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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(前編)荒天
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―アルム近郊、マヌ村、ズブ―

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十の九は雲覆う。曇天されど雲薄く。雨も降っておらず、風も凪いでいる。だがどこか薄ら寒い。そこらではざっくざっくと耕す音、遠くからはかこーんかこーんと木を切る音。もう苗の生え始めている畑もあるが、畑仕事は始まったばかり。耕す箇所は幾らでも残っている。

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「よーいこらせっとぉ!」

 犂を返すためには牛を円く歩かせながら、重い犂を持ち上げる必要がある。これが思ったより重労働だ。レンゾ兄ぃが調子に乗って三連の犂なんか作るもんだから、重いのなんのって男三人掛かりだ。さらに、牛を歩かせるのにも人がいる。これは、ササンがマコの姐さんに教えてもらいながらやっている。未だ慣れなくて、手際が悪いから犂を持ち上げている時間も長くなる。これは堪えるってもんだぁな。


 春祭りの日のことは結局ササンにはバレてはいない。あの日、ササンはアイシャ姉ぇに付きっ切りだったからな。いいじゃあねぇか、少しは遊んだってよ。タヌにあそこまで絞られるとは俺は終ぞ思わなかったぜ?あいつ、俺より確か1つ2つ下だったよな。いや、3つか?まるで、ナナイ姉ぇやアイシャ姉ぇみたいな感じだったぜ。


 犂を返すのを手伝うと、小作人の兄ちゃんらは自分の仕事に戻って行った。

しかし、俺らは、どうしてどうして、土を耕している。中々こりゃあ、段々と、犂にも慣れて来ちまってぇな。レンゾ兄ぃ曰く「農具を作るにゃ一度農具ってのを使ってみねぇと」なぁんてな。そんで、こうなったってわけだ。俺は炉が主だから、実際に犂を作ることは無いと思うんだがな。

一応、それだけじゃねぇんだがよ。俺ら、精錬場のことを冬場大分手伝ってもらっていたがよ。それも、農閑期だったってことがあってだな。農繁期になってぇ来ると、そうも手伝いは出せねぇってんでな。そんでも、やっぱ人数必要な仕事も多いからよ。そんじゃあなって、俺らが耕作手伝う分、いくらかまとめてこっちに人手回してくれねぇか、ってんだな。

レンゾ兄ぃがタスクのおっさんに頼んだら、ひょいひょいと話が進んじまったよ。おっさん実はそこそこの顔役だったってんだな。そこに婿入りするテガは安泰ってぇわけだ。

まあ、そんなこんなで、俺らは、こう耕しているってぇわけさ。

まぁ、これも、これってな。よいよいって、やって畝が出来て行くってな。鼻歌交じりに犂をやって行くわけさね。

「んーふ、んふふー」

犂の反転が終わったら、犂の向きを整えながら、また耕して進んでいく。

「あんたは気楽だね。」

ササンが睨め付けてくる。こいつの、こういうのも慣れて来たなぁ。ここに来る前までは話したこともほとんど無かったんだがな。

「んふふっふーってぇな。えぇ?なぁに。これは、これってぇよ。…な?」

 どーにもササンの奴は固くていけねぇなぁ。こういうのはな。楽しんだモン勝ちってぇな。モンだろうがよ。

「そういうものか…」

ササンが腑に落ちないって顔で牛の導きに戻る。


 犂はぐいぐいと土を掘り返す。河を昇る舟のように、その舳先で舟が波を切るように、土を掻き分けて行く。掻き分けられた土くれは、脇に掘り返され、舳先の通ったところは少し落ち窪む。そんで、ずんずんと畝が出来て行く。

ここは、この春開墾したところだってんで、未だデカい石なんかも残っているかもしれねぇってんで慎重にだ。見える分は粗方取り終えたが、土に埋まっている分はわからねぇからな。

がんと、音が鳴る。

おぉっと、言ってるそばから、どうやら、デカい石があったみたいだ。これぁ、どかさんわけにゃあいかんな。

「ササン、止めだ。止め。おぉーい。マッソ爺!石だ!頼むぜ。」

ササンが牛を宥めて止める。

 マッソ爺ってぇのは、ここの小作人の取りまとめだな。小作人ってぇのは、どうも下に見られ勝ちだが、その頭ってぇなると村長に次ぐってなモンらしい。奴さんの資産は貯めこむだけ貯め込んでるらしいが、何に使っているんだか、ってぇ話らしい。仕事は出来る爺さんらしいがな。疾うに自分の畑を持つだけの金は稼いでいるだろうに未だ小作人やっているってぇ爺さんだな。タスクのおやっさんより、この村長いらしい。

「コンズぅ、行くずらぁ。」

爺さんはのぉっそりと動き始める。小作人連中は切株を起こしていた。レンゾ兄ぃはあっちの方をやっていたんだが、今はいないみたいだな。赤毛のでっかいのが何やら縄を引いてらぁな。

 マッソの爺さんらが用意して来るまで、俺らは牛に載せていた鍬で石の周りを掘る。こいつぇはデカいな。

「ズブの兄ちゃん、それかぁ。どうずら?」

のっそりと爺さんが若いのを連れて来た。

「深いなぁ。こりゃぁ。牛が必要か?」

岩は掘り返してみると、大分広そうだ。

俺が屈んで石の様子を見ていると、上から爺さんが覗き込む。

「へぇへっへっへ。まあ、牛はいーらんずら。ナァ。へっへ。」

珍妙な笑い方しやがって、この野郎。なぁにが面白いかね。この爺ぃは。えぇ?

「だぁが、こりゃもっこだけじゃぁ足らんなあ。コンズ、三つ脚になる丸太とな神楽桟持って来てくりょぉ。丸太は両手掴みより、少し大きいやつずら。後、二人…デコシとダブでいい。へっへ。」

大体こういう案配だな。この爺さんはよ。なぁにを考えているのかをこっちには読ませねぇが、何だかにたり、にたりとやぁってやがる。タスクのおっさんも言ってたな。この爺さんは頼れるかもしれねぇが、振り回されるってな。おっさんも小作人だった頃、大分振り回されたみたいだ。人を振り回すってぇたら、うちのレンゾ兄ぃも大概ってぇもんだな。どんな案配で一緒に仕事してるんだろうな。

「えぇ?そんで爺さん、どうするってぇんでい。」

「まあ、ほんならな。ちっとばっかし、避ければ犂も進むけ。そんだけ、やっとこな。兄ちゃんらが犂引いとる間に、あしらがどかしとくずら。」

「あぁ、そんならよ。おっし、ササン、少ぉしだけ牛を進めてくれ。」

俺は犂の舵をめい一杯左に切る。舳先ががりがりと岩に少し擦るが、徐々に岩を避けていく。三歩、四歩も行かないうちに岩の前に犂が出る。

「ほいっと。爺さん、後は頼んだぜ。」

「任せとくずら。」

 そういうと爺さんは持ってきた鍬で石の周りを掘り始めた。


 そんで俺らは犂を続けることにたってぇわけだ。ここらの耕地は、こう出来るだけ長ーい形に出来上がっている。そうは行ったってここら以外の耕地も碌に知らねぇがよ。要は、これは犂で効率よく耕すためってぇわけだ。犂を返すのは時間もかかるし、人数もいる。そんなら、出来るだけ長く真っ直ぐ耕せる方が効率がいいんだな。

 ずっずぅーっと俺らが犂を進めている間に、どうやら若いの三人で道具も持ってきたようだ。荷車に何やら、木材やら道具やら積んでいる。

「マコ嬢ちゃん。こいつぁ、あの脇でいいけ?」

爺さんは畑の北東を指す。そっちは未だ耕していない方で、岩のある位置から一番は畑の端に近い。

「ああ、いいさ。マッソ爺。そっちで頼むずら。」

マコの姐さんが応える。俺らは臨時雇いの手伝いだもんな。実際、畑の面倒見るのは、村の連中だ。俺らが判断するのってぇのは筋違いてなもんだ。

 しかし、あのマコの姐さんも嬢ちゃん扱いだもんな。あの爺さん。何時からここにいるんだか。

「この辺でいいけ?」

爺さんは実際に歩いて行って、足で場所を示す。

「ほんだね。そこにしとくりょ。」

マコの姐さんが頷く。

「へっへっへ。おし、ほんだら、おまんら神楽桟はこっちだぁ。コンズはそっちでもう少し岩掘っておいて、デコシとダブはこっち来ぉし。耕したとこ通っちょしなぁ。」

「うす。」

若いの二人は荷車を遠回りさせながら、神楽桟ってぇ道具を運んでいく。運び終わると向きを整えて、そこに杭でトンテンカンと固定し始める。

「ズブ、余所見するな。」

へいへい。


 犂を往復するってぇなると結構時間がかかるモンだが、俺らがもう一回戻って来るまで、マッソ爺らは岩を掘り返していた。こりゃあデカいな。大人一人が悠々と寝転がれるぐらいはある。

どうれ、どんな案配か見てみっかな。

「ササン、ちっとぉな。止めてくれ。」

ササンは不機嫌そうな顔でこっちを見やるが、一応牛を止めてくれる。まあ、ササンが不機嫌そうなのはいつものことだしな。

「まあ、岩どかさんことには耕せんから仕方無いずら。」

マコの姐さんも同意したしな。

「おう、爺さん。俺も何か手伝うか。」

岩を掘っていた爺さんはこっちをにやついた顔で見やる。

「へっへ。兄ちゃん、ほんだら少し手伝ってもらおうかぁねぇ。へぇへ。」

爺さんはマヌの姐さん、いやササンの方をちっと見やる。そんで、マヌの姐さんも見た後、「ひぇっへっへ」なんて笑いながら言う。

「じゃあ、もう少し岩を掘らないといけんけな。まずは、それをやってくりょぉ。へぇへ。」

そうかい。そんじゃ一丁やっとこかね。


 鍬だなんだを使って、ずーいずいっと岩の周りを掘っていく。もう大分岩の全貌も見えて来た。

「ちぃっと、退いててくりょ。」

 大体岩の周りを掘り終わると、爺さんは若いの一人と、その間に三本の丸太を互い違いに三又に組み始めた。丸太の長さは俺の背丈より少し高い程度だ。三又のに組み合わせた、その先を麻縄で締める。

ははぁ、これは櫓だな。なるほど、滑車も用意されてらぁな。岩を持ち上げるための櫓ってぇなモンだ。

三本の木の足はきちっと土に食い込ませる。そのままじゃ、重さが掛かった時、丸太ごと沈むから、ちんと先に板も入れておくってか。そんで、丸太の合わさった天辺に、滑車も据え付ける。滑車は鉄造り。上下三輪ずつの複合滑車だ。櫓に直接掛けられた動かねぇ滑車とそれにぶら下がった下の動く滑車からなる。

これぁな。上の滑車の先端の綱を引っ張ると、その六分の一だけ下の滑車が持ち上がる。…ってぇことはだ。六倍の力が出せるってぇことになるわけだ。俺ぁこの仕組みを聞いた時思ったね。こいつぁ、頭いいなってね。ははは、ホント上手くやったってぇな。えぇ?ホント頭いい奴ってぇのはいるモンだよ。まぁ、これはぁ、大工だったモルズ兄ぃに聞いた。兄ぃは重いモン持ち上げるってぇのは生業だったわけだな。今は大工も辞めちまったがよ。

俺含め、三人で金梃子を食い込ませつつ、石を少し持ち上げる。この梃子も同んなじな。要はてめぇの動かした量から、何かやって動かす量を減らしていくと、その分力が増すってぇよ。これに気付いた遥か昔の爺さんは戦争でよ。殺されたってよ。えぇ?勿体ねぇことするもんだな。

岩を少し持ち上げながら麻縄を岩の下に通す。麻縄の先は輪になっているから、それを動く方の滑車に付いた鉤に掛ける。


滑車に通った麻縄を二人懸かりで引くと、岩はのそっと持ち上がる。すかさず、コロと、分厚い木板をコロの上に一枚、下にも一枚差し込む。耕した後の部分もあるし、下の板も無ぇとコロが沈むからな。

「おい、おい、おい」

爺さんの掛け声とともに岩がゆっくりと木板の上に降ろされていく。

 神楽桟ってぇのは台座と滑車から出来た道具のようだ。荷車を倒して、神楽桟を地に滑らせる。位置を決めた後、台座は杭で地に固定された。高さは胸丈ほどってとこだな。滑車は地面に水平に回るように出来ている。これを長い棒を使って何人かで回すってぇわけだな。ありゃあ。そうすると、縄を巻き取って、重いものを動かせるってぇ寸法か。


 次に岩を横に引っ張るために麻縄を繰り直す。麻縄の先は、神楽桟の滑車に開いた穴に入れて抜けないよう結び目を付ける。

 神楽桟も全部鉄にしたら頑丈なんだろうが、持ち運びするものだから大部分は木で出来ている。流石に全部鉄にしたら重くて運べねぇだろうからな。ただ、要所要所鉄で補強してある。

「準備かぁ?」

「うーす。」

爺さんが声を掛けると、若いのが野太く応える。

「おーし、いぃち、にぃ。」

爺さんの掛け声に合わせて二人が横木を持って車地を回す。徐々に縄が巻き取られて、ピンと張る。すると、徐々に岩が動いていく。車地はぎりぎりと音を立てる。爺さんと若いのもう一人はコロと下板を継ぎ足していく。岩が進むのは人が歩くより遅いが、確実に畑の端まで動いていく。

「ははぁ、見事なモンだな。」


「ほじゃ、終わったで。続きな。」

マコの姐さんが手を叩きながら言う。仕方無いから、俺は犂に戻る。

 しかしなぁ。なるほどなぁ。あぁやってデカい重いモン動かすんだなぁ。ははぁーん。世の中色々考える奴がいるもんだぜ。滑車や巻き取り機なんざ、よく考えたら公都で幾らか見たこともあるが、こうやってようよう見たことは無かったかもな。

 そんなことを考えながら、俺はまた犂を走らせていった。

滑車も重要ですが、ここでは犂について。

犂はつまりトラクターの役割を果たすものです。使われるようになったのは中国では6世紀頃、欧州では8,9世紀頃と言われています。

船の舳先のようなもので、牛や馬に牽かせて土を掘り起こしていくものです。

それまで鍬など使って人力でおこなっていたものを牛や馬で出来るようになったことで農業の効率が格段に向上したそうです。

中世における一つの産業革命とまで言われるほどに。

ただし、作中でも書いた通り、方向転換が中々難しかったようで、このため畑は直線状に伸びていったとのこと。

家ごとの畑の割り当てもこれによって直線状の長いものになったとか。

日本への導入は明治以降となったようです。もしかしたら、山がちな日本では向かなかったのかもしれません。

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