第20話 周波数を合わせて
誕生日を迎えてから二日が経った。
今でもあの日のあたたかさは、胸にも記憶にもちゃんと残っている。
ランチ営業が終わり店内に静けさが戻ったころ。
私は満を持して、リュックの中から白い紙袋を取り出した。
「龍之介さん! ラジオ届きました!」
少し誇らしげに声を張ると、厨房の奥から顔をのぞかせた龍之介さんがわずかに目を見開いた。
「わざわざ持ってきたのか」
「持ってこなきゃ、お店には置けませんから」
とはいうものの、配達先を店にしてくのが一番スムーズでスマートだったかもしれない。
酔った勢いで買ったから、変更するのをすっかり忘れていたのだった。
──でも、いいや。
龍之介さんも心なしか驚いているようだし、ちょっとしたサプライズ感は増したかもしれないんだから。
「それじゃ、開けますね」
カウンター席に座って、私は丁寧に梱包を解いていく。
龍之介さんも厨房から出てきて隣に腰を下ろした。
「わあ……!」
箱の中から姿を現したのは、写真で見た通りのラジオ。
小ぶりでオフホワイトのレトロなデザイン。
でもBluetooth機能もついていたりで意外と最新式だ。
「思ってた以上にかわいいですね!」
「小さいから置く場所にも困らなそうだな」
龍之介さんの反応も悪くなさそうで内心ほっとする。
「えっと、使いかたは……」
説明書を開いた横で、龍之介さんはさっそく本体に手を伸ばしていた。
「取説、見ないんですか?」
「見なくても、なんとなくわかる」
──こういうところは大雑把な人なのかも。
几帳面で理知的な人だと思っていたから、ちょっと意外だった。
思わず笑みがこぼれる。
意外な一面を知れば知るほど、彼との距離が縮まっていくように感じられた。
龍之介さんがおもむろにつまみをクルッとひねった瞬間、ラジオからザッとノイズが走った。
そして、すぐに陽気なしゃべり声が店内に広がっていく。
「すごい! ほんとにラジオだ! 初めて聞きました!」
「俺も。ラジオなんて、まともに聞いたことなかった」
ふたりで耳を澄ませる。
パーソナリティの明るい声と、時折流れる音楽。
不思議と肩の力が抜けていく。
──ノスタルジーっていうのかな。
スマホで見る動画や聴く音楽とは全然違う温度感。
龍之介さんも、穏やかな表情でラジオに耳を傾けている。
──この音が、龍之介さんの退屈な時間をちょっとでも減らしてくれたら。
そう思って選んだラジオ。
なんとなくだけど、思い描いていたものが現実になったような気がした。
しばらく聞き入っていると、ポケットの中でスマホが震えた。
一定のリズムで重なる振動。
メッセージではないことがわかって、スマホを取り出し画面をのぞく。
──あ。
叔父からの着信だった。
働きはじめた最初のころは、日報を送るとすぐに電話がかかってきていた。
今ではすっかり信頼されているのか、それもなくなっていたから、こうして連絡があるのはちょっと珍しい。
「叔父さんから、みたいです」
龍之介さんのほうへ画面を掲げると、彼はカチッとラジオの電源を切った。
「止めるか」
「……すみません」
せっかくの時間が中断されてしまって、ちょっと不機嫌な気分になってしまう。
私は小さくため息をついて着信ボタンを押した。
「もしもし?」
《もしもし、お疲れ様。今日も大丈夫だったか?》
「うん」
《よかったよかった。常連からも、『美味しい』って連絡もらったよ。それでさ、陽奈……》
電話越しの叔父の声は妙に明るくて、私の気持ちとは正反対に聞こえた。
そこまま、どんどんテンポよく続いていく。
《腰もだいぶよくなってきたから、来月からまた店に立とうと思ってるんだ。陽奈も大学始まる時期だろ? 今まで、ほんとうにありがとうな》
「……え」
あまりにあっさりと言われて瞬時に言葉が出なかった。
「……あ、えと……とりあえず、腰よくなったみたいで安心したよ」
《そうなんだよ。まだ全快じゃないけど、コルセットをすればなんとか……》
叔父は楽しそうに話し続けているけれど、私の耳にはもう何も入ってこなかった。
浮かない顔をしているからだと思う。
龍之介さんが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「……叔父さん、ごめん。また掛け直してもいいかな? まだちょっと終わってないことがあって」
《ああ、それは悪かった。じゃあ、またゆっくり話そうか》
「うん」
耳元からスマホを話す。
手ひらの中にある液晶が鉛みたいに重く感じた。
「秀明さん、なんだって?」
龍之介さんの問いかけに、私はやっとスマホから視線を上げた。
「……腰もよくなったから、来月から店に戻るって」
突きつけられた当たり前の現実に胸がぎゅっと苦しくなる。
──わかってた、つもり……。
ずっとこのまま、なんて──いられるはずがないんだ。
「そうか。回復してよかった。休業する前は、ほんとうに辛そうだったからな」
龍之介さんは厨房を眺めながらそう言った。
叔父にはきっとわからない。
彼がこの店をずっと見ていたことを。
ひとりで切り盛りする叔父の姿。
賑やかな店内とその裏にある苦労。
龍之介さんは、どんなふうに見ていたんだろう。
なにを思って、なにを感じていたんだろう。
いろいろな思いが交差して、どう言葉を切り出せばいいのかわからずにいると。
「この店も……また静かになるな」
目を伏せた龍之介さんがふいに呟いた。
その言葉に、じんと胸が打たれる。
叔父が戻ってくるとなれば今以上に客も入るし、厨房も忙しくなる。
静かになるどころか、店内は昔みたいに賑やかになるはず──なのに。
──龍之介さんも、私と同じ気持ちなのかな……。
同じじゃなくても、彼もほんの少しくらいは寂しいと思ってくれいるのなら。
もしかしたら、ただの自意識過剰かもしれない。
だけど、そう思ったら居ても立っても居られなくなった。
「ちょっと叔父さんに電話してきます!」
スマホを握りしめて、一直線に店の外へと飛び出した。
⁂
数分ほど叔父と電話して、店内へ戻る。
龍之介さんはラジオをいじっていた手を止めて、こちらに顔を向けた。
「龍之介さん! 私、土日のランチだけ働き続けることにしました!」
少しだけ息が弾んでいた。
その勢いのまま彼に告げる。
「叔父さんからも、無理ない範囲でってことで了承を得ました! だから、来月もよろしくお願いします!」
すると龍之介さんは少し驚いたように目を瞬かせて、すぐに小さく笑った。
「……そうか」
呆れたような、でもどこか嬉しそうな表情。
──今まで通りじゃなくてもいい。
もう少しだけ。
あなたのそばにいたいって、そう思った。
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