―アルミア子爵領、南西のとある道、テテ―
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森の深い黒は深々と。厚い針葉は然としてそこにある。雨は無いはごろごろと雷の音がどこからかする。山間の土地に開かれた三尋もある土の道。深くはないが轍も切れている。そこに大勢の兵のいる。その手に持つは剣、槍ではなく、鍬、円匙。ようよう見れば土砂崩れ。それを除けるために兵どもは腕を振るっている。除けた土は畚に入れてあちらへこちらへ。
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「おぉい、ご両人お揃いのこって。何よりじゃぁねぇか。はっはは。」
俺とモルズが一息付いていると、見慣れた赤い縮れ毛が幾人か連れて、荷車を引いてやって来た。今は大休止の兵たちもレンゾは見慣れたものだ。「あぁ、鉄屋の親方かぁ」なんて、言っている。
「レンゾ…。追加か。助かる。」
モルズが応える。
相変わらず愛想の無い返事だな。まあ、長い付き合いのレンゾ相手だ。そうそう目くじら立てることもあるまい。レンゾ自身もそこでどうのこうのってぇ奴じゃないしな。これが、兵の連中や、手伝いに来てるカーコら村娘だったら、どうかと思うがな。
ま、モルズはその辺弁えているから、心配無いがな。余程、レンゾの方が小娘共には怖がられている。あいつ、どいつにもこいつにも同じ調子だからな。てめぇ、バカヤロウ、クソヤロウ、ってぇな。
「おう、追加の道具でい。全くよぉ。」
レンゾは車に載った鍬だ円匙だをどっさと適当に放り投げる。相変わらずの膂力だ。二十本もあろうか。
しかし、助かった。
土砂崩れで道が繋がらねぇってなって。調練だなんだって、無駄に身体を動かすぐらいなら、土仕事でもしたろうってぇなってな。ここに来たってぇわけだ。
ただ、流石に剣槍で土をどかすわけにはいかねぇ。取るものも取り敢えず、近場の農家から借りたものやら、余った戸板だなんだで掘り進めて来た。進発の時、タッソの旦那に何とかするように頼んだが、まさか一両日で用意出来るとはよ。
「おぉ…すまんな。」
モルズはただ置かれた道具を丹念に確認し始める。
「ところでよぉ。そっちのは何だ?」
左の小脇にレンゾは何やら抱えていた。
「おう、テテ兄ぃ。いいとこに気付くじゃねぇか。これはよ、こうするのよ。」
レンゾは小脇に抱えていた、モノを開く。開くと腰丈になる。麻布を張ってあり…そうか腰かけになるのか折り畳みの。基本、木造りだが、要所要所に鉄が使われている。
「おう、そんでよ。ちっと、モルズ兄ぃ。これによ、どっかと座ってみてくれねぇか。こう、出来るだけ、てめぇの身体預けてよ。どっかとだ。」
「ふむ…。」
モルズは言われたようにどっかと腰を掛ける。少し軋むがモルズの巨体も十分支えている。鎧も着けたままだから、相当な重さだろう。
「おう、そんな感じでよ。何回か頼むわ。」
表情も変えず、モルズは何回か、勢いよく腰かける。何とも、不可思議な光景だ。
モルズはこういうところがあるな。言葉は少ないし、表情も変わらない。だが、人の頼みをそう易々と断るわけではない。人によっては、こんな馬鹿みたいなことをしろと言われたら、嫌がるだろうが、モルズの価値観ではそうではないのだろう。何回か腰かける、それ自体は大した手間ではない。そういう考え方だ。
「いや、で、結局何なんだよ。それは。腰かけなのか?」
「おう、テテ兄ぃ。これはよ。アイシャがよ。悪阻もマシになってんでよ。少し働きに出るってぇからよ。そんでもよ。家から領館ってぇたら、まあ、少しかかるしよ。そんでよ。こう持ち運べる腰かけがあったら、いいと思ってよ。こう、作ってみたってぇわけだ。」
「ふむ…。」
虚空を睨みながら、座ったり立ったりしていたモルズも聞いていたようだ。
「で、それで、何でモルズがそれに座る必要があったんだ?」
「そらぁ、あれよ。身籠った女が尻を打つわけにはいかねぇからよ。どんだけ重さに耐えられるか、試しってぇわけだ。モルズ兄ぃより、重い人間なんざ、そうそういるわけじゃねぇからよ。」
レンゾはモルズが座るたび軋む折り畳みの椅子をしゃがんで、いや地に這いつくばって見ている。撓み具合や鋲が緩んでいないかなどを見ているのだろう。
「やり過ぎじゃぁねぇか。いくら身籠っていても、モルズより重いってぇことはねぇだろうがよ。」
アイシャは別に小柄というわけではないが、特別大柄なわけではない。男としても特別大柄な方のモルズが鎧まで纏っていたら、二倍ぐらい重さがあるんじゃないか?ていうか、何でこいつ鉄鎧なんて着ているんだ?
「それによぉ。レンゾ、おめぇが試してもそこまで変わらないんじゃねぇか?」
レンゾとて、モルズに負けない体格だ。ただ、まあ時々自分のデカさをわかっていない動きをすることがあるが。
「いやぁ、それが駄目なんだ。駄目なんだよ、テテ兄ぃ。」
レンゾは頭を上げ、頭を掻きながら答える。
「どうしてだ?」
確認が終わったことを悟ったのだろう。モルズも先ほどまでの屈伸運動を止める。
「いやよ。俺もよ。今までそんな考えても無かったんだがよ。やっぱ、自分で作ったものってぇのの弱いところは自分が一番わかってんだ。」
確かに、モノを作るってなっちゃあ、考え無しになるような奴でも無かったな。それなりの哲学ってぇのがあるのだろう。
「だからよ。そのな。あー、要は手加減しちまうっつーかよ。自分でやると、その弱いとこに力がかかんねぇようにしちまうんだ。そういうこと考えねぇようにしててもよ。」
「そういうもんか。」
「そういうもんなんさ。春からよ。農具だなんだ、結構作ってみたがよ。やっぱ、俺がやるとそうそう簡単には壊れねぇが、他人に任すとすぐ壊れたりするんだ。そんでよ。どう使っているか、ようよう見てみるとよ。作る側の人間からしたら、思ってもみねぇ力の掛け方したりしててよ。使っている奴は俺と比べて力は弱くてもよ。こう、やっぱ道具の弱いところを突かれるとよ。ぱきっといっちまったりよ。」
レンゾは、身振り手振りを交えて伝えてくるが、俺はその農具がわからないから、どこがどう折れたのかは良く分からない。
「でも、それは使う人間が道具の使い方ってのをわかってねぇってもんじゃねぇか?」
俺にとって使い慣れた武具の扱いに直してみれば、そういうものかもしれないとも思う。
「刃だって強い向き、弱い向きがある。正しい向きで刃を立てれば、刃こぼれもしにくいし、増してやそうそう簡単に折れたりもしないだろ。」
「違ぇ。違ぇんだよ。それはよ。テテ兄ぃ、使う側の心得だ。作る側の心得じゃぁねぇってよ。な?」
レンゾは顎をこすりながら言う。
「ふむ。」
「例えばよ。剣だなんだの武具の刃だってよ。そう出来ている。あれはよ。切るのに最も適した造りじゃあねぇんだ。」
斬るための剣が斬るのに適した造りじゃぁない?
「どういうことだ?」
「そりゃあよ。剣はよ。最終的には肉切って骨を断つだろ。だがよ。世の中、剣よりなんざより、余程肉も骨切っているもんがあるだろうがよ。えぇ?」
まるで謎かけだ。剣よりも肉を斬り、骨を断つもの。
「包丁ずら。」
顰め面のカーコがいた。今は大休止中だ。本来は大休止の際の飯炊きなども兵に任せたいところなのだが、まだそこまで調練が済んでいない。今は手伝いに来た女どもが飯炊きをしてくれている。
成程、包丁か。確かに、肉屋ともなれば毎日何回も肉を切るだろう。どんな達人とて、戦場で毎日何回も人を斬ることはあるまい。
「肉を切るのに最も適した造りをしているのは包丁よ。でもよ、俺は戦場には立ったことがねぇからわからねぇがよ。こう、戦場じゃあよ。肉の筋、骨の向きに気を配って刃を当てるわけにはいかねぇだろ。」
「なるほど。それはそうかもしれないな。」
「な?そうだろうがよ。そんでよ。包丁ってぇのはよ。そう出来てるからよ。剣なんざに比べると、横の力に弱ぇんだ。それに全体として脆いしな。」
「つまり、相手の剣を受けたり、鎧やなんかに防がれたりすると、折れてしまうわけだ。」
「そういうこった。何ならよ。包丁にしろ、剣にしろ、数打ちじゃねぇモンはよ。使う相手の決まってる一本打ちなんかはよ。その人間ごとの癖なんかも踏まえて打つわけよ。どんな達人でも、癖ってのがあって鉄の疲れが溜まりやすいところがあるからよ。」
「…そうなら、これはアイシャが実際に座った方がいいんじゃないか。」
ふとモルズが口を開く。
「…そうでなくとも、女の方がいい。男と女では骨格が違う…。お産をするからだろう…。特に腰回りの違いは大きい…。座る時の動きも違うだろう。」
「おう、流石はモルズ兄ぃだな。」
「あぁ…親方が言っていた。それだけだ…。」
そう言えば、モルズは大工だったな。椅子なんかはレンゾより詳しいのかもしれない。
「そんなら、カーコ、丁度いい。これに少し座ってみろ。」
俺らの昼餉の配膳をしていたカーコに声を掛ける。少し嫌そうな顔をする。どうにも、カーコはレンゾと相性が悪いようだ。
モルズが無言で腰かけを差し出す。カーコも渋々座ろうとするのだが…。
「ひぃっ。」
と言ってカーコは後ずさる。レンゾがまた蛙のように這いつくばって腰かけの脚を見ているのだ。泥が着くのを気にもせず。こりゃあ座りづらい。ようよう考えてみると、俺でも座りづらい。増してや、女のカーコにはかなり耐え難いものがあるだろう。モルズはよくこの状態で何回も座ったもんだ。
「お?どうした。早く座ってくれや。」
レンゾはそのままの姿勢でカーコを見上げる。
「…っ!」
カーコは今度は悲鳴も出せない。こいつぁ、強烈な眺めだな。
「いやいやいや、レンゾ、おめぇがそうしてたら、そりゃ大概の娘はそうなるだろうよ。」
「あぁ?でもよぉ、テテ兄ぃ。こうしねぇとよ。どこが弱るかわかんねぇだろうがよ。」
俺は頭に手をやり、溜息を吐く。
あ、いや本当にこいつとアイシャが一緒になってくれて良かったと思うよ。他の娘では担力が足りなかったがろうがよ。
一通り、わいわいやった後、昼餉も食わずにレンゾは去って行った。
「なぁ、モルズ。何だかなぁ。羨ましいと思わなねぇか。」
「何がだ。」
「所帯持ってよ。カミさんも身重でさ。そのカミさんのために何ぞかんぞしてやるってぇのもよ。悪かねぇんじゃあねぇかと思ってよ。」
「うぅむ…そうかもな。だが、今はやることもある。」
そう言ってモルズは立ち上がる。
「別にレンゾの奴だってやることをやっていないというわけじゃあねぇんだけどな。」
俺も習って立ち上がる。
「…まあ、確かにな。」
「俺も身ぃ固めてみようかなぁ…。」
「まあ、あまりふらふらするよりは良かろうよ。下に示しがつかんからな。」
少し頭を掻きながらそう言うと、モルズは仕事に戻っていった。
「ったく行ってくれるじゃねぇか…。」
ふと、カーコの方を見る。未だ、兵どもの昼餉は終わっていない。鍋を掻きまわしていた。
さて…なあ。