ギョッと目を見開いた。
すぐさまティッシュ箱を掴み駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
差し出されたティッシュを受け取り、女性は言葉もなく頷く。
そう、声が出せるはずがなかった。
押さえた鼻からタラタラと血が流れ出て、痛みのあまりか目元には涙も滲んでいる。
どうした事かと兄は父に目線で問いかける。
父は困ったように眉をハの字にして、曖昧に笑った。
「ご心配をお掛けし、申し訳ありません」
女性の連れの青年がぺこりと頭を下げた。
鋭い目つきながら、所作はきちんとしており、生真面目な印象を抱かせる相手だった。
「いえ……」
「実は玄関で中に上がろうとした拍子に足を滑らせて、その拍子に顔面を強打しました。床などに傷をつけてはいないことを確認はしましたが、もしかしたら廊下にちが落ちているかもしれませんので、後で掃除しておきます。粗忽物の母で申し訳ありませんでした」
何かの冗談だろうと父を見やると視線をそらされ、逆に女性はコクコクと頷いている。
「お気になさらず。……大した怪我もなく幸いでした」
唖然としながらも兄はそう答えた。
「祖父母ももう暫くしたら到着予定ですし、それまであちらでお寛ぎ下さい。お茶をお出しします」
「ありがとうございます」
青年が礼を言い、女性はただ頭を下げた。
茶を入れソファーセットの方へ運ぶと、女性はようやく落ち着いたのか、鼻は押さえては居らず真っ直ぐ兄を見返してきた。
「とんでもないところを見せちゃって御免なさい」
鼻を真っ赤にした女性はニコニコとしていった。
「大した怪我がなく何よりです」
「申し送れました。お父様とその、お付き合いをさせて頂いている江田です。横にいるのが息子です。高校一年になります」
「ご丁寧にありがとうございます。父がいつもお世話になっております。高校三年です。あいにく妹は祖父母を迎えに席を外しておりますが、ご子息と同じ高校一年です」
兄と女性と青年はぺこぺこと頭を下げあった。
父はニコニコとそれを見守っている。
「私たち、少し早くつきすぎてしまったかしら?」
作業中の台所に目をやって女性は困ったように言う。
「イヤイヤ、時間ぴったり。アレは、僕が子供達の足を引っ張りすぎて、予定がずれてしまった所為なんだ」
父がのほほんと答えた。
兄は流石に、苦笑せずにはいられなかった。
「お越しいただいたのにお相手できず申し訳ありませんが、そういうことですので失礼させていただきます」
兄は席を立った。
「とんでもありませんっ。あっ、そうだ。何かお手伝いをさせていただけませんか?」
青年は己の母の台詞にピクリと眉を跳ね上げた。
「お気遣いなく」
「今回の食事かいは、両家にとっての顔合わせという意味があると思うんです。それなのに、貴方達にばかり負担をかけさせるのはよいことではないと思います」
やんわり断った兄に向かい、女性はキッパリと断言した。
「なら……お願いします」