―アルム、レンゾとアイシャの長屋の一室、アイシャ―
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雲疎らな十六夜なれば日落ちれど空猶明るい。雪の照り返しもあればこそ。最早、目が慣れれば松明などいらぬかもしれぬ。白い光に満ち満ちた外と比べると、屋内は随分と暗いように思えてしまう。土間に据え付けられた囲炉裏の、その中の炎に照らされた屋内はてらてらと赤い。
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「あら、やっと帰って来たね。」
レンゾの奴がやっとこさ帰って来たよ。何だか、神妙な顔をしてるね。
「おう、帰った。」
ふん。何かあったか。もしくは、また何か考え込んでいるか。そんな感じだねぇ。
「汁は大分冷めてしまったからね。適当に囲炉裏に掛けておくれ。そこに降ろしておいたからね。」
ぱちぱちと囲炉裏の火は燃える。こっ、と音が鳴いて薪が折れる。
「おう。」
…。
「まぁた、何か考え込んでいるみたいだね。」
…。
返事も無いねぇ。
どっさと座って、いつもの汚い帳面をめくる。鍋を火に掛けようともしない。しょうがないね。
鍋を囲炉裏の上にある鉤に掛ける。領館の食事場で作ってもらった麦粥だね。あたしら共働きだからね。家のことするモンもいないもんだから、こうやって融通してもらっているわけさね。今度、端女でもやろうかってぇね。タッソの奴が言ってたよ。
えぇ。えぇ。あたしらも偉くなったもんだね。まさか、家のことを他人にやってもらうような身分になるとはぁね。
「沸けたらね。ちんと食うんだよ。食わないと力出ないからね。それに寒さに負けちまうよ。」
…。
相も変わらず、返事も無いね。
ほんにね。
「どう、思う。」
あたしが書き物の確認をしていると、レンゾの奴が言う。麦粥は食べ終わったんだろうね。鍋は脇に置いてある。
「何がだい?」
そらそうだろうよ。付き合いは長いけどさ。何なら一緒にもなっちまったけどさ。そう、何でもかんでも、つぅと言えば、かぁとはね。いかないもんさね。
「んむ。難しい問題、ってぇのよ。」
「あんた。そんな上等な頭してんのかい?」
「てめ、俺だってよぉ…。」
天井に顔を向け、暫し考え込んでから、レンゾは言う。
「まあ、確かに俺ぁそう賢いもんでもねぇがよ。」
「だろう?」
「だがよぉ。まぁ、聞けや。」
レンゾは向き直る。
「何をだい?」
あたしも向き直る。
「どうも、こうもだよ。」
…。
「てめぇよぉ。なんだよ。考えたことあるかよ。てめぇがよ。まとめってぇ立場をよ。てめぇんとこじゃよ。そうだな。あんの婆ぁだな。何つったかな…。あの、婆さんだ。腰の曲がった。鼻の高い。あんの婆さんを前にしちゃあ、親方もクソガキだった。あの婆さん…。」
「…アイカの姐さんだね。」
「あぁ、そう言ったかな。そうだ。あの婆さんだ。」
「あん人ね。婆さんだなんて言ったら、怒るよ。姐さんとお言い。」
「あぁん?婆さんは婆さんだろうがよ。」
「あんたんとこの親方だって、頭垂れて、姐さんと呼ぶんだ。あんたんとこの親方をクソガキ呼ばわりする姐さんがね。だからね。そら、姐さん、だろうよ。…婆さんだなんて言ったら酷い目に会うからね。そう言うもんだよ。あんたも気を付けなね。あたしだってね。随分と世話ぁなったもんだよ。」
本当にね。随分と世話になったもんだよ。あまり客も取れない、あたしにね。「あんた、そんに器量良しじゃぁないからね。行くアテないなら、継ぐかい?」とまでね。言ってくれた姐さんだよ。器量良しじゃぁない、ってのは余計だけどね。ほっといて欲しいね。
まぁね。あたしが身ぃ固めるってね。そんで、公都を発つってね。てめぇ、口では随分と恩知らずだなんだってぇ言われたけどね。最後には「達者でね」ってね。あんの、クソ婆ぁのね。変な笑顔がこべりついてね。
高々、あそこ発って数ヶ月ってぇとこだのにね。随分と懐かしいと思うもんだね。
「んん…あぁ、まあ…、確かにな。確かに、親方も…。」
レンゾは少し言い籠り、うつむくが、すぐに顔を上げる。
「いや、今はそれはいいんだよ。そういう話じゃぁ無かったろ?そんで…、アイカの姐さんがどうかしたかい?」
「あぁ、そうだ。そうなんだよ。おめぇのいた酒場での、あの宿屋でのまとめってぇたら、アイカのば…、あぁ姐さんだろうがよ。」
「まあ、そう言ったら…そうだろうけどね。姐さんがまとめだね。」
「まとめってぇたらよ。つまり、まとめをしなきゃあなんねぇだろ。でよ、まとめってぇのは何をやってたんだ?」
「あぁ?…あぁね。そうだねぇ。」
アイカの姐さんがやってたことねぇ。まとめってぇねぇ…。はてね。そうだねぇ。
少し考える。
そうだね。姐さんがやってたことったらね。
そうだね。客の見定めかね。そらね。基本は娼館だからね。あんま、変なの客呼び込むわけにはいかないからね。表の酒場、宿屋に顔を出すことはあまり無かったがね。奥の間まで来る客、奥の間まで来た客。そういうのんを見定めてね。良い案配に割り振る。それが、主な仕事だったように思うがね。
でもね。確かにね。他に何をやっていたかと言われてみればねぇ…。
「思えば、難しいもんだね。」
「だろうな。」
だろうな、じゃあ無いよ。全く。
でもね。確かにね。あん婆ぁの仕事は…。まぁ、でも…。
「一言で言えば、周旋かもね。人のね。」
そうさねぇ…。
てめぇ、そうさね。
成程ね。
そういうことかいね。
あたしら、確かにね。
公都にいた頃はね。
そんで、ここに、アルミア子爵領にね。来た後はね。
そら、端女の一つも付けようってぇ、身分にだね。なったぁ、なっちまったわけさね。
てめぇの指図一つで人があっちら、こっちら奔る。そんな身分にね。
こいつぁ、ご苦労なこって、ってぇね。
「まぁよぉ。俺も少しゃ考えてみたんだ。」
「ま、聞こうじゃぁないかい。夜長の時節だしね。」
こいつぁ、あたしも無関係じゃぁないようだしね。
あたしは白湯を入れながら言った。