騎士は去り、貴族は滅んだ
こいつはひでぇ。その巡察兵士は弔いの印を切った。
「いきなり後ろから薬を含む布を口元に当てられて、喉をバッサリかな。これは怨恨か? 死んだ後顔もわからんほどに殴られているな。『覇王剣』スキルもこれではな」
「こっちは口に猿轡。魔法も使えず最後になぶり殺しだろう」
「こっちの子供は腹を殴られているからスキルや魔法を使う前にやられたんだろうな。意識が戻り次第尋問しよう」
全ての手続きが終わり巡察兵士たちは嘆息する。
「神や精霊への宣言ができないようにして襲うとは」
「暗殺者か」「おそらく」
「正々堂々名乗りをあげて決闘できない時点でな」
ペンは剣より強しという。
それは『生きている』論客の多くがスキルや魔法という超常の力を授けられているだけだ。
ただ書き描き踊りそして歌うだけなら、いつしかそのものは名誉の決闘にて筆を折り命をも儚く消えることになる。
さてさて紳士淑女、お金持ちの皆様。
この先、みな様がたとは縁遠いところの汚いところ。
さっさと気取ったクラブに戻ればよろしい。
新聞と令嬢と煙草とブランデーが待っている。
ここは安酒場。
据えた臭いの怪しい肉。
酢だかなにかの塊を水で溶かした自称ビールが打ち合わされる盃の中でダンスし。
娼婦だかスリだかわからないウェイトレスたちが行き交うなか、男たちや女たちが今日も愚駄をまき。
ネズミと子供たちが落ちた食いカスを奪い合う。
まっこと汚く、しもじもの世界でございます。
その中は先程の兵士たちも。
「たくよ! 王様も無責任なんだよなー」
「リッケンクンシュだかなんだかしらねーが、ギロチン送りにならなかっただけだろー。……戻ってこいやぁ!」
「おかげで貴族サマや騎士サマでもねーのに、急にそこらの酔っ払いどもまで『名誉の決闘』だの言い出してさ、おちおち非番に酒のんでられねーよ!」
と言いつつ酒精の香りを放つ兵士たち。
「今日日、貧乏人同士でもムカついたからって名誉だなんだ決闘だってそれは喧嘩だろうが!」
「俺、ベッド処分した。……笑うなよ。立って壁にもたれかかって寝るんだ。夜討ちされっからな」
『こんな仕事じゃーなー!』
みんな平民だ。
「ジェントリどものように、爵位を失ったり後継から外れたスキル持ちや魔法使いを、用心棒として雇ったりできたらなあ。ジェントリども働かねえし俺らに回せや」
「ちげえねえ! 議会ではやかましいだけだ」
「同じ平民なのになあ。俺たちみたいに平民が、騎士くずれのスキル持ちや貴族崩れの魔法使いなんざと戦ってみろ。『二段突き』だって侮れねえよ」
「ポールのやつ、『茶汲み』で殺されたからな。笑えねえよ。あいつには若い奥さんと子供が二人も……ぐずっ」
微妙な空気。
怪しげな香りを放つ燻製を看板娘が運んでくる。
看板娘が去ってから年配の兵士の瞳が開いて若い兵士に微笑む。
「よかったな。いきなり二人も子供ができたじゃないか」
「この童貞。よかったか。コラ」
一番若い少年といっていい男は、みるみるうちに頬どころか耳まで赤くなった。
「ち、ちげーよ! 俺はポールに『妻と子供を頼む』って言われたからリンさんが心配で……流れだ流れ! グライスもリンナも可愛いしついつい晩飯ご馳走になってたら自然と『父ちゃんみたい』『お父さんになって』となってそれから……えええいてめーらこれ以上探ったら殴るぞ!」
彼は酒盃を傾げ、酢だが生ゴミかわからない酒を飲む。
いつの世界でも子供を守る母は強かだ。
しばらく彼等はおめでとうだの今度隊で結婚祝いをカンパするとかいう話をしていたが。
渦中の若者は話の矛先を逸らしてみせた。
「でもさ。隊長はスキルに目覚めたジャン」
全員の視線が彼に集中する。
年齢にして三〇前半。微妙な無精髭がそう見せるだけでその顔には若者のように皺はなく、実年齢は意外と若いかもしれない。
日々の闘争で鍛えられた肉体。
背丈は低くはないが突出して高いわけでもない。
官給品のナックルガードの鈎つき警棒に陣笠にもなるランタンシールド。これはマグネシウムを削って火花を出すことで大光量を前方放射できる。
カッパにもなり犬程度の牙を防いだり振り回して投石を防ぐことにも使える、かつて官給品だった厚手のフード付きマントにはまだ王家の紋章が描かれており、墨で大きくバツが描かれ汚されている。
くたびれたブーツには拍車がない。
ほとんどの平民は馬には乗れないし乗らない。
隊長と呼ばれて男は問い返す。
「……ってなぁ。ジャン。おまえフルネームいってみろや」
「ジャン・ウルド『鍛冶屋』『幸せの』」
幸せものは自らの名を名乗る。
ちなみに隊から真っ先に贈られたのは『幸せの』という名前だ。
つまり彼の名前は『鍛冶屋』スキル持ちの騎士の子孫を意味する。ウルドは子孫を意味し最高に名誉のある騎士の子孫を意味する名前。『幸せの』などは個人に与えられる二つ名である。
「メイ。おまえは」
「メイ・サー=フォンすよ」
サーは一代のみの騎士、フォンは魔法や開墾など実力で一代貴族位を得た男爵。本当は初代しか名乗れないが子孫たちが箔付けで名乗ることが慣例化して久しい。つまり彼女には騎士や男爵が過去の先祖にいたわけだ。
「で、ミナト副隊長も『はなみずき』だろ」
「た、た、たいちょー!? セクハラですよ!」
副隊長は急に話しかけられて咽せた。
貴族どころか失われた皇族に連なる名前だからである。
余談だが『一応』フルネームを知ることはスキルや魔法を知ることになるので結婚相手以外には教えないし呼ばないという因習もかつてあった。
激昂する副隊長を皆で宥めつつ、怪しげなサラダを口に。
ちなみにサラダだが『ピギャア』と鳴く。
「ま、今時純血主義なんて古いからな!」
「だよなあ。先祖辿れば誰かしら騎士だの貴族だの王様や、いたのかどうかもわかんねえ皇族がいるもんなあ」
そこに茶々を入れるやつがいるのが安酒場。
最近出入りを始めた、変顔貼り付けて軽薄そうな酔っ払いが脚を引きずり声をかけてくる。
「でも俺もおまえも兵士さんもみーんな安月給の平民な!」
「ははは。かなわんなー。ジェイ! てめえまた喧嘩したら一晩留置じゃすまねえからな!」
「そんな野暮はいいっこなしさあ!」
「酒の精霊が全てを忘れさせる。讃えよこの盃を!」
周りで呑んでいた労働者たちが盃をぶつけてくるので応じる。
酒場では兵士も犯罪者も市民も労働者も一時休戦だ。
「あーあ。俺もいきなり『ピカーン!』ってこねえかな」
「……マックの旦那。『手話』だぞ。俺のスキル」
マックと呼ばれた工員は嘆息する。
なーんだ。
酒場中の空気が和む。
「あ、それでなんか旦那が黙って手を動かしていたら何言ってるのかわかんのか」
「内緒だぞ? 『結構使えて』ね。任務の時『手話を知らないやつにも意味がわかる』し、『言葉の通じないもの』とかとも意思疎通できる」
「いや、すごいっすよ。うちの婆さん最近耳が遠くてね。手話教えてやってくれよ。俺も習うからさ」
「俺も俺も。ムカつく工場長に『ばーか』ってやってやる」
「そういう使い方すんじゃねえジェイ。おまえなんか最近人が変わったみたいだぞ。前はもっとこう……なんだろまぁいっか」
「マック、俺たち友達だろ。顔が変わったとかいうなよ俺の変な顔は前からだし、モテないのは一緒だろ」
「おまえと一緒にすんな」
人々のやりとりに微笑み彼は酒盃を傾げようとして副隊長に奪われる。
「なんだよ。たまには」
「副隊長がんばれ!」
「今日こそぶちゅっといけ隊長!」
「よっご両人!」
二人の頬が赤くなった。
隊長と副隊長である以上、引き継ぎの関係で席を同じくすることは珍しい。
「ちーがう! 違うわよ! 私は純粋に隊長の健康をですね!」
「まあ、旦那がアル中は困るわな」
「ゲロチュウになったら大変だ!」
彼は酒盃をあえてゆっくり置いた。
「おまえら」
酔いが覚めたのか、彼は皆に視線を向けて穏やかに微笑む。
「表に出ろ」
結局、慰安の飲み会は大乱闘となり、恒例の賭札が宙を舞った。
余談ながら賭け事は取締対象であるが、兵士たちは非番であり、ここでは柔軟に対応である。
強かに殴られた頬をかきかき、アルコールと痛みで脚を引き摺りつつ二人が出勤したのは予定より30分遅かった。
「おはよう御座いますご両人。……で、やりました?」
「殴られ足りないようだなミク」
ミナト副隊長が入口を警備していた女兵士を睨む。
彼女、ミクは卑猥な手の動きをやめ見事な太陽王国式敬礼を見せる。
二人は素早く、二日酔いなどないかのような見事な答礼を見せた。
「トライス軍曹、ミナト伍長、只今上番します」
「報告します。本日の連絡事項は12時にウルド『花屋』卿の演説警備があります。また前後しますが午前3時に例の事件に進展がありました。詳しくはこちらにまとめております。お疲れ様です。グランツ・ウルド『家具屋』上等兵、午前8時をもって下番します!」
「承ります!お疲れ様でした!」
引き継ぎをベテラン兵であるグランツ老とする。
グランツは二人には父親みたいな存在で少し苦手だ。
「で」
好々爺の笑みを彼がするときは要注意。
「やった?」
『してません』
可愛らしくシュンとしてみせるジジイに二人は拳を握りしめた。
「どうして隊長なんかとわたしがいい仲にされないといけないのですかみんな揃って?!」
「……微妙に傷つくが、概ね同意だ。グランツ。私たちはそんな関係でない」
ジジイは可愛らしく笑う。
「つまり、やってから仲良く……」
『ならねーよ!』
ヒューとジジイは口笛を吹くと、わざと飛び跳ねるように変な走り方で逃げていく。
「あんなんが伝説の騎士だったってなあ」
「信じがたいですが事実なんですよね」
二人は嘆息。
そもそもグランツに拾われなくば二人ともストリートチルドレンだ。
もちろん養父として尊敬してはいる。
してはいるが『はよ孫をみせい』と隊員たちまでけしかけるのはいただけない。
隊長と副隊長はこちらなのに未だ元気元気で引退して養子たちの隊にちゃっかり舌を出しつつ面接に来たのだからたまらない。
長い内戦の果てギロチンにつぐギロチン。
治安は乱れる人心は乱れる。
人材不足の隊に伝説の騎士来訪!
諸手を挙げて喜ぶ若者たち!
で、今に至る。
二人としては歳の離れた兄妹感覚が抜けず、住まいを分けて3人別々に暮らすようになってもそのままである。
「だーれが」
「こんなのと」
『結婚しますか!』
キレつつ意識し合う二人を隊員たちは応援している。
「え。わたしわたし。隊長狙っていいの?」
「えっ。私狙っちゃおうかな」
「え、副隊長ほんとにいいんすか。俺本気にしますよ。副隊長ちっこくてかわいいし」
最後の隊員は訓練で地獄を見た。
副隊長には背が低いだの胸がどうとかを言ってはいけない。
一部を除いて若者ばかり。男女構成比もほぼ半々。
入隊にあたり犯罪歴調査や身分証明などあるが、いろいろ怪しい隊員が多い。二人だってグランツがいなければ市民権すらない。
そもそも損耗率が高い。グランツが加入して急速に強くなってきたがそれでも殉職者は出る。
五体満足で健康とはいえ、食い詰めた娼婦や田舎の解放農奴の五男などが『貴族』や『騎士』を取り押さえねばならない。
前者の『魔導』は対処がほぼ確立されているが、後者の扱う『スキル』はいささか難しい。
同じ『二段突き』でも『伝説の突き技! むおおおおお! みなぎってきたぜええ!』と繰り出してくる流派もある。素手の攻撃に特化したり、料理のタイミングを見事に制御するために使うものもいる。
余談だが、例に挙げた『伝説の突き技』は一回突きが本来の姿である。
スキルと鍛錬の結果により同じ部分を別の角度別の場所から同時に二回突く事象を生み出すことで削岩機もかくやの威力を発揮する。これをオテマエという。
先日のポールを殺した女も、茶で傷や毒や病気の治癒ができる、熱した茶で溺れさせるなどの結構なるオテマエを持っていた。
自らを汚した男たちを相手に計画を練り何年もかけてスキルを磨き別物に仕上げ、ほぼ完全犯罪を成し遂げかけたほどだった。
捕えることに成功したのは運とこれまでのノウハウと隊の連携あってのこと。
同じスキルでも応用能力の差で別物になったり、他人にその使い方を伝授することで流派として成立し、それを踏まえて戦略や文化ができていく。
それを生身で倒して捕縛してというワザマエもまた進歩し、今や蒸気機関や銃という技術や道具も発達した。
彼らの装備もそうやって洗練されたものばかりだ。
かぎのついた捕縛警棒の下をひらひらする房は紐をつけて振り回すこともできるし目眩しにもなる。マグネシウム合金を瞬間着火して大光量を放つこともでき緊急の兜ともなるランタンシールドもそうだ。
人が生きていく限り改善改良発達進化。
そして退化や忘れ去られていくこともある。
それは我々から見て神秘の世界でも変わらない。
この物語は、革命の嵐収まらない混乱の中、神秘の固有魔法『スキル』や『ギフト』、そしてそれらを学問として再現する『魔導』が実在する世界にて、一介の兵士たちが紡ぐ。
それでいて誰もの耳に入らない、そんなどうでも良い。されど本人たちには大切で、秘められたものがたりである。