―アルム、領館、、領主執務室、アイシャ―
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アルミア子爵領の遅い日の出。東側の脈々たる霊峰に遮られ日の低い冬は太陽が顔を覗かせるまでは、天に光が満ちてから幾分の時がかかる。勿論その頃まで寝床に伏していたりすれば冬の日に人の出来ることは如何にも小さいことに限られてしまう。なれば、既に人々は動き始めている。セベル・アルミアは、むしろもう昼餉を済ませ、執務室で悠々と寛いでいる。そこに戸を叩く音がし…、セベルが入る旨を伝えると、アイシャが他に一人の娘を連れて入ってきた。その毛先の赤い黒髪の娘は一抱えの羊皮紙を持っている。
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「おう、アイシャ。昼餉はもう済ませたか。」
「あぁ、ついさっきね。今食べて来たとこだよ。」
「んじゃぁ、聞こうか。」
兄ぃは執務机に肘をつく。
あたしがここに来ることは先触れを出しておいたからね。話は早いね。まあ、わざわざ、てめぇの兄貴分に会うのに、先触れなんざ要るってぇのも面倒な話だけどね。
「デーコ、そいつをそっちに置いてとくれ。」
「あ、はい。」
デーコと呼ばれた齢を十と少し過ぎた頃の娘は、たどたどしい様子で羊皮紙の束をセベルの執務机に置く。
「おう、すまねぇな。デーコと言ったか。ありがとうな。」
「は、はい。な、名前を憶えていて…いただく、とは、こ、光栄ですけぇ。」
緊張した様子で答えるデーコ。
「落ち着きな。デーコ。名前は今さっき、あたしが言ったろ。」
「ははは。まあ、そう言うねい。俺ぁ覚えていたぜ。」
笑うセベル兄ぃ。ま、そこんとこ、兄ぃはちんとしているからねぇ。実際、憶えていたんだろうね。ていうか、もう領館で働く面々ぐらいは大体顔と名前は一致しているからね。
「まあ、それはいいから、報告に移るよ。」
……。
「…てぇ、って案配さね。」
あたしの仕事は税の徴収とそれの計上さね。税って言ったって、ほとんど麦とかだけどね。金で入って来る分なんて、雀の涙ってぇとこだね。
とは言えね。ここの役人連中ってのは、大体皆自分の畑を持っているからね。だからね。つまり、実際のとこ、こうやって役人らしい仕事出来る時宜ってぇのはね。冬の間に限られてくるわけさね。逆に、冬の間に出来ることなんてのは、そうは多くないからね。だから、こうやって、こういう計算ってのは冬の仕事なわけさ。
おかげサマで色々わやくちゃさね。各々てめぇの記憶でやってるからね。二か月も三か月も前、下手したら半年以上も前のことを今更やるんだからね。税を納めた村に何か聞きに行こうったってね。雪に閉ざされて、そうそう簡単には行けないからね。
それもあって、各村から出向いている雇いの役人もいるんだけどね。そいつらも、てめぇの村の良いようにやろうとするからね。時に喧嘩になったりなんだりだよ。
その首根っこ抑えて、何とかするのが、むしろ仕事ってぇ、なってんよ。
それがようやっとね。一先ず、まとまったんでって報告に来れたら良かったんだがね。まあ、今回は途中経過だね。ここで、兄ぃに、領主様に判を押してもらって分は一先ず片付いた形にはなるからね。
まずは一歩さ。
「そんでどんなもんだい。これで良いかいね。」
結局、二つの村で誤魔化しがあったってぇ結論さね。まあ、誤魔化しだったのか、ただの計算違いだったのかは何とも言えないね。だって、村の代表で来た奴だって、まともに計算出来ないないようなのだったからね。勿論、実際に徴税しに行った兵隊だって碌に計算できるわけないからね。困ったことだね。
「ふーん。そうだな。まあ、ちょろまかし、ってんじゃあなくて、ちっとした行き違いってぇところだろうな。」
「そうすんのが、良いだろうね。あんま、殺気立ってもナンだろうしね。」
確かにね。誤魔化しの見つかったとこの村の代表は大分…色々アレだったしね。一方は、粛々と受け入れてたけど、片一方は相当怒っていたからね。
本当は…粛々と受け入れてた方が相当怪しいってぇもんだけどね。
「ま、こんなもんか。」
セブ兄ぃは紙を置いて、顔を上げる。
「レンゾはどうだ?最近?」
仕事の話は仕舞いってぇことかね。
「達者でやっているよ。帰りの遅いことも多々あるけどね。」
「それこそ、達者でやってる証ってぇ気もするな。ははは。」
「…ああ、まあ、最近は何かあったみたいだけどね。大したことじゃないけどね。」
「へぇ、何があった?」
「何。そうさね。奴さんも色々あるんだろうね。ちっと、うちの姐さんに関してね。いや、そういう話じゃあ無かったね。話の起こりはさ、それだったかもしれないけどね。そうだね。あたしらの仕事に関してだね。ここに来てのね。」
「ここに来てねぇ…。ふーん…。」
セブ兄ぃはふと立ち上がって外を眺める。
「確かによ。それは難しい問題ってぇやつだな。」
そんで、囲炉裏端まで歩いて来て、薬缶を火に焚べる。
「あいつも色々考えてんのかね。確かに、色々違うなあ。よぉ。」
「そうだねぇ。立場とかね。兄ぃほどじゃあ、無いけどね。」
「どうだか、わからねぇぜ?俺が付き合ってる連中とてめぇらが付き合っている連中は違うからな。勿論、おめぇ、アイシャと、あいつ、レンゾの付き合っている連中も違ぇからな。」
「確かにね。でも、ある意味で同じってぇとこもあるだろうさね。お互いにね。てめぇの下になんざぁね。こんなにいたことはぁ無かったからね。小間使いに上がり立てガキの面倒をちった見たぐらいだね。」
「俺も似たようなもんさ。しかも、店なんざと違って、上は顔の見えねぇお偉いさ。」
そういって、兄ぃは肩をすくめる。
「それはそうかもしれないねぇ。へっへへ。」
窓から吹く風が、薬缶が挙げる白い靄を揺らす。
「で、兄ぃはどうするんだい?」
「どうするって?」
兄ぃはデーコをちらと見やって、少しにやりとする。
「デーコはどう思う。」
人が悪いね。
「え、えぇ、ええ?」
「悪ぃ、悪ぃ。ははは。」
兄ぃは「よっと」と言って立ち上がる。椀を三つ出して人数分の白湯を入れる。
「ほらよ。」
「あんがとね。」
「あ…あんがとございます。」
くいと椀を煽る。寒いし身に染みるね。
「デーコ。冷める前にお上がり。」
「へ、へぇ。へへぇ。」
恐る恐ると椀を頂くデーコ。
まるで、神殿の聖杯かなんかのようだね。
まあ、あたしらにしたら馴染の兄ぃだが、デーコらにとっちゃあ雲の上の領主様かもしれないしね。わざわざ、手ずから白湯入れてくれるなんてね。そうそうないことだろうしね。
しかし、こういうのだね。どうにも、立場の違いってぇのを感じちまうね。
ふいと、兄ぃを見ると、やはり困った顔をしていた。
「まあ…どうするも何もねぇんだ。」
「それで良いと思っているのかい?」
「どうだろうねぇ。ま…考え中ってぇやつだ。」
「つまり、今のままじゃあ、いけないってぇ。そう考えているわけだね。」
「…そうだなぁ…。」
兄ぃは、ずずっと椀を傾ける。
…。
「随分と長居しちまったね。」
少し続いた沈黙を破って言う。
デーコも白湯は飲み終わったようだ。
「おう、苦しゅうないぞ。」
「は、ははは。良いじゃあないかい。お貴族サマが板に着いてきたんじゃあないかい?」
「ははは。」
…。
あたしらは領主執務室を出て廊下を行く。
「あ、あ、ありがとうございました。」
「えぇえ?あにがだい?」
「りょ、領主様に白湯をいただけるなど…身に余る光栄で…。」
「…ああ。ああね。ま、そう気負っても仕方ないよ。」
「は、はい。アイシャ様。」
様…、ねぇ。