―アルム近郊、精錬場、アルオ―(1)
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赤い日が西に墜ちようとしている。ここアルミア子爵領の冬としては珍しい光景。満天は赤く染まり、千々に千切れた雲がその色合いに変調を加え得ている。
今日の仕事はもう仕舞い。手伝いの農夫どもも三々五々と、「お疲れさん」などと言いながら帰って行く。
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「レンゾの親方。ちぃといいか。」
帰ぇろうとするレンゾの親方を呼び止める。
「あんだ。」
のっそりと振り返る親方。前にいるズブとササンの二人も振り返る。
「いや、兄貴と姉御はいいんだ。ちっと、レンゾの親方にだけな。」
「どんだけ掛かる?」
口は悪いが仕事にゃあ真摯なのが、この親方だ。仕事の話ってなっちゃぁ断ろうはずもねぇな。
「まぁ、そうさな。そう時間は取らせねぇ。親方が帰るのには問題無ぇ程度だ。」
俺はもうここに住んでるようなもんだが、親方は奥方んとこに帰らにゃなんねぇ。ただまあ、地元の奴ら曰く、今日明日はまた吹雪に閉ざされるようなこたぁねぇって話だからな。最悪、泊まっていくことになっても問題ねぇだろう。これまでも、幾日かは泊まりだったこともあった。
「そうか。どれ、んじゃあ聞いておくがよ。」
「おぉ、すまねぇな。」
「あぁ、大したこたぁねぇ。おい、ズブ。アイシャに遅くなるかもしれんと伝えといてくれ。」
「あいよ。じゃ、俺らは帰ぇるわ。」
ズブはひらひらと手を振って去っていく。ササンは有るか無しかの会釈をしただけ。
あん二人も良くわかんねぇな。
「おい。じゃぁ、俺らも行くか。煉瓦小屋か?」
「あぁ。まあ、それでいいかね。」
あんま嬉しくねぇ、ゴツい男の二人の道中。ま、ゆったり行くか。
…しかし。どう、話したもんかね。
成程、ドンテンの親方にも頼まれた通りになっちまったなあ、ってよ。
レンゾの親方とはまず顔合わせをして。そんで、奴さん、小っちゃい姉ちゃんとソアキに先に行って。その後、俺らが発つ前にドンテンの親方に呼び出されてよ。
ま、ちっと言付けされたわけさ。
ドンテンの親方とは俺も知らねぇ仲じゃぁねぇからな。もう、二十年近い付き合いでもある。頼まれたからには、やるしかない。俺のここでの雇いにも係わるからな。
レンゾの親方は若ぇのに大変だ。
何の因果か、独立して間もなく、宮仕えになるってぇ輩もいねぇこたぁねぇけどよ。こういう風になるってぇのは、そうそう無ぇよな。
中々無ぇよ。そう、この規模の場所の親方ってぇのはな。言ったら、レンゾの親方の師匠の、ドンテンの親方より余程の人数やりくりしてるってぇもんよ。普通は精々が二、三人付くかどうかってぇとこだろ。ここにゃ、ざっと三十はいるぜ?
てぇと、困るのはよ。要は、人の差配をどうするかってぇことよ。
良く親方の齢頃考えたらよ。丁稚を終えて、手代も長い。だが、番頭務めるにゃあ若い。そんなもんよ。流れをやってもいいが、栄えたところでやるには、未々腕は心許無ぇ。
そんな者がよ。そうそう簡単にな。こんな数の人間を、どうこうやるってぇのは酷なもんよな。こりゃあよ。公都で相当な大店でもなけりゃあ、扱う数じゃぁねぇぜ?
俺も公都じゃ、そこそこの大きさの煉瓦工房で長く勤めていたが、こんな人数とはなあ。番頭ってぇわけじゃぁねぇが下に付いてたモンもまあまあいた。そんでも、この人数捌けって無理だぜ。えぇ?
もぉ一丁加えたらよ。ある意味で一番大変なのはここよ。つまりな。ここでやってんのは、大鍛冶、小鍛冶、煉瓦に硝子。石工の爺さんまで加わっちまった。てぇこたぁよぉ。こりゃ、奴さんのやってた小鍛冶の、その頭に収まるもんじゃあねぇ。要は、ここらの職人の頭ってぇことよ。
職人頭ってぇなったらよ。そら大変よ。てめぇの得意をやってるだけじゃあ収まんねぇ。てめぇの下手にも口を出す要も出て来る。外に頼む大工仕事の差配すら奴さんの仕事ってぇなるわけだ。これまで、小鍛冶だけやってた親方にゃあ、荷が重かろうよ。大工や炉にどんくらい金と時間が掛かるかってぇだって知らねぇだろうによ。
しかもよ。田舎子爵家とは、それなりに金を掛けた事業だ。後に引くことも出来ねぇ。奴さんに、その自覚がどこまであるかはわからんが。無自覚でも、ちりちりとしたモノを感じていてもおかしかねぇよ。
煉瓦小屋に入る。炉の赤い光ちらちらと部屋を照らす。
炉を見やる。
少し熱が低いな。
「ま、そこいらに座ってくれや。俺は少し薪を足す。」
壁際に積まれている薪を幾本か取って炉に焚べる。
ついこの前までは、この壁も無かった。随分と、がっしと丸太が並べられて、寒さも大分防げるようになった。吹雪いても、問題無ぇって話だ。むしろ、炉がある分、随分と暖かいともな。
薪を足して、鞴を一吹き。
ま、これで暫くは問題無ぇだろう。
「で、何だ?」
親方は炉の火を見たまま言う。
こういうとこだな。
そう、こういうとこが何だかんだで、捨ておけねぇ。
俺も…俺らも職工だからよ。てめぇの仕事に興を持ってる輩ってぇのは無碍に出来ねぇもんだ。
だからよ。
だからこそよ。
さて、何て言ったもんかね。
ドンテンの親方には頼まれたがよ。そうは言ったって、俺だってよ。そういうのが出来んなら、とうの昔に独り立ちしてるってぇの。
「まあ、何だ…。親方よぉ…。」
「何でぇ。そこらの娘っ子に懸想したか。俺はそういうのは無理だぞ。ズブにでも言え。あいつならそういうの詳しいぞ。」
「いや、あんたにそういうのを頼もうってこたぁねぇよ。そういうの出来るとも思えねぇしよ。良くぞ、あんな良い細君見つけたもんだ。」
「だろ?ははは。」
「そんでだよ。親方。」
俺はちっと座り直す。
「その親方ってぇのは直らんのか。手伝いの農夫どもが呼ぶのはもう諦めたがよ。どうにも座りが悪ぃ。」
レンゾの親方は頭を掻く。
「いやさ。結局、そこなんだよ。俺の話ってぇのはよ。」
「あぁん?」
顔を上げた親方の目を見やる。
「俺もこういう話は得意じゃあねぇんだがよ。ドンテンの親方にも頼まれたしよ。」
言っちまえばいいさな。野郎にとって、ドンテンの親方よりもモノを言い聞かせることが出来る御人はおらんだろうしな。実の親や、兄貴分のここの領主様なんざより効くだろうしよ。
「親方が?」
「あぁ。そうだ。だが、まあ、そう逸るな。落ち着け。まず、話を聞いてくれ。」
立ち上がろうとする親方を宥める。
「あ、あぁ。」