―ソアキ、アルミア子爵領所縁の家、レンゾ―
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成程、人の感覚とは随分といい加減なものである。猛夏の頃、日の短くなるのに気付かぬものなのに、朝夕に寒さ感じる頃になって、漸くと日の低いに気付くものである。ごぅごぅはっほう、と鳩の啼く。意を注いで見れば、既に随分と足元照らす日の深くなっている時節である。
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無事、親方にも話を通したし、炉どころか、炉を造れる職人が来てくれることになった。こりゃあ幸先が良い。ただ、流石にすぐ出立は無理だってんで、一週間ほど待つことになった。帰りに必要なモンも運ぶから、先に帰るわけにもいかねぇ。
子倅どもは公都は珍しいからってんで、観光することになった。ハージンのおっさんは、その付き添い。そんで、俺とミネは先にソアキまで行くことにした。ソアキまでは道も石畳だから、そこまで人数もいらねぇ。そんで、領に向かう時に怪我をして安静にしているはずのハンズの様子を見に行くことにしたのだ。野郎、流石に2か月以上も何してやがんだってんだ。
俺とミネが先に行くって言ったとき、
「え、浮気っすか」
とか言ったタキオは拳骨食らわせておいた。俺はアイシャ一筋だよ。こんなちんちくりんに手ぇ出すもんかい。
結論から言うと、ハンズの病状は悪化していた。傷から悪いものが入ったらしい。
俺は、調子のいいハンズのことだから、街で女とよろしくやってるだけだろう、何て考えていたが、そういうわけではなかったらしい。既に意識が混濁しかけている。
「あれどうなんだ?」
ハンズの寝ていた、アニキの領の持ちモンの家から宿への帰り道、ミネに聞いた。こいつは薬師だ。病状なんかもわかるんじゃないか。
ミネは首を横に振りながら答える。
「おそらく、もう…」
ミネはそこで一度言葉を切る。
「腕から入ったモノが、外からはわかりづらいかもしれませんが、もう頭や内臓まで回っています。最初の処置がまずかったのでしょう。あの時、私がもう少しちゃんと診てあげていれば…」
「てめぇを責めるんじゃねぇ。ここに薬師ぐれぇいたはずだ。そいつんとこに行くのに十分な金も渡されていたはずだ。」
どうしようもねぇな。
俺らは宿の下の酒場で飯にすることにした。
もう日も暮れかけている。領と違って、日が暮れてもしばらくは人が動いているが、晩飯には少々遅い時間になってしまった。久々の酒場の飯ってのを食いながら、ミネと少し話をする。他にすることもねぇからな。
「俺はよ。ハンズの奴ぁそんな好きじゃあなかった。」
特にミネは驚かない。まあ、長い付き合いだしな。知ってたろ。
「俺の兄貴覚えているだろ。一番上の。確かセブのアニキと同い年の。兄貴もあれと同じ感じだったな。どっかで怪我してきて、大した怪我じゃねぇ、つばつけときゃ治るだろって、そんでしばらくしたら、あんな感じになって死んじまった。」
「私も末の弟があれにやられました。」
「一個下の妹は流行り病だったな。あんときゃ酷かった。アイシャの兄貴も確か、そん時。」
「そうですね。幸い、あの時の流行り病では私の兄弟は大丈夫でしたが、次の年二番目の弟が。」
「子供の時はやっぱ弱ぇからよ。沢山死んだな。」
「そうですね。」
少し沈黙する。
「でもよぉ、13、4越えてから死ぬ奴ってのは大分少なかったと思うんだ。」
「やはり、体力がついてくると怪我にも病にも強くなります。公都でも大体子供は、そのくらいになるまでに5人に2人くらいは亡くなります。子爵領ではもっと多いでしょうね。」
ミネが何を考えているのかはわかる。そういう子供を少しでも少なくすることが自分の役割なのだとか、考えている。偉いなコイツは。
「…何だか、人が死ぬのが久しぶりな気がしてな。特に、今回も、アニキと一緒に行って、何だか色々あるが、結構上手く転がっていて、でも、ハンズのやつは、そんなん何も知らずに、逝っちまうってのが、何と言うか、何でさ。」
「そうですね。色々課題もありますが、半年前まではこんな風になるなんて、思ってもいなくて。そもそも、私もオババのとこで、一生、平の薬師かな、なんて、それで適当な人見つけて結婚して、みたいなのを想像していました。」
そうだろうな。俺も似たようなモンだった。アイシャの一緒になるって決めたのも、半分成り行きだったが、アニキと何とか領に行くって話になってなきゃあ、そうはならなかった気がする。
「今の仕事は、前に比べたら、大変なことが多いです。足りないものも多いし。でも、こう、遣り甲斐というか、やってやるぞ、っていうか。」
……
「確かに、ハンズさん、これを、こういうのを出来ないんですね。」
俺達庶民にとって、特に子供時代なんかは、本当に死が身近だった。だから、人が死ぬのには慣れているつもりだった。何なら最初にミネに言った通り、俺はハンズの野郎はそんなに好きでもなかった。多分、何とか領に行くってのが無くって、そんでハンズが死んだって聞いても、多分、喧嘩の怪我で死ぬなんて自業自得だって、終わったんだろうなって。
翌日も俺とミネはハンズの見舞いに行った。途中で薬を買った。どうせ死ぬが、最期が少しでも楽になるような薬だ。俺は、そんな薬があること自体を知らなかったが、ミネがそういうのがあるって言った。買うことにした。
ハンズの病状は昨日、たったの昨日から見ても悪くなっているように見えた。最早ほとんど何かを口にすることすらままならない。ここに詰めているアニキの領の役人も申し訳なさそうな、何とも言えない顔をしていた。
薬を飲ませたら、少し楽になったのか、寝息を立て始めた。ミネによると、この薬を飲ませると、楽にはなるが、死の時期を早めることもあるらしい。ミネは少し躊躇ったが、俺は飲ませるように言った。
さらに翌日行くと、ハンズは起きていた。
「レンゾと…ミネか…。皆は、もうアルミア子爵領か。」
げっそりとした顔で、ミネ曰く多分もう目もほとんど見えていないだろう、そんなその目で、俺らを認めると、ハンズは言った。俺のマリモのような赤毛も、子供のようなミネの背丈も、ぼやけたハンズの視界が捉えるのに役に立ったようだ。
「お前らは、残ってくれたのか。」
何を言っているんだ、と俺は思ったが、ミネが小声で「おそらく、記憶も混濁してます。」と言った。そうか、こいつは、この街で怪我をしたことぐらいは覚えているが、それが2か月以上も前だってことがわかっていないのか。
「しかし、何でまた、問題児二人が残ることになったんだ。」
ハンズは笑いながら言う。
「こんなとこで、怪我して寝込むような奴に問題児扱いされる筋合いはねぇ。」
「ははは、それもそうだな。俺も早く治して、セブ兄を助けねぇと。あの人、割と抜けているとこもあるからな。」
俺らは何も言えねぇ。
「そんで、やっぱセブ兄だしな。一旦貴族にでもなったら、きっと出世街道乗るぜ。そんで俺らも一緒に出世するんだ。俺もこんなところで寝ているわけには行かねぇ。」
「ああ、そうだな。」
ああ。やっぱ俺こいつ嫌いだわ。
「しかし、アイシャはいないのか。早速愛想着かされたかレンゾ…」
「馬鹿野郎。ちょっと事情があんだ。」
ああ、やっぱ俺こいつ嫌いだわ。
「おめぇには出来た嫁さんだ…大切にしろよ…」
「おう、当たり前ぇだ。」
「そうそう…俺…あいつをあの店で買ったことがあんだよ…」
「最低だ…最低です…」
ミネ半分涙声じゃねぇかよ。
しばらくすると、ハンズはまた寝息を立て始めた。
結局、ハンズの最期の言葉は、アイシャを店で買ったことがある、って話になってしまった。締まらねぇな。俺らはここの家人に礼を言って、簡単な葬式をした。死体はここの街の教会に引き取ってもらった。
その翌日、ハージンのおっさんらが来たから、俺らはナントカ領に戻ることになった。俺らはハンズが死んだことを、おっさんらに伝えた。おっさんは、
「そうか…そうか。」
とだけ言った。まあ、会ったこともねぇやつだしな。
ハンズの死をどうやって皆に伝えようか。そんなことを考えながら、俺は歩き続けた。