―アルミア子爵領への道、ナナイ―
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見上げれば天は白い雲に覆われ今にも雪を降らせそうにある。しかし…確かに春は来た。証拠に、この街道には、些か街道と言うには心許ない小道であるが、ちょろちょろと雪解け水が流れている。水は泥濘を作り、泥濘は足を取る。歩き易いわけはない。
そこ白い息を吐きながら楽し気に歩く女が一人。長靴の汚れも厭わず。背嚢の重きに滅気もせず。公都流に髪は前髪まで後ろで括り上げ、ただ左前髪一房垂らす。邪気無く、歩みを刻む小娘、そう呼ぶには幾分齢を過ぎた、その彼女こそは。刮目せよ。驚嘆せよ。彼女こそは、後のナナイ・ダイア。一千年に近き時を越え、今世までその家名を残すダイア家、その始祖である。今は、ただ今こそは、只の恋焦がれる若い女。己が行く道の先も知らず、ただ、この泥濘の中を軽やかに行くのである。
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私は今胸を躍らせているのさ。愛しのセブ兄が貴族の当主様になったそうってね。だから、私ぁその領地に向かっているのさ。どうやら冬は雪に閉ざされてるってぇところだったらしくてね、四か月ほど待って、やっと向かえるのさ。
私が行商から帰ると両親の許に置手紙があったてね。セブ兄が貴族になったから、お前もその気があったら来いってね。
差出人がアイシャなのが気に食わなかったけどね。
私は手紙を見るや否や、アルミア子爵領に向かおうとしたよ。
だけどね、これは頓挫したんだよ。アルミア子爵領は雪深い地域らしく、冬場は交通が途絶えるってことさ。実際、私が公都で情報収集した限りね、かんじきってのを履いて行くか、犬橇使いを雇って行くかってね。犬橇は金が無いので泣く泣く諦めたよ。かんじきってのを履いて行こうとしたら止められた。その歩き方じゃあ、遭難するってね。
仕方が無くね、私は、ここソイネの町でね、冬を越すことにしたよ。私が最も早くアルミア子爵領に向かうためには、そこで過ごすしかなかったんだよ。
そして、春が来たよ。
「あぁ、セブ兄ぃ。あなたのナナイが今参ります!」
私は颯爽と、雪解け水でぬかるんだ道を物ともせず、アルミア子爵領へと向かったよ。
そして、私はアルミア子爵領、領都アルムに至った。山は、未だ雪を湛え、木々に、また家々の屋根に、そして、おちこちに雪未だ残る、幻想的な風景だよ!まさに、セブ兄の領地!セブ兄は、だって幻想的なとこもあるもんね?
ところで、ここは、どこかね?さっき通った村で聞いた話だと、ここが領都アルムのはずなのだけどね。領都というには鄙びているしね。
もしかして、あそこの少し大きい家が村長さんの家かね。そうかぁ、私は勘違いしてたんだよ。未だ、村の中だったんだね。流石はセブ兄!セブ兄の治める領なんだから、村の大きさも規格外よね!取り敢えず、もう一回、あそこの村長さん家で道を聞こうかね。
「ごめんくださーい。」
私は村長さんの家の門番さんに話しかける。村長家に門番がいるってのは珍しくはない。大体は、その村の役所を兼ねるからね。村で貯めたお金なんかもあるし、大事な書類なんかもあるからね。
「誰だけぇ、おまん。おまん見ん顔だけぇ。ここに何の用だけぇ?」
門番さんは北方の訛りで答える。誰何されているみたいだよ。
「私は、行商人のナナイ。今は愛しのセブ兄の許へ馳せ参じる途中だよ!?」
私は可愛くしなを造りながら言う。こういうのは掴みが肝心だって、師匠も言っていたからね。
「愛しの…?あー…ん。あぁ、旦那さぁのとこに帰ぇる途中かぁ。ほうかぁ、そのズブってぇ人も幸せの人だなぁ。」
旦那様だなんて!お兄さん見る目があるね?
でも、ズブじゃないよぅ?セブ兄だよ?ズブだったら、ちゃらんぽらんのクソガキになっちゃうよ?しばくよ?
「ほんで、そのナナイさぁがここに何の用けぇ?」
「ちょっと道を聞きたくってね?アルムってどっちかな?」
相変わらず、私のしなは完璧だ。可愛く決まってる。
「アルムぅ?アルムはここのことだけぇのぉ…」
門番さんは要領を得ないことを言う。ここが?アルムだって?セブ兄の治める領の?領都だって?
いやぁ、そんなはずないよね?だって、こんな鄙びた村が領都だなんてね?
「ザメン、どうかしましたか?」
ちょっとは話が通じそうな人が邸から出て来た、このお兄さんが村長さんか、村長さんの嫡子さんってことかな?