第14話 小さな灯火に大きな幸せ
誕生日会が始まったのは、夕暮れ時を過ぎて街の灯りがぽつぽつと輝きはじめたころだった。
それはケーキに火が灯ったロウソクみたいに揺らめいて見えて──なんて言ったら大袈裟かもしれない。
それでも、今日という日が自分にとって特別なんだと思えた。
「それでは、陽奈の誕生日を祝して……かんぱーい!」
「かんぱーい!」
昴の声に合わせて、私と楓花がグラスを持ち上げる。
コツンと控えめにぶつかる音が祝宴が始まる合図みたいに響いて、段々と気持ちが高まっていく。
いきなりアルコールを飲むのは気が引けて、私はオレンジジュースを選んだ。
楓花は烏龍茶。
先に二十歳になっていた昴だけが缶のレモンサワーを手にしていた。
テーブルの上には、二人が買ってきてくれたピザやチキン、フライドポテトにスナックなどが置かれている。
その真ん中には、龍之介さんが作ってくれた料理がしっかりと居場所を確保していた。
「冷めないうちに食べよう!」
そう声をかけて私はラザニアにスプーンを差し込む。
──ん?
ラザニアらしくない、サクッとした感触がスプーン越しに伝わってきた。
わずかに首をかしげながら皿に取り分けて、私はその違和感の正体に気づく。
取り分けたラザニアの断面をまじまじと見た昴と楓花も、揃って驚きの声を上げた。
「お。これ、じゃがいも使ってるのか」
「ほんとだ。生地じゃなくて、スライスしたじゃがいもだ」
どうやら二人もただのラザニアじゃないと気づいたらしい。
新しいものを発見したような、そんな声色だった。
「美味しそうじゃん! 私、こういうラザニア初めて食べるかも」
楓花が「いただきます」とスプーンを口へと運ぶ。
その一口を見届けるようにしてから、私と昴もそれぞれのスプーンを手に取った。
濃厚でとろけるベシャメルソースのなめらかさと、しっかり煮込まれたミートソースの旨味。
その間に敷かれたじゃがいもが、さくりと口の中でほどける。
驚いたのは、じゃがいもにまったく水っぽさを感じないことだった。
たぶんスライスしたあとにプリベイクして余分な水分を飛ばしたんだろう。
下茹でだと水分を含みすぎてしまい、仕上がりはもっとベチャッとしたものになっていたはず。
手間のかかる工程だけどこうして口にすると、それだけの価値があると実感する。
──ここまで、こだわってくれるなんて。
自分のために手をかけてくれたことが、ただただ嬉しかった。
「……うん、全然イケる! うまい!」
「ほんと、美味しい! ソースはもちろんだけど、じゃがいもの食感もバッチリ!」
出来上がりを見たときには気づかなかったけれど、よく考えれば、うちの店にはラザニアの生地なんて置いていない。
買い出しに行けない龍之介さんが、あるもので工夫してくれた一品だった。
──すごいなあ。
感動のあまり、バックヤードにいる龍之介さんに「ありがとうございます」と声をかけに行きたくなってしまった。
「陽奈、これどうやって作ったの?」
皿を空にした楓花が尋ねてきた。
「あ、作ったのは私じゃないんだ」
「そうなの!? 誰?」
楓花が目を丸くしながら興味津々そうに身を乗り出してくる。
「えと……私の、師匠みたいな人」
私は照れ隠し気味に答えた。
たしかに師匠みたいな人だけど、それよりも。
──私の……好きな人。
そう思った瞬間、顔がわずかに火照ったのがわかった。
「ふぅん。陽奈の師匠ねえ」
楓花はなんだか意味深そうに含み笑いをしている。
言葉の端にほんの少しだけ、からかうような色が混じっていた。
「……男?」
楓花の隣から、ぼそっと声がもれる。
そう言った昴の声は心なしかいつもより低いものに聞こえた。
だけど私はその理由を考えようともせず、気持ちのままにはにかむ。
「うん、男の人」
「へえー」
一瞬だけ彼の箸が止まった。
でもすぐに何事もなかったかのようにピザに手を伸ばし、放り込むように口の中に入れてみせた。
昴のことだから次に何を食べようか迷っただけかもしれない。
「実はね、ハンバーグもその人が作ってくれたんだ」
あふれそうになった気持ちを私はそのまま言葉に乗せていた。
ラザニアの隣に置かれた小ぶりのハンバーグを見つめる。
視線の先にあるのは料理だけれど、心の中では厨房に立つ龍之介さんの姿が浮かんでいた。
「じゃあ、絶対美味しいやつだね!」
楓花が満面の笑みを向けていたので、私もつい頬をゆるめて「うん」と返していた。
⁂
たっぷり食べて、たくさん笑ったあと。
ひと通り片付けたテーブルの中央にようやく主役のケーキが登場した。
きめ細かい真っ白な生クリームの上に、宝石みたいな苺がきれいに並べられているショートケーキ。
中央には「happy birthday」と書かれたチョコプレートが添えられている。
そのすぐ隣には、小さな灯を待つように「20」のナンバーキャンドルがそっと立っていた。
「じゃあ、始めるか」
電気を消して、暗くなった店内。
スマホのライトを頼りに昴がナンバーキャンドルに火を灯していく。
「よし、準備オッケー」
ふっとライトが消えた瞬間、小さな炎の揺らぎだけが店内を照らした。
たった二本しかないのに、そのキャンドルの光はどんな光よりもあたたかくて、綺麗で、柔らかい。
楓花が昴と目を合わせ「せーのっ」という掛け声とともに「ハッピーバースデー トゥー ユー」と歌い出す。
私も手拍子を打って歌声に応えた。
ケーキと二人の笑顔がぼんやりと浮かび上がっている。
歌声はゆっくりと続いていく。
喜びと照れくささが込み上げてきて、手拍子も自然と大きなっていた。
──きっと、この日を忘れない。
この一瞬が幸せのかたちとして心に刻まれていくようだった。
最後のフレーズが終わって、大きな拍手が店内に響く。
私は二人の顔を交互に見つめて、そして幸せも一緒に吸い込むように小さく息を吸った。
──ふぅっ。
キャンドルの炎が大きく揺らめいたあと、ふっと静かに消える。
再び暗くなった店内。
だけどそこには、あたたかい余韻が広がっていた。