―ソアキ、アルミア子爵所縁の家、ナナイ―
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乾いた空気。風吹かば砂の舞う。山吹色の日が東から差す。黄土色の煉瓦に黒々とした木材が映える。窓とは対い側、西の壁には異国情緒に溢れる刺繍の施された見事な織物。朱の地に白を基調とし、経糸(たていと)緯糸の為す四角を単位とする幾何紋様。重厚荘厳なる其れは多少の風には揺るがされぬ。部屋の中央には黒檀の上等な囲いに置かれた鋳物の火鉢には白く灰勝ちになった炭が赤く光っている。相対するは、醜怪なる老爺と、堂々たる女伊達。簡単造りの背凭れもない椅子か只の台座か見紛わんばかりの質素に浅く前屈みに座った前者。明らかに機能に寄与せぬ湾曲と、申し訳程度であるが彫刻の為された幅広の椅子に、毛織の布団敷いて、片肘付き構える後者。立場の上下は明らかなるに、客は笑み、主は渋面。
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「なるほどね。確かにね。あんたの言う通りってぇとこもあるだろうね。だけどね。そうじゃあ無いってこともあるんじゃあないかい?」
今は春に向けて、労役や流れの小作を集めているところ。公都の日雇いのまとめ、蛇頭の叔父貴の伝手でソアキの人売り、似非鼈甲って爺さんと交渉中ってわけさ。
奴さん、海千山千の爺ぃだけあって、中々一筋縄じゃあいかないね。
名前の由来は、蛇頭と言い、洒落っ気が強くて、何が言いたいかわからない。まあ、筋者ってぇのはそういうもんちゃあ、そういうもの。
でも、持っている力は本物さね。
かさかさとした禿頭に、目線を隠す長い眉、白髭は腰まで垂れるが、それは佝僂故。それが無くたって、上背は私は兎も角も、標準的な女子よりも頭半分低いだろう小男。肉は削ぎ落され、無駄に眼光だけ爛々とした。
私らはソアキ界隈の日雇い連中を何とか春からアルミア領に引っ張って行きたい。私らの目算じゃ、この冬アルミア領を離れた連中のうち何人かに一人…酷けりゃ三人に一人は帰って来ない。でも、それじゃ領の仕事が成り立たなくなる。だから、どこかしらから人を引っ張って来なきゃなんない。
それで、ソアキに目を付けたって訳さ。ソアキからなら、春に麦背負って行けば領内の枯渇した糧食を補うことが出来る。それに、秋に捌ける時に鉄でも運んでくれれば、儲けも出る。スルキア方面じゃ、この収支がどうやっても釣り合わない。その点、ソアキなら運べば運んだだけ銭が溜まる。
だから、こん爺さんを口説き落とさなきゃあならない。
口説くなら、私ももう少し口説き甲斐のある美丈夫にしときたいとこだけどね。こんな薄汚い爺ぃじゃななくてさ。セブ兄ぃのようなね。
でもね。これが、どうやら、私の仕事になっちまったようでね。
人生、儘ならないね。
そう、ここで、どうにかするのが、私の役割ってぇね。
そう、冷静に行こうじゃないか。
そう、私は元は行商。算術だって出来る。
だからさ。考えな。
それが、私の仕事さ。
ねぇ。
別に…この界隈で雑役になるような連中は、こん爺ぃを通さなくても何とかやりようがない訳じゃない。
だが、こん爺ぃを通すか、どうかで随分と手間は変わる。それこそ、僅々少々のアルミア領の役人に倍する人の働き分ぐらいはね。
これはデカいよ。
この交渉、ハージンに任せても良かったんだけどもね。こっちの辺りは私の方が幾分だけども一日の長があるって話になってね。任された訳さね。そんで、この周旋が私のこの冬の仕事ってわけさ。
「いやぁ、どうでしょうな。中々、中々…。えぇ、えぇ、へっへへ。成程、そういうこともありやしょう。ですがね。こちらも商売なもんで、ってぇ訳でね。えぇ。へっへ。」
曖昧な笑みを浮かべつつ、飽くまで下手に出つつ…、暗々裏っだなんて言うまでもなく、手前が譲歩だなんて考えもつかないって有様で爺ぃは話しやがる。
「それに…でやすねぇ…。へっへ。やっぱりね。山向こうってぇなると、嫌がる連中がいやがりましてってもんでねぇ…。えぇ。えぇ。ねぇ。ここらに流れて来る連中ってぇのは、どうにもこうにも中途半端な連中が多くてね。成程、華の都の公都に出るこたぁ、ちぃと気が引ける。だぁが、手前の出がどうこう置いておいて、それより僻陬に行くの勘弁なってぇ。えぇ、所詮団栗の背ぇ比べってなもんのクセにね。えぇ、えぇ。所詮、奴らの大体は貧農の次男三男なんでやすがね。でもね。そんな感じに、そんな感じの、奴らにも一定の誇りってか、矜持ってか、ってのが一丁前ありやがりやしてね。何の役にも立たない、厄介なだけモンなんですがね。えぇ、えぇ。手前の生まれより鄙に行くのは、奴さんらにとっちゃ、まぁ、都落ちってもんな訳でさ。へっへ。えぇ、えぇ。別に、お宅の領を悪く言っている訳じゃぁねぇんでやすけどね。えぇ、へっへへ。別に、あっしがそう考えている訳じゃぁねぇんですよ。飽くまでね。飽くまで、あっしの雇う連中が、そういうことぉ考えている連中がいるって訳でね。えぇ、へっへ。ねぇ。姉さんも解ってござんしょ。あっしの雇う連中ってのは、どうにもこうにも、箸にも棒にも引っ掛からねぇ、そんな人間ばっかでね。でも、そういう連中てのは、これがこれが手前の要らない誇りてぇのに拘ってる訳でね。へっへへ。厄介なもんでござんしょう。面倒なもんでござんしょう。でもね。でもね。それが、どうにも現実てぇヤツでやしてねぇ。えぇ。まぁ、そういう奴らに言うこと聞かせるのがあっしらの仕事なわけですがね。まぁ、でもね。まあ、そういう案配でね。それをやるには、それなりのモンってぇのが要るわけですわな。えぇ、えぇ。これぁ、ちぃと華の都の公都で生まれ育った人らにはちぃと分かりにくいモンかもしれやせんけどね。へっへへ。奴らにゃ要のコトなんですわ。えぇ。へっへへへ。いやぁ、世の中、中々思うように回りませんもんでね。」
ともすれば吃吃り拙い言に聞こえて、その実、当に朗々滔々と言い切る爺ぃ。
言い方、それぞれとても嫌らしいが、その内何が一等嫌らしいかって、私が公都生まれだなんて、一言も漏らしていないはずなのに、そんこととっくに掴んでいることさね。
そりゃ訛りである程度は掴めるだろうけどもさ。そんでも、公都で生まれたかどうか、まではわからないはずさ。訛りなんて、近場じゃそんな変わらないからね。私だって、ここいら回ってそれなりの年重ねているが、ソアキと公都の違いを聞き分けるのは難しいからね。
「あぁい、あいあいね。あんたの御託はわあったさ。」
こっちが黙っているのをいいことに流々と話しやがってさあ。
「へっへへ。えぇ、それぁ、ありがてぇこって。」
所作だけは下手だが、飽くまで手前の求むる処を隠そうともしない傲岸。そして、こっちの嫌味に何を応じた風も見せない。
「で、じゃあ、あんた。あんたが要する銭てぇのはどれほどのもんなんだい。こっちだって、限りがあるもんでね。」
しかし何の因果か、今は私は極々弱小しかも飢饉に喘ぐ小領の…、御役人さ。
ふん。
役人ってぇのは傲岸不遜が生業だって、こちとらナンボでも心得ているのさ。成程、こういう輩を相手取るにゃ、多少なり居丈高にあるしかないだろうよ、って言う、その内情を分かったのは、ついここんトコだけどさ。
だけどさ。だからさ。私が成り立ての若手だからって、舐めてもらっちゃぁ困るね。太々しいのはあんたの専売じゃあないんだよ。あんたが何を背負っているのかわからないけどね。私だって、あの極小領の民草の命背負ってんのさ。
「へっへぇ。手前共に、手前共自身の値を付けろ…と、言いなさりやすか。これぁ、これぁ、中々酷なことを言いなさりやす。へっへへ。」
剽げた態度で手をひらひらさせて言うが…、言っていることは厄介そのもの。
しかし、成程ね。
一見はお断りって訳かい。
いや、ここでどういう値を付けるかで、こっちの懐具合と…、金払いの良さを、こちらがどんだけ本気かってぇのを、計ろうって魂胆だね。
一応、アルミア領で、この爺ぃに何かしら頼んだのは初めてじゃあない。何なら、冬前までに糧食を運んだ労役共は、大分この爺ぃを通して雇ったわけさ。ってことぁ、完全な一見じゃあないわけだけどもね。この態度ってぇことはさ。これは、これ、ってぇことかね。
確かにね。
荷を運ぶだけじゃなく、運んだ先で仕事しろってのは、そんだけ違うんだろうね。運ぶだけなら、精々が十日やそこらだろうけども、行った先で仕事しろってなったら半年だものね。まあ、そうさね。そうだろうさね。あん鄙びた、山と森しか無い、娯楽も何もあったもんじゃあない。そこに愛着を持ってる、だなんて高々一年もいない私が言うのは憚られる。良いところなんざ、夜静かってぐらい。そんくらいしか見つけられない。そんなとこに半年ばかしも閉じ込めようってぇ話だからね。それに、もし家族持ちだなんてなったら、そうは簡単に踏み切れないだろうとも。
とは言え…、ここで足元見られるわけにゃあいかない。
田舎暮らしは短いが、商い仕事はそれなりにやって来たんだ。
「半年で五人、これで四万出そうじゃないか。あんたらの取り分も含めてね。勿論、こっちにいる間の飯は、こっちで出した上でさ。」
こっちとしては最初に提示する、未だなんぼか上げる余裕のある額だね。
「へぇっへっへ。そりゃぁ、御大尽様なこってぇ。」
読みづらい爺ぃの表情を読む。…読めているわけじゃあないが…、悪くない感触だろう…。多分ね。多分ね。
「とは言え、ちぃとそうすると、あっしらの取り分が無くなっちまうもんでねぇ。それに、碌な者は集まりやせんぜ?ここは、どうでしょ。一人一万と二千。そんなら、働き者の若い連中を集められやすぜ?へっへへへ。どうでござんしょ。」
ま、そう来るだろうと思ったさ。本当に、若い働き者を集められるなら、一万二千でも悪くはないのかもしれないけどね…。
そんな都合良く行くわけないからね…。
「そうは言うけどねぇ。勿論、あんたが言うような人間が五百集まるならね。こっちも少しゃ考えても良いけどねぇ。そうは行かないだろう?どうせ、碌で無しの連中をたぁんと揃えて来るんだろうさね。えぇ?私らの要求を聞いていたかい?二十、三十集めろってぇ言ってんじゃぁ無いよ。そしたら、玉も石も混ざるだろうにさ。それで、一万二千は言い過ぎってもんさね。精々が…、四人で三万と二千ってぇとこだろうさ。ねぇ?」
「へぇっへ、へっへへ。それじゃぁ、最初の条件と変わってねぇじゃないでぇやすか。そいつは、ちぃとズルってもんですぜ。へっへへ。」
っち。ったく、気付いたかい。
小狡いだけじゃないってぇ訳だね。こりゃ、本腰入れて行かなきゃなんないみたいだね。
予め、計算しておいた勘定書き、それをさり気なく、出来る限り違和感無いように手繰り寄せる。
これの…、範疇にある内に話が付けば良いけどねぇ…。
さて、ここまでで求めた鉄と麦とのレートと輸送コストから、採算ラインを考えてみます。
同じ重量なら穀物の価格が1に対して鉄の価格が3~5くらいなわけですから、要は鉄を10 kg売れば30-50 kg程度の麦が買えます。一先ず、一人が運べる量を20 kgとし、この量の麦の価格を適当に貨幣単位を設定して200銭とでもしておきましょう。鉄をアルミア領からソアキに運んだ時の売り上げは800銭程度となります。また、人一人を一日雇うのに必要な金額は20銭程度とすると、一人暮らし365日働いてエンゲル係数50%ぐらいのラインなので本当にぎりぎりの最低賃金となります。まとめ役や道案内の人間など少しでも技能のある人間もいることを考えれば、そういう人間が家族を養っていただろうことを考えれば、平均で40銭ぐらいは必要になるのではないかと思います。つまり、往路で200銭の輸送賃となります。この時点で儲けは600銭。ここから、一人で運べる量の麦を買って残額500銭。復路の輸送賃を払うと300銭残る。という案配です。設定上の鉄の一大産地であるスルキア領はさらに行程として2~3日は伸びますので、輸送費は200銭ほど増えることになり、ここまで考慮していない諸々のコストを上乗せすると完全に商売として成り立たないことになります。