―アルム近郊、マヌ村、レンゾ―
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日陰には未だ雪は残っている。畑の雪を道端や軒先、森の中に除けたから。徐々に飛び交う鳥の声も聞こえてきた。畑仕事に出た農民どもは各々耕す。鍬振り上げるものもいれば、牛馬に犂を引かせるものもいる。未だ、空気は冷たい。汗の湯気をくゆらせる人々、牛馬。黒い森の迫った村。四角く作られた畑。未だ、畝は判然としない。
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「なぁ、マコの姐さんよぉ。悪阻ってぇのはそんなつれぇもんなのか…?」
俺は今、拵えた農具の様子を見がてらタスクのおっさんのとこの畑にいる。
そんなことはいいんだ。アイシャのやつが、何て言うか、つらそうでよぉ。そんで、マコの姐さんに聞いてみようってんだ。
マコの姐さんってのは、タスクのおっさんのカミさんで、コッコの母ちゃんだ。おばさん呼ばわりすると、具合悪いってのは、アイシャによう聞かされた。だから、姐さんってんだな。難しいもんだな。
「ははは、親方さんでも、奥のことになると弱気になるもんなんじゃん。てぇー。」
「そうは言うけどよぉ。いや、つらそうなのはわかるんだけどよぉ。何せ、俺への当たりも強くてよぉ。」
そうなんだよ。頬ぉ打たれるぐらいなら、まだしもよぉ。モノ投げられたりよぉ。昨日なんかよぉ、「汗臭い、臭い!あと煤臭い、臭い!川でも何でも入って来な!臭い!」ってよぉ。それはよぉ、前から変わらねぇじゃねぇかよぉ。いや、俺はよぉ、そら仕事柄なぁ。そんでも、そう何度も臭いってぇのはよぉ。
「タスクのおっさん、これぁ、どうしようも無いんかね。いやぁ、俺ぁ参っちまってよ。」
「親方さん、それぁ男の勤めってもんだけぇの。うちの嬶もな、そらぁ酷いもんだったけぇの。」
「あんたぁ!」
タスクのおっさんは、「何のこんだけ?」なんて言いながら、犂を返す。ははぁ、世の男は嬶に逆らえねぇってのは、そういうことなんかぁなぁ。しかしよぉ、お産がいくらきつくてもよぉ、代わってやれるわけじゃねぇしよぉ。
「親方さん」
タスクのおっさん小声で言う。
「ほんでな。男ってぇのは、そういうもんですけぇ。」
タスクのおっさんはそんだけ言うと、犂を牛に牽かせていった。
「いやぁ、流石の鉄の犂ずら。ちっとやそっとの無理じゃぁ壊れないけぇの。」
今度は大声でそんなことを言ってやがる。
「ほんで、親方さんの奥の、アイシャ様はほんな調子が悪いのけぇ?」
マコの姐さんが一仕事終わったのか聞いてくる。
マコの姐さんもタスクのおっさんも、それだけじゃなく大体農民連中は、俺はさん付けだが、アイシャは様付けだ。何やら、俺の知らんうちにアイシャは偉くなっていたらしいな。タッソが言っていた。
「いやぁ、調子が悪いのもあるけどよぉ。弱気になっちまってよぉ。昨日の晩なんか、あたしはこのまま死んじまうんだ、なんて泣いてたりしてよぉ。」
いや、昨日家に帰るとアイシャがめそめそしててよ。手伝いに来てくれているアーシャもおろおろしててよ。いや、長い付き合いだが、アイシャがめそめそしているなんて、俺は見たことがねぇからよ。結局、俺も「大丈夫だ」ぐらいしか言えることは無くってよ。
「ほうかぁ、悪阻ってのは程度は人によるけぇ。特に、アイシャ様は初めてのお産ずら。不安にもなるけぇな。」
「あいつ今まで風邪とかも碌にやったことねぇからよ。身体の調子が悪いってのに慣れてないのかもしれないがよ。」
「身体の調子も悪いのもあるだろうけんども、身籠るとな、どうにも気がきかんなる時があるけぇ。でも、あーしもそこまではならんかったずら。」
人によるのかぁ。よくわかんねぇな。
「そうだけぇの、あこの家のエメの最初の子の時はそんなんだったけぇの。あーしもそれ見て覚悟決まってたってのあったずら。だから、うちのコッコにも手伝いに行かそうと思ったけんども、もう先を取られちったじゃんの。あんま何人も行くと悪いじゃんな。」
なるほどなぁ。確かに、自分でやったことが無くても見たことがあるだけで大違いってぇのか。よくわから習わしだと思っても、意味あることだってぇことか。
「ほんでも、アイシャ様はあんまそういうのぉを見たことが無いんずらか?」
「俺らの仲間内じゃあ、多分無ぇなぁ。連れ合いいんのもよ、未だそんな多くねぇしよ。」
「ほうかぁ、ほんなら、また一段と不安かもしらんずら。親方さんも気ぃ確かにやれし。」
そう言って、マコの姐さんは仕事に戻って行った。
「おぅい。レンゾ兄ぃ。なんだい、しょぼくれてるじゃぁねぇか。また、一段とアイシャ姉ぇの機嫌が悪いと見える。鍛冶場じゃあ敵無しも、これじゃあ方無しってぇな。ははは。」
こいつは気楽だぁな。てめぇ、この野郎。
「おう、てめぇはよ。人の気持ちも知らねぇでよ。」
ったく、てめぇは、ほれ、ササンでもよぉ。孕ましてみたらぁどうだろうよ。いいじゃねぇか。手前ら、いつも一緒にいるからぁよぉ。どういうつもりなんかねぇ。ズブとササンは。
「それで?てめぇは何しに来た?」
「おう、客人が来てよぉ。レンゾ兄ぃに用があるんだってよ。」
「あんだって?」
「まぁ、言ってみなって。精錬場の休憩小屋で待たせている。」
てめぇ、わからねぇ野郎だな。
俺は精錬場に向かうことにした。