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而鉄篇  作者: 伊平 爐中火
第2章(後編)飢饉の冬越し
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―アルミア子爵領―

 子爵家、仮の御姫君発つことより四半月を俟たずして、平年より十日以上早く降り始めた雪。しんしんと降ったは高が一日足らず。それは勢の弱いを示すに非ず。初日、夕にちらほらと舞い始め、明くる朝、地は薄っすらと白色に。山際にやんわりと日が見えたのも束の間。徐々にその勢いを強め、昼を過ぎる頃には次第に吹雪と化した。そして、その翌朝には隣家を訪なうも難渋する程に至る。暫し天は闇に閉ざされた。

 斯くあれば人に貴賤は有るまじ。倶に閉じ籠らざる得ず。びょうびょうひゅうの旋律は白き雪を且つ叩き付け且つ舞い踊らせた。濃い針葉は黙して語らず、幹枝を撓らせ只耐えるのみ。老木倒れるも、憐れみ向ける余裕もなく。漫然と見送るのみ。日の数、その片手で数える間にアルミア領は一息に白色へ染まった。

 つまり、冬が来たのだ。

 まるまる五日、荒れ狂った吹雪は漸っと収まる。而して、雪こそ止めど風こそ弱まれど、煮え切らぬ曇天。これが此処の冬の習い。雲流れても天の濃淡が些か変わるのみなれば、青天に(まみ)えるは難し。只、雲向こうの日輪のみがその輪郭をはっきりと。

 時折強く吹く風が、先日来積もった粉雪を吹き上げる。粉雪舞う、その様は大地の息吹とも見える。ふと斜面に雪の一塊が転げる。次第に(ともがら)を巻き込み大きさを増す雪玉。幸い大事とならず、小雪の塊は平地にてその動きを止める。成程、既に幾筋か転がった跡がある。

 如何に儚げとて日光の有ると無しでは温もりの異なるは瞭然。辛うじて氷点を幾分越えたる気が雪を緩めれば、ふいに枝よりどさと雪が落ちる。重さから放たれた枝は撓り揺れ、残った細かな雪を振り落とす。

 森の最中、ぼっと不意に雪が割れ白い息が上がる。冬装いの白兎が這い出でる。器用に雪上を跳ねながら、時に立ち止まり鼻をひくひくとさせる。冬籠りの最中とて、小康を得た今のうちに糧を探しておかねば飢えは免れまい。何も不作は人の営みに限ったことではないのだ。痩せさらばえた、その体躯には仄かに肋の浮くより察せられる。白い息を吐きながら兎は斜面を登っていった。


 彼の獣の向かった先とは真逆。鬱蒼とした森がしばらく続いた後、それが切れる。精錬場だ。

 人の手に依る角ばった組織は柔らかな雪に覆われ緩やかな曲線を見せるのみとなった。未だ、新雪には人の足跡はない。屋根と三面の壁だけ建てられた炉の小屋。その中にも大分雪が吹きこんで、床はほぼ白に満たされている。下は石垣、上は木造りの壁こそ見えるが、元を知らなければどの程度の高さまで石垣であったか、どこから木造りであったか、つまりどの程度まで覆われたのかは判然としない。

 目を精錬場、その入口の方に向ける。鉱石置き場にあった石の山が、どうなっているかは言うまでもあるまい。申し訳程度の屋根は何を防ぐことも出来なかった。もっさりとした白い山と化している。

 一方、吹きずさぶ荒天の中でも、人の営みを止めなかった一部の小屋は屋根に積もった雪も幾分少ないか。他と違い鋭角が見えぬでもない。煙突から出ずる熱気はゆらゆらと背後の景色を揺らす。それは鍛冶小屋、煉瓦小屋、硝子小屋。じわじわとした熱気に時折ずるりと雪が滑る。さりとて、戸板も未だ未だ半分ほどは雪に覆われている。

 どん、どん、と何かを叩く音。くぐもっていた音は徐々に明瞭に。それとともに雪が崩れ、遂にばさという音と主に鍛冶小屋の戸が開かれる。

「ほら、今日辺り、外に出られると思ったんだ。言ったでしょ。タヌ姉ぇ。」

 出て来たのは少女と女の間ぐらいの年頃の。いや、顔立ちこそ整っているものの、あどけなさの残る顔付きを見れば、やはり未だ子供。少女、やはりそう呼ぶのが正しいだろう。しかし、装いは男のものである。中途半端に伸びた髪は、所謂おかっぱ。流麗に伸ばした髪の貴ばれるにあっては、何か、何でも中途半端。

 とは言え、さても、何とあれ、この少女こそ、女の身で、いや少女の身で過分な過分なニカラスク家当主の座に御座します、ザメイ・ニカラスク様、その人である。成程、そう言われれば、都会であれば少々野暮ったいだろうが、とても庶民に身に着けることの出来ぬ毛皮の外套を纏っている。

 それと、即ち立場と、本人の自覚が相俟っているかは別の話。

 手慣れた様子でかんじきを付けるとそのまま雪に向かって走っていく様。確かに、ここで育った彼女にとって、何てことのない所業。飢え迫る現状にては、茶飯を喫するより簡単。とは言え、飢え迫る現状にては、些か奔放。何、批判されても致し方あるまい。

 そう言わざるを得まい。

「待ちなね。そう急くんじゃあないよ。急に出ると雪が落ちて来たりするかもしれないって言ったのはあんただろう。」

 恐る恐る出て来たは麗しの。この春、ファラン家の養女となったタヌ・ファランである。当に女盛りを迎えんとするその器量は公都でも十人いれば七人は振り返るとも。これまた、縫製の整った兎毛皮の女物とわかる外套。別嬪に良く良く華を添えている。

 其処除け、其処除け、嬢の通るに遮る物有ってなるものか。

「しかし、あんた、こう寒いのよくそう器用に結べるもんだね。」

 …なお、遮るは人に非ずして。

 実に実に些細。

 呆れ声で言いながら、もたもたとかんじきを結ぼうとするタヌ。自身のその野暮に少々勘。なれど、かじかんだ手先はそうも滑らかには動かじ。

「タヌ様…。私がやります。」

 次に出て来た女、メーコはガーラン家当主の御叔母君。妾腹故の引け目あってか、幾分控え目勝ちなのが玉に傷。磨けば光ろうものはあろうに、そこに気を配ることが無いのだろう。丹色に染めた頭巾を目深に被る。伝統的なアルミア領の装いは、他領で見れば少々珍妙かもしれぬ。されど、此処で見るのであれば、様になっているとも。そう、あろうに。

「あぁ、ありがとうね。こら、ザマ。そうはしゃぐんじゃあないよ。」

 田舎ではもう何時嫁に行ってもおかしくない、そんな年頃となって自分でかんじきも履けないのは幾ら何でも情けないという考え方もあろうが。むしろ、その毅然とした様は下女に世話をさせる実に女主人然。女伊達にして実に颯爽。皮革の手袋付けるも実に粋。(てん)の襟巻、さっと首に巻くも実に鯔背(いなせ)

「出来ました。また、脱ぐ際には申し付け下さい。」

 そう言って、メーコは黙々と自分のかんじきをいそいそと結び始める。

「あぁ、悪かったね。」

 そう言って聞かせる、さり気ない仕草一つも、芝居の種になろうと言う物。


 さて、実にアルミア四足家の、その内三まで。それら高貴なる女共の集まるは、それに似つかわぬ鍛冶小屋。となれば、未だなお、キンと、コンと、カンと響く音は、むしろ、それが本分。人に依っては快く、人に依っては実に無粋な。多数決の論理にては後者に傾きかねぬ。ともすれば野卑に居ると言って良いだろう。そんな鍛冶小屋に、貴人揃い立つとは、妙なるものぞと思わぬことこそ不可思議なれ。

 いや、いや、断じて否と、言わざるを得まい。ここは精錬場。可愛げを披露する場でも無ければ、女振りを撒く場でも無く、無論いじらしさを愛でる場でも無い。

 ここは精錬場。物作る場なれば、物作るこそ粋。

 

「はぁ、兄ぃは、相変わらずだね。」

 雪に二三歩ほど歩んで後、小屋を振り返り、タヌは独り言ちる。一抹の憂いを帯びた、その目線は仄かな秋波を帯びつつも…。その波は壁に当たって弱々しく潰えた。

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