―アルム近郊、精錬場、テガ―
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さぁさぁと細い雨。水量はさして多くはない。ただ、もう夏が見えて来ているのに未だ暖かいわけではない。身体を濡らすはまずい。獣脂の残った毛皮は水を弾く。ならば、この雨の中を歩くはそれが頼り。それを羽織り森の道を行く男、ズブ。伊達に伸ばした髪は目深に被られた頭巾に隠されている。ぱしゃりぱしゃりと水を掻き分けるは革の長靴。屋根の下に入ったら、大仰に頭巾を脱ぐ。
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三日前から雨が続いている。
隣家に行く程度の距離であれば雨具無しでも良いだろう。だが、外で働いていれば、いずれ濡鼠になり、最悪風邪を引くだろう。そんな程度の雨。
幸い、精錬場は鉱石が水を嫌うってことで、雨避けの屋根だけじゃなく、排水もしっかと造られている。いや、造ったというのが正しいのだろうが。結果として、余り野良仕事に適さない、こういう雨の日が続くとなれば、手伝いが少しではあるが多くなって有難い。村から来るのは辛いが、幸いここでも寝泊りぐらいは出来るようになっている。飯も出るしで、泊りがけで働きに来ているものも多い。
だが、義父タスクの言葉が耳を離れない。雨が多く、気温が上がらないと…。
「よぉ、テガ。こっちはどんな案配だ?」
ズブがやってきた。これは休憩次いでに駄弁りに来たって感じだな。どちらかと言えば、喋っていないと落ち着かない男だ。喋らないなら、喋らないで、歌うなりなんなりしているような男だ。ズブのやっている仕事は炉だ。半端な高さの屋根では燃えてしまうということで、まだ屋根の造りは万全ではない。それに屋根が高いと振り込む雨も多いのだろう。炉周りの人間は割と雨具を着けたまま作業をしている。
「まあ…、ぼちぼちやってるよ。」
俺は選鉱をやっている連中を見回す。元の鉱石を砕くのは男の仕事だが、そこから選り分けるのは女の仕事だ。最近は鉱石も砕かれた様で運ばれて来ることも多い。自然、ここは女が多くなる。妻となったコッコはそれが少し気に入らないらしい。義父タスクの言に従って…従うと、どうしても、夜の、そういうことも、消極的にならざるを得ない。そうなると、余計にそういう感が強まるのだろう。コッコもそのことはわかってはいるのだろうが…。
「なんだ。湿気てんな。おぉい。雨にやられたか?ははは。」
よくよく考えてみたら、コッコの焦りはこいつが原因かもしれない。冬の間は鳴りを潜めていたが、春になってからは方々の女に声を掛けていたりした。周囲から見れば決まった相手がいるのにも関わらずだ。成程、コッコらから見れば、俺もこいつと同じ公都の男だ。だが、そんなことをしているのはコイツだけだと思うのだが…。いや、未だ何人かはいそうだな。
「…まあ、そうだな。雨が多い。」
「どうだ?コッコの一緒になって何か変わったか?」
こちらの思い悩ませていたことに微妙に近いところを言い当てて来る。嫌な男だ。
「そう変わらんよ。去年から一緒に暮らしていたからな。」
そう変わらないのが、問題に、いや問題というほどには深刻にはなっていないが…。少し、ぎくしゃくする結果になってしまっているのだろう。
「とは言えよ。てめぇ、ほれ。初夜とか、そういうのもあるだろうがよ。そしたらよ。夜はやってんだろ。」
つくづく嫌な男だ。
「下世話だぞ。」
少しは離れているが、周りには女衆が沢山いる。あまり、変な噂でも流されてはコトだ。
「俺とおめぇの仲だろ。下世話も何もねぇだろ?」
どんな仲だ。ここに、アルミア子爵領に来るまで、碌に喋ったことも無かったろうが。
「レンゾ兄ぃはあんなだしよ。ササンは女だ。兄ぃの連れて来た職人連中やこっちの雇われもいるがよ。俺、お前でやれるのは、てめぇ、俺にとっちゃお前、お前にとっちゃ俺だけだろうがよ。そう連れないこと言うない。えぇ?」
確かに、そういうこともあるかもしれないが。人間、対等に話せる相手がいないと息が詰まる。そういうこともあろう。だが、何か、俺とこの男が本当に対等なのか。少し考えてしまう。
ズブは東南長屋街の出だったな…。公都の南東に2,30年ほど前に所帯持ちの雇い人向けに整備された区画だ。
そう、東南長屋街の出だ。ズブは。それも、モルズの兄貴の同じ通りの。だから、ズブは自分の出を言う時、少なくとも公都に人間、いや、ここアルミア子爵領に来た連中には「東六番通りの出だ」と言う。
俺は違う。俺は、「東六番通り」がどこかというのは、さっとはわからない。そもそも、その近辺の出ではないからだ。確かに、そうではない人間も公都から来ており、今はアルミア子爵家に仕えている。でも、他の人間はどうか知らないが、俺は、どうしても俺は、そこに幾許かの劣等感を抱いてしまう。
「じゃあ…聞くがな。」
「おう、なんでい?」
「お前、ササンをどうするつもりなんだ?ササンとどうなるつもりなんだ?…地元の女にも手を出しているようだが…俺の婚儀…マヌ村の春祭りの時にもネメに声を掛けていた。」
全く、悪い意趣返しだ。こいつ、そこのところ腹を決めてねぇのはわかっているのに。
案の定、ズブは固まる。
固まった後、そう、奴らしくもなく、奴らしくもある、決まりの悪い顔をする。
「てめぇよぉ。コッコと上手く行ってねぇのか?」
考え抜いたのか、それともふと思いついたのか、絞り出すようにズブは言う。
「今は俺が聞いているんだ。なあ?」
「てめぇ、いつになく強気だな…。」
ズブが少し引く。あの、ズブが少し引いているのを見ると愉快だな。
「何、てめぇ笑ってやがる。」
気付かずに笑っていたか。こういうのも少し久しぶりな気がする。俺は、どうにも、こういうのの、こういう話の、そういうものに関しては、聞くだけ…、少し囃すだけ、そんなだったが。
「ササンとはいつも一緒にいるしな。寝所も一緒だって聞いたぞ。」
なるほど。ふん…。これは、これで、悪くはない。
「誰に聞いたんだよ。下世話だな。」
「方々からだよ。」
「方々ってどこだよ。」
「色んなとこだよ。」
「けぇ、話す気は無ぇってか。」
ズブは足を放り出す。
「別に話してもよいがな。」
少し考えてみて、この辺の話をしてきた人々の顔を思い浮かべる。
「おうおう、誰でい。おいらの悪口言っている不届き者はよぉ。」
身を乗り出して来るズブ。少し嫌がらせをしてやるか…。
「…そうだな。この前、見舞いに行った時にアイシャの姉御に。そん時、たまたま領館で会ったタヌとコルエ。メーコ殿にカーコ殿にも。この前、精錬場に出来たものを取りに来たナナイとメッケの姉御に。コッコも手習いのために領館に偶に行くからな。コッコも色々聞いてきている。義母のマコも知っていたしな。後は、うちの村ではビーコやエコ、ネッコまで知っているぞ。」
ふと、自分の口から出た、うちの村、という言葉に己の立場が徐々に変わりつつあるのに気付く。多分、俺は今後名乗る時、マヌ村のテガ、であると名乗るのだろう。
「おいおいおい。公都から来た女衆大体じゃあねぇか。つーか、知らねぇ奴らもちょいちょいいるぞ。ビーコやエコ、ネッコって誰だよ。」
「ビーコはコッコの末妹だ。今年、七つになった。エコはタキオの妹で齢は十だな。ネッコは三つになったスーデン殿の孫だ。」
まあ、その辺りの子供までもが知っているのは、俺とコッコが広めたからだが。タヌの入れ知恵だな。ちょっと、ズブを縛ってやろうってやつだ。
「ガキじゃあねぇか!どうして、そんな奴らまで…。てぇか、3つのガキとか何もわかってねぇだろうが。くっそ、どこかの誰かが糸を引いてやがるな。」
言葉とは裏腹に何だか楽しそうなズブ。
「さて、それは誰だろうな。」
そんなことを言う俺の口角は上がっていた。
だが、未だ雨は止みそうにないな。家に帰るのも億劫になるほどに…。