―アルミア領アルム、領館、タッソ―
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淡くはあるものの、日は辺りを橙に染めつつある。遠近に篝火が焚かれ始めている。祭りの最高潮を彩る舞台として領館中央の広場には木で櫓が組まれている。櫓の高さ、足場は一丈と幾らか。広さの四方は二尋ばかり。
領館、その本館の高台、櫓のその頭より幾分か高い、そこで土留めに腰掛ける。その若者こそはレーゼイ・ガーラン。ガーラン家の若き当主である。焔を思わせる弁柄染めの装束。膝まである前開きの寛衣にゆったりした褲。やや目深な喧嘩被りに、皇都流行りの長もみあげは顎まで連なる。やや小柄であるものの、若いながら厳然たる相貌である。対して、本館を今出て来るタッソ・ファラン。同じ装束であるが、柔和な雰囲気を漂わせる。今、アルミア領を支える最重臣、その二人である。
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「ん、タッソか。」
レーゼイは座ったまま顔を上げる。
「あぁ、レーゼイですか。」
春祭りはいつも土神への領主の献杯で締める。しかし、ここ数年領主は不在。結局、譜代の私達の四家、アルミア四足、と呼ばれる家々で取り仕切っていた。領主様は帰って来たが、今は皇都への旅路だ。今年もまた私達四家が取り仕切ることになった。
(折角だから、春祭りの締めまでは出立を見合わせておけば良かったか。)
そんなことを思ってしまう。
いや、皇上陛下への代替わりの奉上を遅くするわけには行かない。本来なら、冬の来る前に行くまであったのに、春まで待たざるを得なかった。これでも皇家に対する態度として失点に数えられるだろう。
冬に雪で道が閉ざされるのは皇国ではうちの領だけのはずだ。事情を汲んでくれれば良いのだが…。今代の皇上は気難しいとの噂だ。どうなるだろうか。
「タッソ、また深く考え過ぎているな。」
考え込む私の肩をレーゼイが叩く。いつの間にか、立ち上がってこちらに来ていたようだ。
どうにも…考えることが多くて困る。
アイシャ始め公都組、それに生き残った譜代の家臣達、皆頑張ってくれているが…。
レーゼイとは昔馴染。気の知れた仲だ。本来は、レーゼイの兄、私より7つ上のフゼイ殿が跡を継ぐはずだった。だが、フゼイ兄は、ザス会戦で前嫡子カイベル様の黄泉路の共の誉を預かってしまった。
結果、皇都別邸の警護の任に就いていたレーゼイが跡を継ぐことになった。
やや…付き合い辛い、レーゼイの兄、フゼイと、四家の当主として今後付き合っていく、それが無くなった。まだ、帰心の知れる同い年のレーゼイが継ぐことになったのは少し気を楽にした。それが些かの…そう思ってしまったことが、私の心のつっかえになっているとも言えなくもない。
とは言え、必ずしもレーゼイとは顔を合わせることは多くはない。セベル様の連れて来た公都の面々が加わったものの、未だ未だ人材は足りない。すると譜代の臣は幾らでもやることはあるのだ。あちら、こちらと顔と家名の売れている私達が出なければならない場は多い。
しかし、如何にも…残りのアルミア四足家は頼り無い…、そう言える状況にある。
つまるところの、他のアルミア四足家はザス会戦の傷は癒えていないと言える。
代替わりして間もないポソン家は当主を喪った。継いだは分家のそのまた分家の農民の子息。当然、臣としての教育を受けているわけではない。すれば、当主の任を為すは難しい。家人たちが必死で教育を施しているが、使いモノになるのはいつの日か。共に文を司る家として家人には付き合いの深い者も多い。しかし、関わっている時間は無い。
ニカラスク家は前当主がザス会戦で亡くなったため幼い息子が継いだ。未だ齢の十。それなりに世話になったこともあるニカラスクの先代の子となれば、どこの誰とも知らない、ポソン家の当主よりはかは情はある。しかし、それに構っていられないのも事実だ。
ポソン、ニカラスク。両家ともに未だ領の仕事を担うべくもない。とすれば、我らのどうにかするしかない。
「お前は頭がいいからな…。」
未だ明るい中、篝火がちらちらと揺れる。日は地を十分に照らしているが、暮れ始めると早い。東の山々はもう随分と紅い。もう酒を入れている人もおり、下はがやがやと騒がしい。
「だが、なるようにしか、ならない。」
レーゼイは少し歩きながら、どこを見るとでもなく視線を向ける。
「…。」
固い麻に弁柄染めた四足が一の早駆け右足、その柄を背負う、その背はどこを見据えるか。
「そう、俺は思う。」
振り向いて言う、その眼。
「…。」
その眼に映るのは何か。
「それに、何とか…、継嗣は見つかったんだ。未だ半年しか共に過ごしていないが、セベル様は当主として擁くに十分な方だ。俺はそう思う。」
「あぁ…。いや、それはわかっています。わかっていますよ。レーゼイ。わかっている…。」
「なら、問題無いだろう。」
「あぁ、そうです。何も、問題はありません。今のところ…。顕在化した問題は…。」
しばし、沈黙する。私もレーゼイも櫓の周りを見ている。そうであるように思う。
レーゼイはぽつりと言う。
「これまで…、四足家はアルミアを支えて来た。」
「あぁ…」
「今や…、中枢を担うのは俺とお前だけだ。」
「あぁ…」
「そもそも、四足家でまともに嗣を継いだのはお前だけ。」
「…」
「ポソン家を継いだのは、どこの者とも知れぬ、妾腹の孫。ニカラスク家当主は右も左もわからぬ幼子。なれば、俺らでどうにかするしかなかろうが。」
「あぁ…」
「幸い、人手は幾分補給された。」
そう、公都の彼らによって大分人手は補給された。ただ、そこに問題が無いわけではない。別に、公都の人々に隔意がある訳ではない。しかし、軋轢が全く無いわけではない。
例えば…。
「昼、うちにローベン殿が来ましてね。」
「…職人どもの惣領か。」
「そうです。」
まあ、職人の惣領と言っても、私は話す機会はあまり無かった。祭りの仕出しにかこつけて来たのだろう。どうやら、レーゼイのガーラン家の方には行ってはいないようだ。まあ、ガーラン家はどちらかと言うと、武の家。そういうことの交渉相手に入っていなかったのだろう。
元々、文を司るは私の家ファラン家と、ポソン家だったが…。その中でもファラン家は渉外の方が主だった。領内の事情や、これまでの人脈、文脈はあまり詳しくない。だが、内政を司る部分の大きかったポソン家があの有様で、今は私が両方をやっている。元々の役人連中でも、親しく話せるのはハージンら以下外務に携わるものが主、という状況でだ。内政畑の人間はいずれポソン家が戻って来ると思っているのか、あまり協力的ではない。まだ、協力的なのは出納役のファズぐらいか…。
つまり、今まで領内の経済に関してのやり取りがすっぽり抜けてしまっている。あまり、よろしくない状況だと思いつつも、この二年ばかりそのままでも回っていたから、後回しにしてしまった。いや、継嗣を得るという重大事があって手が回っていなかったと言うべきか。
「ローベン殿も…随分と持って回った言い方をしていましたがね。要はレンゾたちのやっている製鉄の仕事が気に食わないということでしょう。己らの仕事が脅かされるのではないかと。」
そして最後には金品を納めていこうとしたが、そちらは丁寧にお断りした。
「だが、道具作りと鉄作りでは仕事の領分が違うのではないか?」
「一応そうですがね。特に最初は鉄を作っているだけでしたので…。ですが、レンゾ自身が鍛冶師ですしね。最近は農具なども作っているようですから…。後は領府から武器なども発注していますからね。」
「確かに…言われてみればそうだな。成程、うちは騎兵が主で歩兵の使うものはニカラスク家の管轄だったからな…。今まで、どうしていたのかわかりようもない。騎兵関連のものは今まで通りのところに頼んでいるわけだが…。」
「成程、武の方でも齟齬が生まれていましたか。確かに、歩兵を束ねているのは事実上モルズですね。公都組だ。」
「つまり、外から見れば、今まで四足家がそれぞれ閥を持っていたのに対して、二家が衰え公都閥が出来ているように見えるわけだ。」
「そして、それが文武両方にいるということになります。それが結託している状態であると。そうなれば、領内の既得権益層は四足家対公都閥の構図を望む。そして、自分達の権益を守るために四足家を利用しようとする、自分達の既得権益の代弁者とさせたい、ということですね。」
「難儀だな。」
レーゼイは眉間を揉みながら言う。
「逆に…公都閥に属すことで…という輩もいるだろうな。何せ、そっちは領主派ということになる。」
「うちは派閥争いなんてするほど大きい所帯じゃないのですがね。」
溜息も出るというものだ。
「人間三人寄れば派閥が出来る、という言葉もあるのだ。致し方あるまい。問題はそれをどう御するかだな。」
「兵の方はどこか問題が出て来そうなところはありますか。」
「モルズとは上手くやれると思う。何かと律儀な男だ。こういうことを見越して…なのか、セベル様が騎兵にも公都組を配された。ガーラン家所縁のものを歩兵にも幾らか入れておくか…。」
少し考え込むレーゼイ。徐に顔を上げると私にも聞く。
「そっちはどうだ?」
どうだろうか。文官として配されている面々を思い浮かべる。
「…まとめ役という立場であったら、アイシャでしたが…。生憎、産休に入ってしまいましてね。他はあまり自己主張の強い人はいませんからね…。」
ふと、思い出した。アイシャの子の乳母にどうかと、幾らか推薦が来てたのはそういうことか。迂闊な返事をしなくて良かった。本人は乳母なんて雇う身分じゃない、なんて言っていたが厄介な縁の者が入り込む前に決めておいた方が良いかもしれない。後は身の回りの世話をする人間か…。確か、領館働きのカーシャの娘のアーシャが付いていたか…。少し、身の回りを洗っておくか。アルミアの暗部と呼ばれたファラン家はそっちの方は人材も手管も豊富ですよ…。ふふふ。
「いやいや、鍛冶場の親方や薬師の小っちゃい姉ちゃんなんか、中々主張が強いじゃあないか。」
レーゼイはにやりと口角を上げて言う。
「彼らを上手いこと政治的に祀り上げて上手いこと利用できる人がいるなら、私はもう負けでいいですよ。」
彼らの顔を思い浮かべて言う。だが、用心に越したことはないか。こっちにも人を潜り込ませておこう。
「はっはっは。」
「…俺達がここで二人で話しているのを領民にあまり見られるのも良くないかもしれないな。」
レーゼイは灯火の焚かれ始めた中庭の櫓を見下ろしながら言う。
「…そうですね。それにそろそろ刻限でしょうし…。」
「ああ…そうだな。」
準備の完遂のため領館の扉に向かう。
「今年も頼むぞ。」
レーゼイが言う。
「ええ…こちらもお願いします。」
随分と長く話してしまったみたいだ。夕日はもう地平に半分埋まっている。日が落ちたら、春祭りの締めだ。滞りなく進めるように…。今はまずそのことだけ考えよう。