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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(前編)荒天
71/139

―アルミア子爵領、アルム、モルズ―

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日が昇れば祭りは始まる。そこここの道端に座り込み、酒を飲む者どもが既にいる。仕出しは領主の振舞。冬の貯えの放出。領館のある高台からは鼓に合わせた笛と弦の音が聞こえて来る。

大男二人。モルズとレンゾ。何時になく群衆に溢れるアルムの通りでも頭一つ抜け出でる。モルズは領館の橋の傍らに槍持ち、口一文字、仁王立ち。端然と立つモルズに対して、空堀に掛けられた柵に身体を預け干し肉串を頬張るレンゾ。手に繰る汚い帳面はを何やら睨み付けている。レンゾは食べ終わった竹串を空堀に投げやると、ふとモルズの方を向く。

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「おう、どう思うよ。モルズ兄ぃ。」

「何がだ。レンゾ…。」

 こいつは暇なのか。領館前の警備として立っていた俺にわざわざどこからかやって来て話し掛けて来る。

「何がも…なぁにもねぇよ。相変わらず兄ぃは…。」

 レンゾは大仰に溜息を吐く。

「兄ぃの目の前の光景だよ。」

「人が歩いているな…。」

「はぁぁ?」

 うるさい奴だな。

「…兄ぃは何で、ここに来たんだ?」

…。

「警備のためだ。」

「いや、そうじゃなくてよ。」

 …まあ、聞きたいことはわかる。

「すまん…。アルミア領に、セブに付き従って来たわけだな…。」

 レンゾは頭を掻きむしる。

「かぁぁ、そうだけどよ…。兄ぃは真面目だな。そうだけどよ。別にいいけどよ。」

 レンゾは「ふぅー」とか言いながら座り込む。

「俺はよ。」

 レンゾが何か言い始めた。

「正直、まぁ、セブ兄ぃが何か始めるからってよ。ま、やってみっか、てな。貴族お抱えんなれるかもしんねぇってなったら、逃す手もねぇってのもな。」

「ふむ…。」

 わからなくはない。職人にとって、それは一つの到達点だ。俺も大工だったしわからないでもない。いや、俺自身はそこに対する憧れはあまり無かったが、兄弟弟子連中は酒の場なんぞで、そういう憧れを語っていたもんだ。

「だがよ。まぁ、来てみれば、そうそう楽なもんじゃぁなかったな。色々あったしよ。公都のように、公都で考えていたようには、行かねぇもんだ。」

 目の前の草を根から抜きながらレンゾは続ける。

「ってぇのはよ。親方にさんざ言われたけどよ。ふんっ。」

 …。

 レンゾは抜いた草を堀に投げ入れる。

「それでも、それなりのものが出来たのではないか?」

 奴はこの冬場、秋の暮れから鉄造りに励んでいたはずだ。セブに聞く限り、ある程度売れるようなものは出来るようになったとのことだ。

 奴が…いや、奴の徒弟が、そこから打った剣も見た。俺には剣の目利きは出来ない。だが少なくとも素人目には十分なものは出来ていた。使ってみないとわからんが…。

 それ以外。(かんな)(のこ)、釘や(かすがい)。少なくとも…、俺が公都にいる頃、それなりに見て来た、それらと比べて、遜色は無いように見える出来だ。

 …。俺は、別に良い大工では無かったから、これも…素人目だが。

「だがよ。兄ぃはそうは言うがよ。あれは、誰かが通った道だ…。そう思うんだよ。俺はな。」

「…。」

「なるほどな。確かにな。当たり前ぇのものが当たり前ぇに出来る。そいつは出来るようで、簡単にゃあ出来るモンじゃぁねぇ。な?だがな?兄ぃも思うだろ?」

 何が思うだろ?…だ。何が…なるほどな…だ。俺は何も言っていないだろうが。

「そうなんだよ。俺ぁ、それでいいのかってぇ思うわけよ。ったり前ぇだな?お?兄ぃは大工辞めちまったが、そんでも未だ半年だ。剣だ農具だのの違いは兎も角よ。こいつとこれの違いもわかろうよ。」

 レンゾが渡してきたのは釘だ。赤錆が付きにくいように黒錆を入れ、さらに松脂が塗り付けられている。長さは三寸ほど。二本渡されたが…。

「まぁ、叩いてみなって。そうすりゃぁわかんだろ?」

 レンゾは木槌を渡して来る。そのまま、木柵を指さす。壕に立つ木柵だ。そこに打ったら問題があろうが。

「はぁ…。」

 頭を掻く。全く、溜息も出ざるを得ない。こう言ったら聞かない奴だ。幼い頃からな…。勘弁して欲しいものだ。そもそも、俺はこれでも仕事中であるのに。

 思えば…、ガキの頃から、そうだった。こだわりに触れたら、全く聞かない。

 何だか思い出すな。ガキの頃を。てめぇの身の程も知らねぇ。東八番の豆薬缶って言ったら奴のことだった。いつ、どこで沸き立つやら、わけがわかんねぇ。俺やセブが喧嘩の止めに入ったのも一再じゃぁ無かった。何だったかなぁ。石積みの積み方が気に入らねぇだとか、百本削りのどの木剣が一番良いか。

 俺には、どれも同じに見えたがな…。

 この釘にどのような意味があるかは知らないが、またぞろ、何かしらこだわりがあるんだろう。

「流石に、この柵に釘を打つのは不味い。」

 とは言え、一応は領の最後の防備とも言える柵に無駄な裂傷を与えるのは如何なものか。この柵、経も緯も、木の筋を見るに余計な釘でも打てば割れそうだ。元々、縄で編まれたこの木柵が、例えばここに立て籠るとなってどの程度役に立つのか、俺には及びもしないが。

 レンゾは濠に掛けられた柵を揺する。

「成程なぁ。これはいけねぇや。がたがたじゃねぇか。」

「わかるなら、釘を打つなどと最初から言うな。」

 思えば、俺の半年前の仕事場にも、こいつは良く顔を出していた。締めるに柔く冷えれば頑い(びょう)も、狂い少なく滑らかな蝶番も、齢の割には良いもんだと、親方、兄弟子の評判も良かった。

 改めて、釘を見る。

 二本の釘はともに天から胴、尾先に至るまで直。綺麗な真四角に切り取られている。滑り止めの首の紋は三分に六、その深さも丁度良い。刃先が三角錐か、四角裂きかは、まあ流派の違いだろう。指で弾く音は脆さを感じさせない。能々、どちらの出来も甲乙付け難い。

「違いは…わからんな。刃先は流派の違いか。」

「兄ぃも未だ未だだな。三つ裂きか四つ裂きかは、木を見て決めるってよ。ま、俺も、そこは良く分からねぇんだがよ。カズのおっさん曰く、ここの木だったら、大体四つ裂きが良いってよ。」

「で、この釘がどうした。」

 レンゾは立ち上がり、手を出すので、俺は釘を手渡した。

「こっちは俺が作った方。」

 四角錐の釘をレンゾは右手の人差し指と中指で振る。そして、器用に薬指と小指で三角錐の釘を振る。

「こっちが、さっき行商のおっさんから購ったもんだ。」

 三角錐はレンゾが作ったもんじゃぁないらしい。

「…それで?」

「それが、つまり、俺の言いたいことってことよ。」

 …わかるような…わからないような…。

 全く難儀な。どうして、それを俺に話すのか。

 それは、俺には疾うに諦めたものであると言うに。そうでなければ、ここで、こう衛兵も真似などしていなかろうに。こいつはわかっているのか、どうなのか。

 職人たるもの、その志。兄弟子連中は酒の場で嘯いていたものだ。感化され、俺もそのような野心を抱いたこともあったものだ。

 だが、まぁ、しかし、どうにもな。

「ふぅ…。」

 随分と寒いが、未だ息が白くなるほどではない。

 ふと、空を見上げる。澄んだ空だ。祭にふさわしいとも言える。

「すまんが、その二つは俺には同じに見える。残念ながらな…。」

「そうかい。」

 …膝に手を付いて立ち上がるレンゾ。

「そんなら、いいやな。兄ぃが、そう言うなら、それで俺は十分さぁな。はっはは。」

 手を振って、背を向け、レンゾは人込みに向かう。その右手には釘を持ったままだ。

 ふとレンゾは振り返る。

「俺ぁ、兄ぃの作った木彫り細工、未だ持ってるぜ。」

 …どれのことだ。

「じゃぁな。」

 今度こそ、レンゾは振り向かず、人込みに割り込んで行った。

「…全く。」

 そういうところだぜ…。

 レンゾの赤髪は人込みから頭一つ抜け、随分遠くに行くまでよく見えた。

久々の後書きな気がしますが、今回は釘についてです。

古代には木や骨が使われていたと言いますが、紀元前1000年頃には鉄が使われるようになったとのことです。

日本に昔からある和釘は断面が四角、西洋から入って来た洋釘は断面が丸です。現代では、伝統的な用途以外はほとんど洋釘が使われています。

ただし、では日本以外では昔から丸釘が主流であったかと言うと、そんなことは無かったようです。

そもそも丸釘が大量生産できるようになったのは産業革命以降に発明された引き抜き法によるワイヤ形状への加工が確立されてからです。

これが19世紀中頃なので、日本が開国する直前まで西洋でも四角い釘がほとんどだったわけです。

ちなみにそれ以前は水車で動く細断ミルというもので鉄板を短冊状に切ったもので、釘を大量生産していたとのことで、これの発明は1590年と大体ルネサンス期となります。

そこから遡ると一個一個職人が鍛えていましたが、やはりわざわざ断面を丸くするのはコストが高いからか、四角い釘だったようです。

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