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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第1章(前編)出立
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―序文―

 今世で大公家八傑と言えばアルサーンス朝末期を支えたダイア大公家の家臣を指すことが多い。しかし、元は遡ることおよそ四百年余り、セルシア皇家中興の祖ダルタラン・セルシアが腹心、アルミア大公家始祖セベル・アルミアの家臣を指したものが最初であると言われている。ダイア大公家の八傑はこれにちなんだものである。その後、いわゆる大公家に限らず、何々八傑という名乗りが聞こえるようになったのである。

 さておき、他の八傑と同じくアルミア大公八傑も当時の一種のプロパガンダとして唱えられたもののようである。而して、アルミア大公八傑は当時の正史であるセルシア皇史にも記述が見られる。セルシア皇史の現存する部分によれば、アルミア大公家八傑の名はセベル・アルミア後期にあたる聖紀1182年頃には人口に膾炙されたものであったようだ。

 ただ、アルミア大公家の八傑は文献によってばらつきがある。まず、

 <電々子> サーミット・オレテグル

 <鉄壁> モルゼイ

 <長命家令> タッソ・ファラン

 <サヴル・コルセル・ラ・デ・ラ> サンクトスベル・レジジ

 <彼方翼> ナナイ・ダイア

の五人が列せられぬことはない。このうち、<彼方翼>ナナイ・ダイアは後のダイア大公家の遠祖であり、ダイア大公八傑の名乗りもここにあやかったのではないかとされる。<長命家令>という二つ名はアルサーンス朝大公家八傑にも見え、聞きなじみのある読者諸子もいるかもしれない。しかし、これも元はアルミア大公八傑に由来した二つ名である。その後の八傑にも内政に優れた人物の二つ名として<長命家令>や、それに類する名を冠することが多く、半ば慣用句然として西小大陸では今でも良く出来た腹心をそう呼ぶ者もいるという。

 八傑を名乗るからには当然五人では足りぬ。文献によって異なるが、左に挙げた者に加え、

 <操舟名人> アゴレウ

 <双頭鬼> センセン・タルディア

 <神出鬼没> (不明)

 <切命判官> ヤーグイ・ウェレレン

 <八手金剛> サーナ・セルシア

 <ダナンの鉄血> カッカイ・ダナン

のいずれか三人が入ることが多い。ただ、後世そう呼ばれた、というならまだしも当時から名乗られていた八傑という観点では疑問を投げかける史家も少なくない。

 例えば、<八手金剛>サーナ・セルシアに関してはセベル・アルミアの妻であり、そうなる前も皇女であったことから、配下という扱いを当時からされていたかは疑わしい。そうなれば、当時から八傑に加えられていたとは考えづらい。サーナはアルミア大公家暁名の一人であり、故事も多いことから後の世に加えられたのではないだろうか。

 他にも文献によれば、<操舟名人>アゴレウと<神出鬼没>に関しては同一人物として扱っている場合もある。どちらも、アルミア大公セベルの立志伝において、虚実のあやしい神話めいた役割を果たす人物であり、実在を疑問視する声もある。

 <ダナンの鉄血>カッカイ・ダナンもセベル・アルミアの孫であるザール・アルミアの代の人であり、セベル・アルミア存命のうちに八傑に数えられたとは考えづらい。

 かくして当時から唱えられていたアルミア大公家八傑は誰であるか。ここで筆者は一人の人物を推したい。その名は、

 レンゾ・テニニ

である。そも、セベル・アルミアは私生児として市井に生まれ、跡目途絶えかけた、当時田舎子爵に過ぎなかったアルミア家に急遽当主として迎え入れられた。そこには出自の判然としない郎党が多く付き従ったされる。<鉄壁>モルゼイ、<彼方翼>ナナイ・ダイアもそのうちである。そのほかにも、幼少のみぎりより付き合いのあった者どもも多かっただろう。アルミア家未だ辺境の小領主の頃より、セベル・アルミアに付き従った者たちもいただろう。それらの中から立志伝中にて功為し名為すものとは別に、後の貴族社会に馴染めなかった者たちが多かったのも想像に難くない。結果として史記に記されぬようになった、埋没した名臣も多くいただろう。実際、右に挙げた十一名の他にも、八傑に名を連ねないまでも、比較的確度の高いとされる文献に活躍を連ねる名もこと欠かない。

 レンゾ・テニニはその中でも、古い文献において特に記述が多い。原本を保ったものは、ほぼ散逸したとされるセルシア皇史本体にても現存する部分においてその名は見え、<鉄壁>モルゼイや<サヴル・コルセル・ラ・デ・ラ>サンクスベル・レジジなどよりも多くの記述が見つかっている(モルゼイに関しての記述が少ないのは早逝故であるが)。さらに言えば、レンゾ・テニニに一節を割いたかのように見える箇所もあることから、筆者は当時唱えられていたアルミア大公八傑の最後の一人であるではないかと判じている。アルミア家の特色であり、収入源の一つでもあった魔鋼の、その生産に欠かせない鉱山を開いたレンゾ・テニニが八傑に名を連ねてもおかしくはない。

 本書では、このレンゾ・テニニに着目した。調べてみると、意外と近世の文献でも研究された例も見つかり、その人物像も見えてきたこともある。トートネ大学のサフィン先生の「テニニ鉱山開山」やサイグル氏の「アキリ地方鉱山史」にも多いに触発された。筆者の父が鉱業事業主であったためレンゾ・テニニに親近感を覚えたことも一因と言えなくもない。

 ただ、筆者は歴史家でもなく、文壇末席を汚す一小説家である故、これはただの歴史小説である。しかし、筆者なりに当時の様子を詳細に調べ、忠実に再現することに取り組んだつもりである。史学者の方々にはお叱りを受けることも多いだろうが、平に容赦願いたい。読者諸賢もそこここにフィクションの入っていることを考慮願いたい。ただ、筆者の思うレンゾ・テニニは魅力的人物であることは確かであり、ともにその人物を見極めていただけたら幸いである。


テニン鉱泉にて ミネン・ガヒ

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