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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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猿を轢くまち

作者: ペンタコン
掲載日:2025/08/30

 朝は台所のスピーカーが先に目を覚ます。「本日、巡回は五時十二分完了。主要交差点、痕跡なし」妻は味噌汁をよそいながら「清掃さん、今月も早いわね」と言い、息子はパンを齧って市民アプリを掲げる。「見て、ぼくの責務ポイント、学年で三位になった」弔いの発声を司式AIが毎晩つきあってくれるから、子どもの声はよく通る。頼もしい。

 私は頷いて「月末も、律動を調え拍子を外さないように」と言う。妻は笑って、清掃局への定額寄付を今月ぶん前倒しで送る。「先に感謝しておくのが気持ちいいのよ」

 通勤路では、車が自動で速度を落とし、車載の審判AIが風と照度と路面の揺れを束ねて、淡い文字を出す。

《注意:前方に低い影。不可避発生確率 0.37。最適ルートを維持します》

 私はハンドルに置いた手を微動だにしない。やがて影が目に入る。影は、道の真ん中で黒くうずくまっている。車は設定された最適速度を保ったまま、滑るように進んでいく。影が猿の形を成し、こちらを見るその瞳と一瞬目が合う。次の瞬間にそれは車体の下に消え、柔らかいもの踏む感触と、ボコンとこもった音がする。ルームミラーに茶色の布の塊のようなものが回転するのが見えて遠ざかっていく。遅れて、ヘッドアップディスプレイにメッセージが現れる。

《不可避 S-212/照度3.1/跳躍角62°/回避可能性0.04/通報・回収自動送信済》

 合図に合わせて私は目を閉じ、左手のてのひらを胸の前で重ねる。胸は静かだ。不可避が不可避であると、第三者に正確に記録されたという安心。秩序はこのように、手順通りに守られる。後部座席で息子が羨望の眼差しで私を見つめている。

 会社のロッカーで通知が入る。

《誠意の予告:家族単位の弔い参加予定、今月も良好》

 同僚の松岡が「昨日、うちの子が初めて不可避に立ち会ってね」と言う。私は「よく祈れたかい?」と訊く。松岡は嬉しそうにうなずく。「司式AIの指示で、声が揃ってた。帰りに清掃のドローンが走り去るのを見て、あの子、『きれいだね』って」

 そう、きれいだ。清掃運行AIは夜明け前の湿度と風向を読み、臭気が滞らないルートを選ぶ。白い箱型の車体が通りを抜けると、痕跡は光に溶け、朝の通勤に間に合う。子どもに見せても差し支えない。むしろ学びになる。

 昼休み、妻から短いメッセージ。「今夜のラジオ、外の街の人が、また何か言うらしいわ」私はスタンプで合掌の絵を返す。外の言葉は外の空気で育ち、こちらには届かない。届かなくていい。私たちには私たちの道があるし、それをAIが日々、整えてくれている。

 帰り道、交差点の影が薄くなる頃、白い回収車が音もなく過ぎていく。助手席に座る隊員は、いつも通り背筋が伸びている。私は小さく会釈する。見知らぬ相手に、正しく頭を下げるのは気持ちが良い。市民指数の画面に、ほんの小さな光が増える。

《礼節:適切な挙動が記録されました》

 妻と私、息子の三人で夕食の支度をしていると、ラジオが始まった。外の街の評論家が言う。

「猿を無策に轢いて弔うなど、野蛮な風習というほかない。何の解決にもなっていない」

 すぐにAIが穏やかな声をかぶせる。

《この発言は当市の生息密度・道路事情・通勤帯の分布を前提としておりません。誤解リスクが高く不適切です》

「保護区域を設けて猿たちを移すとか、あるいは教育をする、ルールを教え込むとか、なにがしかの対策を取ってですね、平和的な共存関係を築く。そういうことをせずに祈ったからそれでいいとか……」

《当市ですでにシミュレーションを行い、費用対効果の面から却下された実効性に乏しい提案です》

「新しい時代にふさわしい洗練された社会のあり方を理解させるためにも、私たちは強制力のある方法であの街に介入していくべきなんです」

《街の仕組みへの干渉を扇情的に訴えています》

 息子が包丁を動かす手を止めて、私の方を見る。「どうして、あの人たちはわからないの?」

「暮らしが違うからだよ」と私は言う。「向こうでは猿が道路を横切るほど多くはないからね。こちらでは猿も人も同じように道を使う。猿を避けて他の車を巻き添えにする事故を起こしてないけない。避けられないことは、避けようとせず、正しく受け入れる。そして祈る。祈りを決して怠らず、暮らしを乱さない。それがぼくらのやり方だ」


 AIが昔話を流す。

 むかしむかし、世界には道が三つだけありました。

 一つは、何も語らず、ただそこにある山の道。季節の巡りだけを印としていました。

 一つは、気まぐれに走り、木の実を拾うサルの道。昨日の続きはなく、明日の約束もありませんでした。

 そしてもう一つが、まっすぐ先へと伸びようとするヒトの道でした。

 はじめ、三つの道は重なることなく、ヒトは穏やかに暮らしていました。しかし、ヒトの道がだんだんと広く、長くなるにつれて、ある日、とうとうサルの道と交わってしまいました。

 道の上で、ヒトとサルは出会いました。サルはヒトの道を理解できず、ヒトはサルの言葉を知りません。避けようとしてぶつかり、止まろうとして間に合わず、悲しいことが起きました。

 道を歩いたヒトは己を責め、他のヒトは猿を咎め、またあるヒトは山を恨みました。道は行き場のない悲しみで濡れ、暮らしは乱れました。

 人々は考えました。山の道を変えることはできない。サルの道に決まりはない。ならば、変えるべきはヒトの心だ、と。

 そこで、人々は新しい言葉を作りました。それは「不可避」という言葉です。誰のせいでもない出来事に、正しい名前を与えるための言葉でした。咎めを手放すための、知恵でした。

 そして人々は、新しい行いを始めました。それが祈りです。悲しみを嘆くためではなく、起きたことを正しく受け止め、乱れた心を静め、道を清めるための行いでした。

 こうして、山の道、サルの道、ヒトの道——三つが交わるところに、言葉が生まれ、祈りが生まれたのです。そして、この街の静けさは、今もその祈りによって守られているのです。


「山の道、サルの道、ヒトの道——三つが交わるところに、言葉が生まれ、祈りが生まれたのです」

 息子はその一節を口の中で繰り返す。やがて味噌汁の湯気がテーブルに上り、妻がにっこりと微笑む。

 翌朝、学校の廊下に司式AIの端末が置かれ、子どもたちが順番に祈りの姿勢を測っていた。肘の角度、掌の重なり、呼吸の律動。点数が画面に花のように咲いて、皆が嬉しそうに覗き込む。先生は「点数は競うためのものではありません」と言いつつ、班ごとに貼り出す。獲得した点数は誇りではない。誇りは、怠らずに続けることそのものに宿る。私は満足し、息子を学校に残して仕事場へ向かう。


 月末の夜、広場の灯りが低く、均一に灯る。市民の群れは静かで、よく整っている。司式AIがざわめきを吸い取り、最初のトーンを流す。手首のデバイスが小さく震え、私たちは同じリズムで息を吸う。

 声が重なった瞬間、広場の空気が元素のレベルで一致した動きをしているように感じる。誰の声も大きすぎず、小さすぎず、正しく互いを支え合う。AIは今日も平等にポイントを配る。年長者にも、子どもにも。私の隣で息子がまっすぐ前を見ている。掌は司式の推奨角度にぴたりと揃い、肩は弛まず、顎はわずかに引かれている。よくできている。

 祈りが終わると、デバイスがちいさく震える。

《同期率 0.992。誠意が記録されました。家族単位の責務達成。清掃局への感謝をお忘れなく》

 妻がその場でデバイスに指先を滑らせ、寄付を送る。優しいチャイム音が鳴る。私は周囲を見渡す。皆、同じように静かに、やるべきことを終えた顔をしている。どの顔も、よい顔だ。


 広場の端で、見慣れない人がスマートフォンを掲げていた。AIの礼節ガイドが広場の拡声器を通じてアラートを出す。

《撮影はお控えください。祈りの場です》

 私は男に近づいて、肩にそっと手を置く。「撮影は、今日はやめておきましょう。祈りは映像には映りません」

 相手は少し戸惑い、目を伏せた。「すみません、外から来たもので……」

「お気持ちは分かります」と私は言う。「見慣れぬものには、たしかに驚くでしょう。好奇心も動くでしょう。でも、私たちはこれで暮らしを守っている。あなたの街にも、あなた方なりのやり方があるように」

「おっしゃる通りです。無粋な行為でした」男はそう言ってスマートフォンをしまった。手首のデバイスの礼節ガイドが小さく光る。

《調和:適切な案内が記録されました》

 しかし私が立ち去ろうとすると、男がなおも言った。

「でも、その、清掃局は果たして十分に機能していると言えるのでしょうか」

 私は振り返る。

「というと?」

「つまり、その、私はあの道路を歩いて来たんですよ」男が指差すのは私たちの街と外の街をつなぐ道路だ。

 私は眉を顰める。「あそこは歩行者は通れないはずですが」

「通れないことになっている。でも実際には通れたんです」

《逸脱検知:同行ガイドを提案》

 デバイスがアラートを出す。

「何がおっしゃりたいのでしょう?」

「言いにくいのですが、ひどい悪臭がしました」男が鋭い目をする。

「お帰りください」私は言う。これ以上の議論は不毛だからだ。


 帰り道、息子が私の手を握る。「ぼく、今日、前より深く祈れた気がする」

「そうだね」と私は言う。「祈りは深くなる。暮らしと同じで、毎日が積み重なるほど」

 家に着くと、台所のスピーカーが明日の巡回予定を読み上げた。雨の予報、回収のルート変更、始業前の完了見込み。すべてがきちんと、私たちのために組まれている。

 初めて不可避判定を受けた日のことを、私はときどき思い出す。父は無口な人だったが、あの日、短く言った。「おまえは正しくやった。正しく進み、正しく祈った。それでいい」

 それでいい。今もその言葉を、そのまま子どもに渡せることを、私は誇りに思う。AIが記録するのは数字だが、数字の向こう側にあるもの——私たちが決めた正しさ——を、毎日確かめ直してくれる。冷たい、と外の人は言う。けれど静かであることは、冷たいことではない。静けさは、無用の咎めを避け、誰もを正しい位置に置くためのやさしさだ。

「ボクも早く免許を取って車を運転したい」

 そう言う息子に私は目を細める。

 外の人は最後まで分からないかもしれない。不可避という言葉の重さも、誠意が記録される安心も、合唱の一拍目に全員で息を合わせる幸福も。分からなくていい。彼らの道と、私たちの道は別だ。

 私たちの道は清潔で、静かで、祈りに満ちている。猿は通りを横切り、私たちは道を譲れない。だから、祈る。祈りを怠らず、暮らしを乱さない。——この街では、それがいちばん人間的で、いちばんよくできた常識だ。私は胸を張ってそう言える。この街では、誰も間違うことはないのだ。

ChatGPTと対話しながら物語を構成しました。

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