―アルミア子爵領、アルム、兵舎の前、オン―
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薄明け彼誰時。灯火残り火その炭火、ことりと崩れ僅かに火を散らす。薄闇に紛れた夜番たちも常と違い、何か浮ついている。そう、そうだろう。何となればの今日こそは春を告ぐるは待ちに待つあな嬉しやの春祭り。どうして、どうして、浮かばれずにいられようか。若き彼らは夜通しの務めの疲れも知らず祭りに行くのだ。
そわそわとする夜番の兵どもを余所に、寝惚け眼もそのままにのそのそと、兵舎の開け放しの戸口をふらりと出て来た男。公都組の一人、オンである。先の盗賊退治での傷は癒えたが、傷跡は大分残った。そんな筋肉質の小男。腱に傷の入れられた左足は不自由だが、杖を突くほどではない。その後ろから、やはり眠そうな眼を擦りながら着いて来る、もう一人の男、ロイ。オンより、やや背が高いが平均より未だ低いだろう。二人は兵舎の東側に歩いて行く。
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今日は、このアルムの祭りだってんだな。所謂、春祭りってなやつだ。そんで、俺はロイと連れ立って、二人で繰り出そうってぇわけだ。そんで、ちっと人待ちだ。
俺は元々ロイと別に仲が良かったわけじゃぁねぇがよ。
ま、わけっつうほどじゃねぇが、わけがあんだな。これが。
公都からここに来て、俺は早速盗賊退治で怪我をやってしまった。身体中、おちこち傷だらけになってよ。直ぐに命に関わるってぇ傷が話だったみたいだが、何せ量が量だったしな。それが原因でしばらく起き上がれなかった。
で、気付いたらよ。それからってもんだけどよ。左足の足首だな。ここがどうも上手く動かねぇ。身体中に残っている傷跡なんざは別にどうってことはねぇんだけど。左足首だけな。お陰で歩くこたぁ出来るが、ちっと走るにゃ難いってな案配になっちまった。
そんで、セブ兄ぃに聞かれたんさ。
「兵隊辞めて、役人になるか?」
ってな。勿論、俺はこう答えた。
「俺は頭使うのは無理だな。」
俺は学がねぇからよ。他の公都の連中は、下町出身とは言え多少は手習いやってたらしいがな。俺は公都郊外で牧羊やってるモンの倅だ。羊の数ぐらいは数えられるが、文字なんざ、ほとんど読めねぇしな。
親父の伝手で駅伝の厩舎で働くようになってから、セブ兄ぃと知り合ってよ。休みの日にゃ公都に遊びに行くようにはなったしな。ここに、こうやって一緒に来た連中とも話すようになったが、やっぱ俺はそん中で一等学が無ぇよ。
だから、役人ってぇのは、こりゃあ無理だなってさ。
そしたらよ。セブ兄ぃがよ。言うんだ。
「いっそ、騎馬やるか?お前、馬扱えるだろ?」
ってさ。
いや、まあ、厩舎で働いていたしよ。乗ったこともある。だけどよ。別に乗りこなせるとか、そういうわけじゃねぇな。だからよ。答えてやったさ。
「やったらぁな。」
ってよ。
まあ、そんで冬場は馬の調練ってことになったわけだ。と言ったって、元々ここには騎兵なんてのは無かったからな。まず、馬に乗るってぇとこからよ。
それで、選ばれたのは公都組からは俺とロイ、元々のアルミア領軍からはレーゼイの兄貴とマッスの奴だ。元々、アルミア家に騎兵なんて領主ともう一人だったからな。こんだけ、四人だ。
レーゼイの兄貴はここじゃ名家のガーラン家の出身ってんだな。ガーラン家ってのは領主ともう一人の騎兵を代々務めていたらしい。レーゼイの兄貴はその嫡子だってよ。当主になったんだったか?まあ、いいやそこんとこは。
マッスはそのガーラン家の家僕でレーゼイの兄貴のお付きだってよ。最初、年上だから、兄貴分だろうって思ってたら、兄貴呼びは止めてくれ、ってんだから、マッソって呼んでいる。
ま、そんな案配でやってたわけだがよ。たった、四人の騎兵隊ってぇわけでな。冬場がずっとやってたわけよ。まずは馬の乗り方からってことだったがよ。
何せ、俺もロイも、まとも馬に乗ったことがねぇ。いや、ロイに至っては馬に触んのも初めてだった。
「なんで、おめぇ、騎兵なんざやろうとしたんだよ?」
ってぇ聞いたらよ。
「生き物相手の稼業だったからだってよ。セブ兄ぃがさ。」
って言ってたな。
「身体が大きくないからとも、まぁ、言ってたよ。」
はっはぁ、確かにな。レンゾ兄ぃやモルズの兄貴が乗ったら馬も可哀相だもんな。
ま、俺らはそんなもんだ。
レーゼイの兄貴も長男(つまりレーゼイの兄貴の兄貴だな)が先の戦で死んで、それから馬の練習を始めたわけだから、そこまで乗りこなせるわけじゃねぇ。そうなるとよ。マッスの奴が唯一馬の乗り方を教えられる奴ってことになったわけだな。
そんなんだから、悪戦苦闘よ。
だがよ。何とか、やって来たわけよ。細かいことはいいけどよ。ロイが雪に放り投げられたりよ。 レーゼイの兄貴が馬に蹴られそうになったりよ。マッスが、それに説教したりよ。
俺か?俺は、ほれ、優等生ってぇ奴だったからよ。精々が寝坊したぐらいじゃねぇか?これは、ロイが悪いな。ロイは「俺は起こした」ってぇ言ったが、起きるまで起こさねぇ奴が悪いわな。仕方ねぇな。
そんでよ、春祭りってんだからよ。折角だ。四人で繰り出そう、って言ったんだがよ。それはな。そうは問屋が卸さねぇって…ほどじゃねぇがよ。名家のガーラン家ともなると、色々あるってんでよ。レーゼイの兄貴とマッス奴はそっちの手伝いだってよ。連れねぇな。
そしたらよ。まぁ、俺らもここに来て初めての春祭りってぇやつだしよ。案内をよこすってよ。レーゼイの兄貴が言うんだよ。そんで、俺とロイとで、繰り出そうとしたはいいが…。
「待ちぼうけってぇわけだ。」
「待ちぼうけというほど待ってないだろ?それに、どうして、こうも、こういう時だけ早く起きれるのか…。」
ロイは少し眠そうに目を擦っている。ロイは仕事の日は早く起きるが、休みは昼前まで寝ているような奴だ。
待ち合わせは俺らの詰めている兵舎の東側だ。やっとこさ、山の端から出て来た朝日が照り、身体を暖めてくれる。春祭りとは言うが、まだまだ肌寒い。
「そりゃぁ、祭りとなったらよ。朝から繰り出さねぇとよ。」
兵舎のあるここいらは、アルムの南の端っこで、普段は人気が少ない。だがよ、兵舎の前にある調練用の広場があるもんで、ここも祭りの会場になるわけだな。行商の連中の一部はここで店の準備なんかしている。それもあって、いつもより人通りが多い。ここより、南西にいくつかあるアルミア領の村からも、春祭りに参るために来た人出もあるようだ。
行きかう人の口々に発せられる言葉から、そんなことを思う。
「待ち合わせの時間は二つ目の鐘だろ。未だ、一つ目の鐘が鳴って少ししか経ってないじゃないか。」
それらを横目に正面にあるガーラン家の牧草地を眺めながら、その案内役とやらを待っているわけだ。俺は適当に兵舎の壁に背を預け立っている。ロイも同じく背を壁に預けているが、しゃがんでいる。俺は左足が上手く動かなくなってからしゃがむって動きがどうにも出来ねぇんだよな。こうして、無事な右足に体重を預けて立っている方が楽だ。
「時間にきっちりしたレーゼイの兄貴の身内なんだろ?そりゃ、おめぇ、早めに来るだろ。多分。」
ここじゃ、鐘は日が昇る時に一つ。順に多くなって行って、昼に六つ。また、鐘一つに戻って、日が落ちる時に、また六つだ。公都と違って、時計なんてものはほとんど無いから、この鐘だけが時間を知る術ってぇわけだ。鐘の時間は日時計で、雨や曇りの日は砂時計で大体で鐘を打つ。公都と違って、何時から何時まで、って契約があったりするわけじゃぁねぇから誰も文句は言わねぇ。
「多分てぇなぁ。」
ロイは適当に草をむしりながら言う。根ごと抜く。根ごと草を抜く。これを覚えた時は、根ごと抜けるのが少し気持ちいい。少しわかる。ずぼっと。根こ削ぎってな。俺も少しわかる。この前、農作業の手伝いに行った時に覚えた。
「まあ、ほれ、多分だよ。」
意味もなく抜いた草の、その根を払うロイを見て、少し俺も同じことをやろうとするが思いとどまる。屈むと、今の俺の足じゃあ立つの少し手間だ。
「そういや、レーゼイの兄貴の身内ってんなら、ガーラン家の手伝いしなきゃならないんじゃないか?」
そう、抜いた草を放り投げながら、ロイが言う。
「んー…、暇な奴もいるんじゃねぇか?こう、なんだ、おめぇんとこにもいたんじゃぁねぇか?選りによって、忙しい時に仕事増やすような奴がぁよぉ…。もしかしたらよ。そういうのの、厄介払いじゃぁねぇの?」
土を払った根をぶらぶらとさせながら、それを日に照らして見呆けているロイを見下ろしながら俺は言う。
「いたなぁ…。そういう時に限って、道具を壊したりなぁ。間が悪いっていうか…。魚籠ひっくり返したりなぁ。いや、それだけじゃぁないんだが…。悪い人ではないんだが…。」
思ったより、思い当たる節があったみてぇだ。「まぁた親方にどやされているんだろうなぁ、あん人」なんて独り言ちてる。
「まぁよぉ、またぁよぉ、そんな奴がよこされるんじゃぁねぇじゃぁねぇか?使っかえねぇ奴がよ。はっはは。」
本当によ。レーゼイの兄貴はいい人なんだがよ。いや、別によ。レーゼイの兄貴はよ。そういう要領の悪ぃ奴だってんじゃぁねぇんだ。どっちかっつーとよ。そういう要領の悪い奴に、ちんと情けをくれてやるような御仁だよ。だからこそ、そんな奴が送られてくるんじゃぁねぇかなって。
未だ来ねぇ案内役ってのの人となりを邪推しながら待っていると、目の前に女が立っていた。
「ロイ様に、オン様でしょうか。」
ここに来てから、さんざ見慣れた麻の服を着た、これまたよく見る頭巾を付けた女だった。ただ、案外薄汚れてはいねぇな。祭りの日だ。卸したてかね。ただなぁ。陰気だな。背から朝日を受けているのにな。肩より少し上にある日が俯きがちな面に翳をなす。
「おう、俺がオンで、こっちがロイだ。何ぞ用か?」
ロイも日に翳していた草を適当に放り投げて、女の方を見た。
「レーゼイ様の叔母になります。メーコと申します。」
んん?レーゼイの兄貴のってぇことはガーラン家のモンか。ってぇと、何だ。案内か?でも、叔母ってぇ言ったな?
「叔母ってぇ割に若い気がするんだがな。謀ってねぇだろうな?」
「いや、お前、俺らを謀ってどうするんだよ。」
いや、確かにロイの言う通り、俺らを謀って何になるんだがわからねぇがよ。
「…いえ、私は…。」
「訛りもこっちじゃぁねぇな。皇都の方か。」
別に攻めるつもりは無かったがよ。なんか、そういう流れになっちまったな。
「よしとけよ。で、メーコさん?何だい?俺ら確かにガーラン家の人間を待っていたんだが…。この春祭りの案内人をよこしてくれるって、レーゼイの兄貴が…レーゼイ殿が言ってましてね。」
ロイの奴。柄にも無ぇ。敬い言遣いやがってぇよぉ。
「レーゼイの兄…レーゼイ様の叔母君とあれば、今日の我らの案内人でしょうか。下働きの者がよこされると思っておりましたが…。」
うえぇ。総毛立つね。柄にも無ぇ言葉遣いしやがってよぉ。けぇー。
「いえ…、その私は…。」
「本流じゃあねぇんじゃぁねぇの?妾の子とかよぉ。な?」
言い淀んでいた女の肩を叩く。
「まぁ、俺らも大した生まれじゃぁねぇんだ。そぉ鯱張るんじゃねって。」