―神丘自治都市群の一、自治都市ケオン、酒場、テテ―
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空青なれど雲赤しの夕闇迫々。薄く黄を帯びた建物ひしめく中にあれば太陽望むは厳しい。されど、それが如何しようか。既に放課の後なれば、人々は享楽に耽るが正常。幅二尋ほどの緩い坂道には無造作に卓が並び、そこに集う人らは思い思いに各々に酒やら食事やら摂る。
ある一角、西向きの二階建ての建屋。窓は幅の一尺ほどが開くばかりの。勿論、ここにも胸丈の卓が幾らか。そして、論ずるまでも勿く赤ら顔、にやけ顔の朋輩。仲間内となり幾らか騒げば日頃の鬱憤も幾らか晴れようが、今観るべきはそれに非ず也。開け放された、いや、そもそも戸口の据え付けられておらぬ門を抜けた先。そこに入る。
外の闇迫るとも、西日西向きなれば幾らか明るい。だがだが、笑い揺れる人の陰に遮られて中々奥には光届かぬ。その先の先、帳場台兼ねる卓に身体を預け、外の様子を見ながら、半ば笑って、半ば翳っての表情浮かべて盃啜る男が一人。
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そろそろ自治都市群に来てから二月と言ったところか。
ケヘレの奴も、それこそ残してきた妹タヌを、達者でやっているだろうか…などと案じていることだろう。奴にゃ、奴の生きがいは、流行り病で生き残った三つ子の妹のうちのたった一人。器量も要領も良くて、奴の器にゃ過ぎた妹。
ず、と酒を啜る。大して上等でもない。だが、酔うにゃ十分の酒精のある。ま、俺らには似合いの酒さ。そう嘯いても、不味いもんは不味いんだがな。
そういえば、タヌも奴の気付かぬうちにファラン家と言う貴族の養子になっていた。そこで…、そうだな…言ってみれば、正直心配で仕方ない…、ってぇのが奴の器の限界。そんで以て補佐にでも回るなら上々。利用して出世してやろうってのも悪くはない。嫉視するんでも並みってもんさ。だが、奴に出来るの心配だけだ。奴に出来たことは、それを知った時、彼奴はちょっと仲間内で騒ぎ立てたぐらいのこと。本丸のファラン家当主タッソ御大にゃあ何も言えなかったってな。
そんなことを、「副長」「副長」などと、煽てられているケヘレを見ながら思う。
そうだな…。アルミア領に来て一年以上経った。それなりの立場に就いた奴、そうでもない奴。少し差が見えて来ている。ケヘレの奴は一応百人隊の副長ってことになっているが、それに就いたのも一番遅かった。何なら、この遠征が有って初めてまとめになる人間が足りないってなって、副長職を与えられた形さ。まあ、文字はある程度読めるし、あんま複雑じゃなきゃあ金勘定も出来ないわけじゃないからな。俺の手の離せない時に何かしら周旋するためにって付けられた、ってわけだ。
正直、トゲンの旦那をこっちに付けたら楽だったんだがなあ。奴は、旦那ってぇ渾名付くだけあって、俺より四つも年下とは思えないほどにアレコレ目が付く。未だ、兵隊業務には慣れないガクの奴の補佐には、そういう酸いも辛いものトゲンを付けておくに越したこたぁない。その一方でガクの奴はアルミア領長いだけあって兵の統率には一日の長がある。傍流ってったって、アルミア領じゃ一流貴族家、ファラン家の一党だ。それだけで兵も従う。そんで、ここに渡世人だけあって、交渉時に万事恙ないトゲンを付けたなら、何にも案ずることはない。これは、レーゼイ殿、モルズとも話し合ったことだ。
だから、不安なところのあるケヘレをこっちに付けた。つまり、貧乏籤ってぇやつだ。それも、折り込み済みのな。だから、俺の方に負担が回るのもわかっていたことだ。
しっかしな。
「副長、呑んでますか?はっはは、ははは。」
農家の三男、セモン…。酔いどれとなった部下が盃を持ったまま、ケヘレの肩を組み行く。
「おう、おう。」
赤ら顔で上役然として、答えるケヘレ。全く奴さんも良い調子さ。
兵隊共は皆浮かれてやがる。ケヘレだけじゃなくてな。成程、何もかんもが地味なアルミア領に比べて、ここは随分と煌びやか。領じゃ、こんな飾られた酒場なんざぁねぇからな。
しかし、やるせねぇな。
適当に盃を持ちながら考える。そこに残った酒を啜りながら考える。金は手に入ったが、少しゃ金勘定出来れば、そう気楽にガブガブは飲めない。いや、それだけじゃないなぁ。そうそう、呑めねぇ理由はさ。何も、ケヘレがどうのじゃあない。
俺らは調練を含め、この冬、皇国領内の自由自治都市群に傭兵としてやって来た。
その数、二十。減って今は十と七。うち一人、ケイゾは…まぁ、ここ四日ばかり風邪で寝込んでいるだけだ。それだけだ。熱も下がって来ているらしい。余程やばい病で無い限り、養生して後三日もしないうちに戻って来るだろう。
二人…トッギとタグルゾイは死んだ。
トッギはタヌ村の猟師、まぁ半農だが、その長男。狩りで使っていた弓を使って戦っていた。賊が苦し紛れに投げて来た手斧が当たった。賊たって、どこぞの流れだ。手斧は切れ味が鋭いわけじゃあなかった。だが、逆にそれが悪かったみたいだ。熱が出て、うなされて、ある日朝起きたら息が無かった。
タグルゾイ。北からの流れ者だ。元遊牧の民。末弟が親の仕事を継ぐってんで、どこかで稼ぎを見つけなければならねぇって、アルミア子爵領まで来たらしい。皇都辺りまで行くつもりだったらしいが、路銀尽きたアルミア子爵領に小作として居着いたって話だ。そんで、その後兵務に就いた。こいつも小弓を使った。泥濘で足を滑らし、そのまま崖から落ちた。死に様は見ていない。だが、あの高さでは助かるまい。扱いは傭いだが、立場は事実上の常備。貴重な小隊長格の一人だったんだが…。
トッギは、その死を伝える相手はいるが、タグの死は誰に伝えればよいのか。
てめぇの指揮で、それで俺の配下として死んだ。それは、そん時脳裏に巡ったもんは、アルミア領に来るまで下っ端だった俺にはわからなかったことだ。
手前一個の命賭けるのと、人様の命預かるの、増してや親兄弟への顔向けなんざ考えちまったらな。タグには悪いが、死んだのが流れ者で良かったなんて頭ぁ過ってしまった日にはな。てめぇ、俺ぁいつからそんなに冷血漢になっちまったんだ、ってよ。そう、思うわけさ。
俺も長く傭兵なんてやってたから。色んな隊長殿に会ったが…、あん人らはこの辺どう考えていたんだろうな。
幾らでも雇い直せる雑兵が死のうが生きようが知らんってのもいたし、一兵卒の怪我するに涙する御仁もいた。若いうちは後者でありてぇと思ったもんだが、じゃあそれが兵卒のためになるかってぇたら別でな。無論、どっち上手く熟す隊長もいる。それ以上にどっちでもない無能が一番多かった。
俺がそうじゃないのを祈るのみ。
いや、高々二月で既に二人も死なせてしまっているのだ。無能…、だろうな。
いや。いや。そういう考えは良くない。
責めて、俺の出来ることをやる。
今はそれを為すしかない。ここに来る前にセブとも話したじゃないか。
杯を少し傾ける。
騒いでいる兵共を見やる。
見渡せば都会の艶やかなる絢爛華美。
成程、燥ぐのもわかるってもんだ。
アルミア領じゃ、飾りと言ったら精々が弁柄染めか、草木染めの燻んだ赤黄色、もしくは、殆ど黒の濃紺の布程度。金物の細工は、領館にあった古錆びた鉄細工が一級品で、各村には木彫りでもあれば高級品。色合いを見渡せば、ほとんどが茶と黒と黄、そして古びた灰色。対して、ここには磨かれ抜いた黒鉄、青銅、白銅、真鍮。壁も大理石とまで言わないが、それでも白亜。酒場の壁には漆喰の乾かぬ内に染めを入れた壁画。出来は悪いが、色鮮やかなそれは芸術だなんて、見たこともない奴らにも見事なモンだと映るだろうさ。それが、木っ端職人の手に依る駄作であろうともな。
確かに浮かれようもんだろうな。俺も若い頃に経験したことだ。
だが、それ以上に、そんなことより、こいつらが賊退治をした、ってとこで浮かれているのがな…。
この辺りはそれ程だったが、北ではどこも不作だったみたいでな。いや、ここらは多少不作だろうと街道も整っているし、どこかしらからある程度運んで来ることも難しくはない。多分もう少し北の方だろうな。余程酷かったのは。
そんな中、俺らは喰えない奴らをまとめて、傭兵としてここに来たが…。そういう風に流れ着いた奴らだけじゃないってことだ。
つまりな。こいつらが討った賊はそういう人間だ。つまり、こいつらが殺したのは自分がそうなるかもしれなかった…、そういう奴らだ。
武器は手斧や鎌でも持ってれば上等。殆どの奴らは棍棒とは名ばかりの木の棒や徒手空拳。無論、剣槍など持とうはずもない。掠れた襤褸を来て、鉄鎧どころか革鎧すら見ない。用意もそれなら戦術も無様。礫を投げるのも疎らで、そのくせ前に出た仲間に当てる。それぞれ思うままに歩くなり走るなり…。喧嘩すら碌にやったこともないんじゃないか…。そんな様。
俺が昨日殺した奴にしてもそうだ。後ろから来る気配があって…とは言いようでばたばたと足音をたて、がさごそと草を揺らし、終いには俺までほんの一尋ほどの所で一度立ち止まって何やら呟いた後、漸っと斬りかかる時には雄叫びを上げて…。
ほとんど無意識に剣を振り下げた。明瞭な殺意があったわけじゃあない。だが、当たり所が悪かったな…。どこかで見たような顔付きをした、おそらく…はどこかで流れでもしていた、雇われ農夫だったろう。食い詰めたな…。
「テテ様…。…ケイゾさんは、明日も駄目そうずら。咳が止まらないみたいで…。」
屯する田舎農兵どもを何とか何とかやっとやっと掻き分けてカーコが報告しに来て言った。そう頑張らんで良かろうに。
「おう、そうか。すまねぇな。」
カーコは、一人二人世話係も必要だろうと、付けられた村娘だ。前から兵の飯炊き何ざに雇われていたから慣れているだろうってぇことでカーコは選ばれたわけだ。俺も、まあ、もう馴染んだ顔だ。
俺はもう一回は盃を傾けつつ応える。
「そうかぁ…。」
ふと漏れ出でた陽の光が眩しい。
その陰影越しに見やると、兵隊…いや、子倅どもは…奴ら…は、女給に絡んでいた。
「あの人ら…、」
カーコは渋面を浮かべる。彼女にとって、その風景がどう映るのかは知らないが、まあ、あまり快いものではないのだろう。
「どうせ相手にもされんさ。」
俺は盃をまた傾ける。
「いや…ですが…。」
「まあ、見てなって。」
盃に酒を注ぐ。兵隊どもの方も見ない。が…声でわかる。
オスクは一人の女に肘鉄砲を喰らい、セモンは別の女に張り手を喰らわされた。そんで、それを見て、卓についていた奴らはドっと笑う。女給はすんととして立ち去る。酒場の親父はちらとも見ず黙々と包丁を繰り、鍋の様子を見る。
「あれは…ああいう息抜きだ。それに、街の女はあいつらにどうこうされるほど弱くはないさ。」
「息抜き…。」
「ああ…息抜きさ。」
しかし…、自分と同じような境遇の者を殺し、捉え衛兵に突き出し、己の妹のような女どもに粉を掛け…、息抜き…か。
やはり…、この商売は良くないな。
永く…、という程ではないが、長く続けて来た稼業だ。
自分より若い奴らがどうなって来たか、というのも見て来た。
良くない…、良くない…。
だが、結局俺が如何すれば良いのかは分からない。
そうこう考えているうちに、夕闇は深くなって行く。
また輸送コストの見積もりの続きです。
人の手による荷運びはほぼ天秤棒、つまり両端に荷物を吊るしただけの棒だけで運ぶ、もしくは棒の両端を二人で運ぶという形でした。後は頭の上に載せるなどですね。当然、100 kgなど無理で多くて20-30 kg、場合によっては10 kgが限度だったのではないかと。
これが荷車を使うだけで大分運べる量が増えます。悪路では多少能率は落ちたでしょうが100 kg以上運べたとも。引く人と押す人に分かれたとしても、荷車無しの場合に比べて二倍以上の効率が得られたでしょう。人類最大の発明のうちの一つであるだけあります。
最後に駄馬です。別に馬じゃなくてロバやラバでもよいのですが。馬なら100 kg前後、ロバやラバなら150 kg程度運べたとのこと。つまり、人間の3-10倍程度も運べたわけです。成程、古くからの絵画としても遠征シーンには基本的に駄獣はいます。さらに、ここに荷車がつくと倍率ドンで1 tに及ぶまで運ぶことが出来る可能性までありますが、どうしても人間に及ばないこととして応用力がないことにがあります。どうやら、悪路で荷車を引く場合は人間の方が効率が良かったようです。