第16話 お開きして、その後
プレゼントを開けたあとも、おしゃべりしたり、ケーキをつついたりして、楽しい時間が流れていった。
気づけば缶の中身も空になっていて、テーブルの上にあったケーキの姿もすっかり消えている。
お腹いっぱいで残してしまうかもしれないと思ったけど、「甘いものは別腹だよね」なんて笑いながらほとんど楓花と私の二人で平らげてしまった。
「うわ〜、酔ったかも〜」
突如ひょうきんな口調でそう言ったのは、顔を真っ赤にした昴。
ふらふらと揺らしている体と、ふにゃっとした顔は緩みきっていて、なんだか眠そうな子どもみたいだった。
「もう。だから、ゆっくり飲めって言ったのに」
「いやいや、これくらい平気だって……たぶん……」
呆れた声で楓花がたしなめると、昴はへらっと笑いながら口元だけで軽く反論する。
レモンサワーを二本とハイボールを一本。
すでに三本も飲み干している昴は、明らかにできあがってきていたようだった。
お酒が飲めるとはいえ、昴だってまだ二十歳になったばかり。
飲めるようになってからまだ二ヶ月ちょっとしか経っていなかった。
さすがに今日はペースが早すぎたのかもしれない。
「あー、こりゃダメだわ」
「いや〜、ダメじゃないって」
そう言ってみせるものの目はまどろんでいて説得力はゼロだった。
「昴、もう帰るよ。歩ける? ほら、立って」
「う〜ん。歩く……歩ける。たぶん」
「たぶんじゃなくて、ちゃんと歩いて。陽奈のお店で寝るわけにいかないでしょ」
楓花が昴の腕を引っ張りながら私のほうに真剣な顔を向ける。
「陽奈は絶っ対、こんなふうになっちゃダメだからね」
たしかになりたくはないな、と思いながら私は「あはは」と渇いた笑いを返した。
だけど、昴の脱力感も今ならわかる。
体がふわっと宙に浮くような、頭がぽわっと幸福感で満たされるような、これまでに味わったことのない感覚がしていたからだ。
それでもはっきりと意識はあるし、ちゃんと地に足もつける。
酔いきっていないのは、どこかで酔っ払うことへの不安がまだ私を引きとめているからかもしれない。
──それに、片付けもしなきゃだしね。
散らかしっぱなしで帰るわけにはいかなかった。
だって、もしそうしてしまったら龍之介さんに迷惑がかかってしまうんだから。
それでもすでに楓花がゴミをまとめてくれたり、洗い物をシンクまで運んでくれたりしていたおかげで、残っているのはほんの少しだけ。
料理がうまい人ってこういう段取りもちゃんとしてるんだなあ、と私は改めて楓花の気配りと手際のよさに感心した。
「ごめんね、陽奈。片付けも中途半端になっちゃった」
昴の腕を掴んでいる楓花が扉の前で申し訳なさそうに振り返る。
「ぜんっぜん! ほんと、今日はいろいろとありがとう! もう絶対忘れない誕生日になった!」
心の奥底から出てきた言葉。
本当に楽しくて、あっという間で、夢みたいな一日だった。
「私も、楽しかった!」
楓花もにっこりと笑顔で言ってくれた。
「陽奈は一人で帰れそう?」
「うん、大丈夫」
まだ少しお酒が残っているのか頬がぽかぽかしているけれど、ちゃんと歩けるし、意識もはっきりしている。
それに酔っ払ってふにゃふにゃになっている昴を見ていたら──彼には悪いけれど、なんだか酔いも覚めてきた。
「そっか。まあ、陽奈なら大丈夫だと思ってる」
楓花は昴の腕をしっかりと抱え直して、またにこっと笑った。
「陽奈〜、おめれと〜」
ろれつの回っていない昴がぶんぶんと手を振る。
その姿に、楓花と「やれやれ」と軽く笑った。
「昴も、ありがとう。気をつけて帰ってね」
「おう〜」
二人の話し声と靴音が徐々に遠ざかっていく。
見えなくなるまで扉の前で見送った。
パタン、と扉を閉めて振り返る。
さっきまで笑い声が飛び交っていた店内は、今はしんと静まり返っていた。
だけど、その静けさが寂しいわけではない。
心の中はケーキに立てられていたキャンドルの火みたいに、小さいぬくもりが灯っていた。
⁂
私はひとりテーブル席に座って、三人で過ごした時間を振り返っていた。
──楽しかったなあ。
ふふっと笑みがこぼれた、そのとき。
「楽しかったみたいだな」
ふと聞こえた声に顔を上げると、龍之介さんがテーブルのそばに立っていた。
穏やかな声にやさしい微笑み。
体中にアルコールとは違う熱がじんわりと広がっていく。
「はい、すごく楽しかったです! 龍之介さんも、ありがとうございます!」
気持ちがあふれるまま、思いきりお礼を言った。
「ハンバーグも、じゃがいものラザニアもすごく美味しかったです! 二人も『美味しい』って絶賛してて、箸が止まりませんでした!」
一番最初に空になったのがラザニアで、その次がハンバーグ。
偏りなく食べていたつもりだったけれど、やっぱり美味しいものから順番に消えていった。
「でも、うるさかったですよね。迷惑……じゃなかったですか?」
さっきの賑やかさを思い返し、急に不安になる。
笑いすぎていたかもしれない。
騒ぎすぎていたかもしれない。
龍之介さんは、どう思っていたのだろうか。
「賑やかな席には慣れてる、と言っただろ。それに……」
彼はそこで言葉を切った。
一瞬静けさが落ちて、目が合う。
龍之介さんの瞳はゆらゆらと灯火みたいに揺れていて、不思議なまなざしだった。
「お前の底抜けに明るい笑い声は、嫌いじゃない」
呆れ笑い──とは少し違う、からかうような微笑み。
「底抜け、ですか」
なんだか、すごく変な褒め言葉。
だけどその言葉を反芻していると、顔が自然とほころんでいく。
迷惑そうな顔ひとつせず、そうやって返してくれる龍之介さんの言葉がとても嬉しかった。