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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(後編)飢饉の冬越し
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―アルミア子爵領、マヌ村、テガ―(2)

「あしが生まれたのは、いや育ったのは王国の海辺の小村ずら。もう、そこの景色はほとんど思い出せんし、村の名前すら朧だが。まあ、そんなどこだったつこん。」

 少し仰ぎ見て、何かを思い出すように目を瞑り続けるタスクさん。まずは、昔話から始めるつもりのようだ。

 雲は厚く陽光は弱い。木々は影を作らず、何か周囲がのっぺりしているように感じる。

「多分、八つかそこらの頃、あしは人買いに買われた。そして、それこそ名前も知らん村で農奴として暫く働いた。」

 別に無い話ではない。貧村では良くあることだと聞いたことがある。このアルミア領でも、危うくそういう身の上を沢山生むことになりそうだった。

 辛うじて、そこは免れたようだが。いや、小作の子などで領の保護を受けられない、受けにくい身分の人間には幾らかそういう話もあったと言う。

「そんで、十を少し過ぎた頃、仲間連中と相示し合わせて逃げ出した。確かに、きつい仕事場だったが、それ以上にそういうことをしたい年頃だった…。って言うのは今になってわかるこんずら。あん時は只…、理不尽な雇い主に逆らってやろう、って気持ちやった。」

 そして、少し顔を顰めるタスク。だが、その表情も直ぐに消える。

「勿論、追っ手はあった。そんで、一緒に逃げた四人のうち、二人は殺された。おそらく。一人は矢で首を射られた、一人は槍で左肩を貫かれた。」

 少々、奴隷に対するには辛い対応だろうが、無くは無い。

 そう、無くは無い。

 無くは無いだろうが…、少々無体が過ぎるだろう。誰が、己が落とした貨に対して、勝手に落ちた咎を責めて鋳つぶしたりしないだろう。いや、この言いは、それはそれで人をモノとして扱い過ぎる。いや、だが、実際にモノとして扱われる人もいれば、人同然に扱われるモノもある。

 それは十全にわかっていたこと。

 彼のまとまらない言い分に、俺の考えも少し乱されていたみたいだ。

 まずは、傾注するのだ。彼の言い分に。

「命からがら、逃げて逃げ延びて、王都に着いた。彼の都は煌びやかやった。そこで自分は生きんのやと、共に逃げ、ただ二人生き残った友と誓い合った。だが、そう簡単には行けへん。都の厳しい世界と言んは、田舎で農奴をやんのと比べても楽なこんでは無かった。一緒に逃げて来た友は無道に手を染めた…。あしは…あしは、そこまで踏み切れなかった。」

 言っていることに反して、無表情…むしろ穏やかですらある。そのように見える。何かしら後悔もありそうなものだが。もう自分の中で整理が付いたこと、そういうことだろうか。

「だから、又しても逃げた。ヤクザものとしてでも名を成そうという、その友の気概に妙に反発して…。結局、今思えばそうは割り切れない自分に嫌気が差して。そして、王国を離れ、いや、それ以上に兎に角自分の見知らぬ土地へと、逃げた。逃げた。」

 そして、彼は少し遠くを見やる。

「気付いたら、スルキア領で小作をやってたつこん。結局、農奴をやっていた時に手に馴染んだ鋤鍬が自分にとって一番だったわけずら。」

 しばらく、こちらを見ずに続けていたタスク殿は漸っとこちらを見る。その目には確かに意思が宿っている。ここまで話して来た何に繋がるかわからない話、それが何に繋がっているというのか。

「そこで働くこと幾年。ある春先。自分はどうして、何者にも成れない、そう思っていた時、いや、そう悩むのはもう疾うに過ぎて、そういうもんだと受け入れてしまっていた時、一種の悟りを開いてすらいた時、村長…義父ダルオに拾ってもらって、この領に来た。あん人が何を考えていたのか、当時はわからなかった。だが、今なら少しわかる。あしもテガくんを婿養子に迎えた。多分…、テガくんも、そのうちわかる時が来る。」

 どうなんだろうか。

 これは、つまり、俺とコッコの娘に村長を継がせる、そういう時が来るということだろうか。未だ、生まれる所が孕んだ兆しすらないのに。

 実に気の早い話だ。

「そうして、まさか妻を娶ることになった。あらゆるものから逃げて、避けて来た自分に。本当にまさかだった。…だが、この領は貧しい。多分、あしの育った海際の寒村より余程。冬は雪に閉ざされ、何をすることも能わない。だがな。あしは、だからこそ、ここでしか出来ないことがあると思う。」

 つまり、ここからが本題ということか。

 老人の戯言、そう切って捨てるには忍びない。だが、そのまま受け入れるにはそれはそれで難い。俺にだって矜持はあるのだ。それが実にちっぽけなものだとしても。

「あしいた王都では、育った漁村では、確かにお天道様の機嫌には敵わないが、ここと比べればいつ何時(なんどき)でもやりたいことは出来る。そういうとこだった。だが、ここではそうはいかない。歳時は明確に区切られ、季々節々の行事は矩に従う。従わざるを得ない。だからこそ、ある意味で統率が取れている。だからこそ、ある意味で計画的。それはそうでないと生きていけないからこそのことっつこんだけども、必ずしも、じゃあ、それがどこの民衆にも備わっている生き方かと言うと、そうじゃない。ここでは暖かい時と寒い時、何をやるべきかってのは、実にきちんとしている。」

 それは…そうだ。日々を漫然として享受する公都の人々に比べ、ここの人らは時宜を余程心得ている。銭さえあれば、いつ何時でも何かしらを得ることの出来た公都と比べ、ここでは場合によって銭など何の役にも立たない。

 だからこそ思う。金物食えるならいざ知らず、人は穀物食わねば生きていけぬ。増してや、鉄など何の役に立とうか。

 結局、俺のやっていることは、一部の者共が言うように領主の妹婿の遊びのようなものではないかと。そう考える方が尤もなのではないかと。そういう思いが過ってしまう。

 だが、義父の考え方は違うらしい。

「テガくん、あしは親方さんに賭けている。親方さんの作る鉄は、必ずここの村々を良うする。あしは、そう信じている。実際、この村の上がりは思っていたのより多かった。」

 俺には己の道を信じて行けるほどの(つよ)さはない。柔弱な俺の精神は周りの人間の評判に左右される。レンゾの兄貴やズブのように己が生業(たつき)に誇りを持てない。

 この男はそんな俺に任せようとしている。

 見当違いも甚だしい。

「あしは、元々この領の人間じゃない。それどころか、この皇国の人間ですらない。昔、人を殺めたこともある。だが、そんなあしではあるが、何の因果か、村の長となることになった。なること自体は、もう随分と前に決まっていた。」

 …それは、俺も村長となれと、そう暗々裡に、そう言っているのだろうか。

 難しい問題だ。

 高が、外者の、俺が村をまとめる立場になって良いのだろうか。いや、タスク殿も元は外者か。そうして、この村は回っていると…。

「親方さんは、あしなんかよりテガくんの方がよく知ってんずら。ああいうお人ずら。いずれ、方々で軋轢を生む。いや、既に生んでいる。そこをテガくんなら何とかしてくれる。あしはそう思ってんずら。」

 そして、俺に回ってくるのはそういう役回り。柔弱な俺にでも務まる…。

 わかっていたさ。俺だって丁稚に上がってもう四五年経つ。そういう役回りを任されるのを忌避して、ここに来たが…。

 人間の本質というものはそうは簡単に変わらないらしい。

 俺はここでも調整役だ。

 それが自分の本分だなんて思いきれるほど俺は年老いてはいない。だが、そうあれと迫って来る現実に抗えるほどの我はない。

 言うだけ言って、義父タスクは立ち上がり…、斜面を降り始めた。

 登りに比べて、降りは余程危ない。かんじきに入れた突起を確実に食い込ませる必要がある。

 彼の言い様にはどこか妙に腹が立った。何か、自分の属するものを馬鹿にされたようで…、一方で、その属する何かには彼の方が余程長く居るだろうに。

 その腹立ちのうちに、既に自分がやろうとしていたことを、改めて指摘されたと言う感情もあった。言ってみれば、どうしようもない子供が掃除をしろと言われたのに対して、今やろうとしていたところ、と言い返すような、そんな気持ちこそある。だが、そういう稚拙な思いだけでは語りきれない。

 そうあって欲しい。自分のちっぽけな自尊心のためにも。

 それに実に堅実、そうとしか言いようのない印象を抱いていた人間に、変に夢を語られるのも、そしてそれが他人便りであるのにも、兎に角気に入らなかった。

「タスクさん。」

「あんだ?」

「俺は確かにあなたの言ったような仕事を担えるかもしれない。」

 だが、気持ちはわからなくはない。そう思えるところがある。

「まあ、俺に出来ることであれば…、やってみます。」

 そして出た言葉は、何を荒立てるでもないものだった。

 その言葉を聞いた義父は何かに納得したようで、そのまま何も言わず村に戻っていった。

 前項に続いて、中世のコスト感に関して。今回は人間が食べる量。

 やたらひもじい思いをしている印象はありますが、肉体労働の多い当時の人間が小食であったはずがないわけです。特に寒い地方では体温を維持するだけでも多くカロリーを要します。ざっくり調べてみて麦にして一日600 gは食べていたのではないかと思います。米にしたら4合、“雨ニモ負ケズ”と大体同量、コンビニおにぎりで12個。これで大体2000 kcalとなるので確かに妥当なラインでしょう。

 これを半年分とすると110 kgとなります。アルミア領は設定では4,000人程度。今回の話では大半が出稼ぎに出たとしても領に残る1,000-2,000人分の食糧を賄わなければならないわけです。

 一方で実際の収穫量はどうだったか。一般的な飢饉は本来の出来高の20%以下程度。しかも中世の麦の播種率は3~5倍程度なので、収穫したうちの20-30%は来年植える種籾にする必要があります。つまり、飢饉と言われる状況では、次に植える種籾の分を考えたら、ほぼ食糧はゼロということになります。

 つまり、領に残った人数1,000-2,000人のおよそ半年分、合計でおよそ100トン運ぶ必要があったわけです。

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