モルモットの夢
あなたは自分が世に生を受けたと自覚した日の事を覚えているだろうか。看護師に抱き抱えられた瞬間? 産まれたての弟や妹を撫でた時? それとも転んで膝を擦り剥き泣いた日?
多くの人はきっと、「物心が付いた時だ」とさえ答えられない筈だ。子供心に「私は今、生きている」などと自覚出来たなら、その子は精神的な成熟速度が極めて早いか、或いは前世の記憶を引き継いで産まれたのかも知れない。
斯く言う私は物心が付く事自体、他人よりも一段と遅かった。思った事は直ぐに口を衝き、相手の心象などお構い無しに本心を羅列する――そんなどうしようもない少年時代だった。
それでも良くしてくれた友人達には感謝しか無い。その御陰で今の私が居るのだから、文句などあろう筈も無い。
私は自分の過去を振り返った時、物心が付いたとはっきり言えるのは中学生になってからだ。唯、入学して暫くは相も変わらず、「思考」と表現するのも憚られる程浅い感覚を言葉にして生きていた。
それが祟り家に引き篭もる事となるのだが、その時は10年後も碌に外出せずニートになっているなど、思いもしなかった。その10年でバイトも経験したし、出来るとの思い込みで未経験のスポーツへ手を出そうともした。
もしも人造人間になれる擬似体験が有ったなら、きっとあんな感覚で生活する事になるだろう。それが本当に自分の言葉だったのか、本心で話していたのだから疑いようは無い筈なのだが、それでも今思うと疑問が浮かぶというのはまるで見えない何かに支配されていたかのようだ。
そしてその支配は夢にまで及ぶ――ある日、強烈な既視感に襲われた私はそこで数秒、固まった。
何かを思い出せそうで思い出せない時の苛立ちと、ゲーム中に敵との戦闘で負ける1秒前の硬直とを合わせて数倍に伸ばした様な、そんな感覚。
何処かで見た事がある画像と現実が見事に重なって、脳が強烈に何かを訴えてきた。その何処かが夢だという事を確信した理由はとても言語化するに難いものだが、簡単に言えば直感だ。他にそれと重なる記憶があれば迷いもしただろうが、私は既視感を覚えるまで夢以外ではその場面を見た事が無かった。
これが私の体感した所で言う、正夢である。だがそれにより私の脳が訴えようとしているのが何なのかまでは分からなかった。
ある時は地元のローカル番組に、まだ売れる前のタレントが出演している所をテレビで見ているだけ。またある時はアプリゲームを遊んでいるだけ。特に自分の操作キャラクターがピンチであるとか、その様な事は無かった。
それでも夢が正夢になった事に当時の私は大興奮して、それが起きる度に脳が痺れるあの感覚を楽しんでいた。
今ではその感覚も殆ど無くなり、「今のは……もしかして正夢だろうか?」と確信が持てない位に慣れてしまった。いや、敢えて慣れという言い方ではなく、漸く理性が追い付いたと言わせて貰おう。
予知夢、ゾーン、危機察知能力――此れ等第六感の類いは、それそのものが衰えるのではなく、それに対して年齢と共に人が精神的、肉体的に鈍くなる事で失われていく物と私は考える。例えば予知夢なら、どれ程歳を重ねようとも睡眠時に夢を見て、且つそれがワンプレートに食べたい物をぎゅうぎゅう詰めで盛った子供のビュッフェの様な物なのか、将又現実に即した物かを判別する必要が出てくる。
これがまた気の触れそうな作業なのだ。間違い探しをやった事がある人なら少しはイメージし易いだろうか――私を例にすると、先ず数秒単位の夢を見せられて、目が覚めたら成る可く早くそれを「問題であろう映像」と「どうでも良い映像」との境い目で分ける所から始まる。
此処で「問題であろう映像」かどうかを区別する為に間違い探しをするのだが、これの難易度は恐らく世界で最も難しいだろう。画像ではなく時間制限付きの映像である事、見比べられる映像が存在しない事、仮に見比べられる映像が渡されたとして、その時は答え合わせが行われる時だという事が理由だ。
私の頭の中には何方にも区別出来なかった特徴的な夢が溜まっていく。この作業さえも忘れてしまった時、私もまた世間で言われるボケた老害となり、寝覚めるや否や、夢に見た有りもしない出来事を思い込みで周囲へ語り出すのかも知れない。
そうなってからでは笑って聞いてくれる人すら居ない気がして、だから此処に、其れ等を供養しようと決めた。
布団に篭り朝起きて、夢を思い出す――これが毎日している私のルーティン。夢が五感を刺激する日が珍しく無いと気付いた時、私はその睡眠環境を改善する事を止めた。
後述する其れ等の夢を見た時、私は働いていなかった。だから出来た芸当とも言える。睡眠の質を犠牲にして得られる物など高が知れているが、生活環境、時間、身体、人間関係――少なくとも既に此処までを引き換えに出来る見込みがあるなら、やってみると良い。但し推奨はしない。
先んじて私が得られたのは面白い、不気味、或いは啓示的な内容の「夢」だけ。それを得る為に意図してやった訳では無く、代償と対価が吊り合っているかどうかは人によるが、私は生まれ変わってももう一度同じ人生を歩みたいとは思わない。
正夢とは間違い探しの回答が導き出せず、答え合わせをしている問題である。どんなに未来が見えていたとて、結局そこには過去しか無く、正夢となる限り危機察知能力の――人間の神秘の延長線に留まる。
だが予知夢は違う。後者には回答する時間が残されている。正夢の一種として未来の映像を見せてくれるそれは、肌身離さず答案用紙を持っているだけで採点を免れる事が出来る「魔法のアイテム」なのだ。
それは要するに未来を変えられる可能性さえも秘めているという事。
本来の答案用紙は採点されて然るべきなのだが、それを回避した所持者が居たならこう思った事だろう――私だけ採点されていないが、これで良いのか……。
それで良いのだ。未採点の答案用紙を隠さずに持っているという事は、恵まれた環境で育ってきた証である。
私の住まう国ではそれは採点したら親に見せるのが一般的。隠せば親や教師を問わず大人に怯える始末。そんな調子だから採点をしないでいるのは悪事を働いたのと同義で、実質不可能だった。
しかし、その不可能を少数派として可能にした時に世界の見え方が変わる感覚こそ、未採点の答案用紙所持者が抱く不安を私が肯定する根拠となる。
そして肯定材料がもう1つ。これはある夢を考察した結果辿り着いた推論なのだが、私自身とても心躍る物だったのでこの場に記したい。
コンクリート製の様な半壊した建物の内部へと進入する所から、この夢は始まった。側には共に行動する2人の人物が居て――左前に1人、右前に1人。左前は男性、右前は若年層の女性という印象――私は彼等を仲間と認識していた。
彼等は私と何かを話しながら辺りを警戒している様子だった。それまでにも移動を続けてきた印象は受けたが、夢として映像が見え始めたのは建物へ着いた所からだった。
段々と映像が浮かび上がってくると、私の異変を察知したのか女性が何度も私を呼ぶ。私は直前まで平気で行動していた筈であり、一切怪我や持病といった感覚は無く、仲間が私を呼ぶ声には喜びさえ感じられた。
それは不思議な問い掛けだった――「オタックさん!? オタックさんなんですね!?」と。(実際には違う名前で呼ばれていたかも知れないが、此処では便宜上オタックとする)
今の今まで行動を共にしていたとは思えない問いである。共に建物内部へ飛び降りた感覚はあったのだが、あれは私の勘違いでファンタジーの様な異世界と通じる門から私1人が飛び出し、突然その場に現れただけだったのだろうか。
彼女の問いに私が朧げな意識の中でそうだと答えると、彼等の中で再会への期待が確信へと代わった様に、私も彼等が再会を期待してくれていたのだと確信する。
一向に何も思い出せない私へ、喜びを表に出して何かを教えようとした男性。だがその場も安全でなかったらしく、女性は直ぐにそれを制して先へと先導した。
次に足を止めたのは24畳程の広さに壁の一面が崩壊した、扉以外何も無い空間。
そこで私は、この世界の真理を聞いていた印象を受けた。それ以外の事は何も。もしかしたらそれ以外聞かされていなかったのかも知れない。
もしあなたが私なら真理を前にそれ以外が気になったか? 私はならなかった。そう、故に余計な事は全て忘れてしまったのだと今は考えている。その世界に溢れた怪物の正体も、荒廃し切った世界の姿も、埃を被った引き出しの奥底にではあるが、確かに仕舞われている。
この夢から覚めた私は脳を覚醒させるのも、再び眠りに就くのも拒んだ。我ながら器用なもので、夢で見た映像を維持しつつ其処へ極力思考による雑音を発生させないで、睡眠時の感覚を言語化する作業をし、その後に伸びをして覚醒へと至る。
思考による雑音無しの言語化など矛盾もいい所であるが、冒頭でも話した通り、私は極めて直情的で思った事を躊躇い無く喋ってきた。
どんなに拙くても、言葉の用法が誤っていても良い――感情を透かさず形にする事については人一倍長けていたのだ。
こうすれば刻一刻と薄れていく夢をそこでの五感を通じて記憶する事が出来る為、現実での体験を記憶するに等しい扱いで脳に留められた。
前述した五感を伴う明快な夢を見る方法と合わせて、此れも試そうなどという物好きな諸君の為にコツを挙げておくと、「強制的な目覚めを迎えない事」にある。朝日や目覚まし時計がその代表格となるが、奴等は五感からだけでなく、此方の二次的行動を引き起こして脳の覚醒を促してくる。特に目覚まし時計、お前は駄目だ。
時間にしてどれ程が経ったかを確かめる術も無い。実は夢から覚めたと勘違いしていただけで作業までは全て明晰夢であり、たった今寝覚めたのかも知れない――それ位で丁度良い。
そうして夢から覚めた時、諸君も私の様に傑作極まる推論へ辿り着く日が来ると願おう――「我々は思念体として器を転々とし、そのトリガーは死である」というそれを超えた推論へと。
私はその夢の言語化が済んだ時、そこへは何度も生まれ変わっていて2人の仲間が生まれ変わり等の真実を知っていたと理解した。
可能なら彼等に直接会って質問責めにしたい所ではある。死んだ筈の私は何故生きていたのか。転生について何処で知り、又嘗ての私は何と言っていたのか。
確かなのは私が夢を見る前から彼等と行動していた人物が居て、私はその人物の視点で夢を見て、私が乗り移ったその人物を途端に彼等は別人格の様な扱いで接した、という事だ。
私にはそのロボットがAIによって動いているのか、将又裏で人が操作しているのかを見極められる自信は無い。私が憑依したか否かを見分ける方法まで有していたとすれば、彼等は人間の人生より遥かに長い時間を生きている可能性すらある。
そして、私が夢を言語化する際に余計な想像や妄想を混ぜていなかったとしたら、彼等の中で私の転生は周知の事実となる。
残念ながら私には見る夢を意図的に操る事も出来なければ、臨死体験をして死へ近付いてみようとさえ思わないので、これら不明瞭な要素を真実であると仮定し、その結果行き着いたのが「我々は思念体として器を転々とし、そのトリガーは死である」という推論な訳だ。
この世界はVRなのではないかという議題を耳にした事がある。指先だけでなく全身を使い行動でき、物に触れれば感覚があって、やり直し不可能という一度きりの人生を今正にこうして生きているのだから、この議題を提唱した人物は現実逃避主義者に違い無いと、そう思っていた――少なくともその夢を見るまでは。
世の中には様々な「救済」の形が存在する。それは神そのものであり、愛であり、金であり……そして死であり、終末。
人が弱い生き物である事は明白だ。生きる活力は希望から生まれ、希望の根源を断たれたら存在しない物を信じ込んででも復活しようとする偏屈な強さを持っている。
動物としては偏屈でも人間の強みは其処にあり、その偏屈さが他に依存するが故に人は脆い。
自ら命を絶つという愚行に同種間での殺戮――地球の災害がそうであると言われる様に、これらも最早自浄作用なのではないかとさえ思えてくる。
そんなどうしようも無い世界に救世主が現れた時、人はその者を語り継いで神と呼んだのだろう。再び救世主が現れるという予言は終末を繰り返すと悟った先人から未来を生きる私達への、細やかな贈り物だ。
動画配信サイト等のSNSを通じて、より多様な創作活動に触れる機会を得た現代社会では予言者の存在も比較的身近になった。歴史上の人物達が残した予言は的中の実績が霞んでしまう程に、外したとされている内容が悪目立ちする。
そんな中で平然と的中させてくる現代の予言者は、終末が来るという希望を抱いた人々にとっての救世主であり、彼等の予言は救済とも言える。
その希望を抱いた人々が果たして予言を元に未来を変えようとするのか、将又救済されたとしてその言葉を受け入れるのかは、規模によると私は考える。
告げられたのが個人の未来か種としての人の未来か、それとも地球規模の未来かではまるで実感が異なり、規模が大きくなる程にそれを意識して行動する人の数は減る筈だ。
私は自分がこんなであるから、予言の存在を否定しない。予言に縋っている人々は元より、話し半分にそういった話題を聞いている人からも「戯言だ」と安易に嘲笑する声は減りつつある。それ程に予言は信憑性を増しているのである。
そんな予言だが、地球に訪れる大災難についてのものは最も注目度が高い。隕石、太陽フレア、大津波――どんなに抽象的な表現の予言で有ったとしても、その文言が地球に降り掛かる様相を呈していれば誰彼問わず気にはなるだろう。
過去の物となって初めて振り向かれた大規模な予言に「魔法のアイテム」としての価値は無いが、影響力を持って未来を迎えるそれは最も多くの人々を団結し、逆にバタフライエフェクトに基づいた長期予測が困難となる程、同時多発的に未来を変える可能性を持つ。
これは一見すると良い事の様にも見える。もしも人類が滅ぶ、地球に隕石が衝突するといった予言の通りになるとして、1人でも多くの人々が行動に際しそれを意識したとしよう。
当然、彼等は自分に出来る事をしようとする。国外避難、シェルターの建造、商品の買い占め――金に支配されては未来の根本的な改変には至らない。彼等はそう、まるで研究室のモルモット。
だが決してその限りでは無い。稀にではあるが、現れるのだ――研究室を脱走しようとする個体が。
これぞ正に神の気まぐれ。電子キーの複雑さを理解出来る筈も無いモルモットが、偶々自分のゲージだけ開いていたからと言って、周りの奴等を後目に出口を探し始める。
突き進んだ先に研究室の外、延いては窓から見えた自然の世界への脱出を夢見たか、高確率で連れ戻され、運が悪ければ不手際で殺される事を知って尚猛進する、自分勝手な愚か者。
そうして万が一、天文学的な確率を潜り抜け脱走した個体は、果たして研究所を――同種を顧みるのか。
それはNOだ。土の匂いを嗅ぎ、太陽の光を浴びて、天敵を警戒しながら世界の広さをその脚で体感していけば、狭くて退屈な研究室の事など直ぐに忘れてしまうだろう。
本当にその個体が自分の居た研究所の実験動物を気に掛けていたなら、脱出は1匹でするのではなくそれを望む全ての実験動物を率いて行われた筈である。
ではそうすれば良かったのか――それもNOだ。確かに1匹だろうと施設の実験動物丸々だろうと、残された彼等の未来は変わる。脱走は事だ。ともなれば二度と起こらぬ様、一層管理体制が強化されるのは容易に想像がつく。
そして脱走したモルモットには知る由も無いが、研究所は他にも沢山有る。脱走の規模が大きくなればなる程にそれが失敗した時は次の脱走のチャンスが塞がれるが、モルモットの未来を根本的に変える為には大規模な脱走が不可欠。更に言うなら、それは隔絶された全ての実験動物が1つのコミュニティを築いて、一度に成功させる必要のある無理難題なのだ。
たった1人では成し得ない、人類史上最大のレジスタンス。地上へ顔を出せば即座に眉間を撃ち抜かれてしまう世界を、地下に篭って何世紀も掛けトンネルを広げていく地道なレゴブロックの様な物。
……それは私の空想であり、夢の推論として聞き流して貰って構わない――私には其れ等の夢が本物であると証明する術さえ無いのだから。
唯私の突飛な話に興味を持ってくれたなら、後1歩で良い。どうか推論の深くに付き合って欲しい。
人がモルモットを研究室へ閉じ込めている様に、「何か」も又、我々を地球という研究所で観察していたとしたら――。
私は自分達の正体を意識に見た。思念体こそが我々の本質であり人間とは数ある器の1つに過ぎないと。その自然な姿とは死しては転生を繰り返す循環者であり、これが今歪められているのではないかと考えたのだ。
人間は地球だけでない、太陽系という大きな括りで見ても特異な存在と言える。これだけ多くの知的生命体が文明を築いている様子のある惑星は他に無く、惑星によっては生命の存在すら怪しいとされている。
隅々まで調べられたなら地球外生命体の発見に至るかも知れない。その生物の外見は全身真っ青? 頭部が肥大して瞳が真っ黒?
予言しよう――見つかったとしても人型、或いはその面影を残して進化した怪物である。これは直接夢で映像を見たのでは無い。推論の延長線だ。
先程地球は研究所で、人間はモルモットだという話をしたが、私は人間が住めないまでに壊滅した惑星を「破綻した研究所」だと考えた。
そこでは既に「何か」による実験が終了している為、実験動物を二度と実験、観察しないという強い意志が地上を取り巻く。
それは惑星自体の、又は実験動物が作り上げた破滅的因果律を以て「何か」が下した最終決定。そこから数多の予兆を経て太陽系内惑星は今の姿となり、地球も軈てはその様に放棄されるのだろう。
人間に終末の時が近付くと、私達には決まって共通の思考が芽生える――生き残らなくては、と。
金銭を掛けた行動は目に見えた変動を齎す。災害時に買い占めが起こるのは備えていなかった者達による最後の抵抗だ。時に醜いのも致し方無い事である。
私は庶民だけを庇う事はしない。金持ちが国外へ避難したからと言って、彼等を非国民呼ばわりする事もあるまい。
地球外? 良いではないか。今住んでいる惑星が何れ住めない環境になるからと言って、移住を模索した先が嘗て研究所だった場所なのだから、その「何か」も滑稽極まるであろう話だ。
先程から「何か」「何か」と言って許りで、此れだとはっきり言ってはいないが、此処まで読んでくれた物好きな人ならば憶測位はしたのではないだろうか。
それは何だと考えているのかと叱られてしまいそうなので、そろそろ触れておくとしよう。
それは神、それは地球外生命体、それはプロビデンスの目――研究者が格好の研究対象を発見した時の様に我々の事をそう見た彼等は、人間にとって詰まるところ支配層に当たる。
彼等は我々の転生を限定し、観察対象とする事に成功している。転生が見たいなら地球と人間という器だけで観察出来るだろうに、何が目的なのか彼等は循環を滞らせ、そのサイクルを地球内のみという極めて狭い範囲に限定した。
もし私が彼等なら、そうして観察したい事柄は1つ――「無数に存在する意識の中から変革の意志を持った個は生まれるのか、生まれるならばその環境とはどの様な物か」。
人間という器を太陽系ごと丸々作り上げたのか、それとも元々存在していた私達を発見したのかについては、予知夢がヒントになる筈だ。あれは人間の神秘や超人的な力などでは無い。私に言わせればあれこそループの記憶――その断片であり、我々が循環者だという根拠の1つである。
最早推論の域を超えて妄想に片足を突っ込んでしまっただろうか。抑論を唱えられてしまうだけで破綻しかねない為此処で整理しておこう。
私は自分が見た夢を基に人の正体について考察している。人生も夢で見た映像も転生を繰り返して辿り着く世界の1つであり、決まった姿を持たず目に見えない所で集団的に世界を循環する意識の環流こそ我々の本質で、それが今、地球というゲージにより閉じ込められ、観察されているのではないかと話した。
此処で答案用紙の話に戻るが、採点を潜り抜けて未採点のままのそれを持っている者の不安を――モルモットの勇気を肯定する要素がもう1つ有るとも話した。
我々が本来の循環へ戻る術を見失っているとして、その勇気は我々にとって光明となり、支配者にとって研究を乱す異分子となる。
私から特に何かをしろとは言わない。唯、もしも自覚があるならばゲームの主人公にでもなった気分で、日々を過ごすと良い。
本当にそれが支配者にとって迷惑ならばとっくに研究から省かれているのだから、疑わずに淡々と、与えられた餌を食べてホイールを走り、
願わくばその立場がヒーローサイドで在らん事を。
私が見てきた夢の内、啓示的な夢が占める割合は1割にも満たない。これを執筆している現在は、会った事こそ無いが何かしらの媒体を通じて認知した人物と、寝覚めには忘れてしまう様な議論を交わしている。
印象としては欧米系の人物を相手にしている事が多いのだが、これも私の深層心理からくる映像なのだろうか。
最後に直接話したのは学生の時。英語の教師と、一言二言教科書のテンプレートで話すのが限界だった。
余談だが私は皮肉を使う者が嫌いだ。家で染み付いた腐敗臭を隠そうとキツい香水を振り掛け、口を開けば爆風となり広がる口臭は息清涼剤を追い越し、そして笑う度に覗く不自然なまでの白い歯の隙間には、人目に付かない所で食い漁ったであろう人の脳や心臓がこびり付く――全く、考えただけで虫唾が走る。
夢はストレス解消効果が期待出来るという説も有るのだから、日中に溜め込んだそれを睡眠中に発散していては夢を見る事の利点が1つ帳消しになってしまう。
覚醒時の経験に左右されるのも一概に悪いとは言えないが、折角なら夢精との目覚めを期待したいじゃないか。
童貞の自分が女性とセックスしている夢なんて、何度見た事だろう。まだ若造だった私はそういう夢を見る度に、最も強く記憶に残った場面を頭の中で繰り返し思い出した。
ベッドへ寝転んだ私の上に見知らぬ女性が全裸で跨がった。お互いに気を許し合った仲に思えた。場所は小綺麗なアパートか、そこまで広くは無い印象。右は薄暗い部屋で特に何も見えなかったが、左には収納――寝覚めの作業中はクローゼットという認識――が有った。
それは最も盛んな思春期を二次元と妄想、そして買い与えられた携帯端末で比較的容易に閲覧出来た大人の裸体で切り抜けようとしていた私に、漸く訪れた啓示だった。左の収納へピッタリとくっつけて配置されたベッドに思い返せば違和感は有ったが、夢では中心視野以外は白い靄が掛かっていて良く見えない。なので当時の私はそれを利用されていない収納か、若しくはベッドが塞がない高さから開く様になっていたのだと、こう解釈した。
毎日の様にその場面を想像していたものだから、少しでも異性と知り合えそうな機会を察知すればその夢を基に意識的な行動を起こした。幸か不幸か、私は執筆現在も童貞である。
性的な夢は他にも。女性がベッドへ腰掛けたかと思ったら、上の服を開けさせて恵体を露わにしたのだ。それを見た私は何を思ったか、彼女の乳房を「綺麗だ」と褒め、美の秘訣や裏での努力といった点に関心を抱いていた。
……ああ、どうやらあなた達は私が変態だという事を充分に知れたつもりで居るかも知れない。
まだだ、足りないぞ。別な夢では低いテーブルを挟んで、女性と向かい合い座っていた。とても小ぢんまりとしていて、多少金に余裕が有る学生が住むアパートの様な、そんな部屋だった。面と向かって彼女から切り出されたのは、「――私とセックスしませんか?」だ。
最高だろう? 普段は周りの目を気にして自分を座り心地の悪い席に押し留めている優等生が一大決心をして言い放った――寝覚めの私にはそう思えた。
しかしながら夢の中の私は何を思ったのか、彼女からの誘いに何らかの理由で難色を示したらしく、それに対して彼女は自分に原因があると考えたのか、何故駄目なのかと私へ質問していた。
此れ等の夢に出てきた女性が同一人物なのか、場所は同じ部屋なのか、そこまでは分からない。だが兆しとして脳裏を過ぎるだけで予知夢は価値が有るのだから、一場面を明白に覚えでもしたらおかず以上の価値が生まれる事になる。
夕食はカレーになる気がする――朝、目が覚めた時にこう思った少年は気分が跳ね上がった。何故なら彼にとってカレーは大好物。1日3食カレーを食べても飽きない位に好きだった。
元気に学校へ登校した理由は今日の給食にカレーが出るから。給食の献立にカレーが並んだ日は絶対休まないと決めている少年――いつもは好物を御代わりするのだが、この日は気が進まなかった。
子供の肩に食い込まん許りのランドセルを義務の重責と共に下ろして友達の家へ。2時間程で帰って来ると昼に食べたあの匂いが再び。
母親は言う――給食の献立を見たら今日はカレーだったんだね。明日の分取って置くから、と。
斯くして給食を抑えた少年は夕飯を御代わりしたのだった。めでたしめでたし、となる訳だ。
詰まる所其れ等の夢を意識してしまったが故に、本来なら出会う筈だった人物と出会わず、童貞のまま暮らしているのかも知れない――私はそう考えているという事。
実例という表現は使わないが、実は過去の私には自分の未来を変えた実績が有る。正確には実績が有る可能性が、8割程有る。
世界線を移動出来る技術も過去と未来を行き来する技術も無い以上確かめられないので、100パーセントとは言えない。それでもあの出来事が私の人生に於いて1つの分岐点となったのは間違い無い。
それは成人して間も無い頃だった。謎の女性の夢を重ねて見る様になっていた引き篭もりの私は、自分を支えてくれる運命の女性さえ現れたら変われるのにと、目覚めても夢を見ていた。
自分から行動を起こさなければ何も変わらない事に薄々気付いていながら、それに目を背け明日こそは、来月こそは、来年こそはと時間を浪費する毎日。
この人生は一度全てリセットしなければ新しい自分を追求出来ない――そう思って、調理をするでもないのに台所の包丁を握った事も有った。握っただけ。自分の方に刃を向けてすらいない。
そんな私に転機は突然舞い込んだ。母親伝てにバイトの求人が届いたのである。工場へ就職面接に行っても直ぐ側に障害者を多く雇っている場所が有るからと遇らわれ、職業安定所に行っても職が見つかるまで根気強く通えなかった私を見かねて、母が探してくれたのかも知れない。
其れ迄母が働き口を提示してくれた事は無かった為、私はやれ誰からだの何故自分へだのと彼女を疑いつつも、内心では遂に来たかと御祭り騒ぎだった。
面倒臭がる自分を押し退けてそれを承諾した私は、介護の現場で働く事になった。母も其処で働く事があり、そうで無い日も彼女は私を職場まで送り届けてくれた。過保護な一面が有ったのも事実だが、その職場が駅から徒歩20分以上掛かる場所で、尚且つ私はその時点で免許の取得が不可能だった。
今になれば免許は取れなくて良かったと心から思う。自分が退室した部屋の扉を閉める音に混じってその部屋内から聞こえてきた話し声を、自分の心傷を抉る様な言葉に聞き違っては家族へだんまりを決め込んでいた頃の私が、自由に移動する為の手段を手に入れていたなら――断言出来る、私は獄中で生活していた。
配属先では私の同級生の母親やこの仕事を紹介してくれた人当たりの良いベテランの人が働いていた。その仕事内容から若い人には就職先として敬遠されがちな介護施設なのだが、だからこそと言うべきだろうか、私は精神的にとても働き易さを感じていた――少なくとも始めの3ヶ月程は。
私には悪口を当人の前で直接言えるだけの精神力は無い。なので時折、悪口の対象が居る居ないに拘らず堂々とそれを話題にしている人と出会しても、そんな事が有ったのかと聞き流す様にしている。その場で面と向かって「専門性溢れた人材不足の職場でシフト時間に遅れない様、前もって事務室に入り待機していたんですが、職員のストレスを買ってしまう様ならもう少しゆっくり来させて貰います」と言えない程度の精神力よ。
専門性皆無の単純作業は幾らでもやっていられたし、半日しか働けない未経験のアルバイトへ払われる給料にしては高額な時給を貰えていた。自称障害者のお兄さん職員に仲間である事を強調して励まされたりもした。まるで絵に描いた様な母親の母性を以て私を気に掛けてくれる先輩に、勤務初日で惚れてしまうハプニングも有った。
そんなこんなで3ヶ月程が過ぎた頃。私は不意にこう思った――人手不足を嘆きながら仕事をしている割に、職員達はやけに危機感が薄い、と。
介護は俗に言う「3K労働」の1つ。きつい、汚い、危険を飲み込んで働こうと思えるだけの価値、給料、敬信が無ければ遣り甲斐は生まれない。
介護職だと都市部ですら人手不足が起こる日本で、其れ等の条件の内、価値と敬信から遣り甲斐を見つけ介護の道を志した者ならいざ知らず、給料に重きを置いた者を田舎の介護施設が獲得するなら都市部と同程度の給料は勿論、待遇面や職場環境にも気を遣わなければならない様に思える。
実際それで職員を雇うのに難儀していたから、半端者で素人だったとしても競合相手の居ない私に声が掛かったのだろう。即戦力は入るまでに、素人は育つまでに時間を用する。ならば両方を併用していくのが賢い遣り方というものだ。
そう考えたのが誰か――人材確保に尽力していたのが当時の私の上司である課長だったのだから、その案も恐らくは課長が承認した筈である。
入居者の介助レベルや滞在時間ごとに分けられた屋内で、私が1ヶ所で勤務しているのに対し課長はあちこちに顔を出していた。
そんなだから――などとは言うまい。だが上司が照らせていない現場の陰が私の労働意欲を削いでいたのも事実だ。
職員は足りない人手で必死に入居者の為働いていた。入居者の家族もそれを知っていて、職員から入居者への多少荒い言葉使いや介助には実害が無い限り目を瞑った。
それを上司や職員、そして入居者の家族までもが一体となり、仕方が無いからと黙認して、剰え八つ当たりするかの様に入居者の眉間へ皺が寄る程の過度な力で介護するなど、有って良いのか。
きっと私のこの疑問は日本で働く全ての介護職員が分かり切っている事であり、「人手不足」と「超高齢化社会」から来る負のスパイラルから抜け出せない以上どうしようも無い事なのだろう。単にこんな疑問を持つ私が無知でおかしいだけならば、どんなに良かった事か。
たとえ理想だったとしても此処で解決策を示せない私がそれを疑問に思った所で、奴隷の様に働く職員達の生産性を如何して上回れよう。彼等の方が遥かに社会の歯車として秀でていてそんな彼等が歯車として歪であり、回している社会がピサの斜塔の様に傾いている事を有っても無くても然程変わらない部品が指摘でもしようものなら、代替品は歪な歯車同士が噛み合った際の空振が引き起こす酷い耳鳴りに従動側として耐え忍ばなくてはならず、私みたいな部品は使い捨てにされる。
その様な事を微塵も考えず、入社を決めて以降言われ続けてきた「人手不足だから有り難い」、「居てくれて助かる」といった言葉の数々を間に受けていた当時の私には、現場が人手不足である要因が顕著な様に見えてならなかった。
職場は介護レベルによって入居者を2つのエリアに分けており、両方は配膳室で繋がっていた。
そこで話し掛けられた時は初めて会話する相手に焦りそうになった。
私が三世帯住宅で祖父母と関わりが深く、年配を配慮する余り祖父母と重ねている可能性を考慮したのだろう――相手は「オタック君の爺ちゃん婆ちゃんはこんな事ないでしょ?」と。それが会話の始まり。
口下手な私は自分の祖父母が介護を必要としているか聞かれたと解釈し、マスクに篭った声で「ええ、まあそうですね」と返した。
すると彼は「見てみ」と配膳室の小窓から見える彼の配属先――より重度の介護を必要とする入居者達が居るデイルームを指差した。
娯楽のごの字も無い其処で延々と同じ日々を繰り返し時間の牢獄に閉ざされていたのは、私の配属先に数える程しか居ない寝たきりの入居者達。
彼は言った――「ウチなんかいっつもこんな感じ。知らない間にどっか歩いたり、突然叫んだり」。
その語気に見る彼のストレスは、祖父母共に健康で身体介護をした事が無い私には理解の及ばない領域だった。
愛想笑いを返した私へ、彼のボヤきは続く。「ホント疲れるんだよね。彼奴等こういう風に静かならまだマシなんだけど……」
そこで私は彼の発言に違和感を感じた。家で介護している時と目の前の光景を重ねた発言だったとして、彼の両親が彼1人では手を焼く程、介護を必要としているという表現であったのか、それとも最初から両親では無く、入居者への恨み辛みを話していたのか。
私は思い切って聞いてみた。「それって先輩のお爺さんお婆さん(ご両親)じゃなくて、入居者さんの事を話してるんですか?」。
相手からの返事は然も当然の様に「うん」とだけ。
そこで私は確信した――その職場の職員から身体介護に際し適当で力任せな雰囲気を感じていたのは、気のせいなんかでは無かったのだと。
私は介護職が3K労働などと呼ばれている所以を理解出来ていなかった。毎日他人の糞尿を処理し、不自由な人を何十人と部屋からデイルームへ移動させ、一口一口食事を食べさせ、風呂へ入れて、深夜帯はナースコールや徘徊等の不測の事態に備えて真面な仮眠には期待しない。
業務中は常に気を張って入居者の安全に努める。それを欠けば上司に入居者の家族にと叱られさえする始末だ――安い給料以外に遣り甲斐を見い出せるとすれば、誰かの為しか無いというのに。
無論、日本の介護職員全員がこうという訳ではない。私が勤めていた職場にも人当たりの良い職員は居た。どんなに意思の疎通が難しい人を相手にしても常に声を掛けて、マスクに半分隠れた顔でも笑顔の様な好印象を受ける人。
きっとそれが介護職員の在るべき姿。彼の様な職員は疲労か何かで余裕が無くなってしまったのだろう。誰だってそうだ――自分に余裕を持たなくては自分の未来すら想像が難しくなる。
私もそう。この時既に私は疲労困憊で、けれど周りには自分よりも働いている人しか居なかった為に職場では相談が出来なかった。
母親経由で仕事が来た手前、彼女の顔に泥を塗るまいと自分を追い込んでいたのもある。
噂通りのきつい仕事内容も相俟って我慢出来なくなり、私が暴走し始めたのが働き始めて4から5ヶ月程経った頃の事。息を吐く様に寝た切りの入居者を罵倒する職員が居て、少なくとも其処ではそれが当たり前だと知った。
A4の紙1枚に認めた気持ちは社会を知らぬ子供の稚拙な我儘。自社育成は手探り故か、それを相手にするのは課長と次長。
係長はおろか私へこの仕事を持ち掛けてくれた先輩職員にさえ悩みを相談せずその紙を直接課長へ渡した為、その数日後に課長から呼び出された。この時の気持ちを今でもはっきりと覚えている――課長に呼び出されてその後ろをついて行く私は、優越感に浸っていた。
それは自分の立場が役職的に一時の向上を遂げた錯覚から来ていた物かも知れない。自分の意見が論ずるに値する物だと認められて嬉しくなったのかも。当時の私に答えを聞く術は無いが、聞くまでも無い事だけは知っている。
私は過去を振り返ればいつの自分も幼稚だった――初めてのバイトで社会という物を知った頃も。これを執筆している今日この日だって。
A4の紙へ綴ったのは多数派になれない障害から煩った少年の踠きであり、今の私に出来る精一杯の表現。この先何年何十年と経った未来の私がこの小説を「紙」と思わない事を願う許りである。
さて、此処までは過去の私が未来を変えた可能性を述べるに当たり、そのきっかけとなった瞬間までの経緯を話してきた。
アーティファクトとなったのは先ず間違い無く思いを綴ったA4の紙――それを書いて課長へ手渡すと決心し実行した唯一とも言える象徴だ。当該の件に関する予知夢は記憶している限りでは全て、この紙が関与している。
例えば相談している場面。正面に男性、右隣りに女性――何れも夢を見た時点では知らない人物という印象――が居て、私と何かを話していた。
又、水道を使い何かを洗っている場面。私が其処で何かしらの作業をしていた所、廊下を挟んで向かい側から職員3人が出て来た。前を歩く2人は私を口撃し、後ろを歩くもう1人は彼女達の会話が誰を指しているのか質問するも、2人から知らなくて良いよと遇らわれていた。
特に2つ目はとてもストレスの強い夢だった。感情が強烈に揺さぶられる夢だった――いつもなら登場人物など人である事と性別位しか分からないのに、その3人が誰か、働き初めた私に見当が付く程。
1年での辞意を伝えた職員がもしも置き土産を残していたら、たとえ同級生の母親であろうと他の職員はその者を見捨てるだろう。況してや辞めていく職員がアルバイトだというのだから、退職するまでその者はプロとして過酷な職場を支えている彼等が溜飲を下げる為の受け皿となる事を覚悟しなければならない。
彼等が入居者へ当たっていた様に見えたのならそうならずに済む様、アルバイトの身で少しでも寄与出来る事が有れば喜んでするべきだった。
だが私はそれすらも拒んだ。学校にて嫌々ながらもやる事を「義務」と学び、自分が嫌な事柄の肩代わりを名乗り出てくれた誰かへ「責任」を押し付けてきた私は、義務に責任が伴わない能天気。
あの紙を課長へ手渡してから数日後、私はいつも通りに接してくる職員達を不思議に思ってその1人に聞いてみた所、課長は他の平職員にまで私の件を下ろしていなかったらしい。
それを知った私は次に課長と相談した際、「手紙は皆んなの前で読んでないんですね」と切り出した。すると課長からは「うん。読んでないけど、読んだ方が良かったかな?」との返事。
その時の私は頭に血が上りかけていた――脊髄反射で「はい」と答えてしまいそうになる程に。
それを避けられた理由は先に述べた2つの夢にあったと、アルバイトを辞めた私は染み染み思う。課長からの問い返しに対する私の返答には、夢の中で受けた強烈なストレスが現実になるのを避けようとする意思が確実に反映されていた。
結果として私は「飛ぶ鳥後を濁さず」との諺を、私へその仕事の話をくれた職員から教わる程度で済んだ。この先私が同じ職場で再雇用される事が無いと100パーセント言い切れはしない。だが現状予知夢が予知夢のままで終わり、私が既にその職場から去っている以上、其れ等が正夢となる日の来る可能性は復職と同程度低いと言える。
以上が執筆現在を含めたこれまでの私の人生で唯一、予知夢により未来が変わったと実感した瞬間だ。
とても現実味を持った夢を見るだけ見て、それが唯の夢だったという事はそれまでにも有った。そういった夢が現実の状況と糸より細く弦より張り詰めた直感で紐付き、する筈だった言動を阻害したと感じたのは初めてだった。
まるで直情性を尊重しながらも、そこに内在する支配の性質のみを一時的に制御したかの様な――言うなればそう、理性による本能の従属。
聞く人によっては人が当たり前にしているであろうそれを、したり顔で話しただけに聞こえるかも知れない。それが当たり前とは言えない私からすれば感情に流された言動を避けられたのは革命であり、そこに予知夢が関わったのは決して偶然では無いと思っている。
私は日本人だ。その私から見た欧米の人々は総じて理知的に映る。黒にブロンドに茶色に、多様な色の髪を思い思いの髪型で自己表現へ昇華させ、スカイブルーの瞳で相手を見通す白人。彫刻の様な筋肉の上体から細身のしなやかな下体まで、運動神経が秀でた黒人。
何れも主観で大勢を語らず感情へリードを着けて上品に。そんな彼等に同じ芸当が出来るかは分からないが、リードで首を繋がれた犬は往々にして飼い主に行動を御される運命にある。
そして私が飼っているのは時に飼い主の手からリードが離れてしまう程気性の荒い犬。リードの長さを覚え込ませた後で放し飼いにする事により、飼い主の側から駆け出してリードの長さに差し掛かった一瞬、後ろを振り返る様な調教が施された犬。
だからこそ至れた境地と私は考えている。私がそうなろうと意図した行動は唯1つ――見た夢を記憶に留める事。生まれ育った環境も周りに居た人々も、何なら予知夢が連想されないその他の私生活も、時の流るるに身を任せて来た。
訪れるかも分からない。予知夢かも分からない。そんな夢如きに未来を縛られる位なら、それで良い筈――こう考えていられるのも、きっと正夢となった時に強烈な後悔を抱いた事が無いからなのだろう。
子供の頃から非常に良くしてくれて、引き篭もりが10年を超えた私の誕生日も祝いに来てくれる近所のおばさんが、いつの間にか亡くなっていたとしたら。
接し方がなっていなかったから、旦那さんへ毎日線香をあげに行くと嘘を吐いたからと、何かにつけて私は後悔する事になるだろう。
事が起こってからでは遅いと理解していて、それを意識的に避ける為の行動が出来ない私は果たして「愚か者」だろうか。
私はその答えを知る方法であれば分かる気がする。古来より予言が人々を惹きつけて来た様に私が求心力を得て、起ころうとしている出来事の規模に対して1人でも多くの人の心を動かす事により、多数派の中で客観性を得た私の予知夢はたとえ自然災害を相手にしようとも、正夢となる未来を変えられる筈だ。
だから私は此処に、自分1人ではどうしようも無い夢を綴る。
テレビに日本地図が映り、四角い赤に白で浮かび上がった【7】がその一部へ重なっていたと聞いたら、あなた達は何を思い浮かべる?
それは気温。それは降水確率。それは風速――テレビを見ていた時に自国の地図が映りそこへ数字が重なって表示された経験は、報道番組を見ていれば恐らく誰しもが有る。
それが発生するリスクの低い国では余り馴染みが無いかも知れない。リスクが高かったとしても、色はメディアによりけりかも。
私はそれを地震であると確信している。確信へと至った根拠は主に2つの夢によるもので、内1つは揺れを体感する極めて現実に近い夢だった。
念の為に言っておくがあの揺れを夢と断言したのは翌日になって地震情報を確認した際、それ程大規模な地震が無かったから。加えて私へ幻覚を与える要素に心当たりが無かったから。
何方の夢も鮮明に覚えている。1つは高確率で朝、目覚めた私は自室から居間へ。
するとテレビが点いていて、母親と思しき人物が私の隣りに立ち「寝てる間に大変な事になってるよ」と話した。
そのテレビに映っていたのは日本地図。赤い四角の中に白という配色で強調された「7」の数字がとても印象的で、それは湾の左上に2つ斜めに並んでいた。
聞いた言葉、見た映像――全て間違い無い。正直に言えば場所の見当も凡そ付いている。
だが残念な事に日にちまでは夢に映らなかった。こんな時、睡眠を過度に妨げないゴーグル型の時計が有れば喜んで購入したし、生産されていなかったとしても製作を主導してそれを手に入れただろう。私が金銭制度を恨む時はいつだって自分の行動を御された時だ。
私が言うのも何だが予言の類いは不確実な主観性の塊なのだから、それに客観性を持たせるならば双子の共鳴みたいに同様の力を持った者同士で、同じ出来事についての予知を積み重ねていくしか無い。
それを理解した上で、私は「高確率」という表現を使った。昼寝をしていた可能性もある中で、何故高確率で朝だと言えるのかについて、その根拠はもう1つの夢にある。
それは最早現実だった――真っ暗な自室で仰向けの状態で目が覚めた私は、直ぐに異変に気付いていた。地震だ。やや激しい横揺れを察知して夢の中の私は目覚めた様だった。
その揺れは地震大国の日本では飛び起きるに値しない程度のもの。私の感覚で言えばそれは震度4以下、高く見積もっても5弱だった。
それ程の揺れに見舞われながら、夢で布団に入っていた私は命の危険を微塵も感じていなかった。
ああ地震か、そこそこの大きさだな――揺れ方について特筆すべき点も無い、翌日テレビを点ければ横ずれ断層型の地震であると専門家が推測していそうな、ありふれた揺れ方。
対地震に於いて発達した日本の技術が作り出した耐震構造建築に甘え、多少の揺れは勘違いで済ませて来たこの私は、二十余年の人生でたった1度――2011年3月11日に起きたあの地震でしか危機感を抱いた事が無い。
そんな私に2度目の危機感を与えたのは、この夢にて連続してやって来た地震だった。
まるで風に畝る水面へ投石されたかの様に、それまでの揺れが一瞬で塗り替えられて縦揺れ一色。とても小刻みな振動は地球が崩壊するのではと思える程の轟音を立てて、私に直感を齎した。
火山が噴火した――揺れだけでそう確信する程に2つ目のそれは桁違いだった。
6弱は下回らないであろうその縦揺れ。日本地図に示された7。そして私が見当を付けている場所――此れ等の情報が全て同じ未来の出来事に帰結するとは限らない。
自然災害程の規模ともなると私1人が意識的に行動した所で、変えられる未来も高が知れている。自分1人の命を守るだけなら予知夢になど頼らずとも、この国がそういう国であると知るだけで命をを守れる可能性は格段に高まる。
不確実な主観のみで大災害を想像させる発言をし、事もあろうに予知夢だなどと煽り立てた私の罪深さを許して欲しい。こうした愚行があちこちで行われる事による因果律の不定や偽物によって虚言が混ざるのは、好ましい展開でないと理解している――少なくとも実験の観察者からすれば。
もしも本当に人類の未来を占える者が居るならば、それは絶対的な信頼と実績を持った1人であるべきだ。それが私であるべきとは言わないが、現代は私の考えとは裏腹に多数の予知能力者が頭角を現している。
未来を正確に占うには客観性が不可欠。しかしながら客観性を過度に取り入れたらば予知夢とは掛け離れた不測の未来を迎える可能性が高まる。
詰まる所現代は予知能力者の大統領選挙期間なのだ。立候補者は1人でも多くの有権者の心を掴む事に躍起となり、期間中には他陣営を下げる為の虚偽情報が流される。勿論、有権者へ訴えた公約の実現は当選直後から。
その選挙へ私も立候補した事になるが、予備選挙で姿を消すか将又決選投票にまで残り大統領となるか――誰か知っている者が居たら教えて欲しい。もし選ばれたなら、それからは噓を吐かないと約束しよう。
小説という媒体の創造性に寄り掛かり随分と奔放な事柄を述べた様な気もする。客観的事実など殆ど語っていない私の戯言は信じて頂けただろうか。
心配性な諸君の為に言っておくと、此処までに述べた話には嘘が紛れている。それがどれなのかは、言わないで置いた方が幸せだろう。
私は日本に生きて欧米人を尊敬する愚か者の端くれだから、自分に障害があると認識している。障害者の概念について話しているのでは無い――唯未来を気にして許りで未来に縛られ、そしてこの様な、時に現代の日本人からすれば読み辛ささえ覚えかねない自動翻訳宛らの文体を使う私自身の、日本に於ける肩身の狭さを言っているのだ。
語りたい事は山程浮かぶのに、それを喋れないもどかしさ。SNSで晴らそうとすれば共感を得る必要があり、共感を得ようとすれば多かれ少なかれ表現を大衆へ寄せる事になる。
私は書きたい事を書いた。私が長々と書いた現象は固有名詞に纏められて、1つ1つの言葉遣いは熟語に纏められて、それを見たあなた達は歌詞を覚えたボーカロイドの曲を聞く様に読了するかも知れない。
それならそれで構わないが、もし今の私の小説が初めて聞いたボーカロイドの曲みたいであったのなら、私にはこれ以上してみようが無い。歌詞を知らぬまま聞いた人に最初の1回で訴えかけるには、聞き手の知識の責任にしてはならないのだから。
私に嘗てを彩った文豪達の様な才能があったなら良かったのだが、憖な態度で生きているといざという時に割り切る事もままならない。
私の祖国、日本――自殺死亡率が高水準を行き国民が未来を悲観する、憂鬱な国。
それは私の様に未来を語る者が暗い事しか述べないからでは無い。私達がそれしか話せなくなったのは、疑う事を知らない馬鹿正直な愚か者を世界が失って久しいからだ。
そんな、言い知れぬ行動力と求心力を持った存在が、この世界にはある日突然現れる。戦乱に呑まれた祖国の救済、革命、恐怖と迫害による独裁――恐らくはそうであろうという人物許りではあるが、私が思い浮かんだのは長い人類史の中でたったの3人である。
歴史に名を残した者だけを数えればそうなり、名を残せなかった――言い方を変えれば愚か者に成り切れなかった者を含めればその数は更に増える。だが所詮は成り損ない。人類史に名を刻むとは愚か者としての1つのステータスと言えよう。
私はこのまま穏便に、親の脛を齧りながら引き篭もっていても良い。衰えた祖国の為に立ち上がり、或いはその過程で道を踏み外し人々を恐怖させてまで、語り継がれる程の大層な生涯を歩む価値は何処にあるのだろうか。
過去の偉人達は誰1人として、そんならしからぬ事は考えていなかった――というよりも、考えるきっかけに乏しかったというべきである。歴史を覗けばアッと驚く規模で行動を起こしている人が目立つのも、そういった面で現代より恵まれていたからかも知れない。
では彼等という前例は後世を生きる端くれの私達にとって障害にしかならないのか――これに答えを出すには、私の人生は余りにも短小で虚無だ。
19年という一生にて戦乱があったなら、それが比重を占めている事は火を見るより明らかである。無論戦争など起こらないに越した事は無い。
私が言いたいのはストレスに立ち向かうしかなかった昔と違って今は逃げる選択肢もあり、それによって人が手放した物があるのではないかという事。
人生に於ける出来事の比重として大規模なストレスの原因が身の回りで起こればそれはきっかけとなり、出生から短い内であればある程に私の虚無を充填してくれる事だろう。なので――。
私も気の向くままに、もう少し放浪しようと思う。研究所を脱出する意思を持ったモルモットでも、対処能力を超えた壁の向こうからがスタートならば、その時は外部からのきっかけ無くして行動に移せはしないのだから。