―アルミア領、クーベ村、レンゾ―(1)
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白天曇天。山際さえまで隠して厚く続く雲に隠され太陽何処にあるか知れず。然すれど、然れども、地に陽光は届けばこそ、白雪は漫然とでも光る能う。白霧白風無ければ也。それとは対照、黒々とした木々は今日は凪いでいて。茫漠たる無彩色の中を行く。男二人。何やら喧ましく話しながら小川沿いの小道を上り行く。渺渺広し荒々厳かなりし静止した大地に、その小川と男二人のみが動。
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この寒ぃのに凍る気配も無ぇ小滝の脇の急登を終え、森の小道を行く。散歩って案配にゃ行かねぇ、しんどい道行。こりゃ、遠征ってなモンだな。空きっ腹に堪えるってなもんさ。
「こ、こちらでさ。」
マヌ村の小作、ダブ…、ダブルエレレが示す。
森の切れ目、木々の無い一体が遠くに見える。この領で平らくて木の生えてねぇとこってぇのは大体は畑。ってぇことはよ。
「あ、あぐごが、クーベ村で。」
見やれば、登りの小道の向こうに木々の切れるとこ。
ったくやっとだぜ。
この寒ぃのに噴出してきた汗を袖で拭う。
先導するダブを見れば、せっせこ慣れた様子で最後の登りを九十九折れに上がっていく。奴さんの通った通りに、踏み固めた道に沿って行けば間違いはぁねぇ。
しかしな。奴さん、北の出だからって、出稼ぎには出れねぇってよ。難儀なもんだな。いや…難儀ってぇかよぉ。公都にゃ、こいつみてぇな北の出の奴も居た気がすんだがなあ。そんくらいの斡旋、ナナイやハージンが知らねぇはずも無ぇんだがな。
「おう、すまねぇな。」
「や、や、よ、良いってごって。で。で、でへへ。」
振り返りもせずダブの野郎は応える。
奴ぁ、ちぃと吃りの気はあるが、気の良い奴だ。マヌ村で小作を始めて四年だとか。小作頭のマッソ爺ぃの片腕…は言い過ぎにしても、利き手の小指ぐれぇの役は果たしている。
いや、マヌ村の村長継いだタスクのおっさんが、この飢饉でも態々領に残したってぇのが何よりの証左ってぇヤツさ。箸にも棒にも引っ掛からねぇ小作は大体御役御免にしてる中、こうして残すこたぁねぇってのがよ。
成程、ここに来る道中話して来たが悪い奴じゃぁねぇ。要領が壊滅的に悪い訳じゃぁねぇ。多分な。つまりは丁稚としてぁ、上出来ってことさ。番頭ってとこまで登れるかは知らねぇがな。
さって…、坂ぁ登り切って、ざっくと雪を踏みしめて顔を上げれば森が開けて、ここがクーベ村。
ここ、アルミア領に来る時に通った村々と、マヌ村を除けば、俺にとっちゃ、殆ど初めて訪れる村かもしんねぇ。
やっぱりよ。あの鄙びたアルムが腐っても領都ってぇだけあって華々しいモンだったんだってぇのが解るってもんだぜ。
マヌ村が一等侘しいだなんてぇのは幻想ってなもんだな。マヌ村は客人の村。其は卑を意味するに非ず也。マヌ村は言ってみりゃあアルミア領の交通の要所…、幾ら行き来少なでも要所は要所。そこにあるマヌ村は公爵領で言えば麦都ソアキ。一方で、成程、行き来の鈍詰まりこそが鄙の中の鄙。そして、つまり、これがここの標準的な村ってぇやつ。
辺りに広がる人っ子一人いねぇ白い野原…、夏場にゃ畑だったろう向こう側にぽつぽつとある、斜面にへばり付いた、半ば埋もれた…半ばどころか、殆ど全て地に覆われた家屋。今はその上を雪が覆って厚ぼったい白。取り敢えず雑に石積みして、どこから地や屋(おく)や判然としない窶れた洞穴。いや洞穴に窶れたも何もあるもんか。家か何か分からぬ人為祇意の混然一体とした有様。
家の戸口は煤けて灰色。風雨に曝され疲れた其れは何時建てられたやら解らねぇ。整然と薪を納めた庇は撓んで撓んで、今にも割れそう。なんで、保ってんのか解らねぇほど。
本当ぎりぎり。ぎりぎりのぎりぎりで成り立っているってなモンだわな。
そう。ここに来る意味があった。この鄙、鈍詰まりの鈍詰まりに俺は来た。
もし、もしもだ。
賢しらに文何ぞ出して、訪い伺ってみやがれ。
…読まれるはずも無ぇだろうよ。人気の捌けた、ここに文明なんざぁクソの役にも立たねぇってな。
勿論、言の葉幾つだ重ねても、永年の実地に勝るこたぁねぇだろうけどよ。それを恐れていちゃぁ、何にもなんねぇってよ。
「おい、聞け!」
漠然茫然たる村跡に音声を上げる。何かがぴくりとも動くことぁねぇ。
「いや、だ、だだだ旦那。そ、そそ、それじゃ、だ誰も聞かんずら。」
「わぁってんぜ。」
「あ、あああ、い、いや。へ、へへへ、へ…、へ。そ、そ、そんなら…。」
「おう、ザキオの旦那の家やぁ、どれだ。」
「あ、ああ、あっちでさ。」
「おう、案内頼むぜ。」
「へ、っへ、へへ、へい。へい。あ、あっちでさ。」
ダブに道案内を任せる。
まるで、手前ぇが偉くなったみてぇによ。
高々、鍛冶屋の丁稚に…、いや、しょんない工房の親方に、示す仕草じゃあねぇだろうがよ、ってぇのが拙い感想。
ってななぁ。
未だ未だ慣れねぇなぁ。
ダブの案内の儘に行く行く小道。いや、この村にとっちゃ目貫通りの大通り…、それを堂々えっちらおっちら闊歩する。まるで、王侯貴族如何くあらんまでによぉ。
ま、貴種の行く道にしちゃ寂々鄙々の寒々散々。むしろ、こんながオイラにゃ似合っているってぇ、言ったがが粋ってなもんかもな。俺に粋を分らせようだなんざ、百年千年早ぇってもんだがよ。
果て扨て着いたるは先は御立派御殿。ちぃと大きい…かもしんねぇ以外は…、他の屋と変わらねぇ、土に埋もれた洞穴然とした。
どんどんと戸を叩けば、建付けの緩い戸がぐらぐら揺れる。
「さ、し、し、すいばせん。マ、マヌ村の、こ、小作のダ、ダブでさ。お、親方様の先触れで、き、来やしさ。」
いや、先触れも何もねぇんじゃあねぇかな。
俺ぁここにもういるぜ。
ったくよぉ。
「き、来やした。ず、ザキオ様ぁ。」
ってぇ、どんどん、どんどん。
そう、五月蠅くしたら出るモンも引っ込んじまうだろうがよ。手前もクソしてる合間に、そう話しかけられたら気が散るってなもんだろうがよ。
でもよ。出掛けたクソが引っ込んででも、出て来なけりゃなんねぇ、そういうな。
「おい、おい、ダブぅ。てめぇ、男の訪いの作法ってぇもんが成ってねぇぜ。」
「へ、へへ、へぇ?」
「ま、貸せや。」
ずいと、ダブを押しのける。
「おい、おい、ザキオの旦那。悪ぃな。訪い喧しくてよ。ちぃと話があんだ、あん娘っ子のことでよぉ。こうして、マヌ村の遣いもいるってのが何よりの証左さな。…何々、ちぃとばかしだ。大したことじゃぁねぇんだ。な。ま、ま、こっちとしても荒立てるつもりはねぇ。だが、通す筋通しておかねぇとよぉ。こういうのは、事が済んぢまっちゃあ遅い。何せ、人の命の関わることだ。なぁ、…」
「待て、待てし。」
ごっ、と戸が鈍い音を立てりゃぁ、ザキオの旦那がぬっと顔だけ出す。
「おう、おう。旦那。久方じゃぁねぇか。よお。」
「…、」
そう、難しい顔すんなし。只の冗談ってぇヤツだろうがよ。
「へぇ…へっへっへ。漸っとぉ、お目見えだなぁ。どうでぇ?ちぃと長いクソだったみてぇだがよ。待ち草臥れちまったぜ。えぇ?はっははは。」
「…そういうのは卑怯ってもんずら…。」
「ようよう、卑怯もクソゥもあるもんかい、ってぇのが公都流ってよぉ。御免なぁ。」
「免くれるのぁ、ここじゃ御天道か、御領主様だけだっつこん。」
「ほんなら、早ぇわ。俺ぁ、領主の兄ぃに免貰ってんだ。」
どうだろな。兄ぃは兎や角言わねぇだろうが、兎や角言わねぇだけの仕事をしなきゃなんねぇ。
で、その仕事がコイツだ。
「で、態々アルム…、マヌ村、…いや、その間…、あぁ…、いや…、あぁと…、ほんな所から来た。態々…。そん訳をぉ…、」
「へっへぇ。愚堕愚堕じゃぁねぇかよぉ。旦那ぁ。へっへへ。」
肩に組み付いて屋からザキオの旦那を引っ張り出す。
「ちぃとよ。野暮用ってヤツさ。何、時間は掛からねぇ。ちょいとよ。皆を集めちゃぁくれねぇか。何、損はさせねぇや。」
「集め…、集めて、どうすんずら。」
「おう、オイラの商売の話さ。」
一丁、打ってやとうじゃぁねぇかよぉ。えぇ?