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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(後編)飢饉の冬越し
125/139

―アルミア子爵領、マヌ村、テガ―(1)

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低木の枯れ色の枝はぴんとして積もる雪より出ずる。節々に小雪纏うも決して凍てつく無し。それが雪に負けんとする己が意思か、将又ただ在るがまま在ったに依るか。それ知るは神なる身除けば自身のみ。いや、己が性情良く把する握することこそ難しと言うべきなれば、やはり神のみぞ知るとすべしや否や。山際にある朧太陽は澄空の太陰に比ぶるが妙。茫漠たる白雲に覆わるる天は白雪に染まる地の現身のようでいて。共に白でいてそして黒の眷属然とした様。

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「テガくん、ちっといいか。」

 義父、タスクの訪い。家の前の雪除けをしている最中だった。


 晴れて、俺とコッコは名実ともに夫婦(めおと)となった。こうして、小さいが二人で一つの家を持てたのが一つの証し。ほとんど物置同然であるが家は家。子が生まれれば違うだろうが、二人で暮らすには十分。

「どうしましたか。」

「どしたんずら、お父ちゃん。」

 概ね、同時に声を上げる。

 少しは夫婦というものが板に付いて来たというものか。

 別に、恋焦がれて夫婦となったわけではない。むしろ、その逆。状況に流されて…、少なくとも、俺はそうあった。それで夫婦となった。いずれ、妻を迎えねばならぬ、という考えのうちに、偶々あった話に乗っただけ。実に手前勝手で、都合の良い話。

 だから、そういう関係であったはずであった。

 コッコはそういう都合の良い女。一先ず、そういう立場を得るのに好都合。そういうもののはずであった。

 何しろ、コッコは公都で見た麗美な女共と比べたら、実に凡庸だ。いや、公都の基準に照らしたなら凡庸にすらほど遠いとすら言える。

 俺の働いていた南洲屋、その屋号を持つ金物屋は裏通りではあるが外に出て十歩も歩けば華やかなる公都の表通り、そういう所に居を構えていた。自然、煌びやかな装飾に彩られた女共を見ることは多かった。それだけでなく、異国情緒に溢れる灯明売りのモビオ、薫物屋のイバなども見ようによっては十全に美人と言うべきだったろう。その生まれ持って来たもの以上に、己が身を洗練させんと為した、それは当に粋…、とでも言うべき様。

 一方で、コッコにはそれがない。実に地味な田舎娘然とした女だ。多少は己の身に気を使ってはいるかもしれないが、髪は整えられていないし、肌は日に焼けるがまま。爪にも、手の節にも土が入り、その色は染みついている。その手を見れば、それは老婆のようにすら見える。

 だが、それに俺には不満はない。むしろ、満足している。いや、最初は兎も角、何故かここで暮らすうちに…。

 俺には分相応…、そう言えば傲慢に過ぎるが、それが一番ぴったりと来る。

 何と言うか…、丁度良いのだ。

 自分が妻を娶る、ということなど想像だにしていなかった。それがこの領に来て叶った。その事実だけに満足しているわけではなく、コッコは成り行きでなった妻とは言え実に相性が良かったのだ。

「テガくんに用があってな。ちっといいか?」

 義父は向こうを指しながら言う。

「あーしがいたらいかんの?」

「あぁ、まあ、男と男の話ってやつずら。」

 不満気に声を上げるコッコに対して、曖昧な様子で応える義父。

「いや、いい。少し出て来る。」

 そうコッコに声を掛けながら、雪除けに使っていた円匙を戸口の脇に立て掛ける。未だ、コッコは不満気な顔をしているが、大体実の親に対してはこういうものだ。たまに思うが、遠慮なく不満気な顔を晒せるという意味で親や血縁というものは、それが親として…、血縁として…、非常に厄介なものであったとしても、それはそれで貴重なものだと。実際に、俺に対してコッコはこのような表情を見せることはない。そういう意味で未だ完全に家族に成り切れていないとも言える。

 だから、それが俺の次の目指すべき場所であるとも。そう思ってもいる。

「何か、持って行くものはありますか。」

「かんじきはあった方がいいずら。」

「わかりました。用意するので、少し待っててください。」

 かんじきは戸口を入って直ぐのところにある。もう少し、引っ掛けるところを高くしておけばよかったな、と手で探りながら気が付く。闇に目が慣れた状態で探すのと違い、日に目に慣れてしまったこういう時、もう少し楽に手繰れる方がよいだろう。

「お待たせしました。」

「ほんじゃ、行くか。」

「はい。…コッコ、少し出て来る。」

「あいな。テガさん。」

 甲斐甲斐しくも御辞儀をして見送るコッコ。こういう妙に遜った所作はあまり好きではないのだが…。

 これが田舎流。そう言えばそう。

 不満はないと言ったが、これが不満であるとも。しかし、未だ一緒に暮らして半年も経っていないのだ。こういうものである、と納得するより他ないだろう。


 暫く雪の除けられた道を行った後、かんじきを付けて緩い斜面の木立の中を行く。木の皮の密かな隙間にすら雪が仄かに挟まっている。

 雪さえ気にしなければ下草の雪に沈んだ、この時節はむしろ森を行くに易いとすら思える。夏場は木か草かの判別の難いものを鉈などで以て切り進む他ないのだから。

「この辺りでいいか。」

 そう言って、タスクさんは立ち止まる。

 周囲に何があるわけでもない森の中。木々の少し開けた場所。春になれば昼寝するのに丁度良い。そんな場所だ。今も確かに空に開けているが、冬至も近い低い日は半分ほど木に懸かっている。それも、雲に覆われてごく茫洋。

「それで何の話でしょうか。」

 少し急いた。

「いや、な。」

 言い淀むタスクさん。やはり、急いた。わざわざ、こんなところに呼び出すのだ。何かしら重い話があるのだろう。言い出すのを待つべきであったか。

「いや、そうだ。大した話じゃぁ、ねずら。」

 大した話ではないのであるならば、わざわざ呼び出すことでは無かろうに。

「そうだな。この冬ずら。この冬。いや、今年、春が明けて以来。こうなるのはわかっていたずら。今年の冬はそうそう生中ではないと。」

 そう言って、都合良く横たわっていた丸太に腰かけるタスクさん。お誂え向きに相対する位置にも丸太がある。そこの雪を雑に払って俺も腰かける。そうするように促された、そう感じたからだ。

 成程、よく見れば、ここはそうした場所なのだろう。ちょっとした密議をするのに良いようにある。この話がどのくらい掛かるのかはわからないが、時を要するのであれば焚き木など出来るような距離感だ。

 その焚き木をするには丁度良く落ち窪んだ辺りを見ながらタスクさんは続ける。

「あしは元々この領の、いや、そもそも、皇国の人間ですらねぇずら。」

 彼の話は全く前後関係が繋がらない。本人も何から話すべきか戸惑っているのだろう。とは言え、こちらから何か言っても余計に混乱を増すばかりだろうから、黙って聞くこととした。

 前節(第2章中編)では実は鉄をどの程度の価格で売って、穀物をどの程度の値段で買って、それに必要な人員はどうなって、その損益はどうなって、という話を色々計算してそれなりに綿密に計算してみたのですが、これを事細かに書いていると一向に話が進まないのでばっさりと切りました。その一端でも何回かに分けて示そうかと思います。

 まず、大体の鉄の価格ですが、これは洋の東西問わず大体穀物1に対して鉄3~5くらいの価格だったようです。これに比して産業革命以後、現代では穀物2に対して鉄1程度にまで値下がりしています。つまり、中世に比べて鉄はざっくり6~10倍程度安くなっているわけです。ちなみに金本位で考えた場合は中世では金1,000~5,000に対して鉄1、現代では金30,000に対して鉄1程度です。差は幅こそありますが6~30倍程度。金と穀物の比は古代から現代までそこまで変わらず10,000~20,000程度。この辺のレートは資料によってばらつきはあります。しかし、穀物と精錬コストはほとんどゼロの金との間のレートは今昔変わらず、その一方で技術の進歩によって精錬コストの低下著しい鉄は相対的に随分と安くなってきたと言うのは確実かと思います。逆に言えば、現代の感覚からすると当時の鉄は相当に高級品であったはずです。勿論、製品の価格は原材料費だけで語ることが出来るものではありませんが、例えば鉄製の農具を一本買うというのは現代で言うところの車の買い替えに近いぐらいの買い物であったかもしれません。

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