―アルム、領館、セベル・アルミア―
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ほろほろと落ちる雪。厚く空を覆う雲。昨日から続く吹雪の閑暇。明日は仕事に出られるだろうか。そう思わせる西の空。ひゅうひゅうと冷たい風が吹く中、セベル・アルミアは執務室の窓を開け、ほうと息を吐く。もちろん、吐く息は白い。白に染まる領を何となく眺める。時折、雪が風で巻き上がる。室内にある火鉢にある白い炭から赤い光がわずかにちらつく。
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戸を叩く音が聞こえた。
「おう、開いているぞ。入ってくれ。」
窓を閉めようかと思ったが、閉めると暗ぇな。止めておくか。
だん、と音を立て扉が開く。
のっそりと入って来る赤毛の大男。
「邪魔するぜ。」
「おう、なんでぇ。」
「まあ、なんだ。ちっとよ。こっちの状況ってぇやつも伝えておこうと思ってよぉ。」
成程よ。そういうことも、確かに要るのかいな。
しかしよ。それに、その右手に持ってる酒はいらんだろうがよ。
ま、それで口が回るなら、それで良いがよ。
「あぁ?これか?これは、ちっと後だな。兄ぃ、呑みたがりだな。はっはは。」
「あぁん?呑みたがり、飲兵衛はお前ぇだろうがよ。」
「はっはは。違ぇねぇな。」
一笑いするとレンゾはどっかと椅子に座って、いつもの薄汚れた帳面を取り出し、ぱらぱらと捲る。
が…、直ぐに仕舞う。
「兄ぃ…。兄ぃに聞きてぇことがある。」
じっと椅子の前にある机を睨めつけたと思えば、眼だけこちらに寄越して、レンゾは吐く。
「あんだぁ?えぇ?」
俺もどっかと、領主様の椅子に座る。ふぅと吹いた息は白く染まる。そう言えば、窓を開けたままだったな。
ちらりと窓に目をやるとレンゾは言う。
「まあ、開けたままでいいんじゃぁねぇか?暗いしよ?」
「あぁ、そうだな。」
…。暫し、沈黙が流れる。
「で?あんだよ?」
「あぁ、そうだな。そうだよな。そうなんだよ。」
「あぁ?わからねぇ…言いようだな。」
「そう言いねぇ。ま、聞いてくれや。」
「おう、おう、聞くぜ。聞くぜ?面白ぇ話を頼むぜ?」
椅子の肘掛けに肩肘付く。
「うーん。そうだな。兄ぃに面白ぇかはぁ…わかんねぇな。」
「そうかい。そうかい。そんでなんだい?」
レンゾは、ふと火鉢を見やった後、こちらを半目で睨める。
「ようよう考えたらよ。確かにな。俺もてめぇの領分に過ぎた身分に就いちまったぁと思ったがよ。こん齢で親方だなんてよ。しかも、てめぇ、それもよ。てめぇのガキん時からやってきた小鍛冶じゃなくてよ。しかも、大鍛冶だけじゃなくてよ。色々全部だ。全くよお。考えもしなかったぜ、なあ。」
くいと、レンゾはこちらを見る。
しっかし、こいつも色々あるんだな。
齢頃。丁稚、手代をやってきた時間。そんなもん考えれば、そろそろ一人でやるようになっても良い。そんな時宜ではある。
「でもよ。少し考えてみたらよ。成程な。そんなん兄ぃに及ばねぇなって思ってよ。」
へへへ、と憎たらしく笑うレンゾ。
「兄ぃなんてよ。ようよう考えたらよ。所詮、下町の悪餓鬼大将だもんな。」
こいつぁ、昔からの付き合いだってぇからに、好き勝手言いやがってよ。
「そんな、悪餓鬼がよ。こん所、領主サマってぇ身分だぜ?笑えるよな?はっははは。」
笑えねぇよ。笑えねぇよ。こん野郎。莫迦野郎。てめぇ、クソ野郎。
俺の苦労を考えろや。あぁん?
ふいと、レンゾは戸口を見やる。いや、別にそこを見やったわけではないが。つまり、どこかを見やった。
そんで言う。
「兄ぃはよ。考えてみれば、難儀なトコにいるよな。ってぇ思ってよ。あぁ、難儀だよ。びっくりすんぜ?えぇ?おい。まさかよ。貴族の御当主サマぁだなんてよ。いやよ。俺もよ。貴族の御当主なんざよ。つまりはよ。茶ぁしばいて、菓子啄んで、フッフフ笑うのが仕事だと思ってたがよ。成程よ。それがそうもいかねぇってぇもんだろ?そうなんだろ?あぁ?よぉ?」
何を言いてぇのかわからんが、何を言いてぇのか、わからいでもねぇ。
しかし、子供の頃から、ひょこたんひょこたん、青洟垂らして、てめぇの後ろにいた、そんな奴が…こんなことを言いよるとはねぇ。
なんだか、嬉しいのやら、悔しいのやら、妬ましいのやら。「てめぇ、何もわかってねぇ癖に!」ってぇ拳固の一つでも食らわせてやりてぇような。これが紅顔麗しい少年だったら、愛でようものの。俺より、4つの、5つの下だが、見た目は俺より十も上にも見える髭の大男よ。むしろ、蹴っ飛ばしてやっても良いような…。
そういや、こいつ最近髭を生やし始めたみたいだな。半月の見ないうちに立派に生えそろってやがる。
「俺ぁな。思ったんだよ。兄ぃはどうかってよ。」
「あぁん?」
「兄ぃはよぉ。俺ぁよ。偉ぇと思うんだ。ようよう考えたら、兄ぃの下に付いてるモンの数を考えたらよ。つまりは、てめぇ、この領の人間全部だろうがよ。違ぇか?えぇ?」
おいおい。止めてくれや。おい…。よぉ…。
なぁに。勝手に。俺の肩に。この領の人間乗せてんだよ。
阿保か。てめぇよぉ。
おい、ふざけんな。
それを真面目に考えたらよ。
やってられねぇんだよ。
ったくよ。
しかし、レンゾが…ねぇ。
そういうことを考えるってぇことはよ。
そう言えば、アイシャもこの前、言っていたな。
「ふぅー。」
一息。
「そうだな。俺はそうだ。お前はどうだ?」
「兄ぃよりは少ねぇよ。ははは。」
「そうでもねぇかもしれねぇぞ?てめぇの稼ぎが、この領の存亡に懸かっているなんてぇ話もあるんだぜ?」
レンゾはこちらを見て、にぃと笑う。
てめぇ…。
だが、つい口は滑る。
「何せ、大した稼ぎになるモンもねぇ領だ。いつ潰れるかも、わからねぇ。そんな領だ。こんなモンで良くここまで、皇国に付いて、四代も。良くやってきたってぇもんよ。そんな案配だぜ?稼ぎもない。人もいない。道すらない。何にもない。あるのは、雪ばっかり。それで、どうすんだってぇよ。そんな案配だぜ?どうすんだよ。」
「知らねぇよ。それは、俺の問題じゃぁねぇ。」
「知らねぇよ、とは言わせねぇよ。お前の問題でもある。」
「知らねぇよ。俺は、俺のやりたいことをやる。」
「知らねぇよ、じゃあ済まさねぇよ。てめぇも領民と話しただろうが。俺より、余程…。」
「知らねぇよ。あいつらのことなんざぁ。」
「知らねぇよ、って言いつつ、知ってんだろ…。てめぇはよ。」
…。
「どうだかな。」
…レンゾは杯に片手で酒を注ぐ。
「てめぇ、一人じゃ何事もなせねぇ。それは、わかるだろうがよ。」
「だが、アイツら、馬鹿だぜ?」
そう言いながら、レンゾは注いだ杯をこちらによこす。
黙って、俺はそれを分捕る。
「…。」
くい、と煽る。
「ぷっふぅ。ここの酒はきついな。」
「慣れると、これじゃなきゃなんねぇ…ってなるぜ?」
レンゾも盃を煽る。
「もう、公都の酒もご無沙汰だがな。」
盃を置きながら言うレンゾ。
「そうだな。」
空になった盃を、ほいと差し向ければ、何と言わずとも次を注ぐ。
「しかし、男二人ってぇのも難だな。タヌでも呼ぶか?」
何となく、興に任せて行ってみる。
「あぁん?何で、タヌの奴を?」
「いや、別に何でもねぇよ。思い付いたまま言ってみただけだ。」
「だが、確かに一人じゃあ何も出来ねぇな。確かにな。」
しばらくの沈黙の後、レンゾは空になった盃を見つつ言う。
「だろうがよ。」
俺はそう応える。
「ズブに、テガ。ササンも来た。奴らがどうなるか、心配だったが何とか、てめぇの役割をやってくれている。」
「ああ、こうも、がっちと組むとはな。俺も思ってはみなかったぜ?」
レンゾはこっちを見やって、「兄ぃの謀ったことだろ?」なんて言う。そして、てめぇの盃に注ぐ。こちらの盃をやれば、そっちも注ぐ。
「農家の子倅共も…悪くはぁ無い…かもしれねぇ。未だ、わからねぇがよ。だが、何でてめぇが何故それをしなけりゃなんねぇのか。そんなことを考えている輩よりは大分マシってぇもんだ。てめぇの役割にイチイチ、ナンだカンだ、ケチを付ける輩よりかは、マトモってぇもんだ。」
「一概にそう言えるかはぁ、わからねぇんじゃあねぇか?てめぇは、むしろケチ付けるような奴だったろうが。酒場で集まっちゃあ、ガタガタ抜かしてたじゃあねぇか。」
それを聞いて、ふと黙るレンゾ。天井を見やり、そして、ずずと盃をやる。
「兄ぃには敵わねぇな。」
「ははは。舐めるなよ?こちとら、てめぇのオシメだって替えたことがあるんだ。」
「あぁん?そん頃ぁ、兄ぃも寝小便垂れ流してた頃だろうがよ。がはは。」
「言うようになったじゃあねぇか。ははは。」
空になった盃に注いでやる。
レンゾはくいと煽り、俺の空になりかけた盃にまた注ぐ。
「だが、人が足りねぇ。人材ってぇ意味の人ってんでもでもそうだが、それだけじゃなく、単純に人が足りねぇ。」
レンゾは盃に僅かに残った酒を舐めとると続ける。
「今は、精錬場の人も充足しているがよ。これは冬の仕事が無いからだ。奴ら、大体が農民だからな。耕せない、この時季にしか手伝いに来ることは出来ねぇ。」
「てめ、そりゃ、おまんま以上の人はいねぇのよよ。ここじゃ、公都と違って金さえ出しゃ、飯が手に入るってぇことはねぇ。畑からの上がり、それがすべてだ。春夏にここに来る小作らだって、金より飯で雇った方が集まりいいってぇぐらいらしいぜ?確かに、人間金が無くても死なねぇが、飯が無けりゃあ死ぬからな。」
「なるほどなぁ。」
そう言って、また互いに盃を啜る。
しかし、随分と酒も回ってきた。
これはもう、今日は仕事になんねぇな。
窓の外、仄かに赤い西空を見ながら、そう思った。