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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(前編)荒天
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―アルミア子爵領、アルム、アイシャ―

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もう夏と言ってよい。高地にあるアルミア子爵領の夏は短い。だが、燦々と照る太陽、青く萌える一年草、黒々とした常緑の森も幾分か若々しく見える。盆地になっていることもあり標高に比べたら暑いと言える。もちろん、それは飽くまで標高に比してということであるが。とは言え、歩けば汗滲む。そんな頃合いである。

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 悪阻も大分収まってきたってんでね。いつまでも寝てるのも悪いから。少しは働かせとくれ、って言ったらね。文字や算術を教えてくれってんだよ。あたしもそんなん教えられる頭じゃぁないのにね。まあ、お腹も大分大きくなってきて、そう激しく歩き回ることも出来ないから丁度いいのかもしれないけどさ。

 レンゾの奴が何やら始めたら、どうやらここいらの農民の子らは文字や算術はほとんど習わないんだってね。まあ、畑耕すのに文字はいらないし、算術もそこそこでいいからね。でも、鉄を作るのには必要なんかね。そこはあたしはわからないけどさ。まあ、子倅どもにそういうのを教える必要が出て来たってわけだね。もちろん、奴のためだけじゃなしにね。教えられるもんなら出来るだけ教えておきたいってぇのがタッソの言さ。

 最初はね、役人連中が変わりばんこだったらしいよ。ヤメル兄ぃなんか教えるのは慣れていただろうしね。孤児院で事務仕事する傍ら子供にそういうのを教えてたからね。そういうとこ偉いね。ヤメル兄ぃは。

 でも、元々領館の仕事だって、ぎりぎりで回してたんだ。出来るなら、他の人間に回したいさね。まあ、この時期どのくらい忙しいのかはあたしは知らないけどさ。未だ、ここに来て一年経たないんだからさ。

 まあ、そんで役人らに暇がないってんで、あたしに御鉢が回って来たってわけさね。


「ひー、しかし暑いね。公都よりは大分涼しいけどさ。山ってのもあるのかね。」

 ファラン家へ向かう道、アーシャに声を掛ける。子女の教育ってのをやるのは、タッソの家のファラン邸さ。あたしは領館でやるんだと思っていたんだけどね。領館まで登るのは妊婦にはしんどいだろうってことでね。あれは確かに大分上にあるからね。門の前も少し上りになっているけどさ。中庭から領館の本館までは人の背丈で二人分か、もっと登らないといけないからね。そんで、ファラン邸でやるってぇことになったのさ。あたしらの家からだったら領館の方が余程近いけどね。まあ、少しは歩いた方がお腹の子にもよいって話だからね。あまり急な坂は危ないから勘弁しておきたいけどね。このくらいならね。

「アイシャ姉様、足元お気をつけて。」

 あたしの後を面倒見ってやられたアーシャがちょこちょことつけてくる。本当に、この娘は慣れないね。もう、何か月になるかね。本当に。

「ふー、ちょっとね。ふー。」

 あたしが息を付くと、アーシャが折り畳み式の椅子を建ててくれる。そう言えば、あたしがちょっとファラン邸で文字だなんだを教えるって言ったら、三日後にはこれを持って来たね。また、便利なモンが世の中にはあるんだね。


 さて、やっとこさ着いたね。

 一応は重臣の邸。立派なもんだね。いやさね。公都にある大商家と比べたら、大きさは似たようなもんかもしれないけどね…。言ったら難だけどさ。少しみすぼらしいけどね。飾り気も少ないし、野暮ったい分厚い木造りだ。まあ、それでも立派なもんさね。少なくとも、ここではね。二階建てなんて領館除けば四足家の邸しかないからね。

「アイシャ殿、ちょっとよろしいでしょうか。」

 邸に入るとロクセンの奴が話しかけてきた。ロクセンはファラン家の家人のおっさんだね。家のことは大体こいつがやっているらしいよ。所謂、家宰ってやつだね。装いはそこらの村人と変わらないけどね。しかし、タッソがアルミア家の家宰で…その実家にも家宰がいる。何だかややこしいね。

 でも珍しいね。わざわざ、こう出て来るなんて。いつも、女中のサーマが対応してくれるんだけどね。

「ああ、あんだい。」

「大旦那様が少し話がしたいということで。よろしいでしょうか。」

 ふん、大旦那ってぇたら、ファラン家の先代、タゼイの爺さんかい。何度かは会ったことはあるけど…、話したことはほとんどないねぇ。ここで手習いの師をやるようになってからも、ちょいちょい鉢合えば挨拶ぐらいはしたかな、ってもんだけどね。何か用かいね。

「ああ、別に良いけどね。そう時間に迫られているわけでもないからね。」

 あたしはロクセンに着いていくことにした。アーシャは別ということで先に手習いをやっている部屋に行ってもらったよ。ロクセンもその方が良いって言ってたしね。


 そんで案内された部屋にいたのたタッソだった。大旦那様じゃあないのかい。奥まったところにある顰め面しい執務机。日の当たらない、いや机には日は当たるが、そこに座る本人には日の当たらない。この季節には良いだろうが、冬場は寒そうだね。

「あら、タッソじゃないかい。珍しいじゃないかい。こんな時間に家にいるだなんてね。」

 タッソは昼間は領館にいることの方が多いさね。まあ、領の文官の頭だからね。そら、ほとんどは領館で過ごすさ。偉そうに執務机に座っているタッソとは対照的に、横を見るとタヌは火の着いていない囲炉裏の脇の、布団の付いた椅子にちょっとだらしなく座っていた。

「それにタヌも。久しぶりじゃあないかい。」

「あいな。アイシャ姉ぇ。御子の調子はどうだい?」

 タヌはひらひらと手を振って答える。そして、あたしら一党の中でも一番の器量良しとも言われる、その端正な顔を少しだけ緩める。

「ああ、お陰様でね。」

 あたしは手を振り返したら、タッソに向き直る。

「そんで、あたしは大旦那様に呼ばれたってぇ話だったと思うんだけどね。」

 手を腰に当て、不審な目を向ける。そらね。こっちは謀られたわけだからね。

「まあ、そういうことにしたかったんですよ。一先ずね。取り敢えず、身重の人を立たせているのも悪いので、まずは座ってください。」

 執務机に座ったまま、目で椅子を指すタッソ。

「ああ、そうさせてもらうよ。流石に身体も重くなってきててね。」

 折角なんで、あたしはタヌの隣に「よいしょ」と声を掛けつつ座る。ふーん、良い布団使っているじゃないか。藁束詰めたやつじゃなくて、羽毛使ったやつだね。幾らするんだろうね、一体。

「で、何さね。雁首揃えて。っても、二人だけだけどさ。」

「いやさね。私も突然タッソの旦那に呼ばれてね。未だ、何も聞いていないのさ。」

 タヌは不満気な顔をして言う。

 そうかい。タヌも聞いていないのかい。そいつぁ、キナ臭いってもんだね。

「集まってから話をしようと思いましてね。」

「そうかい。じゃあ、ちゃっちゃと始めておくれ。あんたも暇じゃあないんだろう?少なくとも、お産で休みを貰っているあたしよりはさ。忙しいだろうにさ。」

「ははは、そうですね。」

 そう言うと、タッソは少し姿勢を直し、口の前で手を組む。

「まずは順に話して行きましょうか。」

「ああ、頼むよぉ。」


 タッソは姿勢を崩さず切り出した。

「今、アルミア領は二つに、最悪三つに割れようとしています。」

「え?」

 タヌは何を言っているかわからないという反応だ。

「しかし、のっけから不穏な話だねぇ。」

 お貴族様に近いところで仕事していると、どうしてもこういう話が出て来るってぇのは聞いていたけどね。こうして、ここに来て一年経たず、そういう話になるとはねぇ。勘弁してもらいたいもんだね。

「えぇ、えぇ。残念ながら不穏な話です。」

「で、二つ、もしくは三つ…。つまりは元々のここの連中とあたしら公都組。それで二つ。そんで四足家が二つに割れたら三つってなるかね?」

「ははは、流石アイシャ話が早いですね。」

 半分当てずっぽうのつもりだったけど、当たりだったみたいだね。

「まあ、それほど組織が多いわけでもないからね。ここは。で、公都の連中で何か厄介なことでも考えている奴らがいるってのかい。」

 そんなこと考えるような奴はいたっけねぇ。セブ兄ぃもそこんとこある程度考えて人を選んだみたいだし…。あまり考えたくはないがねぇ。

「そ、そんな奴…!」

「まあまあ、タヌ。落ち着きな。えぇ?」

「あ、ああ。うん。姉ぇ…。」

 立ち上がろうとするタヌを裾を引っ張って落ち着かせる。

「ははは、齢にしてはタヌは割合落ち着いている方ですが、アイシャがいると何だか子供っぽさが出て…。何だか安心しますね。」

「そうかい。つまりは、あたしが見ていないところではタヌはしっかりやっているってぇことだね。いや、安心、安心。」

「いや、な…。えぇ…。」

 頬を赤らめるタヌ。くくく、可愛らしいじゃないか。確かにね。ここに来た連中じゃ一番若い…幼いしね。未だ、下働きに出てそう何年も経っていないはずだしね。十年以上働いているあたしらから見たら未だほんの子供か、それをちょっと出たぐらいってぇとこだね。

「ま、タヌをからかってても仕方なかろう。可愛らしくて、これはこれで良いかもしれないけどね。」

「それもそうですね。私としては貴重なものが見れて何よりですが。さておき…。」

 嫌らしい笑みを浮かべながら続けるタッソ。どうやら、今回の話は奴さんの本業、アルミアの暗部、としての仕事ってぇことかね。人手不足で表の仕事ばっかやっているから、そういう印象はあまり無いんだけども、ファラン家ってぇのはどっちかというと、そういう仕事が本業らしいからね。

「ぐぅ…。」

 タヌは圧を感じ取って引き下がる。まあまあ、あんたがどうこうしようってぇのは未だ早いってことさね。別にあたしも老練ってぇわけじゃないなんだけどね。こちとら、一年ぐらい前までは場末の娼館で働いていた者さね。あんま、どうこうを求められても困るんだけどね。

「話を戻しますと…公都の人々のうち、誰かがどうこうしようとしている、ということはありません。そして、二つに割れるって言うのは…情けない話ですが、我々四足家の方ですよ。」

「四足家?」

 タヌが尋ねる。

「ここの重臣四家だよ。タッソのファラン家、レーゼイのガーラン家。あと、ポソン家とニカラスク家ってとこだね。この二家とはあたしはほとんど会ったことは無いけどね。」

 戦で当主だ嫡子だかが死んでゴタゴタしてるってね。それを言ったら、領主のアルミア家が自体がそんなもんだったわけだけどね。まあ、先立ってセブ兄ぃが当主に収まって、少しは落ち着きつつあるみたいだけどさ。まあ、上が定まったから、逆に下がゴタゴタする余裕が出て来たってことかね。

「ははは、流石アイシャ。よくご存じですね。」

「おおー。さっすがアイシャ姉ぇ!」

 拍手するタヌ。ついでにタッソまで拍手しやがる。タヌからの賛辞は素直に感じられるけどね。この状態のタッソのこれはどうにも胡散臭いねぇ。


「ったく話が進まないじゃないのさ。さっさと続けな。」

「おっと危ない危ない。で、どこまで話しましたっけね。」

 タッソの奴は再び口の前で手を組んで、机に肘をつく。

「四足家が割れようって話さね。あんたら仲悪かったのかい?」

 まあ、そんな単純な話なはずが無いだろうけどね。

「そんな単純な話であれば良かったのですがね。アイシャの察する通り、そういう話ではない訳です。」

「そうだろうね。」

「そうなのかい?」

「そうなんですよ。」

 わかっていないタヌを撫でながら言う。こん娘、こういうとこが可愛くてね。あんま甘やかすとササンが拗ねるからね。折角、タヌしかいないしね。こういう時はちょっと甘やかしておこうかね。

 そんなあたしたちを、にこにこと見ながらタッソは続ける。

「ご存じのことかもしれませんが…、先の戦でポソン家、ニカラスク家は事実上当主がいない状況となりましてね…。まあ、それだけなら、良かったかもしれませんがね。どうにもキナ臭いことになっていましてね。さらに、どうにも、そこに反新領主とも言うべき動きも相俟ってですね。」

 ふーん。反新領主ね。なるほど、そういう奴もいるだろうね。何しろ、外者だしね。だけど、この場合は…。

「あたしらのために少し持って回った言い方してるね。要は反公都組ってとこだろ。」

「流石痛いところを突きますね。ですが、言ってみればそういうことです。」

「な…、そんな奴ら…。」

 まぁた、いきり立とうってぇ、タヌを抑えてやる。はいはい。

「ア、アイシャ姉ぇ…。」

「話が進まないからね。」

 そこで感情的になっても仕方無いってぇことは、こん娘もわかっているだろうにね。

「では、続けましょうか…。タヌもあやされてばかりではなく、ちゃんと聞いてくださいね。あなたに関係の無い話ではないのですから。」

「お、おう。」

 さてね。確かにね。未だ、あたしとタヌだけ呼ばれて、こう密談のようになった理由は見えてこないね。まあ…あたしは兎も角ね。タヌはね…。

「そうですね。反公都組というだけであれば良かったのですがね…。っと、その前に私…私達の立場を明確にしておきましょうか。」

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