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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第1章(前編)出立
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―公都アキルネを発ちアルミア子爵領に向かう一行―

 公都アキルネは東に大河アキアを抱える皇国でも一、二を争う経済都市である。大河アキアはアキルネの辺りで多くの支流が合流し、大河アキアに流れ込む。皇国東方各地の物資がこの河によって集められ、アキルネに集積される。それらは再び、初代皇帝の名を冠したゼン街道、石畳の敷かれた黄金街道とも呼ばれる街道、それを通じ再び皇国全土へと運ばれる。すなわち、皇国東方の物流の中心地であると言える。

 殷賑(いんしん)極める公都アキルネは、この時代としてはかなり密集した都市である。多くの建物は三階建て以上であり、四階建ても珍しくない。ほとんどが煉瓦造りなのは、この地方で大量に木材を得ることが難しいからである。屋根が平たい陸屋根となっているのは建て増しが容易だからである。逆に、裕福な家は趣向の凝らした屋根を造るため、丸屋根、筒形、尖塔など種々の屋根を見せびらかしている。

 当然、差して裕福ではないセブらの住む長屋は陸屋根だ。雇われ人階級の住む密集した街並みの一帯だ。家と家の間というものはほとんど存在せず、只管(ひたすら)に煉瓦の壁の続いているように見える集合住宅だ。通りも石畳が張られているだけに尚更に石に取り囲まれている感が強い。

 この一帯は公都の主たるアキルナ大公と商職の両組合からの合同出資によって整備された区画だ。したがって、家々も乱雑に建てられているわけではない。すべて、高さも同じ、窓の間隔も同じ、使われている煉瓦の質も(安く上げるため色・質すべて等しく疎らという意味で)均質だ。

 通りはほとんどの箇所で三歩ほど。迫る建屋は三階建てということもあり、通りに日が注ぐ時間は短い。南北に走る通りは、それでも、僅かながら日が差す時間がある。しかし、東西に走る通りでは、日が直に届くことは無い。したがって、割合乾燥している、この地方としては湿気が多い環境となっている。

 窓から窓へ通りを跨いで洗濯物干し用の縄が乱雑に張られている。勿論、僅かでも日の差す南北の通りのみであるが。勿論、この狭い空間で一家すべての洗濯物を干すのは無理がある。多くは、屋上で干されているが、干し切れなかったものが、こうやって窓と窓の間に張られるのだ。風は凪いでおり、洗濯物は大人しく垂れている。

 旅は早発(はやだ)ち早着きが基本だ。特別な事情が無い限り、夜明けとともに発つのが普通で、洗濯物が干されるような時間帯まで出発しないということは無い。しかし、このような時間帯となって、やっとセブの一行は全員集まった。昨夜は進発式ということで遅くまで酒を飲んでいた。そうでなくとも、元働いていた職場に暇を告げ、しばらく自堕落に暮らしていた者も多くいた。そんな者どもにとって、彼らの馴染の狭い路地にまで日が届こうかというこの時間でも早朝であった。

 集合場所は、彼らの住む集合住宅の切れ目である大通りの一角だ。一応は夜明け前に集まることになっていた。しかし、その時間に集まったのは29人中7人。手分けして、未だ来ていない連中を起こしに行く。一応、起きたことを確認しても、二度寝している者もいる。中には家の遠い者もいて、起こしに行くのにも時間がかかる。

 家に起こしに行ったら、親と今回の出立に関して話していない者がいて、そこで言い合いが始まったりもした。雇われ人だと、結婚して一家独立するまで、親元で暮らすか、雇われ先で暮らす者が大半である。幸い、雇われ先に告げていない者はいなかった。

 そもそも家に帰ってすらいない者もいた。馴染の女の所だったり、行き付けの酒場だったり。付き合いの長い彼らであったから、二、三当たれば見つけることは出来た。が、それでも二、三当たる必要があったとも言える。

 そんなこと、こんなことがあって結局出発時間は大幅に遅れてしまったのである。


 一行は特に遅れた時間を取り戻すため、ということも無く、わいわいとやりながら公都の中を歩き始める。雇われ人の集合住宅を抜け、店の立ち居並ぶ通りに至る。雇われ人の住居が近いこともあり、ここらに高い店は無い。皆大体、簡単な骨組みと染めもしない麻で出来た天幕からなる露店である。とは言え、今は店に用事があるわけではない。一行は横目に、いや特に店に目をやることもなく通り過ぎていく。


 そもそも、周囲の開けたアキルネは皇国成立以前から一帯の商業的中心地であった。アキルネ周囲は緩やかな丘陵と幾らかの木立からなる草原地帯である。地質は固く農業に適さない。それなりの金と手間を掛ければ農地に転用可能だろうが、他にいくらでも稼ぐ道のあるアキルネでわざわざそれに手を出す者は少なかった。ただそこは、荒野として完全に放置されているわけではなく、幾分の放牧を営む民が見える。疎らにある木陰には人心地つけた旅人の姿も見える。長閑(のどか)な光景と言えるだろう。

 周囲で天涯と言えば大河アキアくらいしかなく、攻めるに易く守るに難いアキルネは長い歴史の中で数多くの戦いの舞台となってきた。そこここに見える幾重もの城壁跡、砦跡はその名残である。逆に言えば、それらを跡のままに捨て置いても問題ないことは、皇国の繁栄の証左となっている。今やかつて城壁であった石くれは行商の腰かける商いの場であり、吟遊詩人朗々と歌い上げる舞台であり、子供たちの遊び場である。

 アルミア子爵領を目指す一行はその中を歩いていく。公都生まれの彼らにとって、城壁跡一つ一つの名前を諳んじるは(かた)くない。むしろ、かつて幼き頃遊んだ彼らにとっては外部の人間からすれば観光名所でもある、歴史的な城壁の名称など無機質な指標でしかない。彼らは城壁跡の石くれの一山ごとに名前をつけていった。曰く、やや高めに石の残った場所は子供らしく「のっぽ石」、友人の定番の隠れ場所はその友人の名を冠し「ドロの家」、色気づいた子供が相手に愛の告白を行った元見張り小屋は「ハンズのフラれた小屋」という不名誉な名称を授かっていた。

 公都を離れる彼らにとって、それらは人生の見納めでないにしても、最早日常的に目にすることは叶わなくなるものである。しかし、それを気にするような中年的感傷を抱くほど彼らは年老いていない。彼らのかつて親しんだ光景はむしろ停滞の証であった。今、彼らが見据えているのは故郷の地の風光ではなく、己の未来を映す新天地である。未だ、あまり多く守るべきを持たぬ彼らにとって、思い出など旧習の毒とも言えた。己の由来するものを、唾棄(だき)すべき、とまでは言わないが、少なくとも自身を縛り付ける煩わしいものと思えるのは、ある意味で若さの特権である。

「しばらくはアキルネも見納めかな。」

 セブ・トミタは彼を取り巻く友人達に比べればやや老人的郷愁を持ちつつ公都を後にした。出立には良い晴天の、ただ秋の訪れを風に感じる晩夏の日であった。


 黄金街道、ゼン街道は公都アキルネの東方へも続き、皇国東の果て、ゼンセン伯爵領の領都まで続く。公都アキルネからアルミア子爵領までは、直線距離からすればやや遠回りではあるが、この道をたどる。公都アキルネ周辺と変わらず、草原と幾らかの木立のみ見える道行である。途中、いくらかの、暇そうな兵士しかいない駅家と、旅人の一息つく茶屋がある以外は変哲もない道である。茶屋は時に歩みの遅い者たちの宿となるが、日も未だ高いこの時間帯には、そのような客はおらず、人心地付けている人々しか見えない。

 さらに行くと、徐々に山が北に迫って来る。これに伴い、ソアキの北方は森勝ちとなる。一方で南方の平野には一面の麦畑が広がり始める。山が近くなることで、平野部にも森の栄養が行き渡るようになり、アキルネ周辺と比べると肥えた土が得られるのだ。

 この周辺の首都機能となる街が、アキルネから徒歩で一日程度で着く最初の宿場町ソアキである。南方の麦畑はアキルネの食糧事情を支えるという一面も持つ。ソアキは、食糧庫としての役割だけでなく、商業都市として歴史の長いアキルネから、皇都とは逆側ではあるが、一つ目の宿場町として商業的な成功を修めている街でもあると言える。

 公都アキルネ側からソアキに至る道は穏やかであるものの、緩やかな丘陵により遠方からはソアキの街を眺めるのは難しい。ソアキ直前に横たわる丘陵、その峠に立つと、ようやっとソアキの全景が見えるようになる。

 そこで、まず目に入るのは、聖カルシャ寺院の尖塔である。ソアキの(やや俗っぽい言い方であるが)御当地聖人である聖カルシャの名を冠した寺院に建つ尖塔である。ソアキという街の一つの象徴と言って構わないだろう。尖塔に据え付けられた半鐘は平地であることもあり、遠くまで響く。ソアキ市民だけでなく、周辺農民にとっても時刻を知らせるための重要な指針となっている。

 ソアキはアキルネとは異なり、城壁の目立つ街である。ただ、それはかつて存在した城壁を飲んでしまったアキルネに対して、未だそこまでの発展に至らないだけである。実際、城壁は途切れ途切れであり、街の全周を囲うに至っていない。而して、まるで破れた鍋から煮汁の染み出るような形で街が出来上がっている。

 ソアキの家々は、流石にアキルネと比べれば、平屋が多い。あっても精々二階建てである。その多くは陸屋根の煉瓦造りだ。雨の少ない、雪も降らない、この地方らしい造りであると言える。


 一行がソアキに着いたのは日暮れには未だ早い時間であった。さして多くの荷物を持たず、体力旺盛な時分である彼らの歩く速度は平均的な旅人などよりもずっと早い。

 かと言ってここから今日中にさらに長躯するのは妥当な旅道ではない。アルミア子爵領に行くにはここからゼン街道を北に離れることとなる。ここから街道を外れると徐々に森勝ちになっていく。少なくとも半日程度の行程では樵や猟師といった森で糧を得る人々の休憩小屋程度しかない。野営の準備の無い彼らが行くには些か危険であると言える。

 野営とは、それをやったことのない者には想像も出来ないほど厳しいものである。当時こそ、温度などという概念も曖昧な時代ではあるが、そもそも人間の体温より、地が高い温度を持つことなどほとんどないのだ。起きている間は精々足しか触れることが無いため、気にすることも無いが、横たわり、接する面積が増えると、地は容赦なく人間の体温を奪う。野営の際は極力、地の接触を避けるしかないのだ。

 だから、旅慣れした者は野営を極力拒む。それが、板敷きだろうが、藁だろうが、己の身体と地を断熱するものがあると無いとでは大違いなのだ。行商など、旅の多い人間たちにはこのようなことは、温度などという概念なくとも、経験と先人の教えによって感得していた。

 とは言え旅慣れしていない彼らである。そのようなことは知るはずもない。決して裕福な生まれではない彼らであったが、今日寝るところに困ったことは無い中産階級の出である。彼ら自身は、己らを下層民と見做しているが、今日寝る場所、今日食う物に、そうそうは困りはしない、そんな彼らをそうそう簡単に下層と位置付けることは出来はすまい。

 これは閑話というべきだろう。而して、休題せねばなるまい。彼らは、そう、旅慣れなどしていなかった、それが重要なことであろう。この時点では、後に英名馳せる、セブル・アルミアだろうが、鉄壁のモルゼイだろうが、ただの初めて都会を出でた、世を知らぬ、若者であったのである。

 つまり、ここで一泊することを決めたのは案内役を任されたタゼイ・ファランの息子タッソ・ファラン、後の<長命家令>タッソ・ファランであった。勿論、彼とて一介の若者に過ぎない。

 父タゼイ・ファランは後継を見つけると諸々の根回しのため、先にアルミア子爵領に帰還した。アルミア子爵領の家令であるタゼイにはそうでなくとも領主無き今仕事は多い。父と一緒にアルミア子爵家の後継を見つけるため、公都アキルネまで来たタッソが案内役をするのは元々の打ち合わせ通りである。


 ソアキに着くと、三々五々それぞれ散った。一部は早速酒場に繰り出した。ソアキに初めて来た者多く、観光に行ったものもいれば、親戚を訪ねに行った者もいる。今残っているのはセブとイマの二人だけである。

「迷惑かけるなあ。」

セブは自分でも何に謝っているのか不明瞭だと思いながらも謝った。

「いえ、このくらいは想定の範囲内です。ある程度の人数が集まって騒げる酒場などもここが最後でしょうし。」

 アルミア子爵領は大分田舎だ。まともな酒場のような場所は無い。

「お二人はこれからどうされますか。」

「少し、店でも回ったら宿に帰るよ。宿でも飯は食えるんだろ。タッソ、お前こそどうするんだ。」

「道の状況を確かめに行きます。アルミア子爵領から来たって人は少ないでしょうが、同じ方向から来た行商人などは多いでしょうから。アキルネでも聞き込みはしていますが、一日二日で変わる状況もありますし、情報は多いに越したことはありません。あとは、ここからは野営もあるかもしれないですし、糧秣の確保と、父が荷馬車も用意しているはずなので、それの確認にも行こうかと。実際の受け取りは明日朝ですが、確認しておくに越したことは無いですし。」

「うーん。そういうのは一部アイツらに任せても良かったんじゃないのか?アイツらこれから仕官するんだから、そういう仕事も覚えておいた方が…」

「正式に仕官するまでは一応お客さんですので。」

「そうかなあ、取り敢えず、俺とイマだけでも手伝うよ。」

「いえ、まさか主君にそのようなことをしてもらうわけには…」

「未だ正式に跡取りになったわけではないからな。」

 タッソは少し考えた。アルミア子爵家領のような小さな貴族領では当主がこのような調整事務を行うことも珍しいことでもないことに気付いた。「それでは、」ということで、セブとイマを連れ立って行商人の集まる市に向かった。


 翌日一行はソアキを発つ。既に一名脱落者が出ていた。繰り出した酒場で喧嘩をして怪我をしてしまったのだ。彼はファラン家の伝手で療養できる家に預けられた。「すぐに追いつく。」彼は言ったが、些か短慮な喧嘩の因果となれば、大半は呆れ顔だった。

 そんなこともありつつも一行は進む。道は北に。ここまでは石畳の街道であったが、ここからは人の足によってのみ踏み固められた道である。最早、荷車は通らない。荷物は人の肩と二頭の駄馬でのみ運ぶ。もちろん、これまでの整備された道と異なり、勾配も多い。宿泊も先行したタゼイが話をつけておいた農家の納屋などだ。食料も村々で少しずつ買い足しながら進む。

 そんな道を行くことの四日目の夕方、ついにアルミア子爵領に入る。

「ようこそ、アルミア子爵領へ。」

タッソ・ファランは領界の峠にて面々を振り向きながら言った。

 アルミア子爵領の皇国東側からの入口である、この峠は領の全体像を比較的俯瞰するに易い。

アルミア子爵領は北方のバースレイ山脈、南方のケルノ山地の間にある渓谷の地である。南北の山脈は北北東で半ば連なり、やや東が高く西に低いやや長いいびつな三日月形をしている。北北東の峠を越えればやがて北の海に辿り着くが、高い山々に阻まれそれは今は見えない。

 ここスグノ峠から領主館のあるアルムまでは未だ半日の行程がある。とは言え、目的のアルミア子爵領についた一行の顔は明るい。公都周辺、平野部で生まれた彼らにとって山地にあるアルミア子爵領はまさに異郷であった。そもそも公都アキルネは立地からして余程天気の良い日にくらいにしか山々は見えない。対してアルミア子爵領は、峻厳たる山脈を北に南に抱える。北の山々は晩夏とは言え、まだ夏であるのに既に、いや未だ雪を湛えている。その谷間に位置する子爵領は、その大半を森林に覆われている。厳密には山脈の頂までは領であるが、実効的な支配権は山裾野にのみしか及ばない。森の木々の色は濃く、そのほとんどが常緑針葉である。これもまた、公都の彼らには見慣れない木々である。公都の辺りは乾いた平野で木々は疎らであるが、それらは厚い広葉樹。

 家々もまた随分と異なる。全て切妻式か。屋上とて貴重な地所として平屋根が主たる公都と比べ、三角屋根が主たるアルミア領の家々は公都、そうでなくとも南方の育ちの彼らにとって異界の描像。苔生した、地這う屋根も異界の様相。

 アルミア子爵領と外界との行き来は、現在彼らのいるスグノ峠か、もしくは東方のやや開けた平野部かのどちらかしかないと言ってよいだろう。山越えたとて、狭き峠越えたとて、ほぼ海にのみ至る北方は許より、越えれば明に開ける南方の山々もそう容易に越えられるものではない。

 彼らにそんな意識は無いだろうが、四方平野の公都と比べると、四方のほぼ全てが山に閉ざされ、狭く開けられた口もまた広くなく。つまり、まさに天涯の地と言ってよいだろう。そう言えば聞こえは良いものを。逆に言えば、交通の便は頗る悪く、それが領の発展を妨げていることなど、内政担う家に育ったタッソはとうにわかっていた。公都の彼らは、貴族様の保養地なんかには良さそうだな、と呑気なことを考えていたが。確かに風光のみ見れば明媚な土地であるには違いないだろう。ただ、それと暮らしやすいかは別である。


 スグノ峠から、領都アルムまでは、ほぼ下り坂である。峠を少し越したところにある村でささやかながらの歓待を受けた。タヌ村と言った。一行の一人、それも一行の中でも一等器量の良しのタヌと同じ名前であった。タヌが、

「私と同じ名前だね。」

と言うと、村人らは喜んだ。田舎に住む彼ら村人にとって、公都の彼らは垢ぬけている。彼らの中でも、野暮扱いされることの多いレンゾなども領民にとっては都会の洒落者であった。その中でも一番器量の良いかとも思われる女性と同じ名前の村に住むというのは、部外者からした馬鹿馬鹿しいかもしれないが、彼らなりの嬉しさのようなものはあったのだろう。当の本人であるタヌは苦笑いであったが。

 一晩の宿を借りたのち、彼らはひたアルムまで歩く。横に小川の流れる森の道である。先駆したタゼイによって、いずれ新領主が通ると聞かされた村人は、その新領主を一目見ようと、押し寄せる。セブはそんな人たちに一々挨拶しようとするものだから、道行きは難航した。結局昼前には着くはずの予定が日暮れも迫ろうとする時間になった。


 領都アルムは、流石にこれまで一行が通ってきた村々に比べれば家が多いが、公都という当代皇国一、二の都会で育った彼らから見れば、精々が村に毛が生えた程度。いや所謂村というものですら大げさ。公都を碌に出たことのない彼らの大半にとってはあばら屋の並んだ何かでしかない。途中通って来たソアキなどの方が余程栄えている。幻想的ですらある、荘厳なる山々、黒き森々、清く細く浅く光る川々。それらと比べると、何か人の手が入っていることがわかるだけに、妙に稚拙に思えて来る。

 道に石畳などなく、人の足によって踏み固められているのみである。家々もすべてほぼ木造りであり、基礎や壁の一部が石造りになっているものがある程度である。煉瓦造りの家などは一件も見当たらない。ここまでの村々と同じく土に覆われた屋根がほとんどである。


 領都アルム、その領府である子爵邸は有事の際には近隣住民の立て籠る城となる。しかし、元々この土地は天然の要害によって外患というものの少ないこと、立派な城を建築するほどの金も無いこと、などの理由から、その造りは簡素である。皇国成立以前、アルミア子爵が地方豪族でしか無かった頃に造られ、修繕・増築の重ねられたものでしかない。

 北側の切り立った丘陵を頂点にして周囲を取り囲むように空濠と土塁を設け、お情けばかりに木柵を巡らしている。空濠は丘陵部より、やや西側に広がるように造られている。

遠目にもまず目につくのは、丘陵の切っ先に建てられた、子爵家の起居する石造りの領館である。領館はこの地方で数少ない、二階建てである。領館は左右に見張り櫓を兼ねる尖塔を有しているが、この部分は木造りである。尖塔の先には、アルミア子爵家の家紋である雌雄の火吹き狼の刺繍された旗がはためいている。

 南側にだけ空濠も土塁も無い箇所があり、そこが出入り口となっている。左右に見張り櫓が建てられている。一階部分は石造りだが、そこから先は木造りである。そこに常時人が詰めていることは無い。領館にある尖塔の方がよほど高く、遠方を見渡すのに適しているからである。

 入口に立って、まず目に入るのは領館に向かう石階段である。丘陵の急斜面の一部だけを石階段としており、その周りは木枠の土留めで斜面を維持している。石階段の上った先、左手には小ぢんまりとした礼拝所が建てられている。現在の皇国国教の風はお情け程度で土着の先祖崇拝の風を多分に残した小さい木造りの小屋である。公都から来た若者にとってはやや奇異な礼拝所である。

 一歩入れば異臭がするのは、すぐ左手に厩舎があるからである。その向かいには石造りの鍛冶場がある。

「ちょっと言ってくらぁな。」

一番後ろを歩いていたレンゾは列から外れ、鍛冶場へ向かった。

「夕飯には戻って来るんだよ。」

同じく一番後ろを歩いていたアイシャが声を掛ける。

「レンゾ兄ぃ、それじゃあ、夫婦じゃぁなくて、ガキとお袋じゃぁねぇか。」

 振り返って一人の青年が言う。

「黙ぁってろ!ズブ!」

そちらも見ずレンゾは鍛冶場に向かっていった。

大体ここまでがプロローグで次から鍛冶の話が始まります。


ちなみに移動手段として馬車が一般的に使われるようになったのは意外と後世です。

勿論馬車というもの自体は紀元前2000-3000年頃からあったのですが、真っ当に馬車が走ることの出来る道というものが張り巡らされるまでには随分と時間が掛かったことによります。

さらに言えば馬車の走行速度というのも意外と遅く徒歩と然程変わりないということもあり、馬車での移動というのは想像以上に贅沢であったことが考えられます。

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