15 お父さんもなんとか言って
「妹よ」
「ん~?」
兄は食器を洗っている妹に声をかけた。
「ちょっとこっちに来なさい。話がある」
「今忙しい」
妹は振り向きもせずに答える。
「いいから来なさい。大事な話だ」
「もう!なんなんだよ!どうでもいい話だったらぶっ飛ばすからな!」
妹は洗い物を中断して兄の指示する椅子に腰掛けた。
兄も妹の真ん前に着席する。
ポケットから出した物体をスッと妹の目の前に差し出した。
妹はなんだろうかと、それを目で追う。
「!!??」
妹は真っ赤になって兄を怒鳴りつける。
「テメェ!いったい何のつもりだ!!」
兄の差し出したもの、それはコンドームだった。
「お前ももう高校生。彼氏の1人や2人や3人出来てもおかしくない。そうなる前に、万一のことを考えてこれを渡しておく」
「は!?」
「この間の妊婦さんのように、妊娠してからでは遅いんだ」
この間の、との行で、兄の拾ってきた妊婦の事を思い出した妹は盛大に顔をしかめた。
「こんなものを渡すからって、お兄ちゃんは不順異性交遊を推奨するわけじゃないからな?むしろお兄ちゃんとしては、簡単に身体を許しちゃ駄目だと思ってる」
「あのな……」
「聞きなさい。日本での今の風潮は、婚前交渉は当たり前といった意識があるが、世界的に見れば必ずしもそうではない。欧米諸国においても、未だ女性の処女性を重んじる風潮は残ってる。映画やなんかでは簡単に関係を持ってるように見えるが、必ずしもそうではないということだ。日本のように全体的に統一された思想というものはまず無くて、両極端な考えを持つ人間が暮らしていて、あちらでは保守派と言ってそういった事柄には五月蝿い人たちも多いんだ。日本のように法で堕胎が許されている国もあるが、アメリカなどのキリスト教圏では犯罪行為となる国だってある。それどころか避妊すら忌避する風潮がある国も存在する。わかるか?」
妹は黙って聞いていたが、真っ赤になってギロッと兄を睨み付けた。
「余計なお世話だ!」
目の前に置かれたケースを兄に投げつける。
妹は汚らわしいと言わんばかりに手を服で拭っていた。
「お兄ちゃんは大真面目なんだぞ!?」
「うっさいわ!このド変態が!!どこの世界に妹にコンドームを渡す兄がいるんだ!!」
「何を言ってるんだ。お兄ちゃん以外の男がお前にそんなもの渡してたら大問題だ!」
「逆だろうが!普通は彼氏がそれを持ってくるもんだろ!」
妹の言葉に、兄は顔色を変えた。
「まさか、既に相手がいるのか!?」
お兄ちゃんは許しません!とかほざいている兄に、妹は切れた。
「このボケナスが!!」
近くに置いてあった盆を取って兄の頭に振り下ろした。
カッコーンと間抜けな音が響き渡る。
兄と妹はその後も下らない言い争いを続けた。
仕事から帰ってきた父親が居間に入ってきた時もまだそのいい争いは続いていた。
「何を騒いでるんだ?」
父は呆れた様子で声をかけた。
目ざとく机の上にある不穏当な物体(コンドーム)を発見する。
父の眉が顰められた。
「クソ兄が、アホな事言うのが悪いんだ!」
妹は顔を真っ赤にして主張した。
「お兄ちゃんは、お前のことを思ってだな」
「だからって、いきなりそんなの渡すのはおかしいだろ!!」
「重要なことだろう」
「余計なお世話だ!」
兄と妹のヒートアップに、父は頭を押さえた。
「2人とも落ち着きなさい」
声をかけると、兄妹はそろって父を見つめる。
「もう高校生。ちゃんとした正しい性知識を持っていないと、色々と傷つくのは本人なんだ。お父さんもビシッと言ってくれ」
父はパチパチと瞬きを繰り返した。
「カレシがいるのか?」
妹に確認する。
「いるわけないだろ!!」
真っ赤になって妹は憤慨した。
「……本当に?」
父は信じていないような雰囲気だった。
同僚に娘は美人だといってはばからない父馬鹿は、ウチの娘はモテモテさ♪と思っていた。
妹の美醜がどうあれ、学校その他、家の外では黒縁メガネをかけ(兄と似てると言わせないため)たうえに、日本人形のような真っ黒な長い髪から貞子と呼ばれる事もあるのに、あえて近づいてくる強者はいないという事実を父は知らない。
「本当だよ。それなのに、このクソ兄なんて、いきなり出してきて卑猥な事ばっかり言うんだ!酷いだろ?どうにかしてよ」
妹は半泣きで父に訴えた。
「卑猥とは何だ。お兄ちゃんは正しい知識をだな」
「それが余計だって言ってるんだ!!」
父は息子と娘の諍いを困ったように見ていた。
「え~と、卑猥ってどういうことだ?」
兄に尋ねた。
「例えば、避妊について」
ふむふむと父は頷く。
「このコンドーム。これは一般的にもかなり普及した避妊法だけど、万能の物体ではない」
「へえ、そうなんだ?」
「その程度の事も知らなかったんですか?」
「うっ……」
情けないなと兄は首を振った。
「実際に、爪が引っかかったりして破れたりと、正しく使われないと、失敗し易い避妊法でもあるんだ。だけど感染症などを考えると、絶対に使った方がいい。性病を予防するという観点では、最も手軽で安価な手段だから」
「はあ」
「それから、あんまり激しい行為をすれば、破損する可能性だってある」
妹は激しいの行で泣きそうな顔になった。
「行為後は手早く処理したりしなければ、体内に残ってしまう事だってある」
「それはこまるなあ」
「まったくだ。それからもし妊娠してしまって堕胎する場合は、かなり初期状態なら薬で十分だけど、それ以降だとかなり身体には負担が掛かる」
「ああ。なんかいろいろ危険があって妊娠出来なくなったりするって言うな」
「そう。お腹にいる赤ん坊を器具で無理やり殺して強制的に掻き出したりするから子宮に傷がついたりするんだ。それに赤ん坊がかなり大きいと堕胎するにしたってかなり残酷な方法になる」
「残酷?」
「お腹の中で赤ん坊を”解体”して取り出すんだ」
「それはまた……随分とエグイもんだ」
「ええ……って、どうした?」
兄と父が会話する中、妹は耳を押さえて真っ赤になってポロポロと涙を流して泣いていた。
お兄ちゃんに話してごらんと兄はオロオロと顔をのぞきこむ。
妹はイヤイヤと首を振って父の背後に隠れる。
「……ない」
「え?」
「聞きたく……ない。そんな、話、き、聞きたく、ない」
うえ~んと、妹は大泣きした。
久々に妹に泣かれ、兄は動転した。
「ごめんね?お兄ちゃんが悪かった。ね?もう言わないから。泣き止もう?」
兄はオロオロと父を挟んで一生懸命慰めた。