―アルム、領館、食堂にて、テガ―
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外に出れば薄っすらと白い地平も見えるだろうが、屋内となれば火無しには顔を見るも覚束ない。ここだけ少し早い誰そ彼時。
ともすれば灯の喧しき今世と違い、中世の夜を照らすはただ篝火か油に刺した灯芯の火。日が落ちてしまえば、ほのかに揺らめく橙の明かりしかない。それらですら、庶民にとって十分に贅沢品ではあるのだが。弱小子爵家とて、日落ちて間もなくであれば、その中枢たる領館ともなれば火を灯しておく程度の余裕はある。
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タッソさんへの報告が終わった後(別に俺は横で立っていただけだが)、運んだ品のより分けや、公都から来た硝子職人のテモイさんと煉瓦職人のアルオさんの宿泊所への案内なんかをやっていた。
そんな仕事が終わった後、俺は食堂に向かった。テモイさんとアルオさんは今日はセブの兄貴のとこで飯を食うってんで俺一人だ。本当は早くコッコのいる義実家に帰りたかったが、今出るとおそらく着くころには、いや道半ばで真っ暗だ。だから、今日は領館に泊まることにした。そうなることを予想して、ザッペンたち農家の息子たちは先に帰しておいた。
食堂に着くと、ズブとササンが飯を食っていた。大体20日振りの仕事仲間である。
「よう、久しぶり」
俺が声をかけると、ズブが少し顔を上げて答えた。
「久しぶり、公都は変わらなかったか。」
ササンは黙ったままだ、コイツ少しは慣れてきたかと思ったが、20日も会わなかったら、また人見知り状態に戻ってしまった。まあ、俺はズブほどは話してはいなかったが。
「2,3か月でそうそう変わることは無いよ。」
「まあ、そうだろうな。」
ズブは立ち上がると、
「多分帰ってきた人たちの分は無いから、少し作り足すよ。」
と言った。
ズブは厨房に立つ。ここの食堂は貴族様用ではなく、使用人用だから、効率よく配膳するため、厨房と食堂は直繋ぎだ。
そう言えば、ズブは料理人やってたんだな。流石に手際も良い。何故か、ササンも厨房に行って手伝うようだ。確かに、人見知り状態に戻ったササンと二人でいるのは気まずいだろうが、これはこれで手持無沙汰だ。
俺は厨房に一番近い席に移った。
薄暗い中、ズブはてきぱきと野菜を切っていた。ササンはよく見たら立っているだけだった。いや、ズブが「次」って言ったら、次の野菜を渡していた。でも、多分その役割はいらない。ほんの少し器に手を伸ばせば足りる。
「えーと、ミネ姉ぇとテガの分だけでいいか。ミネ姉ぇ結構食うんだよなあ、あのなりで。」
確かに、兵隊さんたちもびっくりしていたな。
「あーレンゾ兄ぃの分は。」
「さっき、こっちに戻って来る時にすれ違った。酒となんか肉持ってたから大丈夫だろ。」
あの人は自由だな。
「聞いたか。ドロのこと。」
ズブは野菜を鍋に入れながら言う。ササンはぴくと動いた。
「ああ、聞いた。その、お前、仲良かったろ。」
「まあ、もう10日以上も経ったからな。自分の中でも少し落ち着いたよ。」
火の様子を見るため屈んでいるので表情は見えない。ササンは最早立っているだけだった。
「あと、こっちもハンズの兄貴が死んだ。」
少し間があった。
「そうなのか。確か、ソアキで養生してたんじゃあ。」
「ミネの姉御から聞いた話だと、傷から悪い者が入ったらしい。」
「お互い気を付けないとな。」
「そうだな。」
公都であったこと、そこそこ物が売れたこと、結果として硝子や煉瓦の職人自体が来てくれることになったこと、など伝えつつ、ズブからはこっちでの進捗なんかも聞いた。
料理が大体出来たところで、アイシャの姉御とミネの姉御が連れ立ってきた。
「おい、ズブ。また贅沢なモン作ってんじゃないだろうね。」
アイシャ姉ぇは入るなり言った。
「違ぇよ。ミネ姉ぇとテガの分だ。」
「それは悪かったね。ごめんよ。あと、ありがとうね。」
「ありがとうございますー。ズブくん。」
料理も出来たので俺達は席についた。食前の挨拶を言った後、食べ始めた。ズブは料理人だったからってのものあるのか、こういうのにはうるさい。返しの言葉すら、普段の雑然とした言葉からは浮いた、丁寧な言葉。
席順は窓側に厨房側からアイシャの姉御、ズブ、ササン、廊下側はミネの姉御、俺の順だ。残留組と公都行組に分かれた形だ。さっきまで、ササンはズブと向い合せだったが、皿ごと移動した。
「ミネ、ハンズのことは大変みたいだったね。」
まず、アイシャの姉御が口を開く。
「いえ、結局私には何もできませんでした。」
ミネの姉御は手を振って答える。
「何か言ってたかい。最期に。」
「いえ、いやえーと記憶も混濁していたみたいですし。」
これにもミネの姉御は手を振って答える。何だか小動物みたいだ。
「あーもしかして、あたしを買ったことがあるとか言ってたかい。」
ササンが目を見開いて立ち上がる。それを、ズブが「まあまあ」なんて言いながら、抑え込む。
「あははー…アイシャちゃんにはお見通しですね。」
アイシャ姉ぇはズブに抑えこまれているササンを見て笑いながら、
「でも、レンゾの方が先だよ。」
なんて、もう一つ中々衝撃的な発言をした。どこかに走り出そうとするササンをズブが必死に留めている。
それを見てなんだかアイシャの姉御は嬉しそうだ。ミネの姉御も、
「すっかり、ズブくんはササンちゃん係ですねー」
なんて、呑気に言っている。
ズブとササンは元々そんなに絡みはなかったはずだ。俺もレンゾの兄貴の元で一緒に働くようになるまで、顔見知り程度だった。一緒に働くようになって少しは話すようになった。ドロとズブが仲が良いって知ったのも、その時になってからだった。
ササンはアイシャの姉御にべったりなのは見ていればわかった。それで、大体何かあってササンが激昂するという流れだ。ズブも元々は、俺達が公都を出る少し前に酒を飲んだ時も、留めずに笑って囃してたと思うが。
…
そうか、ササンがズブと一緒に厨房に行ったのは気遣っていたんだな。多分、ズブも、ドロが死んで、それなりに荒れるなり、憔悴するなりしたんだろう。でも、一緒に毎日仕事するのはササンだもんな。多分今も、前までなら、今やっているズブのあの程度の引き留め方だったら、とっくに振り切っていただろう。
ズブもそこは感じているんだろうな。今まで止めもせず、囃してただけのやつが一応止めに入るんだから。アイシャの姉御にとっては、この変化は嬉しいことだったんだろう。だから、敢えて焚き付けるようなことも言った。
なるほどなあ。ドロが死んで、そういう変化もあったわけだ。
多分、アイシャの姉御はこれを見に来たんだな。領館内勤の人たちは俺らより早めに晩飯食うし、今も実際アイシャの姉御の前に皿は無い。ミネの姉御と晩飯食いながら、向こうの話を聞くってのもあったんだろうけど、レンゾの兄貴がタッソさんとあんなんだったしな。少し息抜きをしたかったんだろう。
多分、今後も途中で死ぬ奴らが出てくるだろう。それは悲しいことだ。でも、避けえないものもあるだろう。だが、避けえない死だったのであれば、その死がもし、何か良いものを生んでくれるのであれば。それは良いことだと思う。レンゾの兄貴もタッソさんと上手くやることが出来ればよいのだが。
ああ。ササンの席も定位置の、アイシャの姉御の隣、ではなかった。そうか。