―スルキア伯爵領、ズブ―
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天晴、煌びやか。陽光颯爽と尾を引くは直きこと刃をすら凌ぐ。対する薄雪これを千々に撥ねる様、実に勇壮。それと好一対、人の行く道。いや、対なれど実に無様。対なるには格が足りぬと言わざるを得ず。道々泥濘むや厭。纏わりつくは脚の重しと成りて難。竿に荷を吊るして両端を男共が支える。そんな連なり連なり緩やかな傾斜をなす丘陵地帯を行く。冬晴れの日。労役共の冬は長い。そんな中、他領から来た流れには少々似つかぬ小綺麗な恰好をした男、ズブはいた。
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ふぅむ。
中々、面白いじゃぁねぇかぁ。えぇ?こんスルキア領の大鍛冶ってぇのはよ。ちっとやそっと俺が考えただけじゃあ、思いも付かねぇ業がどんと詰まってやがる。ここは、そんな宝箱ってぇもんよ。
目ぇ眩んじまうぜ。なぁ?おい?
成程確かに流石に兄ぃの求めるところの大鍛冶の現場にゃあ、そう簡単には忍び込めなかったがよ。秘儀の中の秘儀って奴って話だからな。スルキア領全体で見た時どうだか知らねぇが、少なくとも俺の来たここいらじゃ村の一つが大鍛冶の村って決まっていてよ。その村以外の者は大鍛冶の、それを当にやっている所にゃ入れねぇ。
そういう風になっている。
わかっていたさ。わかっていたとも。
だぁが、色々得られるモンはあったぜ。
そうだ。
どうだ。
オイラの慧眼を以てしたら、易い仕事ってもんさ。
全く畏れ入るぜ。褒め称えたっていいんだぜ?はっはっは。
目ぇ凝らせ、耳ぃ澄ませ、頭ぁ回せ。そしたら得られるモンのザックザクってなもんよ。ちぃとでも鉄をやったことある。それが生きてくる。ってもんさ。
点と点とが繋がり線となる。線と線とが連なり面をなす。面と面とが重なり形を作る。測れや量れ、業と業。それ人の業なれば、人の法なれば、焉んぞ我の解せぬモンであらんや。正法外法倶に法也。貴賤玉石在りても倶に法也。法は人為也。人為は天意地思非ず也。即ち人為は人の為す所也ってもんさ。
それが、軽易軽妙にして摩訶不思議、珍奇奇天烈にして当意即妙なる魔法に見えても、つまりは人の業の為せるトコってわけさ。
まず、そうだ。あの水車ってぇ奴だな。あれを見るべきだ。
未だ枯れた草と土の色の目立つ雪原の向こう側、遠くに見えるそいつは、この寒いのに凍る気配もない川の流れによってゆぅっくりとのぉんびりと悠長にも回り続ける。ところがどっこい、こいつの力を舐めちゃいけねぇ。ちっと隙が出来た時に手で以て止めてみようとしたが、とてもじゃねぇが無理だった。
確かにな俺ぁ水車ってもんは見たことがあったがよ。ありゃ、麦挽くためだけのモンだと、いやそれどころか水に流されぐぅるぐる回るだけのもんと思っていたが、そんだけじゃぁねぇんだな。思い返せば、どうやって麦を挽いているかだなんて簡単なことも俺も考えたことも無かったんだな。手前の蒙に恥じ入るばかりだぜ。
いや、俺も中がどうなってんのかってのを見たわけじゃねぇんだが、入っていくモンと出て来たモン見りゃあ大方何やってんのかってのは想像付くてもんさ。それに、ドッタンバッタン大騒ぎだもんよ。ガッキンバッキン、高らかに鳴らして、秘儀も何もあったもんじゃあねぇだろよ。ありゃ、間違いなく鉄を打っている音さ。間違いねぇよ。オイラ詳しいんだ。へっへっへ。
兄ぃはあの膂力を以て大槌振り回してがんがんやっちゃあいるが、それは誰もが出来るわけじゃぁねぇ。手習いのガキどもが振るったら、兄ぃの半分のその半分も打ち付けてゃいねぇだろうな。だがよ。あの水車を使って槌を持ち上げれば、てめぇそりゃ一騎当千てぇなもんじゃぁねぇか?いや、千は言い過ぎかもしれねぇがよ。十は堅いぜ。百は難しいかもしんねぇけどよ。まあ、馬の数匹分の力は出るだろうな。
そんだけじゃねぇさな。耳ぃ澄ましてみな。聞こえるだろう。ぼーうぼーうってぇな。ありゃ、鞴吹く音さ。なあ。
ああ、そうだよ。山査子の…、甘味に敵わぬ、甘露甘露の心地良き音。近からんものは目にも見よ。ってぇがオイラ近付けねから、音に聞く。音に聞けってんだろ、此畜生。えぇ?見てみてぇな。ご覧に上がれ。って、てめぇ、見えねぇってぇんだろ。だから、聞けや聞け。
俺ぁ、これでもアルミア領じゃぁ、鞴のズブ、だなんて呼ばれてたんだぜ。呼ばれたこたぁ一度もねぇけどよ。だが、この一年、一年ぽっちだが、鞴踏み鳴らすのが手前の生業みてぇなもんだったわけだ。だから、そこを聞き逃すわけねぇのよ。
成程、水車。考えたもんだな。ってぇよ。
あれの中を見ることが出来たらいいんだけどよ。どうにか、ならねぇもんか。いや、カズのおっさんなら水車を作れるのか?だが、アルミア領にある水車は精々麦挽き用か、水汲み用だからな。構造が同じか、違うのか。
麦はあれだろ?臼で挽く。臼ってのは回すもんだ。そんで水車は回すもんだ。だから、回すってのは一緒だ。だから、中身が分からんでも、まあ、回ってるもんを使って回すんだから、そらおめぇ、まあ出来るだろってなる。
だが、鉄を打つ、鞴を吹くってぇのは、こう言ってみりゃあ押したり引いたりだ。回すんじゃぁねぇ。だから、回っている水車とは違う動きだ。いや、待てよ。春に新しい畑を耕している時に見た神楽桟はこうやって回して回して大きな石を持ち上げていたな。ってぇことぁ…こう滑車かなんかで、こうやって綱かなんかで以て…、そんで水車で回して、持ち上げて…、落とす。
うん。こうしたら回す動きを押す動きに出来るな。
うん。うん…。
あ、いや。だが待てよ。良く考えたら、こう一回落とす度にもう一回綱をほどいてまた繋いでってしなきゃ出来ねぇな。
うーん。これは何か違ぇな。そうじゃぁねぇな。
ほれ。ようよう音を聞いてみろよ。そういう調子じゃぁねぇだろ。少なくとも、こうガンっ…ガンっって、ぼーうぼーうって案配だ。毎回毎回、綱結んで解いてやっていたんじゃあ、こうは行かねぇはずだ。
ってぇこたぁ…。どうやってんだ?
いよぉし、何か他に音がしないか。ようよう聞けよ…。おし、目を瞑って、こう…。集中しろ、集中しろ…。
「あん、ズブさん。」
俺が必死になって音を聞いていたら、ダァブのおっさんが声を掛けて来る。野暮なおっさんだな、おい。
「おぉう何でぇ。旦那。どうかしたかい?」
全く野暮だね。こんおっさん。これだから田舎者は…、って舐めたらいけねぇな。案外、こんおっさん物知りなんだ。長くここらで働いていんだけあらぁな。とは言え、こんおっさんも水車ん中のこたぁ、あんま知らねぇみてぇだが…。いや、もしかしたら何ぞ手掛かりを引き出せるかもしれぇな。今度、少し鎌ぁ掛けてみるか。
「どうかしたかい、じゃぁないじゃんね。皆もう丘越えてんだら。俺らだけ取り残されてるってこん。」
溜息吐き吐き言う、ダァブのおっさん。何か、この苦労性なとこ誰かに似てんな。誰だったか…。
まぁ、んなこたぁどうでもいいんだ。
しかしな。おおん?見てみれば、労役の行列はもう丘の向こう。成程、そう言や、今は二人で荷運びしているところだった。俺が前、おっさんが後ろを持つ。ふぅむ。確かに置いていかれたみてぇだな。
「あぁん、それがどうしたよ。あんた野暮だね。旦那。オイラ今音を聞いてんのさ。どうだい?あんたにも聞こえるだろう?この音楽がさ。」
しかし、このおっさんも気にならんもんなんかね。あん中がどうなっているか。もう二十年以上も冬はここらで労役やっているってぇのによ。
「いや…、えぇ、あんた何言ってんだら。あしらの仕事はこいつらをあっちまで運ぶことだってこん。あんたに何が聞こえているかは知らんけども、早く行かなんだら、またこっぴどく怒られんだら。」
「っち、仕方ねぇなぁ。これっきりだぜ。」
振り向きつつ、ちっちとやりながら指を振る。おっと、アルミア領からの流れにしちゃあ、ちょいと都会風過ぎたか?
「や、これっきりにして欲しいのはこっちだら。…何だ、あんたも嬶食わせなきゃいけんだら。公都で何やってたか知らんけども、駆落ちして逃げて来たんなら、それなりの覚悟決めなんといけんだら。ここにある仕事は楽団みたいな楽な仕事じゃねだら。」
ん?あぁ、そういやそういう身の上ってぇことにしてたか。あぁ、そうだそうだ。思い出した。ここに来る前にナナイ姉ぇに散々言い含められたぜ。ほんとによ。
俺とササンは公都からアルミア領に駆け落ちしてきた夫婦なんだとよ。そんでアルミア領が飢饉だってなって、スルキア領に流れてきた…と。何だか、勘弁して欲しいぜ、なぁ。ナナイ姉ぇにはガキん頃から頭が上がらねぇし、それにササンの奴が妙に神妙に聞いていたってぇのもよぉ。
何だか、勘弁して欲しいぜ、って思ったんだがよ。こっちに来て早々ササンが珍しくも初対面の人間にそれを伝えちまってよ。
まあ、振りだしな。それにこの冬だけだしな…。
それに、どうにも、あれだね。こんおっさんは勘違いしてるみてぇだ。
「おいおい、旦那。楽団だって楽な仕事じゃぁねぇんだぜ。奴らの呼吸ったら無ぇぜ?長いのなんのって…。」
このおっさんは楽団の連中をちぃと舐めてやがる。これは教えてやらねぇと。
「あいあい、それはいいだら。早く、運ばんと…。」
そう言って、歩みを進めようとする旦那。竿の片棒担ぐダァブのおっさんが、ぐいぐいと押して来る。あぁ、仕方無ぇなぁ。
「おいおいおーい。本当によ。しゃぁなしってもんだぜ。よぉ、旦那。これっきりだぜ。なぁ?」
「…はぁああああ…、はぁ…。」
おっさんはこれ見よがしに溜息吐いて、歩みを促す。
ったく、粋を解さねぇおっさんだぜ。だから、そう無意味に老け込むんだ。
ふむ。だが、そうだな。だが、まぁ、こういう…、そうだな。良く言えやぁ堅実な奴も仕事をする上じゃあ、要るっちゃ要る。
「なぁ、おっさん、なぁ。」
「なんだら。」
「おっさんよぉ。食うに困ったら、アルミア領に来たらいいぜ?オイラちぃと伝手があるんだ。」
「食うに困ったらって…、あんた食うに困ってこっちに流れて来たんだら?」
「ま、モノは言いようって奴じゃあねぇか。な?覚えておけし。悪ぃようにはしねぇっつこん。な?はっはっは。」
使えそうな下働きがいたら唾付けておく。そういうもんさ。業も人も盗もうってぇんだ。俺ぁ希代の大怪盗ってぇ奴だな。こりゃ、七面八面百八面相ぐらい用意しとかねぇとな。
おっさん相手なら変な面倒も無いだろうからな。
前回、前々回とアルミア領の食糧事情の計算をしていましたが、今回は別の話。食料事情は次回以降に。さて、それで今回はどういう話かと言うと、水車とクランクの話です。
まずは水車。水車自体の発明は紀元前に遡りますが、これが広まったのは中世に入ってから。それでも初期は脱穀と揚水程度だった。そこから、積極的に工業利用が始まったのは中世も半ばになってからです。ちなみに日本では戦国時代とも江戸時代とも。昔は暗黒時代とも言われた中世でも既に産業革命は起きていたわけです。中世以前では奴隷によるマンパワー頼りだったのが、徐々に機械を使うようになって来たのが中世という時代です。
ここで重要になるのがクランク機構です。ズブも着目とした、回転から直動、直動から回転への変換を担う機械的仕掛けです。クランクの発明は少なくとも欧州では九世紀。ペダル式回転砥石がその頃にあったと。中国で最初にそれらしきものが残っているのは漢王朝の時代。これらは直動からの回転です。一方で、水車などの回転運動を直動に変えるクランク機構が本格的に発明されたのは十二世紀の半ばのアラビアと言われています。この頃のアラビアはこれが徐々に広まり工業の機械化が進んでいくわけです。そう、回転を直動に変えることが出来るようになって、それこそ鉄の鍛錬や鞴吹きも出来るようになったと。そして、それは後の蒸気機関において重要な役割を果たすようになり、さらには現代のエンジンにまで繋がるわけです。