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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(前編)荒天
89/139

―アルミア子爵領、山中、フブ―

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朝未だ浅き、白靄深しの赤松の森。黒い土は露にしっとりと濡れて匂い立つ。もう真夏だと言うのに、この時間帯は涼しいどころか、すこし寒さを感じさせさえする。時にばさばさと鳥の飛ぶ音が聞こえ木々が震えるが、その姿は見えない。白い髪の老爺と黒い髪の少年は、その髪を露に濡らしながら歩いている。その服は下草の露にまとわりつかれて、随分と濡れそぼっている。

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 かれこれ、鉱山探しを始めて四か月か…。

 悪くない土地柄と思っていたが…、思ったより時間が掛かってしまっている。雨が多くて、碌に山を歩けない日数も多かったが…。それは言い訳だな。

 鉄鉱石の一大産地であるスルキア伯爵領とも隣り合っている。幾年か前、この領に出入りするようになってから暇を見つけては歩きまわった。その中で、それらしい地勢もいくつか見つけていた。土の味も、水の味も、鉄を得るに悪くない。どこかしらに鉱石の採れる場所がある。俺の長年の経験から、そう判断した。

 だが、未だ良い場所は見つかっていない。いや、完全に無いわけではないが、利便性を考えると候補足りえない。多少、石の採れる場所があっても、運ぶに難儀する地勢じゃあ困る。山から下すのだって手間が掛かるんだ。それに出来たら水場の近い方がよい。質の良い石なら、いらないかもしれねぇが…。あるに越したこたぁねぇ。

 何しろ…、儲けが出ねぇとこで、石掘っても仕方無ぇ。


 あれは五年前になるか…。俺はポカをやらかしたのは…。


 俺ぁ元々山師だ。親父の親父の代からな。もしかしたら、それより前かも知れないが、祖父さんより前なんざ知らねぇ。

 山を歩いて良い鉱脈を探す。金を貰って依頼主の定めた土地の範囲で探すこともあったし、てめぇでまず歩いてその情報を売るってこともあった。必要なら、知り合いの村下(むらげ)どもと掛け合って大鍛治の連中を集めることもした。労役の連中を人売りから調達した。販路の無い奴らのために仲買も請け負ったりするようにもなった。鉄の必要な依頼主と、鉱脈の必要な大鍛冶の連中と、その二つに伝手があったからな。鉱脈探しなんざより、次第にそっちが主になっていった。若い頃のように足腰も動かなくなって来たからな。山中を歩き回るのつらかった。

 それによ。山師ってぇのは博徒や詐欺師ってぇ輩と同類にされるような身分だ。つまりは安定しねぇ稼ぎだ。これが、どうにも、実際やってみればわかるが中々不安もある。てめぇに子が出来た時、それでいいのかってぇ思った。思っちまった。てめぇの親父の親父の代からやっている仕事だ。誇りだ無ぇわけじゃあねぇ。だが、誇りで御飯(おまんま)食えたら世話はねぇ。

 それで、俺は(たま)に山師もやるが、仲買が主。そんな立場でやってきた。

 だから、鉄のこと、鍛冶のこと、そんなことはわかりきっていると…。そう思っていた。

 そこに慢心があったんだろうな。


 大鍛冶の神は女を嫌う。特に月のモノを嫌う。レンゾの奴は元は小鍛冶だからだな。それに、どちらかと言うと東方流だ。あまり、気にしていない。だが、すべての奴らがそうではない。むしろ、昔から大鍛冶をやっていた奴らは、この辺りを気にする。特に西方ではな。仲買としては、そんくらい把握してなきゃなんねぇんだが、トチっちまったな。

 それを失念していた。いや、手下に教えるのを忘れていた。きちんと、どれだけ重いことなのかって教え込むのが、てめぇの責務だってのに、俺はそれを怠った。

 そんで俺の手下が奴らの仕事場に女を連れ込んじまった。十把一絡げの労役だからって俺も気にもしていなかった。髪も短いガキだったから気付かなかったってのもある。人売りのダンゴが言うには、どこで買って来たかもわからない奴だったらしい。そんで、さらに悪いことに、丁度鉄を仕入れに行った時に月のモノが始まっちまった。所謂、初潮だったらしい。男所帯に紛れ込んでいたから、そういうのの知識がある奴もいなかった。

 まあ、そこまでなら良かった。いや、良くはねぇんだが、未だなんとかなった可能性があった。が、喧嘩が始まちまった。てめぇらの禁忌を侵されたんだ。実入りにも係わる。

 そのガキは鉱夫に殴り殺された。それにいきり立った労役共が今度は鉱夫を殴った。烏合の衆に見える労役共にも仲間意識はある。

 俺が着いた頃には辺りは血塗れ。死んだ者は五人。悪いことに村下の一人も巻き込まれた。

 悪いことには、悪いことが重なる。その村下が問題になった。その村下は、そこら一帯の頭の息子だった。そして、まとめ役の村下の跡取り婿養子。そのせいで騒ぎが大きくなっちまって界隈に話が広がちまった。元の火種の女を鍛冶場に連れ込んだってとこも。何なら尾鰭がついて…。


 俺はスルキア領で仲買の仕事を事実上喪った。正確には大鍛冶から鉄の買い付けが出来なくなった。もちろん、俺が山を当てても、そこで大鍛治をやる連中が揃わなきゃあ、意味がねぇ。

そんで、てめぇの金だけで集めた人間でやっていた、手慰みにやっていた小さい鉱床だけが残った。幸い、てめぇ子供らはもう手のかからん齢になっていた。だが、てめぇの手下を放り出すわけにもいかなかった。俺の手下だったってだけで評判が悪かったりするようになっちまったからな。

 それが、ここで鉱石を売るようになった顛末だ。

 俺に残った鉱床は、質の悪い鉱石しか採れないが、交通の便は良い。それで採算の取れていた鉱床だ。スルキア領で商売やると、どこかでケチが付く可能性があった。周りもスルキア伯爵の与力が多い。そうでないのは、アルミア子爵ぐらいだった。となれば選択肢はない。

 質の悪い鉱石を渡すのは、農夫どもを騙しているようで若干の罪悪感はあったが、働きに対する儲けとしては真っ当だったはずだ。石を運ぶ手間が増えた分、俺らの儲けも減ったが、ぎりぎり耐えていた。

 だが、目に見えて減って来た鉱石。そうでなくても、何か一つ歯車が違えば立ち行かなくなる。そんな案配で続けてきた。

 そこに来て、レンゾの奴になんであんな切れねぇ手形を切っちまったのかは、わからねぇ。もしかしたら自棄になっていたのかもしれねぇ。

 昔鉄を卸したことのある鍛冶屋の弟子。大して知りもしねぇ、ちっと顔見知り程度の奴輩。少なくとも、俺が最後に見た時は、ようやった一人歩きを始めたようなガキだった。だが、考えてみれば、それもかれこれ六年も前の話だったはずだ。それだけで判断しようだなんて、俺の勘も鈍ったもんだ。

 そういう鈍った勘ってのが、結局今の鉱床探しを難渋させているのかもしれねぇな。てめぇは未々行ける。そう信じていたが、もうとっくに、どうもこうもならないほどに落ち潰れていたのかもしれねぇ。


 そんなことを考えつつ、今日も山を巡る。

 ゲッセイの奴は最後に残った鉱床の方に行っている。誰ぞ監督する奴が長い間空けるわけにはいかねぇからな。

 だから、今日は俺とジャコの小僧だけだ。

 奴は何か問い掛けても、あまり返事も要領の得ねぇ。だから、ほとんど無言の山行きだ。

 思えば、この小僧の憑きだけが俺の便りかもしれねぇ。俺に憑いてたもんはすっかり落ちちまったからな。なるほど、大鍛治の神の禁忌に触れるってぇのは強ちこういう結果を生むもんだったのかもしれねぇ。村下どもの迷信だと思っていたが、馬鹿にならねぇってことか…。山師には関係無ぇことだと思っていたんだがな…。


「あっちずらぁ。」

 ジャコの奴がふらりと行く。

 手元の地図を確認しながら付いて行く。

 だが、茫洋とした面をして、ジャコの奴は案外山を歩くのが早い。年寄りには中々つらい。これでも、山を歩くのを仕事にしてたんだ。俺の山を行く速さは、それでも常人より遥かに速いはずなんだがな…。

 幾つかの沢を越え、尾根を越え。

 最早、手元の地図を確認する間もない。だから、頭の中にある記憶のみを頼りに、今てめぇがどこを歩いているのかを構築していく。

 …ここいらは、見たことがある地勢だな。麓の村と行き来するのにも然程苦労はしないだろうってぇことで、割合早くに目を付けていた一帯のはずだ。北東に見える北に大きく張り出す尾根。白樺の濃い植生。どちらかと言うと、赤松の多いここらでは大分珍しい。

「おい、そっちは春に見たとこだろうが。多少の赤土がある以外は、何も無かったろうが…。」

 水場として太めの川もあるし、ところどころに台地になっている場所もあって、寝泊まりするところを用意するのも難くねぇ。良い石さえあれば、これ以上無かったんだけどな。

「爺さん、ボケたずら?」

 ジャコが立ち止まってこちらを怪訝な顔つき見やる。

「あぁん?」

 いや、年齢を考えれば、そう思われても仕方ねぇのか。確かに、記憶だけで判断するのは良くねぇな。わざわざ高ぇ紙まで用意して、地図までこさえてるんだ。

「ああ、待て。待て。今、地図を確認する。」

 丁度良い木の根を見つけて腰を下ろす。随分と焦って歩いたし、息も上がっている。それに、一回汗を拭いたい。

腰に付けた水筒から、水を飲みつつ、地図を見る。周りを見回して、地勢を一致させる。

いや、俺は未だボケちゃあいねぇ。

「おい、ジャコ。見ろ。やっぱ、あそこに見える長い尾根と、さっき越えた沢。それに、白樺の多いことを見ると、ここはマヌ村のほとんど真南。あの尾根の向こう側がクーベ村だ。春に来たところじゃねぇか。」

「そんなん知ってるずら。オイラ、爺さんより、この辺は詳しいずら。」

「いや、てめぇ…。」

 ジャコは俺に付いて回るようになる前までは山歩きって言ったら、柴を集めるだとか、多少の山菜でも得るためだとかぐらいだったはずだ。こう山の奥まで歩いて入ったことがあるはずがない。高々、数年だがこの界隈の山を歩いて巡っていた俺の方が余程詳しいはずだ。

 木の根に座って休んでいる俺に構いもせず、ジャコは今にも先に進みそうな気配だ。立って、てめぇの行こうって方向から目を外さねぇ。俺が示した地図にも目もくれねぇ。

「もう十分休んだけ?未だ休むなら、オイラ先に行くけども…。」

 こちらの返事も待たずに藪を漕ぎ始めるジャコ。

「おい。待て。わかった。俺も行く。」

 急ぎ、地図をまとめ、水筒を腰に差し追いかける。


 しばらく、藪を漕ぐ。ジャコが軽くでも鎌で払っているから、歩く抵抗は幾分少ない。だが、もう大分疲労が溜まって来ているのか、ジャコの背中を追うことしか出来ない。やはり、寄る年波には勝てねぇってことか…。


「ほら、ここずら。」

 ふいに、ジャコが立ち止まる。良く見ると、足元には草がない。崩れた地面が草を根こそぎ浚ったのか。妙に土臭い。

 目を上げる。

 そこには以前は無かったはずの川が出来ており、その傍らには僅かに赤い縞が顔を見せていた。

「鉄砲水が上の土を押し流したか…。」

 いや、地勢を考えると地下水路だったところが陥没したのかもしれない。いや…他にも…。

 俺がそんなことを考えていると、ジャコは無造作に川を飛び越え縞状の鉱石へ向かって行って、それを一舐めした。そして、

「うん、これは良い石ずら。」

 と言って泥だらけの顔で満足気な笑みを浮かべた。

村下むらげはたたらにおける最高技術責任者とも言うべき人間のことです。

鞴の吹くタイミングや鉱石や炭の量を決めるなどの仕事を担っていたようです。

良い鉄には一釜、二土、三村下となどと言われるようにたたら製鉄における重要な立ち位置の人間です。


さておき、第2章の前半部はここまでとなります。

いつも読んでいただきありがとうございます。

お気に入りいただけたら、ブクマ、評価などいただけたら幸いです。

また、最近短編も投稿しましたのでそちらもよろしくお願いします。

話の関連は全くありませんが、一応姉妹編ではあります。

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