―アルミア子爵領、マヌ村、タスクの家、テガ―
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びょうびょうと風の音が聞こえる。外は天を覆う地吹雪。アルムにほど近い位置にあるマヌ村は精錬場を手伝う者も多くいる。しかし、外がこの様子では通うのも儘ならないだろう。だから、今はいつもの冬の仕事。
屋内を照らすのは土間に焚かれた赤い炎。明かりは贅沢かもしれないが、部屋を暖めなければ凍えてしまう。それにこれは冬の仕事。畑に出られぬのであれば出来ることしなければならない。茹った釜に麻を入れ弛んで来たら上げる。茎の皮を剥ぎ剥ぎ繊維を取り出していく。剥いだ繊維は順に干されていく。氷ってはいけないから火に当たるように。焦げてはいけないから火に近づけ過ぎないように。皮を剥いだ芯は捨ててはいけない。これはこれで乾かして燃料に使うから。
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コッコと義母になるマコが朗々が麻布作りの歌を歌いながら、麻の皮を剥ぎ、干していく。それを聞きながら、俺と、義父になるタスクは火の調整をしながら、麻を鍋に入れ、また出して渡していく。幼い弟妹はただきゃっきゃと歌を歌っているのみ。さっきまでは一生懸命に皮剥ぎを手伝っていたが飽いてしまったようだ。
可愛い盛りの子供たちだ遊ぶ余裕があるのは良いことだ。もっと、年上の子供もいたらしいが、亡くなってしまったらしい。一番上のコッコだけが生き残ったということらしい。
「どうで、あまり面白い仕事ではないだろう。」
義父タスクが言う。
「いえ…これは、これで。気の落ち着くというものです。」
湯をかき混ぜる。大分、ぬめりが強くなってきた。そろそろ、変え頃か。いや、未だ早いか。この汁の原料は石灰を使っているが、灰でもよい。石灰は俺が持って来たものだが。
トトンの兄貴に聞いた。鞣すのには灰でも良いが石灰の方が良いと。たまたま、領館で会った時に話した。灰で麻を煮込むと。そうしたら、そんな話を聞いた。羊皮紙でも同じことをすると。本人は「どこでも同じようなことをするのだな」と、あまり興味の無い様子ではあったが。
聞いてみれば、獣の革を鞣すのにも灰を使うとか。これは村にいた鞣し職人に聞いた。妙に卑屈な男だった。
そう言えば、村々では職人というものは、あまり地位の高いものではないらしい。大体は流れだからだ。その技こそ、用いれど決して受け入れられることはない。それが村というもの。
そんな村々を渡り歩いているうちに何時しか卑屈になってしまったのだろう。元、どこの出かは聞けなかった。僅かに残る訛りは公都の方だろう。知り合いだったかもしれない。知り合いの知り合いだったかもしれない。
レンゾの兄貴や、他にも職人をやっていた連中もいた。それが、もしこうならなくて、流れになって、最終的にどうなったのか。どうなったのかもしれないのか、そんなものを見て、どうにもやるせない気持ちになった。
…しかし、石灰も灰も色々と使い道がある。そうそう無駄遣いしてもよいものではない。
そんなことは、ここに来て初めて知ったが。何にも、どんなものにも色々と使い道があるってわけか。学ばされることが多い。農家の生活には無駄がない。利用できるものは利用できるまで使う。まさか、灰にまで使い道があるとは思わなかった。
そう言えば、もしかしたら、このぬめりにも何か使い道があるのかもしれない。とすれば、湯の変え時もまた重要になる。そう言えば、壺に収めていたか。成程、何かに使うのだろう。
「そうか。そうならば良かったが…。」
随分と遅れた返事であったが、作業中故仕方あるまい。
細い棒で釜の中を軽くかき回す。
何を見ているのか。細い枝。かき混ぜるには少々心許ない。
しなり具合を見ているのか。そうすれば、ぬめり具合もわかるというものか。
…再び、麻作りの歌のみが流れる。
暗い、家でゆっくりと時が流れる。
古来、職人の身分というのは必ずしも高くありませんでした。
士農工商という身分差に関して、かつて「一番虐げられる身分である農を工商の上に置くことで農民の息抜きとした」という話を中高の時、聞いた覚えがありますが、果たしてどうでしょうか。
産業革命以前、ほとんどの人は農民でした。
つまり、職人という人々は、普通でない人々であった、という話です。