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第18話 知りたいけど、触れられない


 グラスを揺らしながら、ぽつぽつと会話を交わす。

 お酒のせいか、龍之介さんとの距離がいつもよりずっと近く感じられた。


「龍之介さんが初めて飲んだお酒って、なんだったんですか?」


 興味のままに(たず)ねてみる。

 龍之介さんは少し考えるそぶりを見せてから、うっすら笑みを浮かべた。


「ビール」

「うわあ、やっぱり男の人ってビールからいくんですね」


 (すばる)もそんなことを言っていたのを思い出して思わず笑ってしまう。

 二十歳を迎えた男性の通過儀礼のようなものなのだろうか。


「苦くなかったですか?」

「苦かった。でも、それもそのうち慣れて、生前はよく仕事終わりに飲んでたな」


 ──生前……。


 その一言が胸に刺さった。

 今まで意識していなかったけれど、私は龍之介さんのことを何も知らない。

 産まれも、歳も、この店で働いていた理由も、どうして──もう生きていないのかも。


「龍之介さんて……今、何歳なんですか?」


 自分でも驚くほど、すんなりと口をついていた。

 お酒と夜の空気が少しだけ私を大胆にしたせいだ。

 

 だから、言ってしまったことに後悔した。

 もしかしたら龍之介さんは自分のことを語るのがあんまり好きじゃないかもしれない。

 それに「歳を聞く」なんて、生きている人に対する質問だ。

 

 なにか違う話題に変えようと考えていると。


「二十七。生きてたら、二十八だな」


 あっさりと答えてくれた。

 だけどグラスに落としている視線はここじゃなくて、戻らない過去を見ているようだった。


 ──あ……これ以上、龍之介さんの過去を聞くのはよそう。


 火照っていた頬からすっと熱が冷めていく感じがして、私は慌てて話題を変える。

 

「そしたら……! 龍之介さんって、一人のときって何してるんですか?」

「俺?」

「はい。なんかこう、オフの龍之介さんって想像つかなくて」


 すると龍之介さんは少しだけ眉を上げて、それからグラスの中身を揺らしながら言った。


「特別なことは何も。バックヤードで寝転んだり、本読んだり、気が向いたら適当に料理をしたり」

「……なんか、すごい地味ですね」


 別に、華やかな過ごしかたを想像していたわけではないけれど。

 大人でかっこいい龍之介さんも、案外普通の過ごしかたをしているんだなって思うと少し可笑しくて、愛おしくなった。

 

「悪かったな」


 さっきよりも深く口元に浮かんだ笑み。

 その笑顔に張り詰めていた空気が少し和らいだ気がした。


「本は? どんなの読むんですか?」

「時代劇ものが多い。この店に置いてあるものだから、秀明(ひであき)さんの私物だけどな」

「あー、叔父さん世代が読みそうですもんね」

「もう全部読んだから内容も頭に入ってるが、暇つぶしにちょうどいい」


 龍之介さんはさらっと言った。

 だけど幽霊になってからの一年間。

 ここにいるのに誰とも話ができず、どこかに出かけることもできない。

 ただバックヤードで同じ本を繰り返し読むだけの日々。


 ──そんなの、辛すぎるよ……。

 

 想像しただけで胸がちくりと痛んで、私は咄嗟に声を弾ませた。


「……なら! 私、新しい本買ってきます!」


 スマホも持てない、テレビもない。

 だったらせめて、何か気が紛れるものを。

 そんな気持ちでぽんとひらめいた提案だった。


「いや、気持ちだけでいい。それに、活字を読むのはあまり得意じゃない」

「え、意外……」

 

 佇まいも、言葉遣いも、髪型も相まって、文豪って言ってもおかしくないのに。

 ギャップに少し驚きながらも、知らなかった龍之介さんの一面を知れてどんどんと嬉しくなる。


「じゃあ……、ラジオ! ラジオとかどうですか!?」


 龍之介さんの目が見開かれた。

「変なこと言い出した」とか「迷惑だ」とか、そういう拒絶の色はなくて。

 ほんのわずかに驚いているような、そんな表情だった。


 ──イヤ……じゃなさそう!


 すぐさまポケットからスマホを取り出してラジオの値段を調べる。

 性能はピンキリだろうが思ったよりもずっと安い。

 スマホやテレビはさすがに買えないけど、ラジオなら買える。


「龍之介さん! このラジオなんてどうですか!?」


 スマホの画面を差し出しながら、私は身を乗り出すように言った。

 

 ──余計なお世話かもしれない。


 けど、龍之介さんが一人で過ごす時間が少しでも明るくなれば。

 そんな一心だった。

 

「気を使わなくていい。もうこの生活にも慣れた。それに……」


 言いかけたところで龍之介さんの目線がふいっと逸れた。

 さらりと落ちた髪が横顔に影を作っていて、表情はうまく読み取れない。


「それに?」


 聞き返すと、龍之介さんはかすかに笑って首を小さく横に振った。


「いや……、とにかく大丈夫だ。本当に、気持ちだけでいい。その金で遊んだり、趣味に使ったりしたほうが有意義だろ」

「龍之介さんの退屈な時間が少しでも減るなら、それはもう有意義な使いかたです!」


 胸を張って言い切った。

 だけど龍之介さんは黙ったまま、しばし沈黙が落ちる。


 ──あ、また調子に乗ちゃった……?


 焦った瞬間。

 くっくっと吹き出すような低い笑い声が耳に届いた。


「お前は、本当に変わり者だな」


 いつも以上にくすぐったくなるような口調だった。

 このセリフを聞いたのは、今日で三度目。

 嫌味とかじゃなくて、たぶん龍之介さんなりの褒め言葉。

 料理のことはまっすぐ褒めてくれるのに、私自身のことになると、こうやってちょっと斜めから褒めてくる。

 でもそこが不器用な龍之介さんらしいと思った。


「じゃあ、このラジオ買っちゃいますね!」


 龍之介さんが何か言いかけるよりも早く、私は勢いのまま購入ボタンをタップする。

 三千円もしない、ちょっとレトロチックなデザインのラジオはレビューも悪くないし届くのも早そうだった。

 

「……これじゃ、どっちが誕生日なのかわからないな」


 呆れたような、でも少しだけ笑っている声。

 

「これは日頃お世話になっているお礼だと思ってください! いつも、ありがとうございます!」


 感謝を伝えたくて、どうしてもなにかしたくて。

 それが少しでも伝わってほくて、声が知らず知らず大きくなる。

 すると龍之介さんはまた吹き出したように笑った。


「何か……変ですか?」

「いや、全然」


 龍之介さんが目を細めている。

 その柔らかい表情をぼんやりと眺めながら、私も目を細めた。

 

 ──ああ。ちゃんと伝わった、んだ……。


 心も体も、ほわんと全部があたたかくなった。

 ふわふわした幸福感が私を包み込んでいる。

 グラス越しに見る景色は、万華鏡みたいにきらきらと色を変えて見えた。


 ──このまま時間が止まってくれたらいいのに。


 神様がいたら。

 魔法を使えたら。

 

 ──ううん……。

 

 叶わなくても、この先も彼がいてくれるなら。

 きっと、それでじゅうぶん。

 

 ぼんやりとした頭で、私はうつらうつらとそんなことを考えていた。

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