―アルムの小道、ゼンゴ―
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一騒乱終え、タッソ・ファランとゼンゴは彼らの住まいへの帰途へ着く。何やら、騒がしい、都会の彼らをやり過ごした後の事である。ゼンゴにとって、タッソは主君。ゼンゴは松明を手に前を歩き、タッソは後ろ。薄く雲はかかっているが小望月。道々を照らすは十全にも思える。が…、荒い道を歩くには少々心許ない。そのための松明である。
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アルミア子爵領において研究開発を任されている(ような)二人の殴り込みから、二日経った。
セベル様のお連れになった、公都生まれの彼らは非常に優秀だ。農作と、立場上知るいくらかの徴税を始めとした、どこの領でもあるような最低限の領政府の仕事しか知らない俺達に比べると、幅広い知識を持ち、今までの俺達では、どうにも出来なかった、とは言わないまでも手をこまねいていただろう仕事を難なく片付けてくれることもある彼らである。
自然、軋轢は避けられない。アルミア子爵領は田舎貴族領であり、さして動乱も無いために、ほとんどが祖父、曾祖父、そのまた先祖からの、譜代の臣で構成されている。祖父の代から仕える私が新参者扱いされるような土地である。当主たる者から斡旋されたとして、どうして簡単に受け入れられよう。
タッソ・ファランは俺の主君であると言ってもよい。厳密に言えば、セベル・アルミア様こそが主君であるが、ファラン家によって代々、とは言ってもアルミア子爵領では新参の三代目であるが、そんな俺が取り立ててもらっている。俺は父より、ファラン家だけは裏切るな、と言われてきた。
そんなことはいい。俺にとって幸運だったのは、このタッソ・ファランと言う、たまたま俺の代に当たった、ファラン家当主が比較的有能であったことだ。忠誠にたると、思っている。何か特別な逸話めいたことがあったわけではない。ただ、もう十年以上の付き合いだ。その人柄を評価するに十分な時間であったと言えるだろう。
しかし、不運であったのは、先にあった戦役で、アルミア子爵嫡子であったカイベル様が亡くなり、結果として、外から後継を迎え入れたことである。そんなことがあっては、何の軋轢なく領地経営が進むとは思えない。実際、セベル様の連れてきた彼らと、元々領で育った人間たちの間に全く隔意が無いわけではない。
正直言えば、タッソとともに彼らと接する機会の多い、俺には彼らの有能さはわかる。加えて、セベル様の有能さもわかる。タッソはあまり言及しないが、セベル様の差配も非常に適材適所であると言わざるを得ない。おそらく、セベル様の連れてきた、公都の人たちを、いい加減に割り振ったら、こうはならなかっただろう。実に、セベル様は各人の秀でるところを見て、配置された、と、言わざるを得ない。実のところ、彼らが有能なのか、彼らの能力が最も生かされるように配置されたセベル様が有能なのか、考えあぐねいているところだ。まあ、余り考えすぎるのは性分ではないから、そこまで考えていないのだが。
今考えなければならないのは、そこではない。タッソはいい。彼は皇都留学経験もあり、そこでの友人もいるから、比較的都会的な考え方に関しても理解がある。俺もタッソの皇都留学に従者としてついていったから、皇都でやったのは精々小間使い程度であり特に親しく過ごした友もいないが、雰囲気ぐらいはわかる。端的に言うと、都会的考え方とは衣食住足りてさらなる発展を求めるものである。一方で、やはり田舎根性として、どうしても、衣食住足りてはいない、そういう人間の、そういう想いってのは、どうにも彼らは理解出来ないのではないのか、って考えがまとわりつく。
結局行きつくのは、どうにもならない、価値観の差である。食うや食わずや、が問題になる者どもと、持つや持たざるや、が問題になる者では、実際価値観が違う。どちらも、自身の中で最下層民であり、己の信じる方向のみで、それが解決されると信じている。
セベル様のお連れになった彼らは改革を望んでいる。彼らにとってそれは改革ではなく、平常への復帰なのかもしないが。アルミア子爵領において、先進的、もしかしたら、他の領から見たら後進的なのかもしれない、そんな話は進んでいく。
でもなあ、タッソ。それは些か急には過ぎないか。俺は、お前の名代として、出向いた地でもし殺されたとしても、悔いはない程度には、お前を評価しているし、忠誠心はある。実際、こんな話は有り得る未来だ。急進的な改革案を地元有力者に伝えに行った使者が帰って来なかった、なんて話は聞く。そうなれば、お前は俺の子供も引き立ててくれんだろ?でも、俺は、もしかしたら、子の育った頃を見ることが出来ないかもしれない。
セベル様は気付いているだろうか。ご自身のもたらした、もたらすであろう、急激な変革が、どのような影響があるのだろうか、と。俺やタッソは良い。タッソは公都の彼らを理解出来る素養はあるし、俺はタッソに付き従うと決めた。しかし、このアルミア子爵領の、都会的な考え方にどうしても付いていけない、彼らはどうだろうか。概ね変革のない、聞けばアルミア子爵家は皇国成立以前からの土着豪族だ、皇国成立以前から大きな変化はないと言える、この領で。
子爵領の今後の行く末を良くも悪くも変えるかもしれない議論に、嬉々として参じる俺の認めた主君を見ながら、俺は、それでも、この人が幸せなら、それはそれで、もしかしたら、いいのかもしれないと、それで結果、非業の死を遂げてもいいのかもしれないと、そんなことを考えていた。
松明はあまり屋内では使われないですが、古来重要な照明でした。
極々単純なもののように見えて、では作ることが出来るかと問われて、知識が無ければ簡単に作る事の出来るものではありません。
ただ、木材に火を着けるだけでなく、明かりとする部分に松脂を浸した枯草や布を付けるなどの工夫をしなければ、中々実用に適したものを作ることは難しいのです。